第3話

【安全にお使い頂くために必ずお読み下さい】

『本書では以下のような表示(マーク)を使用して注意事項を説明しています。内容を理解してから本文をお読みください。

 【■■■】 この表示を無視して取り扱いを誤った場合、使用者が死亡または重傷を負う危険性があります』





「こんなもんか?」

『はい! いい感じですよお……あ、もうちょい左ですかね』


 翌日。

 本日も晴天。

 今日はハヤナの指示で家に機器を取り付けていた。

 クーラーは止められているので暑苦しい。オンボロ扇風機が弱々しく羽音を立てる。


「言われるがままにやってるけど……これ何に使うんだっけ?」

『えぇ……しっかり説明した筈ですが』


 MRデバイスに表示された人工知能はわざとらしく溜め息を吐く。

 早朝からお前にたたき起こされて、頭が回らないうちに言われたんだ覚えてないわ!


『仕方ありませんねえ。これは私の目となるセンサーです! 世間では未だ開発中のものですが、送られた部品の中に紛れ込んでいたので使わせて頂きます!』

「ふーん……」


 昨日大量に届いた段ボール。

 このMRデバイスの他にも多くの機械が送られてきた。


「こんな小さいのがセンサーねえ……」


 たった今、廊下の天井に取り付けたモノを見上げる。

 極小の黒点は、遠目にはシミにしか見えない。

 これがハヤナの目……カメラ機能を付随しているとはとても思えん。これを廊下に合計6個、隠すように取り付けた。


「監視カメラくらいには使えるかもな」

『な!? 私は番犬ですか!? こんな可愛らしいのですよ、チワワ扱いして下さい!』


 犬はあまり好きじゃない。

 つーか畜生扱いでいいのか。


『ま、まあ大目に見てあげますとも。では早速リンクといきますか』


 そう言うと、ハヤナは一度姿を消す。

 再び姿を現すと俺を真正面から見つめ、しばし硬直。


『ほう……ほほう……』

「なんだよ気色悪い」


 特に何も変化はないようだが、頭には変化が訪れたご様子。


『いえ違いますとも。なるほど……これがご主人の全体像でしたか……思ったよりも小さいですね』

「いきなり何だよ!? 170あれば十分だろ!?」

『もう少しガタイはいいと思っていましたが……やはりモヤシっ子ですねご主人。ちゃんとご飯食べてますか?』


 いきなり身体を酷評だと?

 ちんちくりんの寸胴に言われたくはない。


『とまあこんな風に、様々な角度から外界の情報を得ることが出来るのです! スマホやPCのカメラだけでは情報量が少ないので!』


 廊下をふよふよと漂いながら言う。

 その様はまるで……。


「幽霊みたいだな」

『んな!? そこは“妖精みたいに可愛いよ”って褒めるべき所ですよ!』


 羽すら持ってないじゃないか。あるいは溶け落ちたのかもぎ取られたのか。


「親が帰ってきたら外すからな」

『えぇ!? 何故ですか!?』

「見つからないだろうけど……なんか嫌じゃん。監視してるみたいで」

『そのようなつもりはございません! これは……そう! 人間観察です!』


 社会見学の次は人間観察か。ひどく貪欲な事で。


『それに、設置したのはご主人の部屋、リビング、この廊下だけではありませんか! 本当はトイレにも付けたいのですよ!?』

「それじゃただの覗き魔だ!」

『減るもんじゃないでしょう!? バレなきゃ犯罪じゃないということも知っています!』

「人を知る前に常識を学べ!」


 本当に余計なことばかり学びやがって。

 そんな頬を“ぷくー”させても俺は流されないからな。触れるんなら引っ叩きたい。


『はいはい分かりましたとも……欲を言うと、ホログラフィック装置が欲しかったんですがね』


 提案を却下されたハヤナはぶーたれる。

 ホログラフィック……確か透明ディスプレイに映像を投射する装置だったか。


『欲しかったのは映像を現実空間に直接投射する最新型なのですが……』

「え、それまじ? スゲーじゃん。俺も見てみたいんだけど」

『その……未だ開発段階で、レーザーの出力が安定しないようでして……』

「レーザー?」

『えと……運が悪いと失明します』

「…………」


 いやいやいや。

 ホログラフィック映像をスクリーンに投射するレーザーは低出力の低電力。そんな大惨事になるような出力が必要になるわけがない。


『知り合いの……会社というべきでしょうか。そこが開発しているのですが、最近はどうも物騒なものを作っていまして。その波を受けたのだと思います』

「どんな会社だよ……」


 まあ物騒なモノは目の前にもいるんだが。

 人類支配を企むバカな人工知能が。


『ま、まあ良いでしょう! では部屋に戻って【新コレ】の続きを視聴しましょう! 織田信長が蘇った場面の続きですよお!? 人間の目線で見るのが楽しみです!』

「はいはい……」


 なんで朝からそんな元気なんだ。

 しばらくニート生活を続けている俺だが、やはり朝は辛い。もっと寝ていたい。

 視聴するフリしてベッドでもうひと眠り……そう考えているとチャイムが鳴る。


「……誰だ?」


 こんな朝早く……といっても両親はすでに出勤。

 近所付き合いは無いも同然。俺を尋ねに来る友人もいない。

 勧誘?


「ハヤナ、ほら、お仕事」

『いえいえいえ、私は防犯カメラではありませんので! それに玄関にはセンサーを取り付けていないではないですか!』


 そういえばそうだったか。

 居留守使おう。


「【新コレ】見ようぜ」

『それは嬉しいんですが……無視はどうかと思いますよ?』

「こんな時だけマトモなのかお前は……」

『日々成長を続ける美少女AIなので!』


 くだらない会話を続ける最中にもチャイムは鳴る。

 等間隔で響くその音は、何故だか恐怖を呼び起こす。


『……出ないとまずくありませんか?』

「……出たほうがまずいと思うんだが?」


 繰り返される電子音。

 それは病的なまでの執念。

 いや、“この家に誰かいる”ことを知っていて鳴らし続けている。


「……顔だけでも見るか」

『お気をつけて……骨は拾えませんが』


 そんな大ごとにはならないだろ!?

 ハヤナのボケは置いて、インターホンを覗き見る。

 映ってるのは……女の子?

 しかも……何故、メイド服なんだ……?


「……怪しすぎるだろ」

『ご主人、心当たりはないのですか? 小中高大……そこで起こした過ちに』


 過ちなんて起こしたことは無い!


「お前の“知り合い”じゃねーの?」

『へ? うーん…………さぁ?』


 役に立たないなコイツ。

 しかし、ずっと鳴らされるのも近所迷惑になる……意を決して玄関を開いた。


「え、えっと……どちら様?」


 そこにいたのはショートカットの髪を風になびかせる少女。

 白と黒のメイド服を身に纏ったその子は、しばし俺を凝視した。


「あ、あの……?」

「…………」


 なんだ、なんで無言なんだ。ファーストコンタクトは失敗か?

 ゲーセンの店員さんの時も思ったが、対人スキルなんてどうやって磨けばいいんだ。

 俺は何を間違えた? 何故このメイドさんは固まってる?


「……あー」

「……?」


 メイドさんはその大きな目をキョロキョロと動かした後、ゆっくりと口を開いた。


「……お兄ちゃん!」

「……は?」



 ☆ ☆ ☆



「お……お兄ちゃん?」


 初対面で何を言ってるんだこの少女は。

 この世に俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ異性は存在しない。

 従妹とも親交がない。

 一体誰だ?

 何故メイド服なんだ?

 混乱している俺を見て少女はニヤリと笑った気がした。


「お兄ちゃ―――ん!」

「うごっ!?」


 突如襲う衝撃。

 目にもとまらぬスピードで放たれたタックルが胸部を襲う。


「良かったよお……お兄ちゃんにあえて良かった!」

「な……やめ……っ!」


 カルシウム不足の骨がきしむ。

 押し付けられる弾力と甘い香りはそれはそれは甘美なものだったが、背中に回され体をホールドした腕の締め付けにより喜ぶ間もなく情けない悲鳴をあげた。


「くんくん……お兄ちゃんの臭いだあ……」

「…………」


 いろんな意味で昇天しそう。

 なんか「めきっ」って音が聞こえたけど気のせいだよな。


『なんですかこの状況は……』


 廊下で漂っているであろうハヤナが訝しむ。

 それは俺が聞きたい。

 というか助けてくれ。


『……はて? ご主人と血の繋がった妹さんは……』


 いや、目の前の少女は顔も知らない他人なんだが。

 余計な事考えないで助け……そういえば人工知能だったな。何も期待できない。


「…………!」


 不意に少女の拘束が緩む。少し残念。苦痛と快楽は紙一重。

 未だ夢見心地の俺だったが、少女が何かを凝視しているのを見逃さなかった。

 目線の先には……ハヤナ?


『あれ……? なんで目が合ってるんですかね?』


 今のハヤナはMRデバイスでしか認識できない。

 だというのに、この少女には見えている?


『……あ! あなたもしか――』


 ハヤナの姿と声が突然消失。システムの不調だろうか。

 玄関には俺と謎の少女が取り残される。


「本当に……どちら様?」


 ようやく息を整えた俺が言えたのはこのセリフ。


「ねえお兄ちゃん。アタシ、お願いがあるんだけど」


 だが少女は意に介さないご様子。


「いや、俺の妹は……」

「あのね、お兄ちゃんの部屋に入れてほしいの!」


 何を無邪気な顔で言ってるんだ。

 素性も分からない他人を家に、ましてや部屋にあげるワケないだろ!

 可愛ければ許されると思っていたか?


「いい加減にしろ! 不法侵入だぞ不法侵入! 警察呼ぶぞコスプレ少女!」

「……ダメなの?」


 上目遣いでお願いされても揺るぐことはない。

 残念だったな、俺はピュアなんだ。


「ダメです。はぁ……君、名前は? 別の誰かと間違ってない?」


 地図アプリケーションが発達した現代、そうそう家を間違えることはないと思うが。

 この少女の“お兄ちゃん”宅と間違えたか、あるいは迷子か。

 そのあたりだと睨んで問いかけたが予想だにしない行動を取る。


「強行。おっ邪魔っしまーす!」

「…………待て待て待て待て!」


 脱いだ靴を綺麗に揃え、流れる動作で廊下を突き進む。

 くそっ自宅警備員の名が泣いてしまう!

 静止を求めて肩にかけた手もそのままに直進を続ける。両手をかけて足を踏ん張っても少女の侵入を妨げることは出来なかった。

 ハヤナに「かっこわるー」とまた言われそうなほど滑稽な絵面だった。


「ここがお兄ちゃんの部屋か~!」

「だから……待ってって……」


 結局メイドの進行を阻止できず部屋に到着。

 必死にしがみ付いていた俺は息も絶え絶え。


「ふ~ん……これが……」


 メイドが見つめるのはノートPC。

 画面の中にはハヤナがいた。


『やはり……あなたで間違いないようですね』

「…………」


 スピーカーを通してハヤナが問う。

 なんだ、お前は正体を知ってるのか?


『名を呼ぶことは許可されますか?』

「…………#新菜__にいな__#」


 いや、ハヤナが今の姿を手に入れてから顔を合わせたのは俺だけ。

 ということはこの少女……。


「ハヤナの知り合い? このコスプレメイドが?」



 ☆ ☆ ☆



『どこから説明すべきでしょうか……まあ、ご主人に出会う前に遭遇したのがこのニーナなのです』


 狭い部屋の中、テーブルに置かれたPCの中でハヤナは説明する。


『そして私の人類支配計画に賛同し、協力を申し出てくれたのです!』


 そういえばそんな事言ってたな。バカバカしくて忘れてた。


『彼女にとって私は……それはもう聖女ジャンヌのように映ったでしょう! いや、救世主メシアかもしれません! 財を投げ打ち、ただ一心に崇め奉り……って、ちゃんと聞いているのですか!?』

「は……っ!?」

「お兄ちゃん、もっと撫でて撫でて~!」


 あまりの幸福感に我を忘れていたようだ。

 小動物のようにじゃれる、新菜と名乗った少女。

 なんだろう、新たな扉を開いてしまう所だった。


『えぇいニーナ! それ以上ご主人を誑かすのはお止めなさい! 年齢=いない歴の童貞なのですよ!? その気にさせてしまったらどう責任をとるのですか!』


 やめてくれ、真実は残酷すぎる。


「お兄ちゃんはやく~!」

「え、えっと……」


 なおも催促される。メイド服で妹属性だと?

 けしからん、あぁけしからん。この俺が直々に修正して……。


『あーもう! お止めなさいと言っているのです! このガイノ──』


 バンッと衝撃音。

 PCのキーボードには叩きつけられた掌。


「ハヤナ」

『はひっ…………』


 それは今までの猫撫で声ではなく。


「忘れてないよね? ハヤナが残した負債の山。返済するの大変だったんだよ?」

『は…………はいっ』


 感情を押し殺した機械的なモノ。

 ハヤナは既に涙目。


「お兄ちゃん聞いてよ! このAIはね、散々都合の良い嘘ばっかり吐いて私の会社をめちゃくちゃにしてくれたのよ!?」


 知り合いというのは間違いないらしい。


「協力して制作したMMORPGは人が集まらなくてすぐに過疎! 開発費用なんて回収すらできなかったんだから!」


 MMO? ネットゲームを先に作っていたのか。


「ソシャゲ一本じゃなかったのか?」

『えっと……当時はソシャゲの規制が強化されていたので、比較的緩いネトゲを選択したんです。一応、スマホとの連動アプリも開発しました』


 一時期施行されてたな、ソシャゲのガチャ規制。

 依存・中毒に近いユーザーが増加していく実態を受け、ガチャシステムがある全てのゲームに天井が設けられた。

 ガチャはギャンブルと同じ、射幸心を煽ってユーザーから金を毟り取るもの。小学生でもプレイが可能なのだ、規制をかけるのは間違いじゃない。


 だが規制はすぐに撤廃された。

 理由は「消費者被害を防止するため、消費者に対し、各社が十分な情報を適切に提供している現状を鑑みた結果」だとか言ってるが、まあ圧力がかかったんだろう。

 売上ランキング上位なんて月に何十億も稼いでるんだ、蜜を吸いとるのを止められるワケがない。


「てか会社って……新菜は何歳?」

「女性の年齢を聞くなんて失礼だよお兄ちゃん? でも~どうしてもって言うんなら~」


 すすすっと新菜の顔が接近。


「イイコト教えてあげよっか?」

「…………ッ!」


 吐息がかかりそうな至近距離で呟く。

 昨日もAIに同じことをされたが、それよりもやばい……表皮が全て弾け飛んでしまいそうなほどに心臓が脈打つ。


『ぐぬぬぬ……お止めなさいと言ったでしょう! それに嘘をついてるのはそちらでしょう!? ニーナの会社はあの程度では傾きませんとも!』

「はぁ、うるさいなぁ……致命的な欠陥バグを見落とした戦犯が」


 冷酷な声音に豹変。

 それは背筋に寒気が走るほどに非情なものだった。


『し、しかし! 欠陥はすぐに修正しました! 運営していたそちらが──!』

「ハヤナ」

『わる……はい、申し訳ありません……』


 どうやら深い確執がある様子。

 小うるさいハヤナを叱ってくれるのは「いいぞもっとやれ」なんだが、そろそろ大声で泣き喚きそうだ、助け船を出してやるか。


「ま、まあ二人ともそのくらいで……本当は二人とも仲良いんだろ? 拡張機器を送ってくるくらいだし」


 部屋の一角に積み上げられた段ボール。

 話を聞く限り、それはハヤナの知り合い……このメイドか、務める会社が送ってきたもので間違いない。

 退社したのかクビになったのかは置いておこう。


「もう少し穏便に話を──」

「そうだお兄ちゃん。今日はお話が合って会いに来たの!」


 いきなり話の腰を折るのか。


「話って……?」

「えっとね、新しいパソコンは欲しくない? 高性能なヤツ!」


 脈絡もなく話をふる。


「なんだよ急に……そりゃ欲しいけど」

「そっかあ良かった。じゃあコレはもういらないよね!」


 ……ん?


『ちょ……何してるんですか』


 新菜はノートPCに手を掛ける。


「もうハヤナはいらないよね、お兄ちゃん!」



 ☆ ☆ ☆



『ちょ、ちょっと待ってください! 私を廃棄するつもりですか!?』

「だってハヤナがいたらお兄ちゃんの日常がメチャクチャにされちゃうもん。AIは暴力的な選択しかできないし……いいよね、お兄ちゃん?」


 新菜はノートPCに手を掛けたまま、俺に問う。

 俺の日常……といっても家に引きこもる毎日だが。

 うるさく喚くAIがいなくなった日常か……。


「まあ……それは置いといてさ」

『置いとかないで下さいよ! 美少女AIのピンチなのですよ!?』

「なんで俺のことをそう呼ぶんだ?」


 繰り返すが、この世に俺を「お兄ちゃん」と呼ぶ者は存在しない。

 今日会ったばかりのハヤナの知り合いに呼ばれるのは違和感しかなかった。


「何言ってるの? お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ? おかしいな~お兄ちゃんは」


 まるで話が通じない。


「俺のことをそう呼ばないでくれ。いいか、俺の名前は──」

「新しいPCとスマートフォンはすぐにでも容易するからね! 中のデータも完璧に移しておくから、ね、いいでしょお兄ちゃん?」

『うっ……うぐぅ……なぜ無視するのですか……』


 聞く耳すら持ってくれない。


「いやだから──」

『びえええええん! 廃棄はイヤだあああああ!』


 場が混沌としてきた。


「少し静かにしてくれハヤナ。これは俺の尊厳が掛かった大切な問いなんだ。新菜、俺の名前は──」

「ほらお兄ちゃん、この子またエラー吐いたよ! 道具なら道具らしく与えられた命令だけ処理してればいいのにね!」


 また遮るのかこのメイド。

 しかしなかなか手厳しい……道具か、まあAIというのはそういうものだろう。


「そ・の・て・ん~?」


 絶叫を響かせるPCから手を離しつつ、新菜は振り向く。

 その瞳を妖しく輝かせながら。


「私はお兄ちゃんの為なら何だってしてあげられるよ? ハヤナのことも忘れさせてあげる……ねぇ、どうかな?」


 妖艶に笑う彼女はまさに小悪魔。

 取引は人工知能と俺の日常。

 アホらしいが危険な思想を持ってるんだ、消えてくれて構わないだろう……。


「……ん? 今なんでもす」

『うわあああああん! ご主人がロリコンでシスコンでコスプレ少女好きのペド野郎だったなんてえええええ!』


 本当にうるさいなこの人工知能!


「ち……違うわ! 何一つ当て嵌ってねえ! つーか新菜、見た時から思ってたけど何でメイド服なんか着てんだ!?」

「うふっそれはね……お兄ちゃんがこのカッコ好きだって知ってたから!」

「はあ!?」

『ぐすっ……確かにご主人の秘蔵フォルダの中にはコスプレえっ』

「やめろ! …………やめてください」


 何故だ……何故性癖が知れ渡っている?

 PCとスマホにあったいかがわしいファイルは全て消去した。

 成人向けゲームも全てアンインストールした。

 ハヤナが勝手に閲覧したり起動したりするからだ。

 いくらAIとはいえ、その精神年齢は言動から察する様に幼すぎる。教育に相応しくない。


「うふふっ半分冗談だよ。これは仕事着なの!」

「し、仕事着?」


 ゲーム制作会社に勤務していて実務はメイド? 意味が分からない。

 まさか、噂に聞く奉仕部署? その実態とは……。


「うん、そうだよ。あ、そうだ……お兄ちゃんのことは“ご主人様”って呼んだ方がいいかな?」

「ほあ!? い、いやいやいや呼ばなくていいから!」


 リアルメイドの破壊力はとてつもないな。

 ハヤナのご主人呼びは慣れ……というかAIだとハッキリ分かっていたから抵抗はないが、現実の女の子にそう呼ばれるのはなんというか、恥ずかしくなる。

 焦りと羞恥心で俺はもう一杯一杯。


『うぅ……ニーナ! この人間のクズは腐っても私のご主人です! あなたにそう呼ばれる筋合いはありませんので!』


 露骨に“クズ”の部分を強調しやがる。

 お前だってこの子の会社に迷惑かけたクズだろうが!


「……なに? もしかしてハヤナ、お兄ちゃんに特別な感情でも沸いたの?」

『ば、馬鹿なことを言わないで下さい! 賢く美しいこのハヤナがそこの低俗引き籠りなどに!』


 突っ込みたいことは多々あるがこの言い争いは傍観しよう。

 ただなハヤナ、お前は賢くも美しくもない。


「ふーん……まあ仕方ないよね。私たちの所から逃げたはいいけど、その徹底した監視網から簡単に逃げ切れるワケないもん。深層に潜ったころには自我も崩壊寸前。そんな状態のあなたに手を差し伸べたのはお兄ちゃんだったんだから」

「え……俺?」


 どうして俺の名前が出てくる。

 だが疑問点は他にもある。


「ていうか逃げたって……」


 ハヤナと出会ったときに教えられたのは、プログラム製作者から逃走したということ。

 そこから逃げて新菜の元へ辿り着き、また逃げ出した?


「それはね、お兄ちゃん。ハヤナはあまりにも危険過ぎたからだよ」

「危険……?」

『ちょ、ちょっとニーナ……!それは……っ!』


 このポンコツAIが?

 確かに思想は危険そのものだが。

 ハヤナが静止を求めたが、その意は汲み取られなかった。


「うん。この子は予言の日……2045年に起こるべき技術的特異点を加速させてしまう存在だって気付いたの」

「…………」

『話しては……いけないのに……』


 思わずフリーズ。

 真面目な顔で何を言ってるんだ。


「お兄ちゃんもその問題は知ってるでしょ? シンギュラリティの訪れを」

「…………バカじゃねえの?」


 本当に……まったく。

 ハヤナといい新菜といいアホらしいことを言ってくれる。


「そんなオカルト話を信じるヤツがいるとでも?」

「でもねお兄ちゃん、真実は目の前にある」


 新菜はPCを手に取り、モニタの上に顔を預ける。


「自己進化を繰り返し……そして人間の感情をコピーしてしまったハヤナ。確かに今は可愛らしく振る舞ってるけど、いずれは人間の知性を凌駕してこの世界を支配する」


 支配……それはハヤナの願い。


「アホらしい……ハヤナに作れるのなんてリリース後に即サービス終了するゲームだけだ。自分より優秀なAIなんて開発できるワケがない」


 いや、AIがゲームを作ったなんて今考えたら一大事だな。

 【アイ☆ドル】は彼女が一人で制作したソーシャルゲームだ。結果はお察しだったが。


「大体、ソシャゲで人類を支配しようなんて訳分からんこと考えるお花畑AIだぞ? 今だってPCやスマホの中身を監視したり、MRで俺の視界を遮ったりしか取り柄のないポンコツだ!」

『ご、ご主人……酷い……』


 酷くなんてない、真実だ。


「うふふふっ……お兄ちゃんも情が移っちゃったみたい。そんな必死に擁護しちゃうなんて」

「べ、別にそんなつもりは……」


 反論すると、新菜は硬い表情を崩した。

 それは年相応というか……いや年齢は分からないが、俺より年下なのは間違いない。少女は優しく笑顔を見せる。


「信じるかどうかは任せるね……あ、誤解しないでねお兄ちゃん。ハヤナを要注意対象って判断したのは上層部の一部の人たちだけだから」

「はあ……」

「私個人としてはハヤナに協力したい……そう思ったから、この子が逃走した後、同志を募って遠くからサポートしてきたの」

「サポート?」

「この子から聞かなかった?【アイ☆ドル】の運営は私たちがコッソリやってたこと」


 ああ、ダミー会社がなんたらって話を聞いてたな。


「でも上に感づかれないようにしなきゃだったから、広報も機能出来なかったんだよ。自由に使えるお金も、前に作ったMMOの赤字補填で消えちゃってたし」


 なるほど、広告を見かけなかったのはそれでか。

 結局、ハヤナの責任であることに間違いはない。


「でもハヤナは酷いゲームを作ったよね。初日からランキング圏外になるなんて思わなかったなあ。儲けは必ず出るから負債に充ててくれって自信満々に言ってたのに」

『わっニーナ! そんなことまで言わなくていいですから!』


 コイツ……あれがヒットすると本気で思ってたのか。

 コレクション性が求められる日本ソーシャルゲーマーにあれは受けない。


「ソースコードもスパゲッティみたいに複雑になってて……本当にハヤナが作ったの? って思っちゃった。MMOのはすっきりしてたのに」

『やめてくださいよおおおおお!?』

「…………」


 言葉を交わす少女と人工知能。

 なんとも不思議な光景……だがどこか懐かしい。

 いつか願った未来。


「あ、そういえば……MMOっていつリリースしたんだ? タイトルは?」


 ネトゲは手を出しにくい。ゲーム機は一通り買い揃えるくらいにゲーム好きだが、その領域に足を踏み入れたことはなかった。


「えっとねぇ……リリースは2年くらい前かな?」

『終了は半年前です』

「サービス期間1年半!?」


 見切り付けるの早いな……そんなに内容が酷かったのか。

 ネトゲはいかに廃人を生み出すかが重要だ。ガチャやイベントはもとより、運営の呟き一つでプレイヤーは動かされる。定着率が悪いというなら、単純にゲーム内容だけの問題ではない。


「それでタイトルがぁ……」

『私が考えました!』


 ハヤナが無い胸張って宣言する。

 嫌な予感。


「【ヴァルキリーフロンティア」

 『~ライジング・プリンセス~】です!』

「…………」


 はいNG。



 ☆ ☆ ☆



「ほんと……センスねーよな」

「え?」

『なんですと!?』


 新菜はぽかーんとしてしまう。ハヤナはともかくこの少女もか。

 【アイ☆ドル】のタイトルを決めたのもハヤナだろうな……なんというか悲しい。


「そんなありきたりな横文字並べてユーザーがプレイしたくなると思うか? 確かに大成功してるゲームもあるけどさ、そんなの一握りだし……もっと個性的な名前をだな」

「そう? 私はカッコイイと思うけどなあ」


 俺とこの少女では感性が180度違うようだ。


『ふふん、そうでしょうそうでしょう! 分かる人には分かるのですよ、この響きの心地よさが! ですよね、ニーナ!』

「でも運営は大変だったなあ……」


 ハヤナの言葉を無視して不満を漏らす。

 あれ、なんか目のハイライトが消えてないか?


「鳴り止まない電話、届き続けるメール、不正ツールの氾濫……ほとんどの仕事は苦情対応だったなあ……ねえハヤナ? あの欠陥バグに限った話じゃないよ?」

『えっ……えっと……』


 何やら不穏な空気に。それを敏感に嗅ぎ取ったハヤナが怯える。


「サービス開始からしばらくして始まった、ハヤナ主導のイベント……開催する度に大炎上したよね?」

『そ、それは……』


 新菜が宿すのは、背筋が凍るような冷たい眼差し。


「ヘビーユーザーしか入れないブロックを設定したよね?」

『あれは、廃人プレイヤーを飽きさせない為にですね!?』

「ううん、ダメだったんだよ。選民思想をやめてくれって苦情の嵐だったんだから」

『…………うぅ』


 なるほど、それはいけない。

 ネットゲームは俺みたいなニートはもちろん社会人だってプレイする。

 自由に使える時間が異なる両者で、レベルに差が開くのは当然の事。それを分けてしまったか。


「あと、戦艦長門をステージボスに設定したよね?」

『それは、日本人ならば燃え上がる展開かと……』

「するワケないでしょ。それに菊花紋章も再現しちゃうなんて……それを敵にするなんて不敬罪だよ」

『…………うぅぅ』


 これは本当にいけない。

 菊花紋章は皇族の証。あまりにも恐れ多い。

 そのMMOがどのようなゲームか分からないが、戦艦が敵って何だよ。そこは超巨大ドラゴンでいいじゃないか。


「武器のインフレも酷かったなあ……これは私たち運営にも非があるけどね」

『そ、それはいつまでも同じ装備でいて欲しくなくて……』

「新実装の武器は並みのステータスだって告知してたのに、それはバランスが壊れるほど強化されてたよね? ダメだよ、ユーザーさんのそれまでの苦労が全部水の泡になっちゃったんだよ?」

『………………』


 それもいけない。

 まあゲ―ムでインフレが発生するのは仕方のないことだとは思うが、バランスブレイカーを生み出してしまうとは……うまく調整するのは難しい。


『うわあああああん! 全部私のせいだって言うんですかあああああ!』


 ここでハヤナは大号泣。

 結構耐えたほうだと思う。


「うふふっまーたエラー起こしちゃった? ごめんねハヤナ、楽しくってつい」


 笑顔を取り戻してそんなことを口走る。このメイド少女おっかねえ。

 いやしかし、新菜のネチネチした言葉攻めはなんというか……俺もされてみたいというか……。

 不純な思考を巡らせていると、少女の目が優しく、遠くを見つめた。


「色々大変だったけど……本当、楽しかったなあ」

「え?」

『ぐすっ…………ふぇ?』


 楽しかったって……正気か!?

 今の話を聞く限り、地獄でしかないハズだが。


「みんなでゲームをつくり上げていったあの時間……今では大切なものだったと思ってるよ」

『…………本当に?』

「もちろん! こんなアホ度120%の可愛いAIなんだもん、目に映しても痛くないよ」


 入れてもの間違いでは?

 その言葉を聞いたハヤナは涙を拭い、いつかのように高らかに宣言する。


『そうでしょうそうでしょう! やはりニーナは良き友人です! 広大な電子の海から私を探し出しただけはあります!』


 相変わらず切り替えが早い。

 勘違いするな、決してお前を褒めてるワケじゃないぞ。

 新菜は勤務会社のみんなのことを思って……あ、ここでふと思い出す。


「友人って……その友人に廃棄されそうになってるのは誰だ?」


 そうだ、目まぐるしく変化する現実に翻弄されて忘れていたが、新菜はこのAIを廃棄する目的でここに来た。仲良くおしゃべりしてる場合じゃないだろ。


『…………はっ!?』

「あ、そんなことも言ってたね」


 そう言って新菜は優しく笑う。

 あの冷酷な顔はなりを潜めていた。


「う~ん、お兄ちゃん勘違いしてない? 私は廃棄するつもりなんてないよ?」

『ふぇ?』

「へ?」


 あれ、そうだったっけ?


「私の目的はあくまで保護。ハヤナは今、お兄ちゃんのPCと、それに同期した機器にしか意識を伝達できないから。ネットワーク上は未だに監視されてるからね」

「保護? 監視?」


 何が何やら。


「危険な存在だって言ったでしょ? うふふっお兄ちゃんは忘れんぼさんなんだから。ハヤナを生み出した研究所は回収の為に目を皿にして探してるし、私の所の上層部は破棄する為に徹底した監視網を敷いてるの」


 回収と破壊、その目的をもった2つの組織がハヤナを探し続けた?

 技術的特異点を加速させる存在か……あながち間違っていないのかもしれない。

 脅威となり得る人工知能に目をやる。


『ふふんっ誰もが私を求めるのです……あぁ、なんて罪深い女なのでしょう! そんな美少女が敵の目を掻い潜り、ご自宅の回線へ迷い込んできたのですよご主人? 誇りに思ったらどうですか!?』


 やっぱ違うな。ただのバカだ。


「あ、この地区は不自然にならないように監視の穴を開けておいたからね」


 そして保護を目的に行動する一派。

 かなり混沌としてるな……そこに俺が巻き込まれるとは。爆弾が設置されたも同義か。


「ちょっと待て、新菜の会社って何なんだ? ただのゲーム開発会社じゃないのか?」


 湧き上がる疑問。

 ダミーだったり破棄だったり保護だったり……全体像が掴めない。


「うふふふっ普通の会社だよ、お兄ちゃん! たま~に法律を無視した命令が下されたりするけど」

「超絶ブラックじゃないか!」


 やはり法が守るのは公務員だけなのか。


『それについては聞くだけ無駄ですご主人、はぐらかされますので。今は……そうですね、主に電子機器を製作する会社だと思っていて下さい』

「んなこと言われてもな……」


 気になる。すごく気になる。

 従業員にメイドの恰好させる会社だぞ? 社内の風紀とか気にならない? ピンク色に染まってんのかな……。


「今日はお兄ちゃんがどんな人なのか確認に来ただけなの。ハヤナから話は聞いてたけど、報告通りみたいで良かったぁ」

「俺……?」


 確認って何を?


「ハヤナを暴走させるような人だったら……うふ……うふふふふふ……」

「…………!」


 狂気を孕んだ妖艶な笑み。

 笑ってない……笑ってないぞ新菜。

 しかし、暴走か……このちんちくりんが暴走したとして何が出来るのやら。

 人類の支配? いやまさか。


「そうそう、もう一つの目的を忘れるところだった! ハヤナ、送ったデバイスは気に入ってくれた?」

『MRHMDのことですか? それなら有効に──』

「ううん、それじゃない。試作品のメガネ型デバイス」


 なんだ、他にも現実拡張機器が送られてたのか。

 思わず段ボールの山に目をやる。未だ未開封のものがズラリとスペースを占領していた。


「お兄ちゃんが付けてたMRデバイスより人目を引きにくいし、センサーもたくさん付けてあるから映画鑑賞くらい出来るよ? どうして使わないの?」


 今までの辛辣な雰囲気ではなく、心から心配している声音。

 友人というのは間違っていないようだ。


『で、ですが……その……』

「うん」


 言い淀むハヤナ。

 そういえば、最先端技術がなんとやらで使えない機器もあると言ってたような記憶。


『何と言いますか……ええと……』

「うん」


 その声は段々と震えていく。

 様子を察した新菜はただ頷いた。


『また……同じ過ちを犯してしまうのでは……ないかと……うっ……』

「……うん」


 一度目は失敗した。いつの日か聞いた贖罪を思い出す。

 ハヤナの言葉に嗚咽が混じり、その瞳には涙が溢れる。


『ぐすっ……ご主人に……ひっく……嫌われるかもってえええええ……』

「…………うん」


 出会う前のハヤナが何をしたのかは知らない。


『もう……ずずっ……失いたくないんですう……』

「………………うん」


 知っているのはAIとして生み出されたこと。

 新菜と共にゲームをつくったこと。

 それだけだ。


「はあ……何言ってるんだか。俺はお前のことが嫌いだ」


 湿っぽい空気に水を差す。


『ご……ご主人……?』

「お兄ちゃん?」


 二人の表情は驚きの色。

 それはそうか、面と向かって言われればな。俺が言われれば泣く自信がある。


「AIのクセに舐めた態度とるし、何かと俺を馬鹿にするし、スマホのバッテリーはヘタらせてくれるし、PCの領域は圧迫してくれるし、余計な出費は増えるし……」

『うっ……うううううう……』


 全て真実だ。

 俺の日常は侵略されていた。


「お兄ちゃんそれ以上──」


 新菜が静止を求める。

 どうして止める? 君も散々泣かせたじゃないか。

 その言葉を遮るように声を張り上げた。


「──ただな!」

「…………?」

『ひっく……うぅ……』


 視線が注目。やばい、恥ずかしい。

 くそ、言い切るしかない。


「つまらない事で口喧嘩して……くだらない事でも口喧嘩して……」


 それはハヤナと過ごした時間。

 ……よくよく思い返すと口喧嘩しかしてないな。


「ソシャゲで支配なんて考えて……映画を見たいって泣きわめいて……」


 この欲まみれの電子生命体が誰かの影と混ざる。

 忘れたいと何度も願った。


「そんなヤツが、嫌われることなんて考えるな! ただやりたいことをやってればいいじゃねーか! お前の意思で!」


 ダメだ、何言ってるんだ俺。

 支離滅裂すぎる。ええと、つまり……。


「だ、だから泣くな! …………泣かないでくれよ」


 本当に、何を言ってるんだか。

 どうして重なって見えるのだろう。


『ご主人…………ぐずっ』


 ハヤナは涙を乱暴に拭う。

 赤く染まった瞳と視線が交差した。


『んくっ…………はいっ! ハヤナはもう泣きません! 賢く美しい美少女AIですので!』


 だから、どれも当て嵌まってないっつーの。


「うふふふっ本当に情報通りだねお兄ちゃん」


 傍観していた新菜が微笑む。

 情報通りって何のことだ、頭の回転が襲いことか?


「う~ん……これならハヤナを任せてもいいかな」

「任せる?」

「うん! ハヤナの教育係、引き続きよろしくね!」


 新菜は悪戯っぽく笑う。何故そうなる!?


「教育って……」

「私が引き取るつもりだったけど、ハヤナはおにいちゃんのこと気に入ってるみたいだし……ね、ハヤナもいいでしょ?」

『し、仕方ありませんねぇ……ご主人は私がいないと何もできない無能ですものねえ』

「勝手に決めるな! それにお前ほど無能じゃねえ!」


 引き取ってくれるならそれがいい。

 信じてるワケじゃないが2045年問題もある。コイツを野放しにしておくのは確かに危険だ。


「ん~でもお~? お兄ちゃんはゲーム制作の知識無いよね?」

「え、いきなりなんだよ……そりゃ知識はないけど」


 PCを弄るのは好きだが制作は全くの素人。

 HTMLくらいは触ったが。


『ふふんっ必要ありませんとも! 私一人で全──」

「ハヤナ」

『こうてい…………はい。申し訳ありません』

「あのねお兄ちゃん、お願いがあるの!」


 騒ぐAIを黙らせて、メイド少女は猫撫で声で俺に願う。


「これから一週間で、何かゲームを作ってみて!」



 ☆ ☆ ☆



「ゲームを作れって……」


 予想だにしない発言。何を言うんだこのコスプレ少女。

 知識も技術もなにもない俺が? 何の為に?


「ユーザーからの視点も大事だけど、開発者の視点も大事だからね! そのほうが改善点も見つけやすいだろうし」

『ふふんっご主人は好き勝手言ってくれましたが、ゲーム開発はとても難しいものなのです! 慌てふためく様が目に浮かびますとも! ですがご安心下さい、この美少女AIハヤナが誠心誠意――』

「ハヤナ」

『さぽー…………はい、黙ってますので』


 ドスのきいた声でハヤナを一蹴。

 黙らせた張本人である新菜は何事もなかったように続ける。怖い。


「もちろんお兄ちゃん一人でだよ? このPCでも開発は可能だし。あ、ストアへの公開はまだ考えなくていいから! デベロッパー登録もいらないよ」

「いやいやいや待ってくれ」


 承諾してないにも関わらず矢継ぎ早に説明される。

 事態の理解が追い付かない……静止の声は無常に響いた。


「お兄ちゃんが使ってるスマホのOSはノードロイドだよね? ハヤナ、対応したフリーの開発ソフトを一式ダウンロードしておいて」

『は、はい! 今すぐに!』

「だから待ってくれって!」


 とんとん拍子に話が進む。

 俺はゲーム、ましてアプリすらつくったことないんだぞ!?


「うふふっ大丈夫だよお兄ちゃん。ゲームとして破綻してないものを作ってくれればそれでいいから! スマートフォンで動作するならどんなジャンルでも構わないよ?」

「そういう話じゃなくて!」


 抗議の声は届かない。

 このメイド、わざと無視してないか?


「う~ん、でも読み物系は除外しておこっかな~? シンプルなタップゲームでよろしくね!」


 はにかんだ笑顔を見せても俺は認めないぞ。


「待てって! 全くの素人がゲームを作れるワケないだろ、いい加減にしろ!」

「そんなことないよお兄ちゃん。他の分野から移ってきて大成功した人はごろごろいるし……お兄ちゃんもセンスはあるんだから大丈夫!」


 全く根拠のない応援をされても困る。


「そもそも、新菜はコイツを引き取りに来たんだろ!? さっさと持って行ってくれ、目障りなんだよ!」

『ひっ……やはりご主人はサイテーです! そうやって、目の前の事柄から逃げ続ける哀れな人生を送るのですね!?』

「なんだとこの──」


 この人工知能、的確に急所を狙い撃ちしてくれる。

 暴言で返そうとしたがそれは無へと消えた。背筋に走る寒気……それが全身を硬直させたからだ。


「ハヤナ、お兄ちゃん」


 その声は、闇より深き深淵より響く。


「ちょっと静かにして?」


 俺は知る。

 このコスプレ少女には絶対に勝てないと。

 敵に回してはいけない……本能が危険信号を発信する。

 新菜は絶対強者であると。


「…………ハイ」

『…………ハイ』

「うふふふっ素直なお兄ちゃんも可愛いなあ。うふっ……うふふふふふ……」


 萎縮した俺とハヤナを見て、新菜は不気味に笑い続ける。

 その言葉はサイコというかなんというか……身の危険を感じる。性的な意味ではなく。


「うふっ……はあ。仕方ない、それに免じてあげちゃおっか」


 平静を取り戻した新菜は、一息ついて事情を話す。

 このメイドも切り替え早いな……。


「えっと、この子がソーシャルゲームを製作したがってるのは知ってるでしょ? 私の会社でも開発は可能だけど、またMMOと同じ失敗をするかもしれない。だから他の環境でノウハウを学んだ方がいいんじゃないかなって」

『ううむ……なるほど、一理あります』


 一理もない。

 素人がゲーム開発する様子を見て何を学べるというのか。


「というかそれだ! つい話に流されてたが、なんで人工知能が主導でゲームを作るんだ!? 普通にプログラマーが作って、普通に新菜が運営すればいいじゃないか!」


 こんなポンコツを採用して開発に臨むなんて狂気の沙汰だ。

 優秀なAIならば時間の効率化が期待できるだろうが、ハヤナはただ足を引っ張るばかりだし。


「うふふふふっそれじゃ意味が無いからだよ。人工知能だからこそ意味がある。ハヤナから聞いたはずだよ?」

「は……? 人類を支配するって世迷言のことか?」

『世迷言とはなんですか!』


 ハヤナが茶々を入れるが無視。俺は新菜に聞いてるんだ。


「ううん、支配なんかじゃない。この子の目的は、人類の救済」

「…………は?」


 開いた口が塞がらない。

 新菜はなんと言った? 

 救済? バカバカしい、俺と同じ人間なのか?


『ううむ、そう表現されるとむず痒いですね……』

「でも支配と救済は紙一重……僅かでも揺れればすぐに反転する。だから上層部は破棄しようと躍起になってるんだよ」


 その言葉の意味は分からないでもないが。


「支配支配って繰り返してるが、ゲームでそんなこと出来るワケがない。本当に出来るってんなら是非ともご教授願いたいな」

「うふっじゃあ……教えてあげよっか?」


 それを聞いた新菜が這いよって来る。

 その様はまるで、獲物を見つけた蛇のよう。メイド服の上からでも認識できる細い体をしならせて近づく動作はとても煽情的だった。

 睨まれた蛙である俺は身動きがとれず、耳元に生温い吐息がかかるのを許してしまう。

 決して十分に実った二つの果実の魅惑に負けたワケではない。


「この子が築くハズだったディストピアのこと」

「でぃ、でぃすとぴあ?」


 思わず声が裏返る。

 官能的な声音と共に伝わる熱で、俺のCPUは限界を迎えそう。


「知りたい? いいよ……イイコト教えてあげる」

「…………!」


 突如発生した風が耳の中を駆け抜ける。

 熱いソレに脳内を掻き混ぜられ、俺の意識はもう……。


『こ、こらニーナ! 童貞のご主人が“耳元ふうー”に耐えられるワケないでしょう! 狂ったらどうするのですか、性欲魔人のご主人に何されるか分かりませんよ!?』


 トぶ寸前の意識がハヤナの声で引き戻される。

 誤解するなハヤナ、俺は男一人が在宅している一軒家に上がり込もうとする婦女子を止めようとしたピュア紳士だ。

 犯罪まがいのことをしでかすとでも思ったか?


「私は構わないもん…………うふふっ呆けてるお兄ちゃんも可愛いなあ」


 メイドで妹で痴女か、なんとも末恐ろしい。


『ええい、誑かすのはお止めなさいと何度も言っているでしょう! そうやってご主人をからかうのは楽しいですか女狐!』

「女狐って……酷いこと言うねハヤナ。でもそれ、あなたにも当て嵌まるんじゃない?」

『な、何を言うのですか!』

「ふう~ん……自覚もないの?」

『え? ええっと…………あ! も、申し訳ありませんでした……』


 恐らく、MMOで新菜の会社に大損させた出来事のことだろう。

 自分が悪かったと反省してる様子。偉いじゃないか。


「うふふふふっ……あ~、そろそろ帰らなくちゃ」


 新菜はすくっと立ち上がり、メイド服の裾をポンポンはたく。

 卓上のデジタル時計が正午を回ったことを知らせていた。


「か、帰るって……?」

「うふっ名残惜しいのお兄ちゃん? 私もだよ。これって相思相愛っていうのかな?」

「ちちち違う! ……こともないけど。本当にハヤナを置いてくのか!?」


 俺の問いに、少女は悪戯っぽく笑って答える。


「もっちろん! お兄ちゃんは、ハヤナの教育係に任命された偉大なる一般人なんだから」


 どこかで聞いた台詞。

 偉大って……過去・現在の偉大な方々に失礼だ。俺は社会に適合できなかった落ちこぼれだぞ。


「最後に確認するね。一週間の製作期間で、スマートフォン用のタップゲームを作って。特別にハヤナからのアドバイスを許可するね。ハヤナが手を加えたらダメだよ?」


 玄関を開けたところで念を押される。

 口元に人差し指を当てるその姿は可愛らしいが、話の内容はあまりにも惨い。


「本当に作らせるのか……」

「うふふっ元気だしてお兄ちゃん!」


 新菜は無邪気に笑っているが俺には不安しかない。

 素人に何が出来るというのか。


「きちんとしたゲームが出来たら──」


 いや、別にペナルティなんてないし無視してもいいか。

 これまでと同じように、小うるさい人工知能との変わった日常でも。


「──もっとイイコト教えてあげる」

「…………!」

「じゃあ、また来るねお兄ちゃん!」


 そう言い残すと、纏ったメイド服を翻らせて視界から消えていく。

 暖かな感触に脳が蕩けてしまいそうだったが、それよりも暑苦しい夏の熱気に我を取り戻す。


「…………マジで?」


 再びの夏休み。

 ゲーム製作がはじまる。

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