liberation01-02
ローマのナヴォーナ広場からファルネーゼ宮殿へ向かう途中には、ルネサンス期の建造物が多く並ぶ。
観光名所なだけに人通りは多く、ベアトリーチェが処刑されたあと、半年後に処刑されるジョルダーノ・ブルーノの像が建つ広場には、テントを張っただけの青空市場も並んでいて賑わっている。
ファルネーゼ宮殿を正面にして右側へ歩くとモンセッラート通りがあり、42番地には石板がある。
『DA QUI
OVE SORGEVA IL CARCERE DI CORTE SAVELLA……』
石版に刻まれている……このイタリア語で始まる記述は、ベアトリーチェ・チェンチが尋問され、拷問を受けたサヴェッラ法廷があった場所、そしてここから処刑台へ連れて行かれたとある。
俺と
今回はネサレテのように代理を残す必要はない。
埋葬される遺体も、クロノスが適当に処理することになっている。
嫌な作業を頼むことになり、俺は謝った。
「ゼウスからハーデスに頼んでもらっている。我の合図であやつが処理をするから、別に困らぬ。ゼウスに感謝しておけ」
餅は餅屋に任せた方が良いということらしく、クロノスは遺体の処理には手を出さないとのこと。
そうか。
神々の事情に俺を巻き込んだことを、ゼウスも一応は気にしているのか。
俺の趣味で始めたことなのに、あまり仲良くはないと聞くハーデスに頼んでくれたのなら、今度、旨い日本酒でも持って感謝を伝えなければならないな。
だが、クロノスに嫌な仕事を頼むわけじゃないと判り、多少気持ちは楽になった。
「じゃあ、始めようか? クロノス」
・・・・・
・・・
・
サヴェッラ法廷内にある牢獄の一つにベアトリーチェ・チェンチは捕えられている。
石壁の所々に
窓の下には十字架が置かれた聖書台があり、ベアトリーチェはその前に座り、静かに聖書を読んでいる。
厚手のクリーム色したウールの衣服に波打つブロンドの髪がかかっている。
「ベアトリーチェ・チェンチさんですか? 」
「いつここへ入られたのですか? まったく気付きませんでしたわ」
俺が何者であろうとか、そういったことには関心がないようだ。処刑日を明日にして、今更どうでも良いことなのかもしれない。
「私は玖珂駿介と言います。ローマから遠く離れた土地からやって参りました。距離だけでなく時間も……」
手にした聖書を聖書台の上に置き、俺達の方へ身体を向け、肌を隠すように布を両手で締める。
「それで、何かご用でしょうか? 」
「あなたを助けに参りました」
「助ける? 」
無表情だった美しい顔に、
「はい。この牢から、そしてこの時代から」
未来からやってきたこと、ベアトリーチェが納得するなら俺の時代へ連れて行けること、その際、この時代と決別することなどを説明した。
「……つまり、その犬が神で、私を助けて下さるということでしょうか? 」
「はい、あなただけです」
一抹の希望とたくさんの不安を抱えているのは、俺達を見る目と表情から判る。きっと俺には判らない、この時代の人間ならではの考え方で今起きていることと、俺から伝えられたことを考えているのだろう。向けられたつぶらな瞳からそらさないよう、俺も気を強く持った。
「この裁判で……私達家族の絆は失われ、お互いに不信を抱える間になりました。教会も家族も信用できません」
だろうな。
ベアトリーチェだけに罪を被せようとした継母と兄達だ。
「ですが、私だけ生き延びるのも……」
こう答えるかもしれないとは思っていた。
家族が拷問を受けている中、自分だけが責められないのは不公正と考えたという話だからな。
「あなたの家族への想いは判ります。しかし、私が助けたいのはあなただけです」
あなただけですと念押しし、家族が助からないのはベアトリーチェのせいではないと訴える。家族の命を背負わせたくないんだ。
「弟は……弟はどうなるのでしょう? 」
継母の子であるベルナルドのことを心配している。
明日起きることと、その後を知っている俺は、正直に話すべきか迷った。
家族が処刑されるところをずっと見せられ、処刑されはしないけれど、クレメンス八世に財産全て奪われ、貨物船の船倉で苦難の日々を送るのだ。船倉から出て暮らせるようになったあと、結婚もするし子供達も生まれる。だが、苦しい生活には変わりないのだ。
「生き残ります。辛い日々を送るけど、結婚もするし子供も生まれます。だから私達と一緒には行けない」
一緒にはいけないという俺の言葉に、失望した様子をありありと見せる。だが、子孫ができる以上、ベルナルドを連れて行けば歴史が変わってしまう。
それは絶対にできない。
「
俺はクロノスを抱きかかえて立ったまま、彼女が口を開くのを待つ。
月明りに照らされたベアトリーチェの、はかなげさを残しながらも誇り高い美しさは神々しさを感じさせた。ローマの人達が、彼女だけは助けたいと願った気持も判る。
「面倒だな。もう連れ帰ってしまえば良いではないか」
「黙って待っていてくれ。俺達は彼女に選択肢を与えられるけど、決めるのは彼女自身でなければならないんだ」
しびれを切らしはじめたクロノスの背を撫で、俺は彼女の決断をじっと待っていた。
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