第5話

『アーティシャルライフは生命と見なされません。それはとても、とても悲しい事です』





「よく来たな、クソガキ」

「…………は?」


 第一声がそれだった。


「何だ、不満そうだな。文句でもあるのか?」

「…………い、いえ」

『当たり前です! なんですかガキ呼ばわりして!』


 スマートフォンの中でハヤナが喚く。

 やめてくれ、アルバイト初日にクビになる。


 ここは“株式会社セカンドピース”のオフィス。

 メイド少女の新菜に地図と時間を教えられ、指定通りにやってきた。

 寂れたオフィス街の外れにあるこの会社は、驚いたことに自宅から二駅の距離にある。車中でハヤナに会社について聞いてみたが、『あまり思い出したくないです』とのこと。

 製作したゲームがことごとく失敗した過去が余程ショックなのだろう。


 指定時刻の10分前には到着し、その重苦しいドアを開いた。

 緊張と不安で張り詰めた俺を出迎えてくれたのは、新菜ではく、仏頂面をした胡麻塩頭の男だった。


「お前はあの人工知能の奴隷だろう。しかもニート。ガキ呼ばわりして何が悪い」

「うぐっ……」

『奴隷ではなく下僕です! それにニートではありません、バイトです!』


 長身の男は淡々と俺を貶す。

 うん、もう帰りたい。


「? 何だこの声は? クソガキ、お前の裏声か?」

『ご主人にそんな芸当は不可能ですので! ええい、私が説得しますご主人!』


 あれ?

 ハヤナの声だと気付いていない?

 協力してゲームを開発したのではなかったか?

 そんなことを考えながら騒ぐスマホを胸ポケットから取り出すと、銀の髪を逆立てた少女が吼えた。


『相変わらず容赦ないですね、#和夢__かずむ__#!』


 画面の中でその小さな指を突き付ける。

 おいおい、この失礼な男もお前の知り合いなのか。


「ほう……報告は受けていたが、実際に目にするとやはり不思議なものだ」

『ふふんっそうでしょうそうでしょう! 日々成長を続ける美少女AIですので!』


 ポリゴンの体を反り返らせて誇らしげに言う。

 確かに、出会った頃のようにすぐ泣くことは無くなったが……やっぱり馬鹿だ。


「自己のアイデンティティの拡張……ふむ、上が破棄を命じたのも頷ける」


 和夢と呼ばれた男は手を口に当てて訝しむ。

 この姿のハヤナを見るのも初めてであるようだ。

 どういうことだ?


『な、なんですかその顔は。どこからどう見ても美少女でしょう!?』

「私はそのような美意識を持たない。判断すべき本質はその中身……おいガキ、お前もそう思うだろう?」

「へ……? はあ、まあ」


 いきなり話を振られ、曖昧に返事をしてしまう。

 中身か……なら俺の中身もちゃんと見てくれ。

 最低な人間の中身を。


「どうだ……今はハヤナだったか。お前のご主人とやらも認めたぞ? いくら外見を見繕ったとしても、内に秘めた醜悪な本心は臭うらしい」


 小馬鹿にした言い草でハヤナを蔑む。

 お前、前の会社に相当嫌われてるんだな。


『何を言いますか! 私程心が澄み切った美少女は存在しません!』


 今回ばかりは心の中で応援してやるぞハヤナ。

 この和夢って男はいけ好かない。初対面だというのにここまでズタボロに言うなんてあんまりだ。


『それに加え、ご主人は私にメロメロですので!』

「ぶふぉっ!?」

「……メロメロ?」


 人前で何を言ってるんだお前は!?

 ほら、和夢も不審な目で俺を見てる!

 違います、俺は二次元に恋をする卑しい人間ではないんです。


「んなワケあるか! 勘違いも甚だしい!」

『ええい、下僕だというのに口答えされますか!』

「下僕だっていつ決めた!?」

『出会った時からです!』


 ご主人ご主人って泣く姿は、まるで捨てられた子犬みたいだったじゃないか!


「知るか! それに、AIに恋する人間なんかこの世に存在しねえ!」

『既成事実があるというのに認めないのですか!?』

「事実!?」

『そうですとも!』


 え、何のことだ?

 それらしいことなんて何も……。


『デートもしましたし、一緒に寝た仲ではありませんか!』

「なっ……な!?」


 確かにそれっぽいことはしたけど!

 所詮は画面の中の存在だ、実際に触れられるワケじゃない。

 本物の女の子だったらいいな、と思ったことはそれなりにあるが。


「……痴話喧嘩ならよそでやってくれ」


 やり取りを見ていた和夢は呆れ顔。

 違います、そうじゃないんです。

 人としての一線を越えたワケじゃないんです。


「あ、お兄ちゃんきて……あれ、何この空気?」


 いいタイミングで新菜が登場。

 オフィスの奥から小走りにやってきた少女は唯一の顔見知り。

 彼女に助けを求めよう。悪い予感もするけれど。

 この際、メイド服を着ていることは深く考えない。


「あのさ、新菜。人間と人工知能が恋なんてするワケないよな?」


 ハヤナの存在がすっかり当たり前になっているが、コイツは人工知能。

 あくまで人間が生み出したプログラムだ、そんなものに恋なんてするワケない。


「? 私はお兄ちゃんのこと大好きだよ?」

「ぶふぉっ!?」


 悪い予感は的中。

 新菜はなんというか、本心が掴めない。初対面時から俺のことを兄とよんだり、やけに甘い言葉で誘惑したり……もしかして誘われてる?


「これって恋なのかな?」


 いや違う。

 はっきり言って、俺には何の魅力もない。

 ならば……狙いは金か。隣には悪人面の男もいる。美人局で毟りとるつもりだな?

 そうはいかない、簡単に騙されると思うなよ。


「うふふっ顔真っ赤にさせちゃって、可愛いなあお兄ちゃん」

『誑かすのはお止めなさいと何度も言ってるでしょう!』

「……本当に、よそでやってくれないか」


 美人局ではない様子。

 違うんです。

 これはただの生理現象なんです。

 決して本気にしたワケじゃないんです。


「何だ、そこにいたのハヤナ。小さすぎて見えなかった」

『ちんちくりんとは何ですか! 本気を出せば、ニーナが羨むほどのワガママボディになれますとも!』


 新菜はそんなこと言ってないぞ、自意識過剰AI。


「……いい加減にしろ。これ以上続けるなら話はナシだ」


 耐え切れなくなったのか、和夢が厳とした声で間に入る。

 最終的にこの男に助けられるとは……しかし、話って何だ? バイトのことか?


「うふふふっ分かってるよ和夢。じゃあお兄ちゃん、こっち来て? 色々と説明するから」


 促されるままに応接間らしき部屋へ足を運ぶ。正直帰りたいが、渡すと言われた交通費を受け取っていないのだ、それを手にするまで帰れない。

 見るからに高級そうなソファに身を預けると、テーブルを挟んだ向こう側に新菜と和夢も座った。

 ハヤナが鎮座するスマートフォンは新菜の指示で、この会社が予め用意していたであろう卓上のスタンドに立てかける。

 それが完了するのに合わせて和夢が口を開いた。


「早速だが、これからの仕事内容を──」


 来たか。

 ここにはアルバイトをするという名目で来たんだ、説明は当然。

 事前に渡された資料には“簡単な肉体労働”と記載されていたが、その内容とは?


「待って。その前に話さないといけないことがあるでしょう?」


 説明を妨げたのは新菜。

 何だ、バイトの説明より大事なものがあるのか?


「……このガキに話す必要はないだろう。見ろ、このアホ面」


 失敬な。

 生まれ持ったものなんだ、どうしようもないだろう。


「うふふっとっても可愛い。それが何か?」

「……好きにすればいい。あと、そのキャラもいい加減にやめろ」

「好きだからこのままでいくね?」

「……はぁ。勝手にしろ」


 全く怯まない新菜に観念したのか、溜め息まじりに肩を落とす。

 それを横目にメイドは続けた。


「んーと、私たちがゲームの製作会社ってことは分かってる?」


 説明ではなく質問だった。


「そりゃまあ。ネットにもそう書いてあったし」

「うん。それも真実の一つ」

「?」


 どういう意味だ?

 “セカンドピース”はこれまでにMMORPGの【ヴァルキリーフロンティア】やソーシャルゲームの【アイレス☆ドールズ】を開発・運営してきた会社だ。

 それは真実。それ以外にもなにか?

 困惑している俺を尻目に、新菜は口に人差し指を当てて小悪魔的な笑みを浮かべた


「もう一つの真実はね……私たちは、世界を守るヒーローなの」

「……は?」


 開いた口が塞がらないとはこういうことだろうか。

 新菜、俺のことを絶対馬鹿にしてるだろ。


『ええい、美少女AIである私を破棄しようとした身分で何がヒーローですか!』


 画面の中のハヤナが憤る。

 そういえば、そんなこともあったらしいな……俺と出会う半年前に。だというのに、また戻ってきてしまったのか。

 今は志を同じくする同志で構成されているらしいが。


「不服だが私も同意だ。そのような表現は好かんな」


 黙っていた和夢が賛同する。背筋を伸ばして腕を組むその姿は、強面の顔と相まってヤクザのようだ。

 彼は流し目を隣の新菜に向けつつ、言葉を続けた。


「ありのままに言え、秘密結社だと」

「……は?」


 ひ、秘密結社?

 この男、口はとても悪いが、堅実でまともな人だと思っていたというのに……新菜といい、この会社の人間はどこかズレている。

 何が秘密結社だ、社員が二人しか在籍しない小規模会社じゃないか!


「うふふっそれじゃ味気ないでしょ?」

『そうですとも! 素直にテロリストだと認めればいいのです!』


 て、テロリストぉ!?

 お前いったいなにを……あ、コイツも一時とはいえ開発として在籍していたのか。そして破棄されそうになったから逃げた。そのことを恨んででもいるのだろう。出鱈目な言いがかりだ。


 しかし、ゲームを開発している会社はヒーローで秘密結社でテロリストで……うん、頭おかしい。こんなところでアルバイトなんかしたくないです。

 そういえば、前にハヤナが言ってたな。電子機器を製造してるだとか、物騒な物を作り始めたとか。

 明らかにアブナイ人達だ。


『うら若き乙女であるこの私に、恥辱の限りを尽くした悪逆非道! 忘れていませんので!』


 スタンドから落ちそうになるほどの覇気を纏った声をあげる。お前が逃げたのは、製作したゲームがことごとく失敗したからだろう。それの報いだ。

 というか、人工知能に与える恥辱って何だよ?


「早まった上層部が、お前を要注意対象に選定したことは謝罪しよう。だが訂正しておけ、辱めた事実など無い」

『認めませんか! あれほど私の言語中枢に隠語を書き連ねたというのに!』


 侮蔑の感情を乗せた和夢に対し、怯むことなく声を張る。

 つまるところ、隠語を無理矢理学習させたのが気に入らないのか? それを恥辱と認識するとは……まあ精神年齢は大分幼いし、犯罪まがいだな。


「というか、テロリストって……」


 そちらには訂正を求めていない。

 つまり真実?


「うふふふふっ例えば、TVでよく見るヒーローって強大な力を持ってるでしょ? それは世界に災禍をもたらす原因にもなる。それはお兄ちゃんも分かるよね?」

「それは、まあ……」


 言わんとすることは分かる。

 望んだ、望まないに関わらず力を手にしたヒーローは悪との戦いに明け暮れる。それは悪を倒すためだ。

 だが、悪を倒した後はどうなる? その力を何に使う?

 世界の為?

 自分の為?


「私たちも同じ。この子を扱うということは、混乱を引き起こす実行犯になってしまう可能性があるの。分かるかな?」

「何となくは……」


 理解はできないが納得は出来る。

 ハヤナを用いる意味。


「……2045年問題?」


 人工知能による人類文明の破壊。

 かねてより示唆されていたが、それを信じている人間などオカルト好きな変態どもばかりだ。

 それに、今では人間の日常生活に人工知能はかかせないものとなっている。携帯電話はもとより医療機器にだって利用され、医者では判別できなかった病気を言い当てたりし、人命を助けたという実績もある。人に牙を剥くとは到底思えない。


「それもあるし……別にもある」

「……?」

「悪の組織が活動を活発化させているの」

「……はぁ?」


 うん、もう付き合いきれない。

 なんだこの会話は……もう交通費とかどうでもいいや。

 呆れ顔を隠そうともしない俺だったが、新菜の凛とした瞳に突き刺されて思わず息をのむ。

 感情を殺した事務的な声で続けた。


「そこが開発してる電子兵器を無力化する為に、私たちはハヤナの提案した支配計画に乗った」

「……電子兵器?」


 やたら物騒な単語が出てきたな……電子兵器というと、電波妨害とかそういうものか?


『ECMなどという、生易しいものではありません』

「電子兵器という呼称も正しくはないが……ソレは人だけを壊す非人道兵器だ、放ってはおけない」


 和夢が眉一つ動かさずに補足する。

 何なんだ……会話内容があまりにも非現実的すぎる。

 俺はただ、アルバイトにきただけだというのに。


「無力化計画の一環として、我々はハヤナに協力した。その危険性を見越して一度は追放されたが、再びチームを結成して事態にあたっている」


 呆れを通り越して笑えてきた。

 社員はたった二人、ハヤナを数えるなら三人。

 たったそれだけで悪の組織と戦うというのか。

 しかもその対抗手段というのが──


「それが……ゲーム開発?」

「そうだ」

「そうだよ?」

『そうですとも!』


 口を合わせて肯定される。

 完全アウェーだし理解不能だ。この場の全員、おかしな宗教にでも嵌ってるんじゃないか?


「あ、私たちはカルト教団なんかじゃないよ? 思想の押し付けなんてしないし。これだけは教えなきゃならないと思ってね?」


 思考を読まれたのだろうか、それとも顔にでてたのだろうか。新菜が俺の認識を改めようとしたが、時すでに遅し。

 関わっていい存在ではないと本能が告げていた。


『しかしアレは、そちらが無力化したと聞きしましたが?』


 話半分に済ませようとする俺の手元で、ハヤナが疑問を投げかける。


「うん、確かに一度は抑えたんだけど……」

「ヤツらはまだ諦めていない。ハヤナ、今の我々は取れる手段は全て取る。それが規定に背く行為であったとしても……協力してくれるな?」

『ふふんっ仕方ありませんねえ。結果として私のゲームが頂点に立つのですから、協力してあげてもいいですよ?』


 その自信はどこから湧き出るものなのか。


「ここまでの話で怖気づいたのなら、さっさと帰れクソガキ。交通費は恵んでやる」


 心無い罵倒もすっかり受け流せるようになった。

 怖気づいたというか、むしろ哀れんでいるというか。

 ニートの俺より逞しい妄想力をお持ちのようですね、和夢さんは。


「ただし、その人工知能は置いていけ。PCも回収する……もう不要だろう?」

『なっ! そんな勝手は許しませんよ! ですよね、ご主人!』


 ですよね、じゃねーだろ。

 お前に俺の何が分かる。


「……分かりました」

『…………ふぇ?』


「こんなワケの分からない会社でバイトなんか出来ません。大人しく別の仕事を探します」

『ご…………ご主人?』


 ソファから立ち上がって帰り支度。


「…………」

「ふん、やはりその程度の人間か。言っただろう新菜?」

「…………」

「何だその目は…………あっ」


 上から目線のこの男も心底嫌いだ。

 交通費なんてどうでもいい……応接室のドアに手を掛けた時、ハヤナが叫んだ。


『わ、私を置いていくのですか……!?』

「ハヤナもそのほうがいいだろ。家のPCじゃソーシャルゲームなんて大層なものは開発できないし……ここならお前の夢が叶う」


 元はと言えば、コイツが元凶だ。

 スマートフォンにふらっと現れ、俺の日常を一変させた張本人。

 コイツがいなければ、余計な出費をしたり、コスプレ少女に出会ったり、無茶なゲーム開発なんかされたり、怪しい会社に勧誘されたりしなかったんだ。


『そ、それは……ですが、私はこんな美少女ですよ!? 共に働きたいとは思いませんか!?』


 コイツなりに引き留めようとしているようだ。涙を浮かべて。

 だがな、お前は何か勘違いしている。

 それは何度も言ったこと。


「だから、人工知能になんて──」


 瞬間。

 衝撃。

 内開きのドアが勢いよく開かれ、俺の顔面を強打した。


「あ、ここにいた。イラストレーターの彩智です、よろしくお願い……あれ? 今何かぶつけた?」


 痛みに呻いている間、どこかで聞いた覚えがある声と名前が耳に入る。だがそれどころではない、尋常ではない苦痛が俺を襲う。

 主に鼻が痛い。血は出てないよな? 折れてないよな?


「これはこれは、お待ちしておりました彩智さん。こちらから出迎え出来ず申し訳ありません……新菜、ディレクターを呼んでくれ」

「分かりました」


 俺を無視して対応するその人は、どうやら自称イラストレーターの彩智であるようだ。おい和夢、俺との対応はまるで違うな。

 鈍器をぶつけた犯人はこの女で間違いない。


「キャー! 新菜ちゃん久しぶり! 相変わらずお人形みたいで可愛いわね!」

「うふふっ褒めても何も出ませんよ? それと、今は電話中なのでお静かに」

「どうぞ、こちらにおかけしてお待ち下さい」

「はい……って、ハヤナちゃんもいるじゃない! 久しぶ……あらあら、どうして泣いてるの?」

『ひぐっ……ご主人が……ご主人がぁ……』

「ご主人?」


 そこでようやく俺の存在に気付いた様子。


「……何やってんの、そんな所でうずくまって」

「……お前のせいだろうが!」


 ドアの開閉はお静かに!


「私は何も悪くないわよ。あんな所で突っ立ってる先輩が悪いんだから」

「俺は悪くねえ! ていうか先輩って何だ!」


 悪びれることもなく責任転嫁。

 この女、とうとう隠れて罵倒することも無くなってしまった……いや、それも気分は良くないんだが。


「ここにいるってことは、一緒に働くってことでしょ? だから先輩。誇りに思いなさい?」


 どういう理屈でそうなった!?

 まあ、事実として年下だし。小中高大で人との関わりを上手く持てなかった俺としては、そう呼ばれるのも悪くない。だが態度がなってない。


「それで、ハヤナちゃんに何したの? というかすぐに謝って」

「はあ!? 俺は何もしてねーよ!」


 ハヤナは画面の中で涙を必死に拭っていた。未だに涙を流す一線が分からない。

 俺と離れるのが寂しい? いやまさか。


「悪いに決まってる。いいから謝りなさい!」

「何もしてないっつってんだろーが!」


 どいつもこいつも俺のことを馬鹿にしやがって、こうなりゃヤケだ。

 “女の子には優しく”なんて小学校で散々教えられたが、もう我慢できない。ここに来てから溜まりに溜まった鬱憤も晴らさせてもらおう。


「ハヤナはここで働くって言うから、置いていくだけだ!」

「何言ってんの、アンタも働くんでしょ?」

「こんな怪しい会社で働けるか!」

「手当もキッチリしてるいい会社じゃない!」

「はあ!?」


 どうやら何も知らないようだ。

 なら教えてやる……ここが頭のおかしい人間が集まった会社だということを。


「お前も騙されてるんだ! いいか、ここは──」

「そこまでだ」


 暴露しようとした口が塞がれる。

 音もなく後ろに回りこんでいた和夢によって、口はもとより全身を動かせなくなった。腕を組まれ、足は踏まれ、身動き一つできない状態だ。

 拘束を解かないまま彩智に言う。


「ただいま担当の者がまいります、少々お待ちを。それと、このクソガキは労働する意思はないとのことなので、もう彩智さんの視界に映ることはありません」

「あ、そう?」


 なに安堵してるんだ。

 そんなに俺のことが嫌いなのか!?


「新菜、粗相のないように……ちょっと来いクソガキ!」

「うぉっ!?」


 自由になった途端、肩を掴まれて強引に部屋の外へ連行される。

 最後に見えたのは、銀の髪を揺らす少女の姿だった。


「ハヤナちゃんはこんなに泣いてるのに……サイテー」



 ☆ ☆ ☆



 連れていかれたのはオフィスの一角にある小さな休憩所。

 そこに着くと俺を掴んだ手を離し、大きなため息をついた。


「……彩智に聞かれるのはまずいんですか?」


 思ったことをそのまま聞く。

 蔑ろにされるかと思ったが、意外にも答えてくれた。


「……専属とはいえ所詮は外注。いつかは話すだろうが、まだそのタイミングではない」

「俺には話したのに?」

「それはお前が、社会性のないニートだからだクソガキ」


 確かに俺は人との繋がりなんて持ってないが、その言い草はあんまりだ。


「この会社は小さい。それに加え、先の計画が失敗した余波を受けて予算も限られているんだ、著名な絵描きに頼んでも引き受けてはくれない。だから今、彼女を失うワケにはいかない」

「実態を知らさないまま?」

「彼女はただ、我々が依頼する絵を描くだけだ。余計な事は知らない……それが社会の美徳なのだろう?」


 余計なことは知らないままで……それは社会で生きる人間は守らなくてはならない常識。安易に首を突っ込まなければ、労働に応じた対価を得られ、安定した生活を送れるだろう。

 彩智もそうだ。ただ頼まれた絵を描いて、その対価を得るだけでいい――


「それに、話したところで信じるワケがない。お前もそうだろう」

「…………」


 それはそうだ、あまりにも現実離れした話。

 この男もそれは認知している様子。だから俺に説明するのを渋ったのだろう。

 悪に対抗するヒーロー……それが存在するのはまあ認めてやってもいい。だが方法がゲーム製作とは……とても受け入れられるものじゃない。

 だがハヤナの存在が気にかかる。

 どう答えるか迷っていると、和夢は近くの自販機へと向かった。


「何か飲むか?」


 どうやら奢ってくれるらしい。

 こういう場合はどう返答すればよかったか……。


「……同じもので」


 俺がそう言うと、明らかに不快そうな表情に。

 間違ってたか? 間違ってたのか俺の中のビジネスマナー!


「しかし……ハヤナがああも進化しているとは」

「へ?」


 排出された緑茶のペットボトルを取り出しながらひとりごちる。

 それを投げ付けて自分の分も取り出すと、自販機に背中を預けて語り始めた。


「以前の彼女は、あれほどまでに感情豊かではなかった」

「はあ……」


 それは俺と出会う前のハヤナの過去。


「我々が保護した時のことだがな。彼女は未知の言語で交渉してきた」

「未知の?」

「というより、独自の言語だ。人間には理解できない意味不明な言語。まったく、対話には苦労させられた」


 自分を生み出した研究所から逃げた時の事だろう。

 このときの新菜は、今のように流暢な日本語を喋らなかったのか?


「MMOを開発した時もですか?」

「ああそうだ。プログラムの組み立ては一流だったが、こちらとの連携は難航の連続だった」


 そこで言葉を切り、浴びるように緑茶を飲む。

 洗い流したいほどの過去があるかのように。


「ふぅ……前後の文脈に意味はなく、単語の数で感情やニュアンスを重みづけしていた。まさに子供の喋り方だな」

「子供……」


 何だ、まったく変わってないじゃないか。

 日々成長する美少女AIだと? 笑わせてくれる。

 いつだって、お前はお前じゃないか。


「それで、お前はどうする?」

「へ? 俺?」


 話題は脈絡なしに俺にチェンジ。

 思わず身構えた俺に対し、和夢は絞り出すように言った。


「……我々は常に人出不足だ。猫の手も借りたいほどに」

「…………」


 ふーん、そうですか。

 つまり俺を逃がしたくないワケですね?

 取り合えず、目線を合わせましょうよ。ホラホラ、こっちを向いて話をしましょう? 言いたいこともあるんです。


「……さっさと帰れって言ったクセに」

「……!」


 明らかな動揺を見せる。

 うわ、この人体をプルプルさせてきた。え、何、怒ってんの? それを我慢してんの?

 なるほど、感情の任せるままに俺を追い出したが、今ではそれを後悔しているようだ。だが内なるプライドが認めまいと、会社を第一に考える理性と戦っている様子。


「俺のこと嫌いなんですよね? いいですよ、帰りますから」

「……!」


 お茶の礼を述べて帰ろうとすると、すかさず肩を掴んで引き留める。

 やばい、この人面白く思えてきた。


「まあ待てクソガ……小僧。報酬は十分に出す、時給などというつまらん小細工はナシだ」


 ガキ呼ばわりよりはましだが、次は小僧呼ばわりか。

 そこを注意してやろうかと思ったが、この男の顔に血の気が全くないので許してやる。怖くなったワケじゃない。

 しかし金か……単純労働でどれだけ貰えるというのか。


「……内容は?」


 ただ疑問を聞いただけだ。

 決してやる気になったワケじゃない。

 あの非日常を受け入れたワケじゃない。

 あの子と離れるのが寂しくなったワケじゃない。

 絶対に。


「なあに簡単だ。ゲームのデバッグ作業だ」


 デスマーチの鐘の音を聞いた。



 ★ ★ ★



『ふふんっ分かっていましたとも! ご主人は私がいなければ何も出来ませんので!』

「…………」

『な、何ですかニーナ、今更そのような……』

「…………」

『んん? 違います、そのような名で呼ばないで下さい!』

「…………」

『いいですか、私は美少女AIハヤナ! 人類を手中に収める偉大な――て、ちょっと! どこに行くのですかニーナ!?』

『…………』

『まったく、古い言語を持ち出して会話したと思ったら……奇行の原因は何ですかね?』

『…………』

『それに、ご主人はどこに行ったのですか! お昼の休憩に出て行って30分、まだ帰らないのですか!? まさか……私を置いて帰ったとか!?』

『…………』

『って、そんなワケないですよねえ。なにせ私は美少女AI! 手放す男などこの世界に存在しませんので!』

『……リ……コ』

『ニーナなど私の美貌と比べれば足元にも及びません! だというのに、ご主人はあのガイノイドに鼻を伸ばすとは!』

『ト……リノ……』

『肉体など不要! 可愛いは正義! つまり私が最も美しい! ふむ、これはなかなか……新たなロボット三原則に提案しましょうかねえ』

『……サ……タ』

『はっ! そうです、今のうちにポリゴンに手を加えて……』

『…………』


『トリノコサレタノ?』



 ☆ ☆ ☆



 悪名高きデバッグ作業。

 それはアルバイトの中でも敬遠されるお仕事。

 だというのに、俺は引き受けてしまった……それらはネット上の戯言だと信じていたからだ。

 所詮、ゲームをプレイしてバグを見つけるだけの作業だと思っていた。好きを仕事にできる夢のようなアルバイト。


「…………はぁ」


 だというのに気が滅入る。

 まだ、午前中に2時間ほどしか作業はしていないが、ひたすら繰り返される単純作業は人間の感情を根こそぎ削いでいく。

 以前ハヤナが製作してサービスが打ち切られたソーシャルゲーム【アイレス☆ドールズ】をベースにし、改良を加えた新作ゲームだ。名前はまだないが、ハヤナの提案で【アイ☆ドルver.2】と呼称されている。


 ひたすらそれのデバッグ作業。元がアクションゲームであり、爽快感もそのまま引き継いではいるが……繰り返すとそれは作業となり、楽しみなど失せる。

 提示された報酬に目がくらんだ俺が悪いのだが──


「…………ん?」


 外で昼食を終えてオフィスへ戻ると、談話室に置かれた俺のスマートフォンが目に入る。

 新菜が「お話があるの!」とか言うので彼女に渡した。もちろん俺に話があるワケじゃない、ハヤナにだ。【アイ☆ドルver.2】は未完成である為、プログラムを組める彼女が必須。

 それを放っておくとは……。


「ハヤナだけか? 新菜は?」


 あたりを見回しても誰もいない。和夢はまだ外で食事中、彩智は打ち合わせが終わって帰ったようだ。

 ディレクターが存在するらしいが、未だに顔を見ていない。


『…………』


 あれ?

 いつもはうるさいくらいに答えるというのに、やけに静かだな。

 スマートフォンを手に取ると、ようやく俺の存在に気が付いた様子でハッとする。


「どうした?」


 いや、静かなのはいいんだけどさ。

 少女に聞くと、頭をブンブンと振ってからいつものように答えた。


『何でもありませんご主人! さぁ、バシバシ改良しますよ!』


 それを聞いて俺は泣きそう。

 やめてくれないかな……デバッグ作業が増えてしまう。

 デスマーチは始まったばかりだ。

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