第12話

 ハヤナの案内に従って近くの病院で診察を受け、流れるように鰻屋へ足を向ける。医者の診察など所詮はプラシーボ効果だと思いながらも、誰かに心配されているという事実だけで幾らかの慰めにはなったのだろう、随分と気が軽くなった気がする。

 目的の店内は、昼飯時のピークを脱したのかガラガラだ。そもそも平日だし、こんなものだろうか。


『やはり鰻重でしょうかね』


 四人掛けの座席に腰を下ろすと、隣に座った幻影が声を掛けた。


「重すぎるだろ」

『それはそうですが、ビタミンAとEPAが豊富に含まれていますので、免疫力の向上には効果抜牛ンです』


 人工知能の風邪も随分と深刻なようなので、ここは素直に食すとするか。まぁ、鰻は美味しくて栄養満点なのだ、養殖にも成功して絶滅の危機から脱したのだから遠慮なく頂こう。


「つーか、ホント酷いよなあの人たち。碌に看病もしてくれないとか、ブラックどころじゃねぇぞ」

『何を言いますか、手作り玉子酒飲んで鼻の下を伸ばしてた癖に』

「伸ばしてなんかねーよ」

『バッチリ記録しておりますとも』

「妬いてんの?」

『まさか』


 おーおーすねちゃて。風邪引いてなかったらもっと捲し立ててただろうが、騒がれるよりはマシか。


『キッスもしようとしてた癖に』

「不可抗力だ。それに未遂で終わっただろ」

『死ねば良かったのです』

「お前も容赦ないな。もしかして、そっちが素か?」


 ただの冗談だと信じているが尋ねてみた。俺が死ねばこの子も消えるのだ、まさか思ってないよな。


『従業員を過労死させても企業への罰金は50万円で済みます。この国における人の命というのは、えらく安いものなのですよ』

「どこぞの広告代理店かな? 体のパーツなら、もっと価値がつきそうなもんだが」


 血液とか腎臓とか、あるいは網膜とか。


「酒気帯び運転なら100万の罰金だっていうのにな」

『人より企業を大切にする国ですから』


 そういうことを言うから叩かれるんだぞ。通報されてないからセーフなんだろうけど。


「まぁ、遺族への賠償額は偉いことになりそうだけどな」

『億はいくでしょうね。ご主人も旅立ちませんか? 最後の親孝行です』

「やめろ。そういう話は本当にやめろ」

『誰かが死なないとまともに調べられません。税金納めなかったら必死に調べるあの機関は事が起きてからでないと動きません』

「狂ってる世の中だなぁ」

『類を見ない超高齢化社会ですので』


 人工知能が視界に居座る非日常にかまけてばかりいたが、あるべき日常に目を凝らすと知りたくも無い真実が嫌でも牙をむいてくる。

 もういうやだなぁ、異世界にでもフェードアウト出来るのならしたくなる。そんな馬鹿なもの存在するワケないだろうに、こんな思考が頭をよぎるのは高熱のせいだろう。


 しかし、どうすれば社会は上手く回るのだろうか。働きたくても働かせて貰えない人はいるんだ、それをどうにか……強制ワークシェアリングでも導入すればいいのだろうか? 働く人間を増やして一人当たりの負荷を軽減させることが出来れば、過労死何てものは無くなってくれるんじゃ……甘いだろうな。

 結局、労働者は奴隷に過ぎない。社会を動かす、一つの歯車なんだから。


「ヘェイマスター! 吾輩に鰻重プリーズ!」


 俺の席へ鰻重が運ばれてきた時、新たな来店者が威勢よく現れた。マスターって何だ、ここはバーじゃないんだぞ、大声で喚いて恥ずかしいヤツだな。


「一度食べて見たかったのであるよぉ~♪ 食文化だけは褒めてやるである、集団帰属意識が狂っているこの国において、最早褒められるのはそれくらいであるからな♪」

「ん?」

『お?』


 どこかで、いや、ついさっき聞いた覚えのある耳障りな声。

 村社会が根付いているこの国を侮辱しているのは、あのマッドサイエンティストで間違いない。


「……まぁ、日本人のリテラシーがボロボロなことは認める」

『……周りが騒いでいれば、例えそう思っていなくとも便乗して支持したり叩いたりしますからね』

「……異世界モノとか令嬢モノとかな。現実に疲れた高年齢層が見つけた桃源郷」

『……どこが面白いんですかねぇ』

「……読んだこと無いから分からん」

『……読んでないのに貶すのはマナー違反です』

「……一理ある」

『……当然のことですよ。まぁ、すぐにブームは去るでしょうが』


 そんなことよりもだ。どうしてあの男がのほほんとここにいるんだ、ついさっき捕まったばかりじゃないか。


「ほほう、これがタタミというヤツであるか! ふむふむ、存外、悪くないである」


 あろうことか声は近づき、隣の座敷へ案内されたようで、そこで喚き続ける。


「ふんふふ~ん! 娑婆の空気で吸うケムリはたまらんであるなぁ~♪」

「お客さん、ここはタバコ禁止です」

「uコスであるよ、臭いなんて無いである! そんなことも分からんのかこの戯けがぁ!」


 どうやら電子タバコでも吸っていたようで、店員と激烈な論争を繰り広げ始めた。

 しかし、幾ら煙の排出量が少ないからと言ってこんな場所で吸うのはマナー違反だ、俺は店員さんを陰から応援するぞ。


「つーかこれ、通報するべき?」

『うぅん……残念ながらこの自治体の条例では、罰則に値しません』


 ウッソだろお前。


「ヘェイそこのボーイ! キミもそう思うであるよな? 吾輩は間違っていないと! この世界が悪いのだと!」


 中二病でも患っているのか、どこかの誰かに向かって成否を問うミラー。その毒牙を向けられた哀れな子羊はどこの誰だろうと視線を動かすと──こちらの座席を覗き込んでいるバンドマン風の男と目が合った。


「げ……」

『あちゃぁ……』


 完璧に見つかった。

 やべぇよやべぇよ、これからどうなるんだ、拉致監禁でもされるのか!?


「何であるかその目は!? ボーイも吾輩を否定するであるか!? 日本人というのはこれだから嫌いなのである、口を開けばクレーム、窓口を開けばクレーム、クレームばっかりなのである!」


 あれ、バレてない?

 ハヤナの存在にも気づいてない?


「サービスは無料だと思いあがった馬鹿共である! だから貴様らのレビューは参考にすらならんのであるよ、【ラプラスの工房】を運営するのがどれだけ大変だったことか! 世界から隔離されればいいのである、いやいっそ、もう一度鎖国するべきなのである! 二次元文化など、中国と台湾が残っていれば十分である!」


 前半には若干同意。

 動画サイトやショッピングサイトに掲載されているレビューなどは購入者に大きな影響を与え、商品の売り上げを左右したりもする。人によって価値観が違うのだからネガティヴ意見が載るのは間違いではないが、感情に流されやすい日本人はそれを真実と誤って認識してしまう。海外でも当然のように暴言が掲載されているが、日本ほど陰湿ではないプロレスのようなものだ。

 だからこそ新作ゲームの発表会などでは、日本人のコメントを禁止することが当たり前になった。批判から逃げているワケじゃない、ビジネスの足を引っ張る馬鹿を排除しただけだ。


「流されるのが日本人ってものですから。長いモノには巻かれろって諺があるくらいですし、仕方ない事かと」


 おそるおそる口を開く。バレてないんなら事を荒立てず、どうにか隙を伺って脱しよう。


「ほう? やはり、国民総白痴の時代であるか」


 なんでこっちの座席に這い寄ってくるんだてめぇ!?


「さ、さぁ?」

「ソーシャルゲームに大枚はたく癖にCSゲームにはケチ付ける卑劣な国民ばかりである」


 なんで真正面の席に座ってんだてめぇ!?


「娯楽は娯楽だと割り切れば良いものを、馬鹿真面目にレビューするのが気に食わんである。ボーイもそうは思わんか?」

「えぇと……どうでしょう」


 なんで呑気に語り掛けてくるんだてめぇ!?


「だからといって好き放題やるというのも気に入らんである」

「はぁ……」

「制作側もである。未完成品を売りつけておいて、完全版と称した新作を再び売りつけるのは何とも名状しがたい大犯罪、審判の対象である」


 それってエアツェールングのことだろうかと疑ったが、アレは和夢が彩智を説得させるための嘘だと言うことを思い出した。

 いや、完全版商法なんてありふれているんだ、特にエロゲ界隈とか。プラットフォームを移して完全版を発売するのは常套手段。


「チラシの裏も気に食わんである。Beauty Soundという名の作者、ボーイは知っているであるか?」

「いえ……」


 いつまで続くんだ、この世間話。


『Web小説家です』


 そんなこと知らねーよ。


「他人の作品を丸々パクって微改変したものを投稿し、インセンティブを稼ぐ白痴である。【結婚詐欺──阿保だ阿保だとは思っていたけれど、ここでそれを晒しますか……】というタイトルの盗作作品が有名であるな」

「はぁ……」

「感想を受け付けず、流行にのった愚か者たちから閲覧数を得てポイントを稼ぐのである。即刻削除されたであるがな」


 うんうん頷かれても反応に困る。


「研究の疲れを癒そうと、日本文化に触れたのは間違いだったである。むしろ頭が、脳が、溶けていくような不快な感覚……娯楽のレベルも随分と下がったであるな」


 チラシの裏に書かれていたものについて講釈されてもなぁ……所詮は娯楽だし、本人が良ければそれでいいだろ。


「日本人はみんな疲れている時代ですから、ストレスフリーなものが求められているんです。変に凝ったものや、現実描写がキツイものからは目を背けられますから、作者だって嫌々書いてるんですよ多分。異世界だなんていう砂上の楼閣を」

「何の苦労も無く最強となり、喋るオナホを侍らせて、与えられた領地でスローライフ……フヒヒヒヒ、誰もが望みはするものの決して手に入らない幻想郷であるな」


 相変わらず気色悪い笑い方。

 だが妙な親近感というか、あまりにも普通な人というか……本当にハヤナの、アヤの製作者なのだろうか。マッドサイエンティストの皮を被った常識人かな?


「だが間もなく手に入るである」


 途端に声音は変わり、重苦しいものとなる。


「この世界は終わり、アヤを女王とした新世界が形つくられる」


 昼下がりの鰻屋で男が語るは、いつか来るべき日々。


「地表は火に覆われるが、地中までは届かないである。そこに建設してある大型シェルターへ選ばれし人類を補完し、地上復興の僕とする」


 厳とした声で言い切った。


「アンタ、やっぱり……!」

「今はお昼の休憩中である、争うつもりなど毛頭ないわ。第一、ボーイのような平を捕らえたところでヤツらにさしたる影響もない」


 そう言って、ようやく運ばれてきた鰻重へと箸を進めた。


「ボーイが何の変哲もない一般人だという情報は掴んでいるである。そんな輩に銃を向ける吾輩はもういないであるよ。どうせ終わるのである、死ぬのならば仲良く死ぬのが良いである」

「は……?」

「嘘だと分かり切ってはいるが、信じなければやっていけないである……つまらないオカルト話が、今の吾輩を動かす、たった一つの動機なのである……」


 喚き散らす男は消え、ただそこには、背の丸まった中年男性がいた。


「本当に大事なものは、失ってから大事だったと気付くのである……」


二章です!

対話です!


「どういう意味ですか」


 聞くと、ミラー・スミスという名のマッドサイエンティストは、心ここにあらずといった表情で言葉を紡いだ。


「ふん、ありきたりな話である。食事時に話す内容でもないし、ボーイにとってはつまらんものである」


 まぁ、これまでの発言からその内容は想像出来る。


「教えて下さい。それはあなたが……彼女を作って、今また取り返そうとしている理由でしょう」

「アルバイトボーイに話すべきことではないである」

「もう当事者なんです、無関係ではいられない」

「しつこいであるな。まったく、日本人というものは粘着質である。ネチネチネチネチと絡みつきおって」

「深い関わりを持ってるんですよ!」


 つい声が荒んでしまい、店員が何事かとこちらへ視線を向けた。構うものか、知らないままでいるのはもう嫌なんだ。


「あんな事件、二度と起こさせません……!」


 この子と離れるのは、もう嫌なんだ。


「二度と、彼女は奪わせません……!」

『ご主人……』

「ふん。内心では吾輩と同じく、世界など崩壊しても良いと思っているであろう?」

「なに……?」


 どこかで、誰かに、掛けられた言葉。


「知っているであるよ、ボーイの妹。不幸であったなぁ、それはそれは不幸であった。その痛み、僅かばかりではあるが吾輩にも理解出来るである」

「なに……言ってんだ!?」


 どくん。


「幸せの絶頂期にいなくなり、帰ってきたら冷たい体。それはそれは残念であろう、原因となったのはボーイ自身なのだから」

「な……何を……」


 どくん。


「引き籠るのもやむを得ないである。自分が原因で妹が死んだ。いや、妹を殺した、が正しいであるか? 周囲の目が気になり、出歩くことも叶わなくなるのは当然だと言えよう」

「…………」


 あぁ。

 目を逸らしていたのに。

 現実は、容赦なく牙をむく。


『ご主人……』


 この人工知能は知っていた。

 それでも、身を案じて黙ってくれていたのだ。

 非日常という幕で蓋をしていたのに、この男によって、赤裸々に剥いでしまわれた。


「フヒヒヒヒ、安心するが良いである。“見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る”。レグルスとメシアが指し示される時、この世は終わりを迎えるのである──ヘイボーイ? 食べないなら吾輩が食べてやるである」


 俺が呆然となったのをいいことに、ミラーの箸がこちらの鰻へ狙いを定める。

 もう、いいかな。酷く自然にそう思った。

 


『大丈夫ですご主人、ハヤナがついています』

「……っ!」


 優しい声が、聞こえた気がした。

 途端に陰鬱な思考は掻き消え、暖かい安らぎが脳内へ溢れていく。

 抱きしめられたのかな、なんて思った。


「ドクター・ミラー。それは彼女を狙う理由になってませんよ」


 自分の鰻重を安全圏へ確保しつつ、力強く言い切る。


「ほう?」

「失ったからこそ、これ以上失いたくないんです。あなたと同じですよ、失ってから大事なものだと気付いた、大切なものだから」

「ほほう?」


 馬鹿にするようにニタニタ笑う、狂気のマッドサイエンティスト。


「それと……二度とアヤなんて呼ぶな、それはNGワード。彼女の名前はハヤナだ!」


 それが嫌で、嫌で、汚らしくて、感情を冷静に爆発させた。


「あんたのモノじゃない、道具なんかじゃない、世界を破滅させるイリスでもない。ただ一人の女の子だ」

「ほおう? 随分と気に入ってくれたようであるな。それはそれで構わないである、吾輩はやはり大天才だったという証明であるからな」


 そう言って、自分の鰻をパクパク食す。

 え、何、この、何? どう表現すれば良いか分からない空間にぽつんと取り残されてしまったようだ。


「二ビル予測など当てにはならん眉唾ものである、吾輩の発言は流してくれて構わんであるよ」


 ならってモソモソと鰻を食べていると、先に平らげたミラーが発言した。


「はい?」

「だが大型シェルターの建造は事実である。いつ審判が行われるのか、終末が迫るのか、完全な予測など不可能である」


 いきなり何を言い始めたんだこのオッサン。


『ニビルとは、予測不能な軌道で地球に接近している惑星のことです』


 こそこそとハヤナが耳打ちし、気付かれないように頷いた。成程、それが引責となって地球に落ちれば大惨事だ。このことを最後の審判になぞらえたのか。


「で、それが?」

「ボーイは人工知能による世界統治……俗にいう陰謀論を知っているであるか?」

「答えになってませんよ!?」


 この話の通じなさ、やっぱりハヤナの親父で間違いねーよ。


「そりゃ、多少は。引きこもってた時間は長かったから、時間つぶし程度に」

「所詮はオカルト……だが嘘の中に真実が紛れているである。現に世界は変遷しているである、それは滅亡か、革新か、誰にも分らぬであるがな」

「変遷?」

「今こうしている瞬間にも、どこかの誰かが動いているである。貴様らセカンドピース、吾輩の古巣ファクトリー、それだけではない。む、吾輩も鮮烈に加えねばならんであるな……トライピースとはどうであるか?」

「さぁ?」

「決めたである、“マッドサイエンティスト、ドクター・ミラー”の制作委員会名はそうするである! ではこれにて、後日アヤ……ハヤナを迎えに参るである!」


 いそいそと立ち上がるサイエンティスト。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ! まだ話は終わってませんって!」

「Why!?」


 阻止するためにズボンへと手をかけた。何もずり下ろしたいわけじゃない、足がしびれてそこまでしか掴めなかったんだ。


「あなたがハヤナを求める理由です! 開いた隙間を埋めたいんですか!? それとも、支配する為に奪うんですか!?」

「ふん、こんな公衆の面前で話せることではないである」


 陰謀論とかぶちまけといてよくもまあ言えるもんだ。


「それでもどうか! 残りの鰻重あげますから!」

「他人が口付けたものなど食べたくないわ」

「俺もです」

「ならば黙るがいいである」


 確かに。


「知りたいのならボーイの上司に聞くがいいである。カズムだとか言ったであるな、とうにこちらの情報を掴んでいるであろう」

「はぁ……」

「間違っても、あのガイノイド紛いには聞くなである」

「はぁ? ガイ……ノイ?」


 何言ってんだこのオッサン。


『…………』

「今日、この目で改めて観察して確信したである。以前吾輩のミラー・シュピーゲル(借り)に起こった機能不全も、あの紛い物にしてやられたのであろう。いつ敵対するやもしれんあんなものを傍に置くなど、自殺行為に等しいであるよ、まったく」


 やれやれと、大袈裟に肩を竦めるミラー。


「え?」

「所詮は極東の島国、ただの実験台であるやもしれんがな。あの男は信用しているらしいであるが、吾輩は信用ならんである。悪い毒に感染する前に、吾輩が奪い取る」


 怒涛の展開についていけないぞ、ハヤナもどうして黙ってるんだ。チラリと流し目を向けると、硬い表情でミラーを見つめる電子生命体がいた。


「何も知らんようであるな……平ならば当然であるか」


 黙った俺に呆れるように、ミラーは座り直して説明する。


「人は常に、便利を求めて進化してきたである。より便利に、より効率を求めて。その果てはどうなるである? 体に機械を埋め込むようになるである」

「機械……? ペースメーカーとか……?」

「む……まあそのような認識で構わないである。だがそれだけではないであるよ、ついに、脳にまでチップを埋め込むようになったである」


 えぇ、それは倫理的にやって良いことなのだろうか。

 いやいやいや、この男の出鱈目話を信じる事なんて……。


「すなわち、人間の機械化である。あのガイノイド紛いのような存在は、この社会にひっそりと侵入し、我等を監視しているである。来るべき未来の為に、大いなる目的の為に……!」


 嗤いを堪えるように、顔を歪ませながらサイエンティストは声を絞り出す。

 その存在が憎いが、どこか惚れている自分が許せない……そんな歪な感情が風にのって運ばれてきた。


「待て、ちょっと待ってくれ。誰のことだ、一体誰が……新菜のことを言ってんのか?」


 導き出した結論は、デザイナーである従業員。

 銃に触れたのは彼女だったのだ、おそらく、その時に、新菜が何か細工をした。


「あの奇抜なファッションセンスな存在である」

「奇抜なのはあんたもでしょう」

「What!?」


 自覚無いとか重症だなぁ。


「はぁ……そうか……。新菜はロボット、かぁ……」

「ほほう、存外驚かないものであるな」

「そりゃ驚いてますけど……。ハヤナっていう存在もあるし、いても不思議じゃないというか」


 生きた人工知能がいるのだ、ロボットに近い人間がいてもおかしくはない。

 多分。


「第一、関わりのまるで無い引き籠りニートに対して初っ端から“お兄ちゃん”呼びする女の子なんて頭の悪い存在、どこを探したっていませんよ」

「以外と冷静であるな」

「新菜に目的があったことは分かってました。妙に慣れ慣れしいのも、俺を逃がさないための餌だろうって。ブサイクアルバイトに優しいメイド美少女なんているワケないって」


 もちろん、それ以外にも裏付ける疑惑はある。

 新菜が初めて訪れた時、何故MR上のハヤナを認知出来たのか。

 ラプラス事件のおり、何故彩智の視界では新菜だけが正常でいられたのか。

 それは、普通の人間ではないから。


「そう悲観するなである」

「義父さん……」

「認めないである」

「そこをどうか!」

「認めんである!」


 いい雰囲気だったのに、殺生な!


「ふん、世間話が長引いてしまったわ。ではなボーイ、また近いうちに伺うである。必ずや、マイ・ドウターを取り戻す為に」


 そう言って、狂気のマッドサイエンティストは鰻屋を後にした。


「なんか、どっと疲れた……」


 本調子ではないというのに、衝撃の事実やらなんやらが急激に襲ってくる。とても一人では受け止めきれない濁流だ、流れに身を任せるだけではなく、立ち向かってしまった点でも体力を偉く削られた。


「あれ、ハヤナ? お前は大丈夫か?」


 静かすぎる人工知能に声を掛けると、弱々しく応答する。


『は、はい……』

「どうして新菜のこと黙って……いや、やっぱいいや。とりあえず鰻食おう、その後は漫画喫茶にでも寄ってゆっくりしよう」

『怒らないのですか?』

「なんで怒らなきゃならないんだ?」

『それは……黙っていたので』

「別に、実害なんて無い……ことは無いけど、それなりに楽しんでるし。このブラックバイトも」

『…………』

「お前といることも、さ」

『…………』


『は、はいっ! 勿論ですとも、美少女AIですので!』


 それはない。

 しかし、気になる点はまだ残っている。

 人工知能を探知するプリグラム……それが捉えたのは何だったんだろう。

 ま、いいか。

 取り合えず鰻食べよう。

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