anger01-08


 廣門おうもんの街から川側へ、林を少し入ったところに、胸の高さほどの木の柵で囲まれた建物があった。

 門のそばには野戦服を着た兵が、銃を肩からげて四名立っている。


 ここまでは予想の範囲だが、兵の様子が奇妙だ。

 規律や権威に無縁のテロリストが、バッキンガム宮殿の衛兵のように、まるで人形か何かのように身動き一つしないのだ。

 少し離れた木陰から十数分ほど観察していたが、おしゃべりすることもなく、周囲を見渡すでもなく、ピクッとした動きすら見えない。


「あれらからイヤな臭いがする」

 

 クロノスを抱きかかえ、俺の背後から様子を見ていたエリニュスがつぶやいた。

 茶系の作業着の袖で頬をつたう汗を拭きながら、「どういうこと?」とその理由を訊いた。 


「人というのは、何らかの揺らぎが感情にいつもあるもの。冷静であっても緊張していたり、わずかな興奮や不安などがあるものなのだ。それらが一切感じられない。一人だけというのならそういうこともあるかもしれない。だが四名全員が、この十数分間ずっとというのは考えられないのだ」

「では、あれは人ではない?」

「人としての体臭は感じるから、存在は人間だろう。だが……洗脳か……その他の何かしらの手段で感情が殺されてる可能性はある」


 ウールの布を身に纏ったエリニュスが、精悍な顔に眉間に皺を寄せて観察を続けている。


「注意はすべきだが、見ているだけでは何も判らん。どうする? 正面から行くか? それとも中まで移動するか?」

「幻影を使って俺達を隠した上で中へ転移してくれ。デイモスには発見されるかもしれないが、様子がおかしいと言っても人間の視界には映らないだろう?」

「判った。じゃあ、駿介の合図で移動しよう」


 そのクロノスの声を聞きながら、俺もイヤな空気を感じていた。

 T国では、デイモスや人間の気配をまったく感じることはできなかった。

 アレスが先導して、周囲の気配を教えてくれたから、その後をついていくだけだったんだ。

 どうせ判らなかったからそれで良かった。


 しかし、訓練したおかげか、それとも俺も成長したからなのか判らないけれど、今は気配を感じている。

 背中がざわつく気配や、首筋が寒くなるような気配、一つ一つ違う……確かに、イヤな気配がそこらにあるのが判る。

 そのイヤな気配がもっとも強い方角に、デイモスが居るんだろう。

 多分、クロノスもエリニュスも、その場所に気付いている。


「始めよう」


 俺の声が終わると同時に、視界に映るモノが変わった。


・・・・・

・・・


「早かったな」


 転移した場所は、建物の中ではなかった。

 裏庭のような場所で、声をかけてきた男は六名の兵達と共に、小さな池の後ろに立って笑っている。


「動きを見せれば来ると思っていたよ。……それにしても……部下が動く前にどうやって判ったんだい? ああ、説明して貰えるとは思ってない。神の力を借りたんだろ?」


 男が話しているのに、周囲の兵は、門のところに居た兵と同じく、感情の動きを見せない。 

 俺達の姿は見えないのだから、不思議に感じてもいいはずなのに、男の方を振り返ることもしない。


「そいつらに何をした?」


 野戦服を纏った兵達と違い、黒のジャケットにジーンズ姿の男に訊く。


「ちょっとした実験だよ。私の身体の一部を喰わせたんだ」

「お前が喰った……の間違いじゃないのか」

「脳だけさ。他は元と変わらない」

「……それはもう人間と呼んで良いモノじゃない」

「どうしてだい? 人間が洗脳と呼んでるモノとの違いは、元のままの脳か、私の身体かの違いだけさ。洗脳された人間は人間じゃないということかな?」

「自分の意思を……感情を……積み重ねてきた経験や記憶を、全て失って……その上、お前の命令にしか反応しないんだろ? それはもう人間じゃない」

「そんなものかねぇ……。まあ、いいさ。実験は成功したし、もうこいつらには用もない。あと、君の行動原理もだいぶ判ってきた。私は逃げるとしよう」

「逃げられると思っているのか? いや、俺達がお前を逃がすとでも?」


 雷撃をイメージし、手にした杖に念を送る。

 いつでも攻撃できるよう、足に力を入れた。


「ああ、逃げられるさ。というより、君には私を逃がすしか方法はない」

「どういうことだ」

「私は、この身体……ギガースの身体にあった記憶から、神々について特に学んだよ。そして、その力もだいたい判った。多分、時間や空間を自由にできる神の力を君は借りている。もちろん他にも大勢の神の力を借りているよね」


 飄々として微笑む男に相当苛立ってきた。

 それでなくても、落ち着こうと努力しなければならない状態だったんだ。

 ……気に入らねぇ。


「それがどうした」

「……テューポーン……」

「……アレに何かしたのか……」


 テューポーンの名が出たとき、背後のエリニュスとその腕の中のクロノスから殺気を感じた。


「まだ何もしちゃいない。でもね? 僕の分体ぶんたいが向かってる。テューポーンがこちらに向かっていることも判っているよね?」

「何故、それを……」

「私だって目的を果たさずに滅ぼされるのは避けたいからねぇ。いろいろ調べたのさ。……さて、ここに居ていいのかな? 急がないと、分体とテューポーンが接触しちゃうけど? 私がここで滅ぼされても、その方が都合がいいかもしれないんだよ」

「……駿介……、人に対してと同じ事ができるか判らんが、もしテューポーンの力をデイモスが手に入れたら……」


 クロノスの声に珍しく焦りがある。

 いつも自信ありげなクロノスでさえテューポーンを恐れているのが判った。


「クソッ!」

「フフフ……懸命な判断だ。私もここですべきことは終わった。次の行動に移るとするよ。またどこかで会おう」


 そう言って、男はグニャリと大きな水滴状な物体に変わり、池の中へジュルッと滑り込んでいった。

 脳をデイモスに喰われた兵達を残して……。


「ゼウス様!! ガイア様!! テューポーンのところへデイモスが向かっています! 私達が追いつくまで、接触しないようお願いします!!」


 空に向かって叫んだ。

 俺の様子はきっと見ている。

 この叫びも届くはずだ。


 兵達の対処は後でもいい……ことにする。

 とにかく今はテューポーンだ。


「クロノス、エリニュス。居場所が分かり次第テューポーンのところへ行く。地中だが、クロノス大丈夫か?」

「ガイアの力を借りれば、地中だろうと問題はない。我やエリニュスはともかく、お前のために空間を用意しなければならない。その後なら、転移で追える」


 ――玖珂さん。テューポーンの移動先に空洞を作りました。ギガースの身体の位置も掴みましたから、そこへ……。


 ガイアの声が聞こえた。


「クロノス!」


 俺達は再び転移した。

 ……地中深くの空洞へ。

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