新生活の始まり

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 日本へ帰り、真っ先にしたことは退職だ。

 いつゼウスから呼び出されるか判らない俺には会社勤めは無理。

 長年勤めてきた、業界で大手とされているあららぎ出版を、次の仕事も決まらないうちに辞めると聞いて友人知人は皆止めてくれた。

 とても有り難かったが、他にも早めに辞職する理由ができたのだ。


 人間には無理なことと、昔、諦めた願いを叶えられると知った俺は、時間をさかのぼって有名人に会い、美女に会い、そして悲劇に見舞われた人を救いたいと考えた。

 こちらには時間と空間を自由に操れるクロノスがいる。


 未来へ行って、俺の力を確認してくれと言ったところ、神の力や運命に関わることは、例え未来へ行ったとしてもクロノスには判らないのだという。半神半人となった俺の未来へ行っても、俺の状況はのだという。

 神の未来を見通すことができるのは、預言の力を持った神だけで、その神でも自由には使えず、啓示が降りてきた時にだけ預言できるらしい。

 ギガースの復活場所なども、そのせいで判らない。ギガースも地母神ガイアから生まれた、神の系列だかららしい。


 とにかく、神に関係しないことなら、過去だろうと未来だろうとというので、生活に必要な金銭は、株などの金融で稼ぐこととした。


 そうズルだ。

 汚い奴めとののしってくれて構わない。


 株の変動を予測ではなく、結果を知った上で取引するのだから、いくらでも荒稼ぎできる。

 明日以降の株の値動きを調べてくることなど、「造作もない」とクロノスは快く引き受けてくれた。


 今はネット取引も簡単にできる。

 実際、日本に戻って数日で、二百万円ほど稼いだ。もっと大きく儲けることは可能だったが、あまり不自然に儲けると何か問題が起きるかもしれないと、小心者の俺は、一月ひとつきあたり一千万以下に儲けをおさめておきたいんだ。

 月々一千万円の儲けでも不自然かもしれないが、ある計画を進めている俺にとっては必要な金額。だからこれくらいは何とか稼ぎたいので、俺の動きに気付いた方には「運がいい奴め」とスルーして欲しいものだ。

 こんな感じで、経済的には余裕がもてそうだ。


 で、まっとうに働かずに大金を稼ぐ必要がある理由はというと、クロノスのが問題なのだ。


 「駿介の記憶にあった……おまえ好みの女を嫁候補として連れてきてやったぞ。無理矢理連れてきたわけじゃないぞ? ちゃんと説明もしたし、本人も同意済みだ」


 そう言って過去から現世に連れてきた女性とは、古代ギリシャでフリュネという渾名あだなで呼ばれ、アプロディーテのようだとその美しさを称えられたネサレテというヘタイラ。

 ヘタイラとは高級娼婦のことで、王族や貴族などの高い身分の男性を相手していた娼婦のこと。美貌だけでなく知性や教養も高い女性だけが就けた職業だ。


 いや、確かに、アテネに行ってギリシャ美人の素晴らしさに心が動いたよ?

 それにネサレテには会ってみたいと思っていたし、実際に会ってみたらとんでもない美人で、世界一の美女と言われても信じるだろうし、一緒に居るだけで照れまくったさ。


 でもな?

 どう見ても、まだ二十歳前だろう? 

 いつの時点のネサレテを連れてきたんだって話だよ。

 

 高級娼婦ヘタイラとして荒稼ぎして、国家事業規模の寄付さえ可能だったって話だ。

 その時点ではそれなりに年齢もいっているはず。


 若いネサレテを連れてきたら、歴史が変わってしまうだろう?

 その辺考えて欲しいものだ。


 そうクロノスに文句を言ったら、なんと、その辺も抜かりはないという。

 

「我がその程度のこと考えていないなどと思うおまえが失礼なのだ。ネサレテに背格好が似てる高級娼婦ヘタイラ見習いを、ちゃんとネサレテの替わりが務まるよう外見も変えてきたさ」

「外見もそうだが、中身の方は……つまり知性と教養の方だが……」

「そこも知の神がサポートしてくれるよう手を打ってある。その程度のこと我にとっては暇つぶしにもならぬよ」


 うーん、曲がりなりにも、一時期はゼウスと同じ絶対神だっただけはあるんだな。

 では、ネサレテ本人はどうなのかと気になったので、知らない世界へ連れてこられて大丈夫かと確認する。


「神であるクロノス様のお話ですと、私は高級娼婦ヘタイラになるとのこと。できることならば、一人の殿方と生きたいと願っておりました。ですが、あの世界ではそれは叶わない。でしたら、どのみち知らない街で知らない人達の間で生きるのですから、この世界で駿介様と生きても同じこと。クロノス様からのお話でもあります。宜しければ、末永くお側に置いて下さいませ」


 ……参った。

 ややグレーが入ったブルーの、アーモンド型の魅惑的な瞳で見つめられ、やや厚めの紅い艶っぽい唇で「末永くお側に置いて下さいませ」なんて言われてしまうと、俺には抵抗できる力はなかったんだ。

 クロノスは脅していないというし、本人も覚悟を決めて、現世に来ることを選んでいる。


 あれ? ちょっと待て。

 なんで俺はギリシャ語理解しているんだ?

 アテネでも、通訳と英語に頼って過ごしていたんだが……。


 不思議なこともあるものと、理由をクロノスに確認する。


「おまえは半分神なのだぞ? 人間の言葉など、どの言葉であろうと理解できるのは当然だろう。言葉自体は判る必要がないからな。話者の意思を読み取って理解しているのだ」


 俺、本当に人間じゃなくなったんだな。

 やっと実感湧いてきた。


 クロノスの謝礼はとても嬉しいのだけど、ネサレテにこの現代世界を教えなきゃいけない事情が生まれた。他に頼る者が居ないのだから、俺が一つ一つ教えていかなければならないんだ。

 そして俺は、美しい女性を放置したまま仕事できるような男じゃない。


 い、一応、嫁候補だしな……。

 これは仕方ないんだ。

 世の男性諸君ならきっと俺の気持ちを理解してくれるに違いない。


 リア充氏ねとののしられようと、仕方ないのだ。


 とにかく、このような事情で俺は退職を決めたのだ。

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