encounter02


 ゼウス神殿は、アクロポリスの上に建てられたパルテノン神殿の東側に位置する。

 

 ――我はこのパルテノン神殿の外までは意識を伝えられない。だから、ゼウスから解放の条件を出された場合は、全ておまえの判断に任せる。一度ここへ戻って確認するなどと言えば、おまえは我から全権委任されていないと判断され、相手にされなくなるだろうからな。

 だいたいの要求は呑むつもりだから……頼むぞ?


 クロノスの最後の頼みを思い出し、夜のアテネを歩いていた。

 全権委任されているとなると、重いな。

 ゼウスからどのような条件出されるか判らない。条件次第では、クロノスが今の状態より酷いことになるかもしれない。

 せめて現状よりはマシな状況になるよう頼むことになるかもしれない。

 ゼウスの機嫌を損ねずに……できるだろうか……。


「まったく、ギリシャ神話の神々は人間臭さがだとは言え、神なんだからもう少し威厳を持ってもいいと思うがな」


 まあ、何千年か何億年かは判らないが、地獄と呼ばれるタルタロスに幽閉されてると、神ですらああなってしまうものなのかもな。

 表情は判らないが、脳内で響いた声からは、弱っていることばかりが伝わってきたからな。


 しかし、夜になっても今夜はまだ暑い。

 麻のジャケットが、シャツから染み出た汗でヨレヨレになってきた。


 それにしても礼に何をくれるのだろう?

 神からの謝礼だ。

 礼が欲しいから手伝うわけじゃないが、対価は貰う。

 ゼウスなんていう怖い神と会うって話しなんだ。

 ちゃっちいモノだったら絶対文句言ってやる。


 そんなことを考えながら歩き、ゼウス神殿へ到着した。

 ゼウス神殿は、パルテノン神殿と異なり、柱が十本程度残ってるだけの半端な形で残されている。

 昼間の様子は判らないが、夜に訪れている観光客は見当たらない。


「さてと……ここで呼べと言ってたな。


 ゼウス様!

 ゼウス様!

 私の名は玖珂駿介と申します。

 お話があって、クロノス様の代理でやって参りました」


 街の灯りだけが見える闇の中、立ち並ぶ柱に向けて、一応は気を遣った俺の声だけが響く。


 ――こんなことしてゼウスが出てくるのかね? 


 懐疑的だったが、約束は約束だ。

 もう一度呼んでみる。


「ゼウス様! 

 ゼウス様!

 ゼウスさまぁぁぁあああ! 」


「そう何度も呼ばなくても聞えてるよ。しかし、神官でも巫女でもないのに、叫びが我へ届くとは、おぬしは一体……」


 クロノスの声が聞えたことも、ゼウスに声が届くことも、その理由は俺も判らない。

 だが、本当に現れた……のか?


「あなたがゼウス様で? 」

「ああ、いかにも我がゼウスだ」


 俺の目の前に現れ、苦笑しながら近づいてくる男は、ジャンニ・〇ェルサーチ風の黒いスーツをラフにキメ、石畳に響く音を革靴でたてている。あたりが暗くて顔ははっきりと判らない。

 

 ――おいおい、ギリシャ神話の神がイタリア風スーツを着こなしてるってどういうことだ? オリュンポスの神々は、ウールの布を一枚巻いて、ピン止めしていなきゃ駄目だろう。


「何か失礼なことを考えていないか? 具体的なことは判らなくても、おおよそ見当はつくのだぞ? 」


 まずいな……さすがは神様だ。

 下手なことは考えない方が良い。


「いえ、スーツ姿がきまっているものですから、多少驚いていました」

「……まあ、良い。で……、クロノスの代理と言っておったが、用件は何だ? 」

 

 タルタロスから解放して欲しいこと。

 条件にはできるだけ応じるつもりであること。

 俺は跪いてから、クロノスの願いを真摯に伝えた。


「……条件次第ではいいぞ」

「ハッ、ありがとうございます。で、その条件とは……」

 

 クロノスの願いを聞いて、数分考えたあとゼウスは答えた。

 正直、まだ安心できるというほどじゃないけれど、受け入れる気持ちがゼウスにあると判っただけで気持ちは楽になったよ。


「クロノスとおまえが我に協力することだ」

「え? ……私もですか? 」


 予想外の条件が出てきて言葉がうまく出てこない。

 まったく俺を巻き込まないで欲しいんだがな。


「ああ、そうだ。はっきり言うとだな、今の 我にはクロノスよりもおまえの力のほうが重要なのだ」

「それはどういうことでしょうか? 私は平凡な日本人でしかありませんよ」


 神であるクロノスより俺の方が重要って、ありえないだろう?

 これまでの俺の人生を思い起こしても、他人より評価された機会など片手ほどもないな。

 それも体力があるとか、元気だとか、病気しないとか、能力とあまり関係ないことばかり。

 無事之名馬ぶじこれめいばみたいな評価しかされた覚えがない。


「おまえはヘラクレスを知っておるか」

「はい。多少は……」

「半神半人であったことは? 」

「知っております」

「じゃあ、我々神族がヘラクレスを必要とした理由も知ってるな? 」

「神には倒せないギガース族を倒すために、人間の力が必要だったとか……」


 遠回しな説明されると、とても嫌な予感がする。


「そうなのだ。でだ? そのギガース族は滅ぼしたはずなのだが、どうやら生き残りというか……ギガース族の肉片が数億年かけて復活しつつある。その対処に頭を悩ませている」

「は? まさか、その対処を私がする……無理無理……昔だって一般人には無理でしたよ? あれはヘラクレスだからできたことです」

「うむ。そこで、これ、飲んでくれ。ああ、心配ない。毒とか身体に悪いものじゃないからな」


 どこから出したのか判らないけれど、青い液体が入ったジュースビンを笑顔で手渡された。

 なんとビンは何故かきっちり冷えている。

 さすがは神様だな……。


 スクリューキャップを外し、チラッとゼウスの表情を見る。

 暗がりでよくは判らないけれど、特に怪しいところは見えないし、ビンの口から漂う匂いも柑橘系の香り。

 しかし、渡されたタイミングから言って、ただのジュースってことは無さそうなんだよな。

 ……と言っても、断れるような雰囲気でもない。

 神の威圧とでもいうのか、断れない空気を肌で感じる。

 

「心配はいらない、ささっグイッと飲んでくれたまえ」


 少し軽い感じのゼウスの言葉に戸惑いながら、口にビンをつけて、ままよと一気に喉を通した。

 ゴクッゴクッと喉を鳴らす。味は普通のオレンジジュースのようだが、俺には少し濃い。

 フウッと息を吐いてビンを口から離し、ゼウスの方を見る。


「うん、これでおまえもヘラクレスと同じになる」

「は? 半神半人に? 」

「そうだ。おまえが飲んだのは神の血イーコール入りのジュース。それも我の神の血イーコールだ。絶対神たる我の神の血イーコールの効果は他の神の比ではないぞ」


 ちょっと待ってくれ。

 人間じゃなくなったということを簡単に言ってくれるなよ。


「ど、どうなるんだ? 俺は……」


 立ち上がり、とても不安な気持ちで、ゼウスを見る。

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