幕間(1)
例のあの事件から100年以上が経ち、そろそろ異世界にでも行こうかなと、ぼんやりと思い始めていたある日の午後。なんとなく僕は零華にこう切り出してみた。
「僕が今、自殺をしようとしたら君はどうする?」
特に意味のない会話だ。こんなことに意味はない。
なんの前振りもなしにそんなことを言い出した僕を彼女は射抜くように見つめた。本気でしようと思うのなら今の彼女にはそれができる。ただ、絶対にしないだろうけれど。
「自殺はしないって約束じゃなかった?」
「したけどね。でも、もうその約束もそろそろ時効なんじゃない?」
約束してからもう100年以上経っている。普通の人の一生分くらいは時間が経った。だからまあ、そろそろ約束の更新をするか破棄をするかの話し合いをしようということだ。
僕たちの見た目は例の事件からほとんど変わっていない。僕たちの思春期がもたらしたことを忘れないため、である。まあ、老いなくて楽だからという理由もある。
「時効なんてあるわけないじゃない。私たちは生きている限り覚えていられるのだから」
時効には様々な目的や、それが合法であるのいう根拠がある。その中の一つは当事者が本当に当事者であるということを証明しにくくなる、というものがある。しかし、そんなことは零華には関係ない。見ていたことだろうと聞いていたことだろうと見ていなかったことだろうと聞いていなかったことだろうと、なんでも知っている。それが彼女だ。なんなら自分の都合のいいように過去や未来や現在を変えることだってできる。だから、僕らに時効なんて関係ない。
「それはそうと、そろそろ死にたい空音くんはどこか行きたいところでもあるのかね?」
芝居掛かったというか態とらしくおどけた彼女の口調は暗い雰囲気を雲散させ、何事もなかったかのようである。
「夢の国」
「そんな近場でいいの?」
現代日本で夢の国というと、千葉県にある某有名テーマパークを指す。なんなら本場の方に連れてってくれてもいいんだよ、とも思ったが、英語が喋れないな。100年生きていようが、できないものはできない。時には開き直ることも大事だと思う。
「零華の思う夢の世界に連れてってくれればいいよ」
ただ、いい加減この世界に飽き飽きとしてきているのは事実である。この世界にある夢の国にはもう飽きるほど行ったのだ。そろそろ異世界に行ってチートでハーレムでキャッキャウフフな生活を送るのも悪くはないと思っているのだが、零華がいる時点でハーレムはないな。今、全知全能を持っているのは零華だからチートもない。僕が今、異世界に行ったらただの不遇キャラ扱いになりそうだ。
僕のこの残念な思考回路から繰り出された先のセリフにふむ、とこれまたわざとらしい思考音を一つ入れて零華は口を開いた。
「じゃあ、お望み通りにそろそろ異世界へと繰り出そうか」
◆◆◆◆◆
皆さんは異世界転移、と聞いてどんな手段を考えるだろうか。事故や自殺、あるいはゲームに吸い込まれたり?目覚めたらそこは異世界だった、みたいなパターンもあるかもしれない。しかし、異世界転移や異世界転生をほとんど読まない零華にしてみれば方法はまどろっこしいらしかった。そんなわけで、様式美なんてすっ飛ばして、目を覚ましたらどころか瞬きをしたらそこは異世界だった。1秒にも満たない時間で僕は異世界に来ていた。異世界がこちらに来たのかもしれない。それくらい違和感を全く感じなかった。多くの人が往来している通りから一本横道に入ったところに僕と零華は降り立った。賑わいの中から声を拾うと知っている単語が耳を通り脳に伝わる。すっと言葉の意味が理解できる。翻訳機能が零華によって追加されたのか、はたまたこの世界はもともと日本語を使っているのか、あるいは零華が無理やりこの世界では日本語が使えるという設定にしたのかはわからないが、言葉の理解はできるようである。
「さっ、行こうか」
そう言って零華は繁華街の方へ歩き出した。僕は慌てて彼女についていく。この世界ではぐれたら寂しすぎる。
「まずはどこにいくんだよ」
全く迷いなく歩いているので、この世界の道は完璧に覚えているらしい。全知全能なので、当たり前といえば当たり前なのだが。
「ん?まずはこの世界の神様に挨拶しなきゃね」
「は?なんて?」
零華という全知全能を目の前にしている今の状態においても、僕は神様の存在をあまり信用していない。
零華以外にこんなとんでもない力を持っている存在がいるとは思えない。
「この世界を滅茶苦茶にしますが、私たちには干渉しないでくださいねって」
「挨拶じゃねえし、そんなお願い通るわけないだろ」
人のいる家に強盗に入って警察には通報しないでくださいって言っているようなものだ。
「おお、その例え良いねえ。要するに、挨拶という体で脅迫をしにいくんだよ」
「その神様が全知全能なら、僕たちの会話も筒抜けなんじゃないか?」
僕の思考が零華に筒抜けなように。いや、僕の思考はそもそも零華によって作られているので、読むというのとはまた違うのだけれど。
「君は様式美というものを知らないのかい?」
「なら、異世界転移の様式美も意識して欲しかったなあ」
そんな愚痴を今更言っても仕方がないわけで、僕は大人しく零華の後ろを歩き続けた。
「んで?どうやって神様に会いにいくんだよ。まさか神様が握手会をしてるってわけでもないんだろう?」
会いに行ける神様なんてありがたみがないにもほどがある。握手会のチケットを買うためにお賽銭をしている信者もいるかもしれないけれど。
「会いにいくなんてわざわざ私がそんなことをするはずがないでしょう?」
「挨拶って普通する側が行くと思うんだけど」
「私が普通なわけないでしょ?」
そりゃあ、そうだ。零華は向かうところ敵なし、全知全能にして天衣無縫にして傍若無人にして唯我独尊。誰の下にも付かず、誰にも傅かない。全ての人間を思考一つで操る最高位の神。さて、そんな神に召喚される神様ってのはどれくらいのランクなんだろうか。明確なランク制度なんてないだろうけれど、零華よりはきっと下なのだろう。
繁華街を抜けて街の端、砦を抜けた。砦の外には森と、その森を開発してできた人工の道がある。道といっても元の世界の道と比べるとでこぼこしていて、自転車で走るのは苦労しそうな道である。馬車がよく通るのか、レールのように車輪の跡が刻まれている。木が鬱蒼と生い茂る森の中、砦からある程度離れた位置で零華は立ち止まった。人目につかないこの場所で神様を呼び出すらしい。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……
「待て待て待て待て、それは違うだろう」
これはメフィストフェレスの召喚方法だ。様式美は大切だけれど、神様を呼ぶのにこの文言は不謹慎がすぎるだろう。
「じゃあいいや」
零華は白けたようにそう呟いてから、こい、と言った。「こい」を「来い」と理解するのに少しの時間を要した。いや、仮にも神様を呼ぶのに「来い」はどうよ、と零華に言おうと思ったが、もう零華の前には神様がいた。いや、天使がいた。ふんわりさらさらな金髪ショートカット。ぱっちり二重のお目目の奥には綺麗な翡翠色の瞳がある。もっちりむにむにでうっすら赤みがかったほっぺた。真っ白な肌。紛れもなくまがい物でない幼女だ、ロリだ、幼ロリだ(誤字じゃない)。いやー、もう、可愛すぎてマジでやばい。やばいとしか言えないのもマジでやばい。神様マジ天使。僕は神様に近づいて脇の下に手を差し込んで、神様を持ち上げる。驚いた顔もマジ天使。そのまま、勢いよくクルクルと回ると、神様は楽しそうに笑った。マジでやばい。超可愛い。回りすぎて少し気持ち悪くなったところで神様をゆっくり地面に置いた。
「お名前は?」
僕は地面に膝をつけてなるべく神様に目線を合わせる。にしても、名前に美化語をつけるなんて初めてした。相手が神様だからねー、仕方ないねー。うんうん。だから顔がにやけるのも仕方がない。
「ふふん、私はクレア。神様です」
胸を張って、どうだと言わんばかりに最大限に体で威厳を表現する姿はまるで威厳なんて感じなくて、可愛かった。見てて微笑ましいくらいだ。思わず頬が緩む。
「クレア様、今何歳ですか?」
「ん?282歳!」
あー、えっと。あれかな?適当に思いついた数字を言っちゃったのかな?それとも、神様ジョーク?同じ神様なら笑えるの?と零華を見たけれど、零華はただ頷いただけだった。え?ほんとに?すげえ若作りだ。精神年齢まで若々しくするとかそれなんて無理ゲー?さすが神様。若作りのレベルまで神様級かよ。でもこれって究極の合法ロリなんじゃないの?でも、100歳以上年の差があるのかー。なかなか厳しいよな、ジェネレーションギャップ。明治とか大正生まれってことでしょ?なんなら曾祖母よりも年の差がある。
「ちなみに、神として正常に育ってあの見た目よ」
零華が頷きを補足するように言った。え?282歳でロリとか僕なんかじゃあ、受精卵くらいなんじゃないの?そもそも生まれてない。でも確かに神様と人間が同じペースで育ったら神様感がないよな。人間より神様の方が長生きなイメージだ。
「さて、クレア」
呼び捨てかよ。
「なあに?」
「私たちね、この世界で遊びたいんだけど、遊んでもいいかな?」
零華は中腰になって含みのある満面の笑みでクレアに向き合う。人に頼みごとをするときでも下手に出ないのが零華の特徴だが、相手が神様でもそれは関係ないようだ。中腰だけど目線は零華の方が高い。こんなに可愛い神様にも譲らないとか、さっきの言葉で悪魔にでも憑かれたんじゃねえの?
「いいよ!でもねでもね、私も遊ぶー!」
可愛い。どんなに言葉を尽くしてもこの一言には敵わないんじゃないかと思うほどに可愛いとしか言えなかった。
「うんうん。一緒に遊ぼうねー」
零華の方は見慣れてしまっていたがこうして改めて見ると、そういえばこいつって整った顔立ちをしているんだな、と思い直した。
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