第11話

「いい加減に起きろ小僧、仕事はまだまだ残っている」

「…………」

「そんなに眠りたいのなら、いいものを飲ませてやろう。くっくっく、フェアゲッセンはまだまだ残っている、桃源郷へご案内しよう。2本同時にいくか? 最高にハイな気分にしてやろうか?」

「…………」


 物騒な恐喝にほとほと呆れ、のそのそとデスク下の空間から這い出る。

 結局というかやはりというか、泊まり込みで仕事が続けられた。それも連日のように。精神を摩耗させ、生産効率を大幅に低下させながら、それでも続けられる大事なお仕事。

 分かってはいるが……もう無理、体が持たない。


「まだ始業時間じゃないですよ……」


 そんな情けない声が出てしまう。

 日の光がうっすらと差しこむ開発室。そこに潜む人間は俺と和夢の二人だけ。新菜は未成年である為に一時帰宅しているのだ、そろそろ顔を見せる頃だとは思うが。


「うっ……へっくしっ!」

「風邪でも引いたか? 軟弱なヤツだ、さっさと薬でも飲んで来い」


 どこか投げやりな声で告げられる。体を壊しても仕方ないだろう、激しく発光する画面と四六時中にらめっこているのだから。

 ぐらつく足元と揺れる視界。それに頭がガンガン痛む。


「一度帰ったりとか……」

「許可すると思ったか?」

「インフルだったら……」

「私には効かん」

「なんで断言できるんですか……」

「鍛え方が違うのだ」


 覇気は無いが自信満々。

 やっぱりそうだ、あんた馬鹿だ。


「みんなおはよう。もうすぐ朝ご飯が出来上がるよ、こっちに来て」


 開発室へ流れ込む新たな風。それには電子レンジから放たれたであろう添加物にまみれたコンビニ弁当の香りが混ざっていた。もう食べたくない。


「丁度良い新菜、コイツの為に風邪薬を持ってこい。強力なヤツでいい」

「え、お兄ちゃん風邪引いたの?」


 いつも微笑みを浮かべていた少女だったが、珍しくキョトンとした表情となり、ちらりと俺へ視線を向けた。

 これはもしや……ご奉仕タイム到来か? 桃源郷に辿り着いていたのか? これからメイド少女である新菜が優しく看病してくれるというありふれた展開が開始されるのか? いいよな、いいんだよな、俺、すっごい疲れてるんだからな。あんなことやこんなことをおねだりしたってバチなんかあたらな──


「じゃあ、座薬持ってくるね」


 夢でした。


「待て、待ってくれ。座薬って……アレだよな」

「そうだよ? 粘膜摂取のほうが効果が出るの早いし、熱もすぐ下がって仕事出来るよ」

「仕事したくないです! できるだけゆっくり熱を下げて欲しいんです!」

「うふふふ。安心して、優しくするから」

「どうして満面の笑みで言うんだよ!? つまりあれだろ、ケツ出せってことだろ!? やめてくれよ、ちっぽけなプライドが粉々に砕けちまうよ!」

「そんなに自分でしたいの?」

「経口タイプ寄越せって言ってるの!」

「どう動くか分からない他人に対して自分の運命を任すしか無いっていう不安が得も言えない快感になるんだよ」

「新菜も風邪引いてるんじゃないか!?」


 季節は変わり目。急激な気温の変化と連日の勤務で体と精神はボロボロだ。

 俺と和夢は見るからにボロボロだったが、この少女だけはいつもニコニコしていた。只者ではないことは熱心な作業や異常な料理スキルなどから明白だが、そこは人間、やはりガタがきている様子。


「うるさいヤツだ、とっととケツを出せ」


 胡麻塩頭の馬鹿がキツイ目線を向ける。ふざけんなよこんな場所で脱げとかとんだ羞恥プレイだよ!


「新菜が嫌だというのなら、私直々に挿入してやる」

「は……?」


 この馬鹿何を口走ってんだ。


「早く持ってこい、直腸までデリバリーだ」

「うん、少し待ってて」

「は……?」


 何勝手に話を進めてるんだ。


「小僧、そこになおれ。仕事はいいぞぉ? 金が手に入るぞぉ? 労働は義務だぞぉ?」


 じりじりと距離を詰める大男。その瞳には狂気の色。


「その日を生きる為に身を粉にするのは、屈辱的であり、背徳的であり、利己的であり、絶望的であり……甘美だとは思わないか? どこかの誰かの笑顔を思い浮かべると、それだけで腹が膨れないか?」

「あんた目がいっちゃってるよ!?」


 風邪どころじゃねえ、クスリ決めてやがる!


「どこかの誰かなど死ねばいいがな。例えば小僧、貴様のようなクズはこの手で粉砕してやりたいと常日頃思考している。あの手この手でどう処分しようかと考えるのが、私なりのストレス解消法だ」

「主張が一貫してねえ!」

「結果、やはり硫酸で──」

「おぞましすぎる!」


 たった3人の開発メンバー、それらは皆悪い風邪に感染してしまったようだ。

 いや待て、もう一人いたような?


「おいハヤナ、お前からもなんか言ってくれよ」


 デスク上のPCを仰ぎ見る。そこには、誰よりもゲームの完成を願っっている存在が一体……いや、一人。


「ハヤナ?」

『ご主人……』


 反応が薄いことが心配になって覗き込むと、小さな頭を両手で抑える人工知能がいた。


『うぅん……。処理が追い付きません……』

「どうしたんだよ、まさかお前も風邪か? AIのクセに?」

『へ……へくちっ』


 まさかだった。


「ほら見てお兄ちゃん、舌下タイプもあったよ。私が飲ませてあげよっか?」

「ならアレだな。無理矢理塞げ、即時熱を下げさせろ」

「うふふふふふ……お兄ちゃん、キッスの覚悟はいい?」


 何だこの空間。

 まともなのは俺だけか!?


「はしたないこと言っちゃいけません! それ寄越してくれ、一人で飲めるから」

「ちゃんと飲めるか心配だもん。ゆっくり、ねっとり、私の舌で押し込まないと」

「漫画かアニメの見過ぎだ! 必要性がまるで無いじゃないか!」

「これは医療措置だよ。気にしなくていいよ」

「やめてくれよ、誑かさないでくれよ!」

「うふふ、その気何て全くないよ。仕事に必要なことだから」


 それはそれで哀しい。


「さあ小僧、口と尻穴どちらを塞がれたい? それとも、どちらもをご所望か? 欲深いヤツめ、ならば堪能させてやる」

「うふふ……お兄ちゃ~ん」

「──っ!?」


 じりじりと迫る肉壁。

 その手に握られるのは不思議なクスリ。

 まずい、このままでは貞操の危機。いや、心に深い傷を負ってしまう!


「ふ、普通のやつを買ってきます!」

「逃がすな!」

「了解」

「あひぃん!?」


 脱走は無謀、即座に捕らえられてしまった。


「そら脱げ」

「こっち向いて」

「や……やめっ!」


 魔の手からは逃げられない!


「いくぞ」

「うふふ」

「やめろおおおおお!!」


 俺はそれを受け入れる事しか出来なかった。でも、戦場から遠く離れた場所にいる俺は、いつだって“きっと誰かが何とかしてくれる”と思っていた。

 それが過ちだと知っていながら。


 ☆ ☆


「へっくし!」

『へくちっ』

「先輩でも風邪引くことあるんだぁ。それはどうでもいいけど、ハヤナちゃん大丈夫? ウィルスでも侵入したの?」

『だ、大丈夫ですよ彩智……』


 相変わらず頭が痛い。人としての尊厳が踏みにじられそうになった俺を救ってくれたのは、専属イラストレーターの彩智だった。

 丁度良く出勤した彼女の視界に入ったのは、半裸で押し倒され間もなく昇天してしまうであろう不審者。その声にならない叫びに和夢と新菜は我を取り戻したようで、まあ、強行を取りやめてくれた。


「冷たいヤツ……」

「は? 露出狂の変態なんて私の知り合いにいないんだけど?」


 信頼を犠牲にして。


「俺のせいじゃないのに……」

「うわぁマジ泣き? 惨めねぇ、本当に惨め。ねぇハヤナちゃん、こんなクズの所じゃなくて私の所に来ない?」

『は……はい?』


 蔑むことは止めず、卓上のスマートフォンに移り込んでいるハヤナを勧誘。

 あの事件の当事者だというのによくもまあ、そんなことを言えるもんだ──言葉を呑み込む。結局、悪い夢だったんだ。夏の昼の白昼夢。彼女にとってはそれでいいじゃないか。


『ですが……へくちっ』

「きゃー! ハヤナちゃんのくしゃみは可愛いなぁ!」

「ぶえっくし!」

「うわっきったな! 先輩はあっち向いててよ、しっしっ!」


 何だよ、俺が何したってんだよ!? そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃないか、病人だぞ!? 感染してやるぞ!?


「は~いお兄ちゃん、お待たせ~!」


 そんな時、エプロン姿の少女が休憩所へやってきた。手にした盆の上には、白い湯気を立てているコップが1つ。それがコトリと俺の目前に置かれると、途端に芳醇な香りに包まれる。


「おぉ……すげぇいい匂い」

「新菜ちゃん、何作ってたの?」

「玉子酒です、風邪に良く効くらしいので」

「随分と渋いわね、薬でも飲ませればいいのに」

「うふふふふ」


 いや本当、薬と睡眠時間をくれればわざわざこんなもの作らなくたって済むだろうに。監禁同然のデスマーチで体が壊れるのは当然の帰結だ。

 事件の後、新菜は給湯室に引き籠った。そこで作成されていたのは黄色が強く主張しているお酒。


「んじゃ、ありがたく頂きます」


 彩智の意見を心底肯定しながらも提供された玉子酒を口に含む。


「おぉ……すごいな新菜、全然卵臭くない。プリンが入ったお酒みたいで飲みやすい」

「うふふふふふ」


 薄気味悪い笑みは勘弁してくれ、何か異物を混ぜ込んだのかと疑ってしまう。

 しかしこの美味しさはたまらない、もっと苦いものだと思っていたのだが。


「え、それ本当? 玉子酒を美味しく作るのって大分難しいわよ?」


 レビューに彩智は驚き顔。


「低温でゆっくり湯煎することがコツです。温度管理に気を付ければ難しくありません」


 ニコニコと言い返す新菜。


「くっ、負けた……」

「何に負けてんだ……」


 聞くと、抑えた声でこそこそと耳打ちされる。


「だって、こんな可愛くて料理上手な新菜ちゃんがずっと和夢さんの傍にいるのよ?」

「あー……自身が無いと?」

「絵だって奇麗なのよ? 背景や小物だけでキャラクターは描かないけど、私みたいな半端者より格段に綺麗なの」

「あー……デザインも兼ねてるんだっけ」

「うぅ……なんだか、私がここにいる必要無いんじゃないかなって思えてきちゃった」

「考えすぎだろ」

「だって……冬流さんが描いたキャラクターは皆個性持ってて、生き生きしてて……。私のキャラは、やっぱりハンコ絵でしか無いんだなって実感しちゃって……」


 段々と声がくぐもっていき、悲痛な感情が空気を通して伝わってくる。

 どうやら、ここにも重病者が一人いたようだ。


「弱気なお前は気持ち悪いな」

「は? 存在が気持ち悪いアンタが何言ってんの?」


 気のせいでした。


「まあ聞け。ハンコにはハンコの良さがある。やっぱねえわ、登場キャラ全員魚顔してたあのソーシャルゲームは嫌気が差したから一週間でアンインストールしてやったわ」

「私の絵を馬鹿にしてる……?」


 やべえ、つい本音がポロリと。つーかあれは彩智が関わっていない筈。まあ、彩智の絵もハンコといえばハンコだし。


「可愛ければいいんじゃね。豚なんか誰も気にしてねーだろ、表情が描き分けできなくたって、髪型変えただけの新キャラ出したって、パンツが見れれば金払うような奴らだからな。ふはははは、所詮データでしかないのに、哀れな奴らだ」

「アンタ、ぶん殴っていいかしら……?」


 正論言っただけじゃないか。それに彩智自身だってハンコであることを自覚して嘆いているじゃないか。


「何100万も課金に突っ込むのは本当に滑稽──」

「ふんっ」

「ぶっふぉおえ!!」

『ご主人……へくしっ』


 奔る衝撃、飛び出す玉子酒。

 ああもう、本当に今すぐ帰宅したい。


「さっちゃん、可愛がるのはそこまで。そろそろディレクターが来るから会議室へ」

「はいは~い」

「おろろろろろろ」

『ご主人……うっ、おろろろろろろ』


 何事も無かったかのように休憩所を去っていく彩智。お前、ただ暴力振りたかっただけなんじゃねえか。


「つーか……“とおる”って誰?」

「え、先輩知らないの?」


 明らかに見下した目を浮かべるんじゃねえよ。


「殆どの既存キャラを描いてくれた先任……いや、ここは師匠と呼ぶべき? 師範? 先生?」

「はぁそうですか、どうでもいいです……」


 そういえば、ちょっと前に和夢から聞いていたな。

 彩智はあくまで見世物パンダだと。


「そんなんだからアンタはクズなのよ」

「えぇ……」

「じゃあお兄ちゃん、午前中はここでゆっくりしていいからね」


 去っていく彩智と、笑顔で拘束を告げる新奈。


「帰ったりとか……」

「駄目」

「コンビニで薬を……」

「駄目」

「病院で診察……」

「駄目」

「何故!?」

「駄目」

「聞いてくれよ! これは犯罪だよ!?」

「駄目」


 慈悲も無いのか!?


『ご主人、静かにして下さい……』

「俺だって頭痛い……だけどな、言わないともっと酷くなるぞ」

『そうなのですか……?』

「間違いない」


 多分。


「じゃあ、冷めないうちに全部飲んでね」


 そう言い残し、新菜は開発室へ消えていく。

 束の間の休息。とりあえず、暖かい玉子酒をゆっくり啜った。うん、美味しい!


「しっかしなぁ……いまいち信じられねぇなぁ」

『何がですか?』

「いや……」


 この状況全てが。

 全て悪い夢なのではないかと疑ってしまう。非日常の中の日常に。

 ある筈だった、引き籠りの日常が随分と遠くに置いてきてしまった。

 大切な何かも。


「お?」

『む?』


 玉子酒を呑み終わった頃に始業の鐘が鳴った。

 それは問題ない。

 何も問題ない。

 だが、同時に響くアラート。

 開発室から飛び出す和夢と新菜。

 何事かと様子を窺う彩智。

 ずかずかと近づく足音。


「見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る」


 悪い予感は的中。


『イザヤ書第13章9節……』


 子離れできない父親の嘆き。


「天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない……さぁ、黙示録の到来である!」


 世界の終わりは、きっと大人なら皆一度は望んでいる。

 俺だってそうだ。

 忘却したい過去がある。

 それでも。

 それでも──あんたに彼女は渡せない。


「ミラー・スミス……!」


 休憩所の陰からこっそり覗くと、やはり予想通りの男がそこにいた。


「んっふっふ~ん。娑婆の空気も悪くないである。が、もう消えてなくなる世界である! 終わる世界に憎しみを! 新たな世界に花束を! この大天才、ドクター・ミラーに祝福を!」


 オフィスに響き渡る男の叫び。

 紛れもなく、前回銃を構えてこのオフィスを襲撃した頭のイカれた変質者で間違いない。ハヤナを製作し、再び取り戻して世界へ混沌をもたらそうと計画する大罪人。


「馬鹿な、警察を通して我々の機関へ送られた筈……どうやって逃れた!? いや、何故連絡が来なかった!?」


 誰よりも先に駆け付け、ミラーと対峙したのはやはり和夢だった。

 腐っても現場の責任者、やる時はやるなぁ──そんなことをぼんやりと考えた。やばい、急に動いたから足が震えてる。決してフラッシュバックとかそんなことじゃない。


「あ、冬流から電話」

「許可する、出なさい」


 緊張する空気を破ったのは、突如鳴り始めた甲高い電子音。どうやら新菜の携帯電話だったようで、何事も無かったかのような冷静な態度で端末を耳に当てる。やっぱりあんたらはどこかおかしいよ。

 まぁ、今回はギターケースがない。つまり──銃を持っていない。なら安心していいのか?


「え、どちら様? しかも何、あの時代遅れなファッション……」


 彩智は会議室のドアからひょっこりと顔を出しながら、不安そうに事の成り行きを見守っている。

 そうだよな、あれってやっぱり異常なファッションセンスだよな。老人に近い男が売れないバンドマン風の恰好してるんだもんな。


「フヒヒヒヒヒ、吾輩を甘く見ないほうがいいである、脱走など大の得意! あの組織からも抜け出せたのである、甘ちゃんな貴様らからぬるりと抜け出すなど造作も無いわ!」


 警察へ通報されても怖くないのか、威嚇どころか武勇伝を語り始めたミラー。あんたの尊大な自尊心はどこから湧き立ってくるんだろう。


「アノマリーに分類されたけど、それの収容方法をNo.666が選定するのに遅れたんだって。移送は完了したんだけど、判断待ちの間に脱走したって」

「ふん、所詮は極東の島国か。本部の指揮系統から逸脱した部隊があれば楽なものを」

「それじゃクーデター起こして下さいって言ってるようなものだよ」

「不純な思考は慎めニナ、処分されるぞ」

「はいはい、和夢もね」


 こそこそ話はうまく聞こえないが、和夢は深刻な表情。


「無視するのはやめるである! 吾輩たち科学者は無視されるのが一番──」

「それで、今回も武力行使か?」

「嫌……ゴッホん。ノンノンノン! 争いとは同じレベル同士の存在でしか発生しない稚拙な行いである、大天才である吾輩はそのような愚かなことをしないのである!」


 前はやったじゃねえか。


「さぁ、吾輩のマイ・エンジェル、アヤたんを返すである! 痛い目を見る前にな!」

「アヤ……って、誰?」


 ああそうか、彩智は知らないんだったか。どうするんだこの状況、黙ってるワケにはいかないぞ。


『ご主人……くしっ』


 視界に映る人工知能は小さなくしゃみ。言いたいことは分かる、『ハヤナがついてます』とかだろう。憑いてるの間違いだろと訂正する気力も無いので、この場を退散する。

 あの人に任せて俺たちは休憩所で休んでいよう、それがいい。


「そんな人間はいない、帰ってくれ」


 それでも聞こえてくる戦場のやり取り。

 和夢は相変わらず冷静すぎる!


「あっ、そうであるか? では後日菓子折りを持って──とでも言うと思ったか間抜けぇ!」

「とにかく警察にでも捕まってこい。刑法130条、住居侵入罪だ。間もなく非常通報を受け取った警備会社から──」

「おぉっと待つである! 捕まるのはそちらであるよ!」

「何?」

「吾輩、知っているであるよ? 労働基準法という呪文を……!」

「!?」


 おや? 雲行きが怪しい気配。


「出るとこ出られて困るのはどちらであるか~? 吾輩は武器など持っていないであるよ~?」

「卑劣な……!」


 なんてことだ、メシアがここに!


「大丈夫だよ和夢、タイムカードは細工してあるから」

「あぁ、そうだったな。監視カメラも偽装してある、バレる心配はない」


 馬鹿な、神は死んだ!


「助けて下さいドクター・ミラー! 俺、この人達に監禁されてるんですぅ! 過酷な労働を強いられてるんですぅ!」


 高熱にうなされた脳が虚弱な精神に点火した。

 くっくっく、これまでに積み重なった鬱憤が火を噴くぜ!


「あっ、コラ!」

「お兄ちゃん?」

「毎日毎日ディスプレイと見つめ合ってるんですぅ! おうちに帰してくれないんですぅ! ブラックバイトなんですぅ!」

「黙ってろ!」

「ぐっふ!?」


 病人にクリティカルヒット!


「彩智さん、コイツを預かっていて下さい」

「え、えぇっと……」

「ご心配なく、彩智さんは必ず傷付けさせはしません。ここは私にお任せを」


 大破した俺はズルズルと引きずられ、会議室に捨てられた。


「は……はいっ!」


 恋は盲目。

 おい彩智、この会社のイカレ具合を知ってるクセに和夢へ心酔するのはどうかと思う。


「さて……ミラー・スミス。残念だったな、そんな脅しは我々に効かん」

「理解出来ぬであるな。超高齢化が進んでいるこの国ならば、この呪文を唱えれば皆が平伏す筈なのであるが?」

「高度経済成長期の構造が未だ根付き、それによって社会負担が個人に重く圧し掛かっているのだ、多少の無理は許される」


 隠蔽したらしいじゃないか!


「フヒヒヒヒ! 流石は50年で破滅へ突き進んだ先進国! 我がブリテンはこの島国を参考にし、より良き社会を形成するであろう……もう遅いであるがな!」

「何?」

「終末の日来たれり! 最後の審判は間近!」


 一段と騒がしく、ミラーが声を張り上げた。


「皆既日食がそのシグナル! 罪人たちは聖なる火に焼かれ、黙示録の土壌となるであろう!」

「ふん、アレはカバーストーリーだと知っている筈だが?」

「世界で一番読まれたライトノベルを愚弄するであるか?」

「この世界に神などいない」

「いやぁ、いるである。私が作ったである、機械仕掛けの神を!」

「…………」

「仮想現実という世界の支配者! 箱庭の女王! 何よりも美しく、光り輝くレグルスである! 吾輩に返すがいいである、アレは良いものだ」


 何の話だ。


「何言ってるの、あの人……」

『へっくち』


 いや、何となく分かる。

 アヤが実行しようとした終末回避シナリオ。それが行われなかった場合の、世界の終わり。


「問答は不問だな……」

「警備保障です! 通報を受け取りました!」

「げっ、またコイツかよ!?」

「確保ー!」


 騒がしい一団がようやく到着。向こうも前回の不審者だと認識している様子だ。


「吾輩は何度でも蘇るである! 次はこうはいかないであるよ、必ずアヤを取り戻すである!」

「黙れコラぁ!」

「大人くしろオラァ!」

「あっ、変なとこ触るなである!」

「鬱憤溜まってんだよこちとらぁ!」

「発散させろてめぇ!」

「あっあっあっあっあっ」


 本当にまた蘇るんだろうな、あの狂気のマッドサイエンティストは。

 しかし、今日は一体何の為に訪れたのだ? 力づくで奪うでもなく、脅しに失敗しても動揺せず。別の目的があったのだろうか?


『へっくち』


 まあ、いいか。

 今はまず、風邪を治さなければ。


「何だったんですか、あの不審者。日本人じゃないですよね」


 警備員が去っていくと、彩智はおそるおそるといった様子で責任者である和夢に尋ねた。


「これは彩智さんにはお伝えしていなかったのですが……私とディレクター、ついでに冬流は以前、別の会社に所属しておりまして」

「え?」


 おいおい何か始まったぞ。


「バンダムです」

「えぇ!? すっごい大手じゃないですか!?」


 おいおい何デタラメ言ってんだ。


「そしてあの男は当時の上司……“エアツェールング”シリーズIP総合プロデューサーの肩書を持っていました」

「えぇ!? 30年続いてる超巨大IPのアレですか!?」


 嘘つけ、そんな事実あるわけないし、前回は完全に初対面だったじゃないか。


「共にゲームを製作したこともあります。ですが、意見の食い違いなどが積もりに積もり、我々と彼は袂を別れたのです。バンダム商法に嫌気が差していたというのも理由の一つではありますが。より多くのユーザーを楽しませたいのです、それこそがクリエイターとしての本懐なのですから」

「はわぁ……和夢さん、やっぱりスゴイ人だったんだ……」


 そんなことこれっぽっちも思っていないだろうに、よくもまぁポンポンと紡ぎ出せるものだ。


「なぁハヤナ、エアツェールングって何だっけ。CSで展開してたゲームで間違いないよな?」


 鼻を啜りながら電子生命に尋ねると、同じように鼻を啜りながら答えてくれた。


『間違いありません。炎上事件で一躍と悪評を広めた大人気IPです』

「炎上?」


 CSはすっかり手を出さなくなっていたから分からん。ソーシャルゲームはスマートフォンさえあれば、殆どが無料で遊べてしまうからな。


『プロデューサーが贔屓している声優の為にシナリオを捻じ曲げたり、企業やユーザーを蔑ろにするイベントや発言を頻発したり、発売からわずか5日で追加DLCを販売したりと、それはもう神経を逆なでする最低な行いをした事件ですよ』

「ふーん……?」

『それだけでは済みません、無告知アップデートで致命的なバグを発生させたりしました。何だと思います? なんと、ラスボス戦後の進行が不可能になったのです』

「えぇ……なんだそりゃ。デバッグどころかテストプレイもしてないのか」

『果てには問題そのものをユーザーへ責任転嫁し、案の定消費者庁へ通報されて不良品案件として受理されました。これは杜撰どころでは済まない大事件で……へくしっ』


 ハヤナはびし、と指を突きつけて決めポーズをとるつもりだったらしいが、あえなく襲ってきた寒気によって遮られた。


「つまり、あの男を悪者だと認識させるつもりだな。不法侵入してる時点で犯罪者だけど」

『まぁ、真実を話した所で信じては貰えないでしょう。頭の悪い御伽噺……いえ、コンビニ本に収録されているようなオカルト話ですから』


 確かに。


「彼も色々と思う所があったのでしょう、時々、我々の様子を見に来てくれるのですよ。ですが、バンダムを自主退職してからは妄想に耽っているようで、今では取りつく島も無し……先程のように支離滅裂なことを喚く危ない人間に変り果ててしまいました」


 和夢はなおも優しい声音で語り掛け、ありもしない疑惑をミラー・スミスへ擦り付ける。


「私はそれが残念で仕方ありません。同じ志を持った同志であった筈なのですから……。なればこそ、【アイ☆ドルR】で覇権を取らねばならないのです。無名IPで天下を取り、ゲームとはユーザーを笑顔にする為に存在しているのだと示すことが出来たのなら、きっと目を覚ましてくれる」


 絶対思ってねぇわ。

 それに、CSとソーシャルゲームを比べるのはおかしいだろ。


「開発費の高騰によりCSへの参戦は叶いませんが、基本無料なので触れてもらえるユーザーの数は多くなります。シナリオはスキップしてくれて構いません、戦闘はオートで回してくれて構いません、無理に課金せずとも構いません。楽しく遊んでくれるのならば、クリエイター冥利に尽きるというものです」


 散々馬鹿にしてたくせによくもまあ……。


「はわぁ……和夢さんたちはプロ意識を持ってるんですね」

「綺麗事だと笑ってくれて構いませんよ」

「いえいえいえいえいえ! そんなんじゃないんです、純粋にスゴイなって!」

「そうでしょうか……」

「もちろんですよ! 射幸心を煽って感覚を麻痺させたり、ギャンブル同然のガチャで毟ろうとしないで、ゲームの正しい在り方を示しているんですから! もっと誇っていいと思いますよ」


 彩智の言わんとすることは何となく分かるが、ガチャっていうシステム自体がそもそもなぁ……。


「そんなことを言って下さったのは、彩智さんが初めてです……。正直、私がしていることは正しい事なのかと半信半疑でもありました。ですが、その言葉で力が湧いてきます。ありがとうございます、彩智さん」


 男はそう言って、初めて見せるであろう表情を浮かべた。


「……ッ!」


 笑った──と思う。


「彩智さん?」

「はわっ!? ななななななな何でもないですっ! 決して見惚れてたとかそんなことはっ!」


 真っ赤な顔で腕をぶんぶんと振り回し、聞いてもいないことを喚きまくる。

 しょうがねぇな、ここは助け舟を出してやるか。


「ねぇ和夢さん。見ての通り、彩智はあなたのことが好きなんですよ」


 これ、助け船なのだろうか? ここで否定されれば即座に沈む泥の船かもしれないが……まあいいか。

 なぁ彩智よ、奥手なままだと誰かに取られるぞ。


「なっ!? なななななななっ何言ってんの!?」


 まぁまぁ落ち着けよ彩智、フラれるのなら早い方が傷心期間も短く済むし。


『ご主人、無遠慮すぎで……くしっ』

「彩智さん、私は──」

「ひゃぁっ!? ちちちちち違うんですっ! いや違わないけど……ひ、人として好意を抱いてるというかっ!? こ、好意!? そうじゃなくてっ、尊敬してるって意味でですねっ!?」


 ははははは、慌てふためくその姿は実に滑稽だ。だがもう一歩、踏み出してみたくはないか。


「言っちゃえよ、“あなたのことを愛してま──」

「──ッ!?」

「すッフ!?」


 瞬間、衝撃。

 鉄拳がまたもや腹部に直撃し、俺の視界は明滅。病人だっていうのに容赦ないな。


「黙れ! 馬鹿! クズ! 底辺! ニート! アンタはデバッグだけしてればいいのよ!」


 浴びせられるレベルの低い罵倒の言葉。

 全く、どうしてこんなお節介を焼いてしまったのだろうか。きっと、全部熱のせいだ。


「彩智さん、私はですね──」

「き、気にしないでいいですからっ! 何でもありませんからっ! 尊敬してるってだけですからっ!」


 地に伏せているが、その慌てる声から身振り手振りで否定している姿が用意に想像できる。


「そっ、それじゃっ! 打ち合わせの準備がありますんでっ!」


 続いてドタドタと足音が響き、会議室へと吸い込まれていった。

 途端に静寂に包まれ、静けさが眠りの国へと俺を誘う。


「小僧、いつまで寝ているつもりだ。さっさと起きてデバッグでもしていろ」


 誘ってくれませんでした。


「罪な男……」

「誰がだ?」

「いえ……」


 明確な好意を向けられているというのに無視するとは、肝が据わっているというか……朴念仁というか。


『へくちっ』


 鈍いというか。


「ぶえっくし!」


 いつか刺されるんじゃねえかな、この人。


「汚いヤツだ、まだ風邪が治らないのか」

「数時間で治るワケないでしょう。人の免疫にも限界があります」

「大人しく座薬と舌下薬を飲めば良かったのだ。今からでも押し込んでやる、ケツを出せ」

「嫌です」

「何故?」

「普通嫌ですよ!」

「知らんな、早く出せ」

「どうして抵抗が無いんですか!? 分かった、あんたホモだろ!」

「そんなワケあるか。例え男色家だったとしても、お前のようなブサイクに欲情などしない」


 それはそれで傷付く。決してそのケはないが。


「はぁ、もういい。大人しく診察でも受けてこい、こちらで負担してやる」

「へ……?」

「あの男ももう出歩かないだろう。ついでに栄養のある食事でも摂ったらどうだ、ホレ、万札を渡しておく」

「はぁ……?」

「お前がそうではハヤナも使えん、さっさと治せ」

「はい……?」

「どうした、早く行ったらどうだ。最寄りの病院くらいは分かるだろう? 近くには美味いと評判の鰻屋もあるのだ、堪能してくると良い」

「…………」


 薄気味悪く笑う和夢を尻目に駆け出した。

 なんてこった、一万円と自由を手に入れたぞ!


「間違っても逃げようなどとは思うなよ? 配信までここで缶詰なのだからな」

「…………」


 束の間の自由だろうと構うものか!


「へくしっ!」

『へくちっ』

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