第3話 推察する下僕

 僕が魔女と出会い、捕まって無理やり下僕にさせられたその日。五木さんは意外にも素直に僕を解放した。

 理由は単純。

 彼女は僕の人質、つまりは心臓を文字通りその手に握っているからである。僕がどこに居ようとも、彼女の命令に背けば即、大変な痛みを伴う死である。

 僕としても、苦しんで死にたくはない。

 というわけで、素直に帰宅して寝た。ただただ疲れていて、問題をすべて放り投げてベッドに身を投げたのだった。


 そして翌日。

 夢だったらいいな、と期待したが、残念ながら僕から心臓の鼓動はやはり消えていた。

 僕のこの胸には心臓がない……。

 

「詳しい話は明日、って言われたけど、どんな顔して五木さんに会ったらいいんだ……」


 登校しながら嘆く。

 学校近くの商店街に抜けられる裏道を通ると、自然と『磨業工房』の看板に目が行った。

 ……まさか、こんなところであんな超常現象を目にしてしまうとは。しかし自分意外にも「普通じゃない」人種がいたと思うと嬉しいような怖いような。複雑な気分である。

 

 五木さんはいつも始業時刻ギリギリに登校してくる。それは今日とて例外でなかった。

 最後列に座る僕には目をくれず、最前列の自分の席に座った。

 鞄を机の横に掛け、机に突っ伏したのと同時にチャイムが鳴った。

 そしてそのまま、五木さんは全ての授業を寝て過ごし、休み時間になると文庫本を広げた。彼女を起こそうとした教師はいない。いつも通りである。

 

 昼休み。

 授業が始まるとすぐに教室を出ていく五木さん。

 扉を開ける直前、ちらりとこちらに目線を向けた気がした。

 

「……」

 

 これは、ついて来い、というサインだろうか。考えすぎだろうか。

 分からないが、行かなければもしそうだった時に心臓潰されそうだな……。

 昨日の激痛がフラッシュバックする。

 駄目だ駄目だ。

 額に浮かんだ嫌な汗を拭い、僕は急ぎ教室を出た。


 彼女は階段を上っていった。

 僕も一定の幅を開けて階段を上り、彼女を追って屋上へ繋がる扉を開ける。屋上は立入禁止で施錠されているはずなのだが、何故か開いていた。


「五木さん」


 果たして彼女は屋上の淵、飛び降り防止のフェンスに背中を預け、腕を組んで目を閉じていた。


「下僕。ついてきていいなんて言ってないのだけれど。あなたは私のストーカーかしら?」


 にやにやと笑っている、美女。

 ……外れだったのだろうか。

 彼女をよく見ると、その白い右手には苺が乗せられていた。昼食のデザートなのだろうか。


「昨日の話の続きだ。仕事がどうとかって……」


「聞きたい?」


 そう言うと、ゆっくりと立ち上がってフェンスにもたれかかった。


「『跪きなさい』」


「なっ!?」


 ズドン、という衝撃。身体が勝手に地べたに叩きつけられた。

 また『魔術』か。

 なるほど、あくまでも僕は下僕ということか。ならば希うのが当然だと。

 つまり、これは主が従僕に与える調教。


「聞きたい?」

 

 魔女はもう一度問うてきた。


「……こんなところ、誰かに見られたどうするんだ」


 僕は少しだけ抗うことにした。心臓を握りつぶされない程度に……。


「……杞憂ね。ここには誰も入ってこれないから。そういう風にしてる」


「それも『魔術』か。……わかったよ。聞きたい。お仕事の内容を聞かせてください」


 僕は跪かされたまま首を垂れた。従順な下僕であることをアピールする。

 じーっと、視線が注がれているのを感じる。


「私の仕事は魔術の悪用を止めること、っていうのは言ったわよね」


「ああ、そうだな……って痛っ!」


 げしっ、と頭を蹴りつけられた。返事は「はい」ですね。すみません。


「……はい」


「いつもなら探知魔術で見つけられるのだけど、あ・な・た・の・お・か・げで術式に必要な水晶が割れてしまった。けれど、水晶が無くとも何とか『異常がある』というのは探知できたわ」


「……申し訳ございません」


「具体的に言うと、この学校にの気配がある。誰かがその霊を使って悪さをしているの。そこまでは突き止めてあるわ」


「は、はい」


「でも、その先は自力で異常の正体を見つけなければならないの。あなたのせいでね」


 なるほど。

 それは僕のせい。だからそれを償うのが当然。ということか。

 それで仕事を手伝え、と昨日彼女は言ったのか。


「……見つける方法は?」


「単純よ。違和感を探すの。普通じゃ起こりえない超常現象が霊……魔術によって引き起こされている。それを見つければ術師までたどり着ける」


「それを見つければいいんですね」


「そういうこと」


 しかし超常現象と言ってもなぁ。

 そんなものが簡単に見つかるのだろうか……。いや、見つかっていたら困るのではないか。超常の隠蔽的な問題で。


「大丈夫でしょう。こんな狭い範囲に異端の者が二人もいるのだから」


 まぁ、それはそうなんですがね……。

 

「ヒントを頂けないでしょうか……」


「あら。まだ探してもいないのに?」


「素人の僕が簡単に見つけられるのなら、五木さん一人でやったって余裕でしょう?」


 僕がそう進言させていただくと、彼女は何やら考え込んだ。そして、


「……あなた、苺は好き?」


「い、いちご?」


「いいから答えなさい」


 どういうことだろうか。苺?

 「はい/いいえ」で答えるだけだが失敗すればどうなるか……。


 いや、待てよ。

 そういえばさっき五木さんは苺を持っていた。それが食後のデザートならば彼女が苺が嫌い、ということはないように思える。

 ならば。

 僕は一度唾を飲み下してから答える。


「……好き、だけど」


 確率は二分の一。

 さぁ、どうなる。


「そう。私もね、苺は好きよ。好きというか、切っても切れない関係ね……」


「そ、そうなんですか」


 よかったぁ! 正解!

 思わずガッツポーズをしてしまいそうになるが、何とか心の中に押しとどめた。

 しかし、「切っても切れない関係」とは何なのだろうか。五木さんはその辺りの説明をする気はないらしく、どこからか苺を取り出して、僕に見せつけるようにゆっくりと口の中に運んだ。


「下僕」


「はい、なんでしょう!」


「あなた、これから毎日私のために苺を持ってきなさい。でもただの苺だけでは飽きるから、苺が使われているものなら何でもいいわ」


 飽きるのか、苺……。

 だが五木さんがそれを僕に命ずるというのなら、どんな内容であれ従わなければならない。僕は彼女の下僕なのだ。さもなくば僕の可愛い心臓が危ない。


「わかりましたよ……買ってきます。これでヒントくださいよ」


「ええ。楽しみにしておくわ。……魔術の悪用目的には間違いなく人間の利潤が絡んでいるの。結局金なのよ、金」


 五木さんは左手の親指と人差し指で輪っかを作りヒラヒラと振った。


「人間の憎悪とか、そういうのを利用している場合もあるけど、それも結局お金に繋がっているわ。それを念頭に考えれば、多少なり正解に近づけるかもね」


「……なるほど」


 誰かの利益のため、か。それは特にお金であると。

 それを知ったところでどうにかなる問題ではない気がするが、まぁいい。やるだけやってやるさ。断れる状態ではないからな。

 僕はフェンスに寄りかかる魔女に目を向ける。

 

「……何?」


 ぎろり、と睨みつけられた。

 さっと目線を逸らす。そんなに睨まなくても……。

 五木さんは冷ややかな目のまま言った。


「……期限は明日。魔術の力はもう広い範囲に及んでいるわ。これ以上もたもたしていたら取り返しのつかないことになってしまう。それまでに違和感の正体に辿り着けなかったら……」


 五木さんは右手を前に突き出し、虚空を強く握った。

 心臓を握りつぶす、という意味だろう。しかし明日て……。


「ちなみに、私はもう正解に辿り着いているわ」


「は?」


 何だって?

 それでは、僕が探す意味なんてどこにも無いじゃないか。

 そこで、気が付いた。

 この魔女は仕事を手伝わせたいのではなく、下僕を弄びたいだけなのだと。

 第一、こんな大事なことを素人の僕に任せるわけがないのだ。僕が失敗したら色々やばいのは彼女のほうであろう。

 それに気付いた途端、身体がどうしようもない気怠さに襲われた。


「それじゃ、頑張りなさい」


「……はい」


 僕は項垂れつつ、そう答えるより他なかった。

 全く、とんだ災難に巻き込まれてしまったものだと、改めて実感する。


   ▼


 とにかく時間がない。

 魔術の影響を探せ、悪さをしている霊の正体を突き止めろ、と言われてもすぐに見つけれるわけがないじゃないか。

 しかし、それはある分にはあるのだ。五木さんは既に見つけていると言った。それを信じて、ほとんど当てにならないヒントを頼りにするしかない。それでも無いかもしれないものを探すよりは幾分気楽だろう。

 そんなわけで、午後の授業はまったく耳に入ってこなかった。


 金が絡んでくる、と言ってもなぁ。

 金目当ての悪行など幾らでもある。というか、それこそ悪行のほとんどが直接的であれ間接的であれ金目当てではないのか。

 駄目だ。全く思い浮かびそうにない……。


「……おい、鎖原」


「……え、あ。はい」


 ボーっとしていたせいで、自分の席の目の前まで教師がやってきていたことに気が付かなかった。

 50歳くらいの数学教師はあからさまに不機嫌な顔をして、机に突っ伏している僕を見下ろしている。


「お前、全然集中できていないぞ。何があったのかは知らんが、授業中は切り替えろ」


 「魔女に心臓を取られました」なんて馬鹿みたいなことを言えるわけがなかった。自分で言ってて意味が分からん。

 

「集中していなかった罰だ、プリントを職員室に持っていけ」


 おぉ……それも結構な山だった。それも数種類ある。どうやら一往復では済まさせないつもりらしい。

 するとそこに割り込んできた人物がいた。


「先生! 私が持っていきます!」


「……おおとりか。これは鎖原の罰なんだ。お前がやる必要はない」


 まっとうな正論。

 だが委員長・鳳美香は引かなかった。


「そうですか。なら半分持っていきます。一人ではちょっと多いと思うので。これなら大丈夫ですよね」

 

「ぬぅ……そこまで言うなら別に構わないが」


「ありがとうございます!」


 この委員長、何故お礼を言っているのだろうか。

 しかしまぁ、何にせよこれで職員室へは一往復で済みそうだ。


   ▼


「鎖原くんは、部活入ってなかったよね」


 両手でプリントを抱え横を歩いている委員長が訊いてきた。


「ああ、帰宅部だけど?」


「何で何で? 塾で忙しいとか?」


 グイ、と詰め寄ってきた。そんなにがっつくようなことじゃないだろう……。


「いや。塾には行ってない。部活に入らないのは興味がないだけだよ」


 嘘。

 本当は人と関わりたくないからだ。部活動なんてもってのほかである。


「ふぅん。鎖原くんってさ、なんか変わってるよねー」


 確かに僕は変わった奴かもしれない。中身は鬼だし、それに心臓が無いやつだってそうそういないはずだ。


「ところでさ、君、UFOとか興味ある?」


「は? UFO?」


「うん。そういうオカルト系の話。私ねー、昔から結構好きなんだ。それで今度オカルト研究サークルを作ろうと思っててー」


「そ、そうなのか。悪いけどそういうのはあんまりかなぁ。それで鳳さんは、今他に部活やってるのか?」


 やばいやばい。

 「オカルト」の四文字で相当ビビった。

 そのオカルトは君の目の前にいるんですよねぇ……。


「私はね……今は一応文芸部。けどまぁ定期的に文集を出してるだけだから、ほとんど学校じゃ活動してない。実質帰宅部かなー」


 文芸部だったのか。ぜんぜん知らなかった。一体、どんな話を書いているのだろうか……。

 気になるところではあるが、それをわざわざ訊くほどの興味はなかった。


「塾もね、今はまだ行ってないんだけど、そろそろ行かないとマズいかなーって思ってるところなの。最近他の子たちも急に塾行き始めたし……まだ高2始まったばかりなのにね。焦りすぎだよ、みんな」


「そうだな。なんだっけか、井沢塾ってほら、人気なんだろ?」


 詳しいことは知らないが、この前のように井沢塾の噂はよく聞く。委員長もそこに行くつもりなのだろうか。


「あー、そうそう。クラスの子も結構行ってるよね……。ま、私は行くとしたら大手なんだけどねー」


 普通に考えてそうじゃない?

 そう笑うように井沢塾に通う人たちへのディスりを付け加えた。

 

 僕ならば、どうしようか。

 井沢塾はこの高校にあったカリキュラムを組んでいるというが、全国の生徒数や進学実績のある大手を選ぶのがやはり定石だろう。


「ま、井沢塾にも体験は行ってみようかなって思ってるけどね。人気で評価が高いのは事実だし。それから決めるかな」


「なるほど」


 相槌を打ちながら、違うことが頭にあった。

 普通に考えてそうじゃない?

 委員長の言葉が頭の中で反響している。

 普通に考えて。

 そうだ。

 これはおかしいのだ。


「……わかった」


「ん? 何が?」


 委員長が可愛らしく首を傾げているが、それどころじゃない。

 僕は額を汗が伝うのを感じた。

 職員室へ向かう脚が、自然と早くなっていた。


「あ! ちょっと待ってよー!」


   ▼


「違和感の正体は、あれだ、井沢塾だ」


「詳細を」


 放課後、僕はまた工房にやってきていた。

 直立する僕の目の前には、黒いソファーに寝転がる五木さんがいる。


「あんたは学校で違和感を探せと言った。だから普通に考えて魔術の対象はそこに通う学生たちだ。学生にお金が絡む、と言えば、まぁいろいろあるっちゃあるが、塾はその一つに挙がる」


 五木さんは少し饒舌になっている僕を少し意外そうな目で見ていた。これは……おそらく間違っていないようだ。一度唇を舌で濡らした。

 僕は、確かに正解に辿り着いている……。


「そこで井沢塾だ。大した実績もないのにうちの学校から通っている生徒がたくさんいる。まぁそれくらいなら有り得るかもしれないが、大手から転塾している生徒までいるのはどう考えてもおかしい」


 これで、どうだ。

 一息で言い切り、五木さんの反応を待つ。

 

「……まぁ、及第点ね。論理的とは言い難いけれど、下僕としては上出来よ」


 そう言って、ぱちぱちと手を叩いた。

 心なしか、いつもより体温が高くなっている気がした。

 

 そして舞台は、第二フェイズへと進む。

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