liberation03-06
「本当に、ジョゼフとシャルルなのね」
ウィーン郊外フロースドルフ館の一室で、マリー・テレーズは肺炎のため命の灯火を消そうとしていた。
千八百五十九年十月十八日、母の処刑から五十八年目の日の二日後である。
タンプル塔幽閉時に発声異常を起こしたその声は、今もまだややかすれたよう。その上重い肺炎を煩っているのだから聞き取りづらい。
だが、最後の力を振り絞り、身体は起こせないまでも、ベッドからジョゼフとシャルルに手を差し伸べる。
ジョゼフの七歳上、シャルルの十一歳上の姉は、今はもう七十二歳。
二人の記憶にある姉とは違うのは当然だ。
だが、俺達が連れてきた二人の姿は、マリー・テレーズの記憶そのままの姿で、彼女は実の弟達と確信したのだろう。
涙を止めることもせずにこぼし、ジョゼフとシャルルに弱々しくも手を差し出すその姿に、まだ幼い二人も何かを感じたのか、二人とも姉の手をおずおずと握る。
「ああ、ああああ、主よ、とても辛い人生でした。何度死んだ方がマシと考えたことでしょう。ですが、それは過ちでした。ありがとうございます。弟達を救って下さったことに感謝します。こうして巡り合わせていただき感謝いたします」
子供時代と変わって、険しい顔となったと言われた表情が緩み、優しい姉の目がそこにはあった。
「姉上と呼んであげて?」
ネサレテが二人の肩に手を置いて声をかけた。
二人はネサレテに顔を向け、振り返りマリー・テレーズを「姉上」呼んだ。
まだ涙が止まらないまま微笑む。
「愛していますよ。父上も母上もあなた達を愛していましたよ」
だが、俺は泣いちゃいけない。
ここで涙を流す資格はないんだ。
俺はマリー・テレーズを救わなかったのだから……。
「では、二人は私達の世界で大切に育てます。その世界の庶民としてで、フランス王太子や国王のような暮らしはできませんが……」
「いえ、良いのです。私には感謝の言葉しかありません。もうじき私は天に召されるでしょう。あの凄惨な状況から逃れ、弟達が生きていたと判っただけで、ここまで生きてきた甲斐がありました」
ネサレテに感謝を伝え、マリー・テレーズの手を握る弟達に優しい目を向ける。
「二人とも、フランスを恨んではいけません。これは父上の言葉です。忘れないようにね。そして、この方々を親と同じように敬い感謝し、何より神を信じて生きていくのですよ」
二人を育てるのはへラという女神なのだが、そのことをここで説明しても仕方ない。
「そろそろお休みされたほうが宜しいかと思います。ジョゼフとシャルルは大切に育てますのでご安心ください」
俺はそう言って、足下のクロノスに目配せした。
ネサレテは子供達の手を取り、「マリー・テレーズ様。お別れです」と、ベッドの主に告げた。
「ええ、次は神の御許で会いましょう」
……最後まで彼女の涙が途切れることはなかった。
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