旅立ちにふさわしい天気は何か
「ごめーんくーださーい」
人のいる気配のない木造建築に僕の暢気な声が響いた。店員さんがカウンターにいないってどういうこと?店の前で一瞬入るのを躊躇っちゃったじゃん。白波さんのお礼を買うという理由がなければ絶対に諦めて帰っていた。
店自体は小さく、奥に作業場が繋がっているスタイルである。ショーケースの中にはまんじゅうやたい焼き、どら焼きが個装されて入っている。そのショーケースの上にはカルトンと電卓が置かれている。ここで会計も済ませるようだ。
自分の声が店に響いた少し後にその返答が奥の作業場から微かに聞こえた。店員さんは一応きちんといるらしい。
しかしまあ、こんなに無防備で盗み放題な店が潰れもせずに残っているのだからこの街は割と治安がいいのだろう。
奥の作業場とつながっている引き戸から作業服のおばさんが出てきた。その風貌はいかにも食品工場のおばちゃんといった感じだ。
「いらっしゃいませ」
えっと、お勧めされたのは何だったっけ?まあ、なんか適当に買ってみればいいか。
「こしあんのものってありますか?」
平仮名ばかりでさぞかし読みづらいことだろうと思うが、我慢してほしい。文字にしたときにどうなるかを考えて喋らないのでこうなってしまった。
「まんじゅうはこしあんのものも用意しています」
「じゃあ、まんじゅうを二つとあと……、えっと、どら焼きを一つ」
そうだ思い出した。某テレビアニメのキャラクターの好物だった。しかし、ロボットなのに耳を齧られて色が変わるってどういう仕組みなんだろうか。感情の起伏に合わせて色が変わるとか?何それすげえ便利じゃん。全人類に搭載しようぜ。そうすれば気難しい女心だってバッチリだぜ。
なんてアホなことを考えている間に店員さんはビニール袋を僕に差し出していた。金を払う前に商品を渡すとか不用心すぎる。まあ、払うけどね。電卓に示されている値段と自分で暗算して求めた値段を比較して正しいことを確かめてから僕は金を払った。
◆◆◆◆◆
和菓子屋から白波さんの家に帰ると、彼女は彼女でどこかに出かけたようで家の中には誰もいなかった。しかし、帰ると表現してしまっているあたりかなり今の環境に慣れきってしまっているようだ。男子高校生にとって親戚以外の女性の家に寝泊まりするというのはかなり緊張するもののはずなのだが、何だろうかこの安心感。まして、ここは自分の生まれた世界とは別の世界である。つまりは自分の生まれた世界とは違った常識があったとしても全くおかしくない訳で。そう考えると不用意に他人の家に転がり込んでいる状態というのはあまりよろしくないのではないだろうか。客人を厚くもてなすべしなんて穏やかな常識であればいいが、客人の生殺与奪はその家の主人に委ねられるなんて常識が根付いていたらと思うと、正直恐ろしい。まあ、これは極端な例だけれど。お礼をしてとっとと出ていってしまうのが一番いいのではないだろうか。冬の炬燵のようにいつまでも入っていたい環境ではあるけれど、時間が経てば周囲も暑くなって出て行かざるを得ない状況になるかもしれないし。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
白波さんが帰ってきたようだ。にしても、お帰りなさいって完全に家主のセリフだよな。
白波さんはトテトテと小さく足音を立ててリビングに入ってきた。足音を小さくする魔法でもあるのだろうか。それか忍者の末裔か。あるいは暗殺家業の一家に生まれたのかもしれない。体の大きさと足音とがあまり噛み合っていないような気がする。
「わあ、美味しそう」
テーブルの上に置いてあった和菓子の袋を覗き込んで白波さんは顔を緩ませた。気に入ってもらえたようで良かった。
「そうですよね。こしあん最高ですよね」
「え?うん、そうだね。でも私はつぶあんの方が好きかな?」
あっれー?自分の好きなものじゃやっぱりダメだったか。あー、えっと、何ならまんじゅうは両方僕が食べるので許してもらえませんかね。
そうだ、茶葉も買っておいたんだよな。これを出してあとなんかオシャレっぽく皿に盛ればいい感じに見えるはず。
「お茶いれますね」
「うん、ありがとう。じゃあ私はお皿に盛るね」
「え!」
想定以上に大きな声が出た。というか、想定なんて全くしていなかった。そうか。手伝ってくれるのか。うれしいし助かるんだけど全く助からない。
「うん?どうかした?」
「いえ、ありがとうございます。あっと、それじゃあお茶のほうをお願いしていいですか?」
盛り付けのほうは絶対に譲らない。
「うん?うん、わかった。じゃあ、お願いね」
よっしゃ!勝ち取った。小さくガッツポーズをしたのが見えたようで、白波さんは訝しげな眼をこちらに向けている。僕はそれをしらっと無視して皿を取り出す。
しかし、ここで問題が発生した。果たしておしゃれなどら焼きの盛り方とはどんなものなのだろう。元の世界ならスマホで『どら焼き 盛り方』と検索すればよさげな案が出てきただろうが(あんだけに)、こっちの世界ではそうもいかない。というか、どら焼きにおしゃれな盛り方なんかあるのだろうか。少しの思考停止の末、普通に皿に盛ることにした。だいたい、そんなセンスがあるんだったら、元の世界でボッチになるなんてことはなかったはずだ。
白波さんも急須からお茶を均等に分け、テーブルの上に置いた。お代わりの分もあるそうだ。
「さて、じゃあ食べようか」
「そうですね」
まんじゅうを一口。あま〜い。
お茶を一飲み。にが〜い。
「美味しいね」
「そうですね」
それぞれ別のものを食べているのだから味の感想を共有することはできないと思うのだが……。
「あーっと、それでですね。お話がありまして」
「ん?なに?」
白波さんはどら焼きをゆっくりと咀嚼しながら答えた。僕はお茶を一口飲む。次いで白波さんも一口飲んだ。
「この街を出ようと思います」
「そう。また、旅に戻るのね」
そういえば旅人だと嘘をついたんだったか。まあ、それで納得してくれるのならそれでいい。自分の家がない現状、あながち間違いでもないし。
「いつ出て行くの?」
「今日はもう遅いので、明日にしようと思います」
「そう。いいと思うわ」
武器やら食糧やらの準備だってしなくてはならない。《収納》があるから普通の人よりも楽といえば楽だが、それでもそれなりに時間がかかる。
「ちなみに隣街まで歩いて行ったらどれくらいかかりますかね」
「そうね、三日くらいかしら」
「案外近いんですね」
近くはないか。車や電車が普及している現代人からすると三日も外を歩き回るなんて考えられない。
食器を片付けつつ僕は明日の計画を練り始めた。
◆◆◆◆◆
旅立ちの日にふさわしい天気とは一体どういうものだろうか。希望に満ちた旅になりそうな予感がするのは雲ひとつない快晴なのだが、実際そんな天気だと暑いし眩しいしで大変である。厚めの雲がかかっていると先行き不安だし、先に進むより最寄りの宿屋を探すことを優先させてなかなか旅が進まなそうだ。
と、そこまで考えて僕は空を見上げる。悪くない。気が滅入るほどのかんかん照りではなく、上手く雲が太陽と地面との間に滑り込んでいる。それでいて太陽付近以外には雲らしい雲はなく、昼間なのに暗いなんてこともなかった。
僕は荷物をまとめて白波さんの家を出た。ボロボロになってしまった服の代わりに頂いた服の代金と今までの食事代は概算してリビングの机の上に置いた。
人通りの多い表通りには多くの店が集まっている。お買い物ビギナーの僕には店選びという作業はかなり難しい。とりあえず、武器屋でなんか良さげな剣を買った。
そういえば、と思い出す。
「そういえば前にこんなことがあったんですけど……」
思い出して武器屋の店員に話したのはゴブリンの棍棒の話だ。持って振ってみたけれど使えなかった。
僕の話を聞いて、ああ、と店員は解答をくれる。
「そりゃあ、装備可能武器の個人差の問題だな」
「装備可能武器?」
「平たく言えば、才能だ。素質、センス、適性。全部個人差があるってだけだ」
つまり、僕には棍棒の適性はないと。
「で?お前さんの装備可能武器はなんなんだよ」
「僕が知りたいくらいですけど。剣を買っちゃいましたし、剣じゃないですか?」
どうするんだよこれ。売っても買った値段の半額くらいしかもらえないだろうし。先に聞いておけばよかった。
「他の武器も買っておいたらどうだ?何が使えるかわからねえんだろ?」
「ちなみに他には何があるんです?」
金ならまだある。一応。
「んー。大鎌、鞭、トンファーに弓矢。あとはフライパンだな」
「なんでそんな使いづらいマイナーな武器ばっかり置いてるんですか」
というか、最後の武器ですらないし。
「そりゃあ、お前……。ロマンだろ」
いや、わからないではないんだけど。なんだかなあ。他の店に行くか。
店を出てしばらく歩いていたが、なんとなく心の奥底に秘めていた厨二病心に仄かに火がつきまた店に戻った。
「大鎌ください」
いや、何も言わないでほしい。そして理解してほしい。やっぱりロマンって大切だろ?
ホクホク顔で店を出た僕はさぞかし気持ち悪かっただろうが、知り合いなんていないので関係ない。赤の他人にどう思われようがどうせすぐに忘れられるのだから。
大通りから少し外れたところにある露店街で3日分の食べ物を買って、全て《収納》に入れた。
簡易テントとかも欲しかったのだけれど、予定外の出費(大鎌)があったせいでそこまでは手が出なさそうだ。
買い物が終わったあと、僕はとりあえずギルドに向かった。地図をもらって見方を教えてもらわねばならない。地図の向きが自動で変わってくれることに慣れきっている現代高校生には向きを合わせることからして困難だ。大体の地形も頭に入っていない中での旅は無謀だと言えなくもないけれど、まあ、大丈夫だろう。なんとかなると思いたいし、なるようにしかならないとも思う。
受付のおねーさんに証明証を提示して、マップが欲しいと伝えると、少々お待ちください、と受付のおねーさんは奥に引っ込んでしまった。年上のおねーさんの言うことに逆らうわけにもいかず、僕は大人しくカウンターの前に立っていた。待つ、という行為が僕はどうにも苦手だった。待っている間、何をして入ればいいのかがわからず、時間を持て余しているような気分になる。それが嫌だった。一般論として男性と女性では時間感覚が異なり、女性の方がせっかちであるらしい。つまりは女性の方が一つのことに長い時間をかけないらしい。その割には長蛇の列には女性の方が多い気がする。パンケーキやらかき氷やらはまさにそうで、最後尾はこちらです、のプラカードが必要になるレベルである。彼女らにとっては並んでいる間の会話も重要なのかもしれないが、残念ながら僕にはその心情は理解できない。そもそも、女性の方が圧倒的に多い空間に男が行くとかアウェー感が半端無い。そして、僕は別にインスタ映えとかを気にするタイプでもなかった。そもそも彼女がいないから行く機会もないしね!
お待たせいたしました、と声をかけられたので僕はカウンターに向き合った。渡されたのは証明証だけだった。あれー、何か伝え間違えたかな?と受付のおねーさんを見ると顔にニコッと笑顔を貼り付けている。いやいや説明してくださいよ、って多分こっちの世界では常識なんだろうなあ。
「念のためにどう使うか教えてもらってもいいですか?」
「はい」
笑顔の仮面はそのままにおねーさんは僕に説明をしてくれた。そういえば小学生の頃に笑顔の仮面をつけることが義務付けられている世界の小説が教科書に載っていた気がする。タイトルは思い出せないけど。なんで教科書って一部抜粋で載せるんだろう。全文がどれくらいの長さなのかも、あの話の続きがあるのかも知らないけれどもう少しすっきり終わって欲しかったなあ。なんて考えていたから、説明をほとんど聞いていなかった。もう一度説明をお願いするのも申し訳なくて、僕はそのままギルドを去った。
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