おやすみなさい

 一度死んで状態がリセットされた。飢餓状態は一週間続いたようだ。服はぐちゃぐちゃで着れたものではなかったので現在全裸である。野郎の裸って誰得なのだろうか。

 ともあれ、飢餓による死が辛いものであることがわかった。それだけで商人を殺す動機には十分だ。満たされた状態のうちに作戦を立てて決行しないことには勝ち目はないだろう。差し当たっては手錠、檻、奴隷紋の三つをどうにかする策を考えねばならない。奴隷紋は腕を切り落としても消えなかったし、怪我として認定されることもなかった。手錠は斬ってみるか。《収納》から剣を取り出してみるも、このままでは手錠が切れない。そもそも剣を手で握っても手錠で拘束された状態じゃあ振り回せないし、立てかけて置ける場所もない。氷で固定して自殺するみたいな古典的な方法も使えない。大鎌も同様の理由でどうしようもない。イトキリバサミでどうこうできるとは思わない。思わないが、試すか。念のため。あれは確か武器扱いだったしな。イトキリバサミを取り出して右手で握る。手首を捻って右手錠と左手錠の間の鎖をイトキリバサミで挟む。切るのではない。挟むのだ。そもそも切れるだけの刃の長さがない。だから切れるはずがない。が、しかし、カランカランと金属が落ちる音がした。いや、音がしたらまずいんじゃないか?商人がいるところとこの檻は思うほど離れていない。それに窓の少ないこの建物は音がよく響く。

 けれどまあ、第一関門はクリアしたのだ。第二関門を檻と奴隷紋のどちらにするかはまだ決めていないが、第二関門に移ろうじゃないか。先ほど使うことを諦めて床に置いていた剣を拾い上げて左手に握ると、僕はそれを右肩の奴隷紋の上に突き刺した。血が吹き出る。痛みで声とは違う何かの音が口から発せられる。この前は肩を丸々切り落としたが、今度は奴隷紋に傷をつけるのが目的だった。治す過程で奴隷紋まで消えることを期待したのだが、残念ながらそれは叶わなかった。本当に敵わないな。どうしよう。さっきの声ならざる声に異常を感じた商人がそろそろ来る頃だろうが、奴隷紋が外れなければ戦えない。

 「外す」か。もしかしたら手錠と同じ方法でいけるかもしれない。そんな思いつきで僕はイトキリバサミを手に取り、《超回復》によって奴隷紋付きで回復した肩を今度はイトキリバサミで切った。剣を肩に突き刺すのに比べたらよっぽどましだが、それでもやっぱり痛いものは痛い。紙で指を切るのとは比べ物にならないほどである。泣ける映画よりもよっぽど泣ける。だが、その甲斐あってか奴隷紋は綺麗さっぱり消えていた。どういう仕組みなんだ?主人公パワーかもしれない。この調子で第三関門行ってみようじゃないか。僕はそのまま檻の戸をイトキリバサミで挟んだ。格子状になっている檻の戸がガランと音を立てて崩れ落ちた。小指ぶつけた。めちゃくちゃ痛い。イトキリバサミで切るよりも痛いかもしれない。けれどその痛みもたちどころに消えていく。


「何事だ⁉︎」


 遅えよ。今まで散々騒いでたんだからもっと早く来てもいいだろうに。けれどまあ、その遅さ嫌いじゃないぜ。

 僕はそのまま正面から突っ込んでいってイトキリバサミを商人に突き刺した。イトキリバサミが肌に突き刺さることを初めて知った。腹にさそうとしたのだが、商人は手で防いだためにそのまま手に突き刺さった。手がぷらんとぶら下がる。力が入っていないようである。僕はそのまま怯んでいる商人の喉にイトキリバサミを突き刺した。某少年漫画のグッドルーザーのようになかったことにはできない。初めて僕は人を殺した。高揚感は全くなかった。絶望感もない。喪失感も罪悪感も何もない。とりあえず逃げなければという思いしかなかった。逃げればバレない。奴隷紋だってすっかり消えたのだ。僕とここをつなぐものは何もない。他の奴隷の方々には申し訳ないが、一人だけ失礼させていただく。


◆◆◆◆◆


 商館の外に出ると、そこは全く知らない場所だった。薄暗くじめじめしている。猫じゃないからニャーニャー鳴くことはないけれど、人はあまり寄り付かなさそうだ。さて、どこに向かったものか。とりあえずは商館からなるべく離れることを目的にしよう。しかし、今全裸なんだよな。予備の服はもう持ってなかったし。どうしよう。行き倒れの振りでもしておこうか。白波さん並みの超善性を持った人が拾ってくれるか、通報されるか、あるいはこの間の貴族みたいなやつに拾われて売られるかもしれない。うーむ。売られるのは嫌だなあ。餓死はもう勘弁してほしい。

 ああ、そうだ。奴隷商が来ていた服を勝手に拝借させてもらおう。僕が傷つけたのは手と喉だけだし、服にはほとんど害がないだろう。よし、戻ろう。犯人は現場に戻るを地で行ってやろうじゃないか。というわけで、僕は人を殺した現場にその1分後にまた戻ったのだった。


 死んだ人間というのを初めて見た。自分が死ぬことは今までに何度かあったが、こうして見てみるとなかなかどうして不気味である。生理的な嫌悪感が否めない。自分で殺しておいて何をいっているんだという感じなのだが、本当に、気持ち悪い。イトキリバサミで突き刺した手や喉は引っ掻き回したかのようにぐちゃぐちゃになっている。こんなに引っ掻き回した覚えはないんだけどな。どうしてこんなことになっているのやら。まぁ、いいか。今は服さえ手に入ればそれでいい。

 なるべく丁寧に死体から服を剥ぎ取っていく。下着はさすがに履きたくないからやめておこう。

 着てみて材質がなかなかいいことに気がついた。儲かってたんだなあ、こいつ。喉にイトキリバサミを突き刺したので首元をはじめとして服全体に血が付着している。黒ずんだ赤いシミはちょっとやそっとでは落ちそうにない。血を誤魔化すために怪我をしたフリでもしてみようか。街から外に出て、魔物に巧く出くわすことができれば怪我を演出することも可能だろう。自分で刺しても治ってしまうのだから仕方がない。狼にでも食わせてやろう。今度は気を失わないと思いたい。気を失ったらそのまま殺されてやり直しになってしまうし、そんなに何度も死んでみようとは実は思っていない。死ぬタイミングくらい自分で選びたい。この生き返りの回数上限がいくつかわからないのにそう何度もホイホイ死んでたまるものか。自分の死ぬタイミングくらい自分で選びたいんだよ。そう。だから、僕は自殺がしたいんだ。死にたいわけじゃない。


◆◆◆◆◆


 程よく程々に狼みたいな魔物に餌やりを済ませて、僕は奴隷商のあった街に戻った。血みどろの服と傷だらけの体を携えて。ぱっと見死んでいるとしか思えないほどの重傷である。

 歩いた道にポタポタと血が垂れていく。ヘンゼルとグレーテルにしてはおぞましい道しるべだ。別に戻る予定もないけれど、ただ血は垂れ続ける。腕から足から胴から首から顔から頭から垂れ続ける。けれど死ねない。だから死なない。

 そして僕は歩き続ける。円形の街の中心部に向かって歩く。そろそろ頃合いかな。服の問題は一切解決していないのだ。服を買うお金もない。金になりそうなのは《収納》に入っている狼みたいな魔物と武器くらいなものだ。程よく傷をつけるのに手間取ってしまい、もうすっかり辺りは真っ暗である。この格好ではどこにも泊めてもらえないだろう。そもそも宿を取れるだけの金がない。ツケで泊めてもらえるほどの信頼もない。知り合いもいない。どこに何があるかもわからない。ないものだらけでないものねだりしかできない。まあ、あるものなんて求めないよな、普通。

 そろそろ行き倒れよう。生き倒れて、明日が来るのを待とう。明日はきっと今日よりマシなはずだ。ギルドに行けば金が手に入るし、そうすれば服も買えるだろう。何着か安いのを買って、怪我をしても良いように備えなければ。それも明日手に入る金次第だろうけど。まあ、いいや。おやすみなさい。

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