liberation03-02


 クロノスを抱く俺の前に座り、ネサレテが淹れた紅茶の香りを楽しむ姿は、この家の主人の俺より主人らしい姿だ。


 女神だしな……

 神々の女王だしな……


 半神になったとは言え、平凡な人間だった俺と比較にならない格の違いの前に、クロノスを強く抱きしめる。


「ここでの生活は快適でとても気に入っている。駿介、これからも宜しく頼むぞ。それでな……今日は、その……一つ願いがあって来たのだ」


 いつもは歯切れの良いへラが言いづらそうな願い……悪い予感がする。

 

「私達に願いとは、な、なんでしょうか?」

「それがだな……実は……」


 相当いいづらいようだ。

 相変わらず心配だけど、へラの弱気な様子など滅多に見られるものではない。

 ちょっと落ち着いてきた。


「はい、なんでしょう?」

「ある子達を現代へ連れてきて欲しいのだ」


 んー、ネサレテ達のようにかな?

 ネサレテ達を俺が過去から連れてきたのは、へラは当然知っている。

 神田や平野へのように、苦しい生活していた娘を引き取ってきたなどという誤魔化しの理屈は効かないからな。


「どのような子でしょう? ネサレテ達からお聞きかと思いますが、誰でも連れてくるという訳にはいかないんです。歴史を変えるような人間でなければ良いのですが……」

「それは問題ない。ベアトリーチェや駒姫と同じように、若くして亡くなってるからな」

「では、亡くなる直前にこちらへ連れてきたい子が居るということでしょうか?」

「そうだ」

「具体的に教えていただけますか? 聞いてからからでないと、お引き受けできるか返答できません」

「……ルイ十七世だ」


 ああ、なるほど。

 ルイ十七世……ルイ・シャルルは、フランス国王ルイ十六世と王妃マリー・アントワネットの次男。

 フランス革命時は監獄として使われていたタンプル塔へ幽閉され、虐待を受けたあげくに十歳で亡くなった。

 悲劇から解放するという俺の目的から外れていない相手だ。 


「どうしてルイ十七世を?」

「あのように可愛らしい子が、酷い目に遭ったあげくに亡くなったのだ。可哀想ではないか……」


 うーん、ほんとへラは変わったな。

 浮気した女性だけでなく、ゼウスの浮気に関係した者は美青年であろうと亡き者にし、時には、自分の子供でさえ酷い目に遭わせたへラの口から出た言葉とは思えない。

 良い方に変わったのなら、敢えてそのことに触れる必要はない。


「助けて、この牧場で働かせるのですか? ベアトリーチェや駒姫のように」

「……我のそばに置こうと思う……」


 注意しないと聞き取れないほど声は小さいし、へラが恥ずかしそうに話す様子は新鮮。

 可愛いところもあるんだなと初めて思った。


「ですが、兄はどうします? 兄のルイ・ジョゼフ・ド・フランスも同じ境遇で亡くなりましたが……」

「あ、ああ、もちろん一緒に助けてくれ。二人とも我のそばで慈しもう」

「あともう一つ問題があります。兄弟二人とも、精神は壊れ、重い病で亡くなってます。治療できるものかも判らないのですが……」


 ルイ十七世は可愛らしい子供だったので、虐待の中には性行為もあったらしい。また、七歳で亡くなった兄のルイ・ジョセフは脊椎カリエスだったという。

 この二人の兄弟が置かれた環境は凄惨だったらしく、精神がおかしくなっても不思議はなく、また病に罹っても当然だったらしい。


 歴史に影響を及ぼさないためには、亡くなる直前にこちらへ連れてきて、クロノスによる幻影と、死後の状況を整えるためにハーデスの協力が必要だ。それはこれまでと同じように何とかなるだろう。

 だが、精神と身体の病に関しては、かなり重篤な状態からの回復が現代医療で可能なのか判らない。


「ああ、それは心配ない。アスクレピオスに頼む。生きてさえいれば、必ず回復できる」


 うわぁ、医療の神と言われるアスクレピオスまで利用しちゃうのか。

 ゼウスとへラの子アレス、そのアレスの孫がアポロン、アスクレピオスはアポロンの子だ。

 へラのひ孫にあたるわけだが、ここで「便利なひ孫が居たんですね」などと言っては、命が幾つあっても足りない。いや、俺は寿命以外で死なないらしいから、相当酷い目に遭うだろう。

 

 でも、アスクレピオスってゼウスに殺されたんじゃなかったか?

 死んだ人まで生き返らせたから、ハーデスの怒りを呼んで……ハーデスに頼まれたゼウスが雷撃で……だったと思うのだが。


「アスクレピオスはゼウスに処刑されたのでは?」

「うむ、だが、神族だからな。神としては生きている。ゼウスの許可なく力を使うことはできぬがな。それは我が何とかしよう。だから頼めないか?」


 ここで静かに話を聞いていたクロノスが口を開いた。


「ホーラーに頼めば良いではないか。あれも時間の女神だ。我と同じように時を遡ることなど造作もない。へラよ。そのことはおまえも知ってるではないか」

「ええ、存じておりますとも。ですが、ホーラーはテミスの子。頼むことなどできぬ」


 テミスか、へラの前のゼウスの二番目の妻。

 へラはテミスと別れさせて、ゼウスの三番目の妻になった。

 ゼウスの複雑な家庭環境のおかげで、俺とクロノスのところに頼みにきたわけか。


「まあ、いいじゃないか。家庭ごとにいろいろ事情があるのは仕方ない。クロノスだってそうだろ?」

「……そうだがな。おまえの趣味や仕事以外で協力するのは本意ではないのだ」

「ありがとよ。だが、ルイ・ジョセフとルイ・シャルルの兄弟のことは俺も可哀想だと思っていたんだ。だから、いいだろ? 協力してくれ」


 へラに恩を売ることもできるしな。

 こういう機会は可能な限り利用しておきたい。


 「仕方ない」と俺の膝に顔を下ろすクロノスの背を優しく撫で、へラに返事する。


「では、明日にでも行って参ります。連れてきた後のことはへラ様にお任せするということで宜しいですね?」

「ああ、ああ、もちろんだ。宜しく頼むぞ」


 内心、ニヤリとしたのは誰にも内緒だ。

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