魔女の下僕

優木 藤吾

1章 魔女と下僕

第1話 邂逅する鬼人

「___あなたの心臓、預からせてもらうわ」


 声が、出せなかった。

 額や頬をつらつらと明らかに異常な量の冷や汗が伝って、ぽたぽたと床に落下する。

 僕は右手で胸を___心臓があるはずの部位を掴む。だが、そこに本来あるはずのどくん、どくん、という鼓動を感じ取ることはできなかった。

 それもそのはず。

 現在僕の胸は伽藍堂で、心臓は、文字通り彼女の手の中にあるのだから。


「それじゃあ今日からよろしくね、下僕」


 彼女は___とてつもなく美しい『魔女』は恍惚な表情で僕の心臓を撫でながら、そう言い放った。彼女が僕の心臓に触れる度に、弾けるような痛覚の信号が脳に伝わって僕は悲痛な叫びを上げた。

 心臓を人質に取られた僕は、それでも生きている。彼女にはその異常な状態を作り出せてしまう力があった。彼女はその力を『魔術』と呼んでいた。

 超常の存在である彼女に逆らうことなど不可能。彼女はその右腕を軽く捻るだけで、僕を殺してしまうことができるのだから。

 僕は唇を強く噛んで悲鳴を押し殺し、ただただ目の前で嗤う魔女を睨み続けた。


 そして僕は、魔女の下僕として生きていく___。


   ▲


 五月。ゴールデンウィークが終わり、勤勉な高校生は休日気分から抜け出し、怠惰なる高校生は五月病を本格的に患い始めた頃。

 当の僕はというとどちらかと言えば後者で、机に突っ伏しながら授業を受けていた。


 休み時間となれば大抵のどの教室も喧噪に塗れるのが常であろう。クラス替えから三週間。カップルが成立したなんて浮いた話を小耳にはさむくらいには、新たなクラスメイトとも打ち解けてきた時期だ。

 クラスメイトはいくつかのグループに区分され、それぞれがその集団に属することを大事とする。そこには確かにスクールカーストだって存在していて、自然に教室は煌びやかなグループを中心に回り、ジメジメしたやつは薄暗いところに追いやられてしまう。


 高校なんてものは大体そんなものじゃん?

 尤も、一度たりとも転校したことなどないが、去年一年を過ごしての僕の中のイメージは揺らぎないものとなっていた。

 それが良いとか、悪いだとか、そんなことは知らない。ただ僕は取り合えずその集団には属していなかった___属せなかった。

 僕は、集団に交わることができなかった。

 理由は一つ。


 僕は、鎖原悠斗は「鬼」だったから。


 読んで字の如く。

 ただ正確には、鬼ではなく『鬼のなりそこないの人間」だ。だから「鬼人」と称するのが正しいのかもしれない。


 鬼といえば、どんなものをイメージするだろうか。

 真っ赤な顔に二本の鋭い角を生やし、巨大な胴体に獣の皮や虎柄のパンツを巻き付けた異形。その右腕には金属の棍棒が握られている。

 節分には豆を撒かれ、来年の事を言う輩が居れば笑わなければならない。

 そんなものだろう。

 けれど僕は別に全裸にイノシシから剥ぎ取った毛皮を纏っている変質者ではないし、虎柄のパンツなんて売っているところすら見たことがない。生憎だがそんなエキセントリックなものを履く趣味は持ち合わせていない。もちろん額だって平たい。角は生えていない。外見は人間そのものだ。

 では一体どこが鬼なのだといえば、それはつまるところ「僕の中身」だった。

 

 ___曰く、鬼は恐れ退けられるものである。


 その性質を僕は持っている。

 さして仲良くない人には気づかれないのだが、友人となり仲が深まるにつれ、少しずつ少しずつ恐れられて避けられてしまうのだ。僕が何かをやっているというわけではなく、単純に僕が「鬼人」だから。僕は中学時代、幾度となくこの特異体質を克服しようと挑戦したがその全てが失敗に終わった。一人たりとも友人はできず、誰の卒業アルバムにも寄せ書きをせずに卒業したのは苦い思い出である。


 だが、これに関しては今ではもう諦めている。

 僕は鬼だから普通の人間と交わることは許されていない……。

 一体誰がそんなことを決めたのだ、と文句を言いたいところだが言ったところで解決するわけでもなく、「僕は鬼なんだ。けど悪いことはしないから怖がらないで仲良くしてね」とでも言おうものなら別の視点で怖がられてしまうだろう。僕が考え得る限り、解決策は無かった。

 

 そして僕が鬼である故の特性はあと二点。


 一、異常なまでに体温が高い。

 どういうわけか、平熱でも三十九度は下らない。


 二、治癒力がこれまた異常に高い。

 病気には罹らないし、大体の傷は一晩寝れば完治してしまう。(中学時代、階段から転げ落ちて脚を骨折した際も、一晩で骨がくっ付いてしまった。学校で誤魔化すのに苦労したものだ)


 見た目は至って普通の人間。だが、中身はぐちゃぐちゃに変質している。僕はその「ぐちゃぐちゃ」の原因が、鬼になってしまったことだと知っていた。

 僕のこの「鬼人」の性質は後天性で、生まれ持って神に齎されたものではないからだ。

 それはずっと昔のこと。


『___悠斗は、強くならないといけないから』


 そう言った誰かは、僕にとある「鬼」を埋め込んだ。

 その日以来、僕は「鬼」の、その成り損ないになってしまったのだ。「鬼人」になってしまった。社会に紛れ込んだこの異物に、居場所などどこにも無かった。

 仲良くなれば、相手を怖がらせてしまうし、自分も少なからず精神的ダメージを負う(半分慣れちゃったけども)。それはもう御免だ。

 故に高校では、僕は空気に徹することに決めた。結果一年間孤独を貫き、僕は晴れて真正のボッチ野郎になったわけである。

 僕と皆、win-winのぼっちだろう?


 だが、空気といえばもう一人。


 このクラスには空気が存在している。

 教室の一番右後ろに座る僕と対称の位置、一番左前列に座っている彼女。名前は五木華恋いつき かれん。黒髪の毛先を腰まで伸ばした、大人っぽい雰囲気の女子クラスメイト。ぱっと見た背丈は170センチ以上はあり、スタイルもよくまるでモデルのようだ、というのが僕の所見である。というか、そこら辺のモデルよりよっぽど美人でグラマラスだ。特にバストが大きいのだ。胸が。

 休み時間、彼女はずっと文庫本を広げ、授業中はひたすら寝ている。いつも一貫して無表情だ。その鉄の仮面が剥がれたことは僕の知る限り一度もない。

 成績の優劣は、まだこのクラスでテストを受けたことがないからわからない。一年の時に賢った人間はクラス替えの時に噂になるものだが、彼女については特になんの噂もなかった。一年の時の成績優秀者に名前が載っていたかどうかは覚えていない。ちなみにだが僕はそれなりに賢い。友人はおらず、部活動にも参加していないので放課後やることがなかったのだ。だから去年一年はほぼずっと勉強しているだけの寂しい高校生だった。……もちろん今年もそうなる予定だ。


 それにしても……。

 彼女に関して、噂というものを聞いたことがない。というか、彼女に関してクラスメイトが何か話をしているシーンを見たことが一度もない。僕とてクラス替えをしたばかりの頃はいろいろな奴に話しかけられた。そのすべてをやんわりと退けてきたわけだが、彼女に関しては話しかけられた事すらないように思えた。モデルになれるような目立つ人間なのに……。男子なら一度は彼女についてふしだらな会話をして当然ではないかと思うが、それもない。別にクラスの男子が女子に興味がない訳ではなく、彼女に興味がない。彼女に告白した輩がいた、という話などもっての他。


 ……まさか「鬼」ではあるまいに。


 日が経つにつれ、そんな彼女の異常性が気になってしまっていた。

 どこか日常から彼女だけが切り離されているような……そんな違和感。同時に深く知ってはならないような、そんな危険な香りもした。それとも、これが高嶺の花というやつなのだろうか。

 昼休み、彼女はどこに消えているのか。放課後、部活に行かず何をしているのか……。

 それは僕にとって大きな謎だが、他のクラスメイトはやはり全く興味がないらしかった。

 おかしな話だ……。


 そんなことを考えていると、斜め前の席を女子数人が取り囲んで何やら話しているのが聞こえてきた。聞き耳立てていると思われると嫌なのでまた机に突っ伏す。それでも彼女らの話し声は聞こえてくる。いつもならイヤホンで外界を遮断しているが、今日はスマホのバッテリー切れのせいでそれも叶わないのだ。

 何やら勉強の話をしているようだった。


「……えーっ!? ミサちゃんもイザワ塾に変えるの!? このクラス何人目?」


「んー、確か……、エリカと、ユイと、カリサワ君と、オオゴシ君と……うーん、私が知ってるだけで8人かな」


 それを聞いてえぇーっ、と驚きのどよめきを上げる女子グループ。

 「イザワ塾」。僕もその名前は知っていた。

 井沢塾はこの学校付近にある個人運営の予備校だ。たくさんの予備校がいつも校門前でパンフレットを配って勧誘していて、井沢塾も大手に交じって宣伝をしていた。世間では無名だが、この高校、青原高校では有名な予備校だ。

 なんでも、大手の予備校に比べて実績こそ劣るが、うちの高校とマッチした指導をしてくれるとかナントカで、最近急に人気が上がっている。わざわざ大手から転塾する生徒も多いらしい。話の流れからすると、「ミサちゃん」も井沢塾に変えたようだ。……ミサちゃんて誰なんだろうね。クラスメイトのはずなんだろうけど全然分からん。

 ……ちなみに僕はどこにも通っていない。塾に入れば当然のことに、そこで人付き合いが生まれてしまう。それは避けたかった。


   ▼


 そして放課後。

 僕が帰宅準備をしていると、五木さんがやはり誰の目に留まることもなく、黒髪を揺らしながら颯爽と教室を出ていくのが見えた。

 ……今日はスマホの代わりに彼女の後姿を眺めていたせいか、なんとなくいつも以上に彼女のことが気になっていた。

 帰宅するのだろうか。それとも何処かにショッピングへ? 実はモデルの仕事をしているのかも。

 少し悩んだ末、僕は彼女を追ってみることにした。

 どうせ暇だし。バレない程度にね。

 そう思ったのだが、


「……あれ?」


 校門まで早歩きで急いだが、周囲を見回しても彼女の姿はどこにもなかった。外には出ずまだ校内にいるのだろうか?

 そうは思ったが、彼女を探しに校内を歩き回る気にまではなれなかった。

 急に何をしてるんだろうなという気分になる。

 何だか酷く萎えた。


「……帰るか」


 今日は素直に諦めることにしよう。別に追いかけたところで何になるわけでもないのだし。僕は一度だけ、長髪を靡かせながら歩く極無表情な五木さんを脳裏に想像し、すぐに掻き消した。

 

 僕の家は学校から徒歩15分圏内にある一軒家。駅とは反対方向にあるので、一緒の方角に帰る人はいない。自転車で登校もできるのだが、徒歩で近道を通った方が数分早いのだ。そこはとても狭い裏路地なので自転車で通ると大変危ない。

 それに近道の近くにある商店街で買い食いもできる。


 僕はいつものように商店街を抜け、すぐ側にある裏路地に入った。ここが近道なのだが……。


「……あれ?」


 ふわっ、と見覚えのある長い黒髪がたなびいて、裏路地にある扉の一つに消えていった。バタン、と音を立てて扉が閉まった。

 あれは。

 うちの制服に、見紛うことないモデルのようなスタイル……間違いない。五木さんだ。

 しかし何故こんなところに?

 僕は速足で彼女が消えた扉に近寄る。そこにはこんな看板が掛かっていた。


『磨業工房』

 

「ま……マゴウ、コウボウ? こんなのあったか……?」


 もう一年以上この道を通っているが、こんな所に工房なんてものがあったとは。しかし一体何の工房なんだ……。上を見上げてみたが、お世辞にも大きなビルとは言えない。人気のない廃れた三階建てだ。扉も至る所が赤褐色に錆びていた。

 五木さんは、何故こんなところに。

 僕はゆっくりと扉のノブに手を掛けた。ひんやりと冷たい金属の硬い感触。錆びの匂い。


「……、」


 それを、ゆっくりと、音を殺して捻った。

 鍵は掛かっておらず、表面が錆びている割にはスムーズに開いた。

 僕は首だけを突っ込んで中を覗く。薄暗くて良く見えないが、すぐ近くに階段があるのは分かった。


「……あ、あのー」


 返事はない。

 僕は恐る恐る中に身を忍ばせた。扉をゆっくりと閉めると、一気に暗くなった。目が暗闇に慣れるのを待ち、奥へと目を向ける。階段を上らずに抜けたその奥には、もう一つ扉があった。


「開けちゃダメな気がするなぁ……」


 今度はあまり錆びていないノブを見つめながら、らしくない好奇心に驚いていた。いつもの僕ならこんな所には入りもしないだろうに。まるで何かに引き寄せられているように思える。

 そして僕は、それに逆らわないことにした。

 取り合えずノックしてみる。


「あのー……すみません」


 三度繰り返したが、返事はなかった。暗い通路の、四月らしくないひんやりとした空気が頬を撫でる。

 僕は一思いにノブを捻り、引いた。


「……何も、ないか」


 そこは8畳ほどの空間。中は窓もなく、壁紙もなくコンクリートがむき出しの空き部屋だった。しかしよく見ると、暗闇に紛れた黒いソファーが一つだけ置いてあるのがわかる。ぽつんと、何故かそれだけが置いてある。


「黒いソファーなんて、初めて見たぞ……」


 豪奢で派手というより、これだけが部屋にあるのがどこまでも不気味に感じられた。一体、誰の、何のための部屋なのだろうか。謎が深まる。


 僕は一旦部屋を出て、上へ続く階段に目を向ける。

 この上には何が……。と、


「ぉぁっ!?」


 思わず小さく悲鳴を上げてしまった。

 突然、階段の裏の方が淡く光っていたのに気付いたからだ。学校なら倉庫の扉がある階段のデッドスペース。そこに僕が少し屈んでやっと入れるほどの小さな扉があり、そこから光が漏れている。中のスペースが点灯しているようだ。


「まさか……この中か?」


 最早迷いはなかった。僕はまた、音を殺してノブを引く。

 奥の空間にはやはり小さな青い光の電灯が一つぶら下がっており、下へ続く階段を照らしていた。そこは何とか屈まずに入れるほどの高さだ。地下へ続くと思われる階段には、数段おきに電灯が置いてあり、足元を照らしている。気味が悪くて、心臓が縮こまるような圧迫感を覚える。

 耳を澄ますと、小さな声が聴こえた。


「……カ……ヨ……マエ……」


 聞き取れないほど小さいが、確かにわかる。これは自己紹介の時に一度だけ聞いた、五木さんの声だ。一度耳ににすれば忘れることのない、綺麗に透き通った水晶のような声。しかしこんなところで一体何を……。

 僕はゆっくりと音を殺して薄暗い階段を下りていく。一段下りるたびに、少しずつ冷気が増している。

 最下段、無機質な扉の前にたどり着いた時には無意識にも肩を抱えていた。


「なんでこんなに寒いんだよ……。あっ、ちょっと扉が開いてる」


 僅かな隙間。そこから淡い青の光が漏れている。

 ここまで来たんだから……。

 僕はまさしく覗いてくれと言わんばかりの扉をほんの少しだけ引いて、中の空間を覗き見た。


「……!」


 覗いて初めて、理性を取り戻したように後悔した。なんでここまで来てしまったんだ、と。

 嫌な汗が頬を伝う。

 あれは、何だ?


「___主よ、我らが罪を指し示し給え。主よ、我らが罪を指し示し給え……」


 呪文のような五木さんの声が鼓膜を揺らす。___いや、これは紛れもない呪文か。

 そして異常な空間があった。

 跪く五木さんを中心に、描かれた円状の文様。それが、淡く青く発光していた。よく見ると、五木さんの発する呪文と連動するように、節を切るたびに点滅している。

 そして、文様の彼方此方に置かれた無数の石のような物。水晶のように球体の物があれば、ドロドロのスライムのように液状の物もあった。

 それらが不規則に……あるいは僕の知らない規則に則って設置されている。


 僕は、その異常な空間に魅入っていた。

 間違いなく、これは「見てはならないもの」だ。決して、常人の触れてはならないナニカ___その中心に、あろうことかミステリアス改めオカルティックなクラスメイト、五木華恋が居る。

 彼女の姿は不気味さを通り越して、神秘的なまでに感じられた。中央にいる五木さんは、まるで神に遣わされた聖女のような……。そこに居ることが、何故かしっくりとくる。

 

 そして僕は、ここで最大の失敗を仕出かす。

 五木さんに魅入られていた僕は、扉にもたれ、どんどん自分の身体を前へ傾けていた。愚かな僕はそれに気が付かず。


 ガタン!


 と、大きな音を立てて、僅かに引かれていた扉を閉めてしまった。

 しまった___と頭を抱えたが後の祭り。


「……そこに誰かいるのね」


 呪文が途切れ、五木さんの有無を言わせぬ声が飛んできた。

 ああ、やってしまった……。


 潔く逃亡などはせず、僕は扉をゆっくりと開いた。

 果たしてそこには、どこからか持ってきた小さな木の椅子に腰かけ優雅に脚を組んだ五木さんが相当に険しい顔をして待っていた。

 彼女は第一声、


「不味いわね。見られた」


 と、綺麗な顔を思いっきり歪ませた五木さんは、唖然として固まったままの僕に右腕を伸ばし……


「ごめんなさいね___」


 僕の意識は唐突に暗転した。


   ▼


 目が覚めると、手足に嫌な感触があった。見ると、僕は両手両足を結束バンドで拘束され、冷たい床に転がされていた。扉の前から部屋の中に移動させられている。

 身を捩じらせながら顔を上げると、五木さんが木の椅子に腰かけて脚を組みながら憂鬱そうにこちらを見下ろしていた。脚を組んでいるせいで、この角度からは制服のスカートの中身が少し見えそうになっている。……あと少しなんだけどなぁ。見えん。


「あの……五木さん、だよね? 同じクラスメイトの……」


 何とか弁明を立てようと、とりあえず自己紹介をしようとしたが、五木さんはため息を吐いて首をゆっくりと横に振った。

 

「鎖原、悠斗。存在感の薄いクラスメイト。……最悪ね、あなた」


 吐き捨てるようにそれだけ言って腰を上げ、僕の方へ三歩寄ってくる。同じ年の女子が発しているとは思えぬ半端ない威圧感に気圧され、僕は少し後方へ身を捩じらせた。というか存在感が薄いとはなんだ。あんただけには言われたくない。


 そして彼女は、まるでゴミ屑を見るような目で言った。


「あなた、知ってる? 最近じゃあインターネットが普及したこともあってね、どれだけパターンを想定して口封じをしても、どこかに穴が開いてしまうの。それを一つずつ塞いでいては日が暮れてしまうわ……。分かる?」


「え……お、おう」


 彼女はさらに30センチほどにまで詰め寄ってきて、右腕を伸ばしてきた。クスクスと笑っている。そして一言、


「『立ちなさい』」


「はっ……?」


 すると奇妙なことに身体が綿のように軽くなり、ふわりと勝手に立ち上がってしまった。

 

 手を後ろで縛られ、足も縛られているので物凄く無様な恰好だ。そんな僕に彼女はさらに接近する。

 そしてツー、っと僕の身体の正中線をなぞるように撫でてくる白く、しなやかで綺麗な中指。金縛りにあったように、僕の身体は言うことを聞かない。動かす気にもならないが、直観的に理解してしまう。彼女は僕の身体に「何か」をした。そして、彼女が言ったことの意味を、何を僕に求めているのかを解ってしまった。だから恐怖で身体が動かない。

 至近距離で初めてみた彼女は、もうどうしようもないくらいに美しかった。

 故に、どうしようもなく、彼女を同じ人間とは思えなかった___尤も、僕だって正確には人間ではないのだが。


 ___この人は、五木華恋は、僕と同じ人間とは言い難いナニカだ。


 そして、

 彼女の中指がちょうど胸の真ん中に来た瞬間、彼女は告げた。


「穴をすべて塞ぐよりも、何倍も楽で、確実……」


 なるほど。やはり彼女は僕を始末する腹積もりらしい。

 一体、僕はどうやって殺されるのだろうか……。さすがに不死身と言えるほどの治癒力は持ち合わせていない。これでは万事休すだ。

 今はとりあえず時間を稼ぐしかない。話しながら考えよう。


「あんた、い、一体何者なんだ?」


 彼女は至近距離で見つめ、訊き返してきた。


「それを聞いてどうするの?」


「いや……冥途の土産って言うか……。どうせ死ぬなら何を知っても良いじゃないか。さっき僕に何を……」


 ぴく、と彼女の整えられた眉が僅かに動いた。

 ゆっくりと胸の指が離され、彼女が一歩身を引き、翻して部屋の中心の椅子にまた腰かけた。

 彼女の目線が、鋭くなる。

 それはまるでナイフのように僕を貫いた。それだけでまた、僕の身体は金縛りにあったように動かなくなる。


「答える前に訊くわね。……あなた、何者なの」


 はっと顔を上げる。

 僕が異形の類であることがバレている? この一瞬で? それとも教室で彼女の背中を眺めているうちにバレたか?

 いや今はどっちでもいいか……。


「……そうだ。僕は真っ当な人間じゃない。……けど、あんただってそうなんだろ」


「そう……それは面白いわ」


 にやぁ、と口角を吊り上げながら、妖艶な声で彼女は告げた。


「それじゃあ、尚更あなたには死んでもらわなければならないわね」


「どういう、ことだよ……」


「あなたは駆逐対象だから」


「駆逐、対象……」


 脚を優雅に組みなおしながら、はぁーっ、と色っぽい吐息を漏らす彼女。

 戸惑いと不安に揺れているであろう僕の瞳を一線に見つめながら、再び口を開いた。


「そうね___例えば、このまま拘束して、ここに餓死するまで監禁するとか」


「……」


 それにそんな死に方は冗談じゃない……。楽な死に方なんて知らないが。


「それじゃあ、もう二度と帰ってこれないように、言語の通じない南米あたりまで飛ばしてあげようかしら? そこで行き倒れて餓死なさい」


 ふふっ、と笑みを漏らしながら楽しそうに言う。この人はそんなこともできるのか……。何にしても家には帰してもらえなさそうだ。特別家に帰りたいわけではないが、海の向こうに飛ばされるのはまっぴらだ。僕は日本語しかわからない。海外は怖い。


「まぁいいわ。あなた一人殺すのなんてどうにでもなるのだから。……それで、私がここで何をしていたか、知りたい?」


「……ああ」


 彼女は足元に転がっていた水晶を拾い上げた。透明な真球であったはずのそれには、いつの間にか深い亀裂が走っていた。


「あら。これ、あなたのおかげで使い物にならなくなってしまったわ」


 これは……、僕のせいなのだろうか。絶対そうだな……。

 コトン、と重たそうな音と共に水晶をもとの場所に戻す。そして、もう一度足を優雅に組み直し、彼女は言った。


「『解放してあげなさい』」


「うおっ」


 すると、両手両足を縛っていた結束バンドが途中で切断された。足が自由になった拍子にバランスを崩して転倒してしまう。ともかく、やっと無様な恰好から解放された。両手首には青い痣が残っている。


「さっきの悲痛に呻くあなた、とっても情けなくて滑稽だったわ。だから特別に教えてあげる」


「それは、褒めてんのかよ……」


 五木さんは、情けなく地べたに尻もちをつき皮肉を漏らす僕を嗤う。

 素性を明かす。


「……魔女よ。私は魔女に分類される人種なの」


 そしてこちらを鋭く睨みつけ、


「あなたのような異形の存在から秩序を守るのが私の役目よ」


 冷酷にもそう告げたのだった。

 やはり僕を殺すつもりらしい。

 ……一体、僕が何をしたというのだ。

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