第2話 嘲笑する魔女
「魔女……」
「ええ。それっぽいこと、やっていたでしょう?」
それっぽいこと___おそらくさっきの儀式のことを言っているのだろう。
まぁ、さっきの言動から察してはいた。彼女は何か超常を操っているのだと。
しかし『魔女』とは一体何なんだ。魔女といえば、地下の工房で緑色の闇鍋みたいな薬を作っていて、箒に跨って空を飛び、杖を振り回して魔法を使う老婆のイメージ……。
しかし、彼女はまるでモデルのような女子高生だ。……実はこれで400歳で実質老婆、などというトンデモ設定が無ければ、だけど。
ともかく、今は彼女の素性と僕の処遇について知るのが先であろう。
「あの儀式は、一体……?」
訊くと、彼女はまた地面の水晶を拾い上げ、椅子に座ったまま、それを掴んだ右腕をこちらに伸ばしてきた。受け取れ、ということか。
僕は両手で慎重に受け取った。
「今やっていたのは探知魔術と言って、魔力の流れを調べるための術式よ。本当なら新しい文様が浮かび上がるのだけど。その前にあなたが来てしまったから、失敗失敗、ということね。水晶もご覧の通り」
割れてしまっている。
おそらくはその魔術を途中で中断させてしまったのが悪かったのだろう。一体この水晶、幾らするのだろうか……。怖いなあ。聞きたくなくなってきた……。
「本当に困ったわ……。これではお仕事ができない」
頬に右手を当て、憂鬱気に吐息を漏らす魔女。そんな風に言われるととても居心地が悪い。水晶は弁償させていただくので帰してはくれないでしょうか……。くれませんよね。
しかし魔女の仕事と聞くと、またどうにも危険なイメージが浮かぶ。
「仕事って……何ですかね」
「そうね。さっきも言ったけれど、要約すると、秩序維持、かしら」
「秩序、維持……」
僕の「鬼人」という立場故か、とても不穏な響きを感じる。
仲良くなった人を怖がらせるくらいしか能のない僕のどこに脅威があるというのだ……。
五木さんは一転、今まで僕を弄んでいた甘い声と嘲笑を隠し、至極真面目な表情になった___気がした。
「私のお仕事は一つ。秩序を乱す者___そう、例えばあなたのような魔獣や魔術を悪用する愚か者を見つけ、正すこと。それが同業者か一般人かは分からないけれどね。あなたは知らないと思うけど、意外といっぱいいるのよ? 何処かで魔術を仕入れてきて悪るさをしている連中」
魔術を悪用する愚か者を見つけ、正す___。
決してお姫様を陥れて蜘蛛に変えたりイケメン王子を蛙に変えるような悪質な「魔女」ではないということか……。ていうか僕は魔獣に分類されちゃうの?
「……それなのにあんたは人を殺すのか? その秩序とやらを守るために」
「それとこれとは話が別。魔女が一番犯してはならない禁忌はね、あなたみたいな一般人に素性を知られてしまうことなの」
なるほど。
だから、殺して情報抹消しなければならない、ということか。
そして僕は、クラスメイトに殺される運命にあると。
「ていうか、本当に五木さんなんだよな? 化けてるとかじゃなくて。クラスで喋ってるとことか見たことないから……」
「そうよ? 私は五木華恋。あなたのミステリアスなクラスメイト。偽者じゃないわよ、失礼ね」
ミステリアスっていうか、もはやオカルティックなんですが。
もちろん口には出さない。
「それで、五木さんは僕をどう殺すつもりなんですか……手早く痛くないのでお願いします」
一番知りたいことを訊くと、彼女はまた足を組みなおして、また脚の長さを強調してきた。そこはもう十分承知なんですが。
とにかく今は余計な事を言ってはいけない。それはいつもの事だが、今は特に、だ。こんなところでまた失敗をしては洒落にならない。
冷や汗が頬を伝う。
「そうね。ここは素直に首を刎ねてしまうのがいいでしょう。今は何より時間が惜しいから」
「……ッ!」
あまりにもはっきりとした死刑宣告。嫌でも体温と心拍数が上がっていく。
だが、魔女の翻弄は止まらない。
「けどその前にぃ―――」
まるで下僕を見下すような冷酷な笑みを浮かべる魔女。
この人は、完全に僕を弄ぶつもりらしい。
そして実際に……、
「『立ちなさい』」
「どえっ!?」
また身体が勝手に動いた。やはりこれが『魔術』か。
両足をびしっと揃え、直立させられた僕を五木さんは恍惚な表情で眺めていた。まるで、新しい人形を手に入れた少女のような、笑み。
「『平伏せ』」
「あがっ!?」
今度は地べたを舐めさせられた。容赦なく額を打ち付ける。
「あははははは! 楽しいわ! もっと遊びましょう?」
「い、五木さん!? すごく痛いんですが!」
三回の命令で、腰が悲鳴を上げている。
恍惚に笑う五木さんはなるほどまさしく魔女に見えた。魔女とは即ち上位存在。一般人の、それも失敗作である僕に逆らうことなど不可能であった。
彼女もきっとそれを理解して、サディスティックに僕を弄んでいるのだろう。
「不安定な姿勢から強制的に筋肉を動かしているのだもの。体中が悲鳴を上げて当然よ」
「えぇ……じゃあやめてくださいよ……僕は、人形じゃないんですけど」
半泣きで悲痛な声を上げ抗議すると、何やら五木さんは頬に手を当て考えこみ始めた。また何かする気なのか……。
「人形でなければ、何なのかしら?」
それを機に、拷問は止んだ。
荒れる息を整え、口を拭って答える。
「僕は鬼なんだ。……げほっ、け、けど、勘違いしないでほしい。僕はただの成り損ない。鬼人ってやつだ。大した害は無いんだ……」
「ふぅん。もっと面白みのあるものだと思っていたのだけれど。ほら、八岐大蛇だとか。……けどこれでは興ざめも甚だしいわね」
彼女は、まぁ鬼にだって暴走するリスクはあるのだけれど。と付け加えた後何やら考えこみ始めた。
そして、
「決めたわ。あなた、今日から私の人形……下僕になりなさい」
そう言ってまた、ふふふ、と控えめだが猟奇的なものを感じさせる笑みを漏らした。
どうやら僕の運命は決まったようだった。彼女は魔女なのだ。きっと、僕を隷属させる術も持っているのだろう。ドSが現在進行形で炸裂していた。
「私はあなたを殺さないであげる。その代わりに、私に絶対服従してもらう。そうすれば情報が漏れることはないわ」
だから、と。
また彼女は立ち上がり、身構える僕に至近距離まで近づく。彼女の吐息が鼻にかかるような距離まで、近づかれる。不思議と、何か魂が吸いだされるような気分だった。魔性の女とは、こういうことか。
「『復唱しなさい。魔女の契約は絶対』」
口が、舌がまた勝手に動き出す。
「ま、『魔女の契約は絶対』」
「『私はあなたに隷属する』」
「……『私はあなたに隷属する』___ッ!?」
どすん、と腹を思いっきり殴られたような感覚。だが五木さんは一歩たりとも動いていない。手も動かしていない。背筋の凍るような笑みを浮かべているだけだ。これも魔術なのか。
胃液のようなものが食道を逆流してくる。そして、耐え切れずに思いっきり……
「あ、れ?」
何も出なかった。
何が何だか分からず、五木さんの方を見る。そしてまた、絶句した。
五木さんはいつの間にか僕から離れていて、その右手には何かが握られていた。
それはどくん、どくん、と規則的に脈動している。
あれは、まさか。
「……ふふ、あなたの心臓、預からせてもらうわね。これで契約はおしまいよ。あなたは晴れて私の下僕になった」
魔女はそう、満足げに言ったのだった。
▼
「し、心臓!?」
あまりに予想外。
僕は慌てて胸に手を当てる。___鼓動が、無かった。
五木さんは僕の心臓を撫でながら言う。チカチカと脳内で痛覚が炸裂する。僕は地に伏せてもがいた。
「心配はいらないわ。心臓がなくとも死ぬことはないから」
「いやいやいや! 死ぬでしょ! どんな理論だよ! ていうか触られただけで死ぬほど痛いんですけど!?」
さすがに、と手をぶんぶん振って否定するが……。
「これが魔術。驚いた?」
「魔術……、もう何でもありだな」
「そうね。私は魔女の中でも特異な才能があるらしいの。私は私の領域の中ならば無限の力を振るえる」
魔女の中でも、特異な才能。
……ということは、彼女の他のも魔女が存在するのか。
嫌な情報だ。僕の他にも異形の者がいるってことだけでも気がおかしくなりそうだったのに。
「魔術がすごいってのは分かったんで、
「いやよ。だってこれは契約の証なのよ? あなたが私を裏切れば、心臓は握りつぶされる。ぐしゃっとね。身体から分離しているけど、このとんでもない痛みだけはあなたに伝わる。物凄いわよ? 楽には死ねないわ……ふふっ、想像するだけで体中の毛が逆立ちそうね。……少し試してみましょう!」
そう言うと、右手で鷲掴みした僕の心臓を少しだけ強く、僕に見せつけるように……握った。
「あがっ___ああぁぁぁあううぅっ!」
全身を電流が駆け巡るような激痛だった。
それだけで僕は立っていられなくなって、地べたにまた尻もちを着かされた。
痛みの中心、心臓(があったはず)の部分を両手で押さえるも、痛みは止まらない。
「いッ___!」
どうしようもない激痛に悶えながら僕は魔女を睨みつけた。
彼女は、とても満足そうに、恍惚な表情を隠そうともしない。
「ふふ、あはっ、あはははっ! いいわ! そう! その顔が見たかったの!!」
痛みがふと止まった。
「がはっ、げほっ! クソっ、ま、魔女め……」
激しく咳き込みながら悪態を吐くと、ガタン! と何かを吹き飛ばすような音がした。驚いて顔を上げる。
「……!」
どうやら五木さんが座っていた椅子を吹き飛ばしたようで、木でできた椅子は壁に激突しバラバラに壊れていた。魔術で投げ飛ばしたのだろうか……。
当の彼女は、俯いたまま、ゆらりゆらりとまるで幽霊のようにこっちに近づいてきた。
「あ、あの、五木、さん?」
「……違うでしょ」
「は?」
五木さんは尻もちを着いている僕に視線を合わせてきた。お互いの額が当たりそうなほど接近しているが、もはや恐怖しかない。
そして、彼女は、心臓を掴んでいない方の腕で思いっきり僕の胸倉を掴んできた。
「っぐあ……な、にするん、ですか」
恐ろしいほど強い力で僕の踵は簡単に地面を離れた。
魔女が、笑顔で僕を見つめていた。
「違うの。それではダメなの。分かる? 私はご主人様で、あなたは下僕。絶対服従の下僕なの。そうでしょう? あなたはどう思うの?」
キリキリと首を締めあげられている。声を出すのも苦しいが、このままでは冗談抜きで落ちてしまいそうなので、何とか声を絞りだす。
「……すみま、せん……ご主人様……、僕は、あなたの下僕です」
「よく言えました」
やっと解放される。
そう安堵した僕を嘲笑うかのように、魔女は右手に掴んだ心臓をまた……。
「ちょっ、まっ! ッ___!」
握りしめた。
声にならない悲鳴。身を捩じらせ、痙攣する始末。
視界がチカチカと点滅している。
「あはっ! 本当に最高よ、あなた」
今度は短かったが、僕はもう立てないほどの圧倒的疲労感に包まれていた。
「どう? 実際に心臓を鷲掴みされてみて。痛かったでしょう? あなたが私の機嫌を損ねたらこうなるの。今はちょっと力を入れただけだけど、実際に握り潰せばこれ以上の苦しみと共にあなたは絶命するから、覚えておいてね」
両腕で心臓を抱きかかえるようにして身震いする五木さん。これはもうドSってレベルじゃないぞ……。
「わ、わかった。わかったよ。僕は五木さんに従う。完全服従だ。これで勘弁してくれ」
僕は大人しく両手を上げ降参した。
人質は自分の心臓なのだ……。逃げるわけにはいかない。
「そう。じゃあ最初の命令よ」
「はい……」
彼女は、魔女はまた嫌な笑みを浮かべ、言った。
「私のお仕事を手伝いなさい」
「仕事……?」
「ええ、そうよ。これから忙しくなるわよ。あなたどうせ暇人でしょ? よかったわね、人生に意味が生まれて」
▼
こうして僕、鬼の成り損ないの鎖原悠斗と妖艶なる魔女、五木華恋の主従関係がスタートしたのである。
季節は春。高校二年の四月。
僕の壊れた人生と彼女の捻じ曲がった運命を左右する、新たな一年間が幕を上げたのだ。
これが吉と出るか凶と出るか……それを当時の僕が予想するのは到底無理な話である。
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