第32話 滅亡
パパやシンディや妹も私の新しい病気に気が付いた。
最初は長い間入院していたから成長が遅いんだろうと楽観視していたパパも、20才を過ぎても全く姿形の変わらない私を見て頭を抱えてしまった。
シンディはきっと病院で成長を止める副作用がある薬を射たれたんだわ、そうに違いない! と思い込み「絶対に訴えてやるんだから!」と法律関係の書物を一日中読みふけっている。
背が高く胸も大きくなったヘレンは私に「ブリキの太鼓」という古い映画を観せた。それは自分の意思で子供のまま成長しなくなった少年が、様々な出会いを経て再び成長を始めるというファンタジックな作品だった。
ヘレンは「お姉ちゃんはきっと心のどこかで大人になりたくないって思ってるんだよ。心から大人になりたいって願えば、絶対に成長が始まるよ」と意気込んで言った。本当に、そうだったらどんなにいいだろう。
私の病気はまたしても家族に不和をもたらそうとしていた。
パパとシンディの口論をする回数が増えていた。
パパは私を病院に連れて行って検査をするべきだと言い、シンディはそんな事をしたら私がモルモットのような扱いを受けるだろうと怒鳴った。
2人は小1時間程口論した後で、どちらともなく「言い過ぎた」と謝って抱きしめあう。それで喧嘩は終わりになる。……一旦はだ。
この光景を私は見た事があった。何度も何度もだ。こんな事を続けていたら、やがて2人の間にある絆がバラバラに壊れてしまう。かつて私のママとパパに起きた事が、シンディとパパにも起きてしまう。私は大切な人達が傷つけあう姿を2度とみたくなかった。それは何よりも悲しい事なのだ。
23才の誕生日の前日に、私はパパとシンディとヘレンに手紙を残して家を出た。
手紙には私が外見はともかく内面は立派な大人である事と、私が家を出るのは決して誰かのせいではないという事、皆の事をとてもとても大事に思っていて、愛しているという事、それからきっと元気に生きていくから、どうか心配しないでという事を書いた。それから最後に、パパのお財布から当分の生活費を拝借した事を追記した。迷惑にならないくらいのお金なので、許してもらえると思う。
私は眠っているパパとシンディとヘレンの頬にキスをして家を出た。そして2度と、戻らなかった。私は私の家族が、世界中のどんな家族よりも幸せになる事を願っている。
家を出てから私は長い旅を続けた。人類がすっかりいなくなってしまうまで続く、果てのない旅だ。
こんな体だから危険や苦労も多かったけれ ど、それなりに楽しい旅だった。
いい事もあれば、悪い事もあり、晴れた日もあれば、雨の日もあった。いい人に出会う時もあれば、悪い人に出会う時もあった。いい人との出会いの方が少しだけ多かった。
私は何か面白い事や、幸せな事、時に耐えきれない程悲しい事が起きると、それをノートに書き込んだ。私の身に起きた事を全て記録して、忘れないようにするのだ。そうすればいつかブギーマンと再び出会った時に、沢山の面白い話を聞かせてあげられる。それに、私自身が私の事を忘れないで済むのだ。
私は何一つ忘れたくなかった。ママとパパが考えた私の名前も、生まれた場所も暮らした家も、病院で出会った子供達の事も、パパとシンディとヘレンの事も。思い出す度に私を突き刺してくる辛い記憶――空港で倒れたママや、死体安置所に横たわっていたジャック、暗い世界に進んでいってしまったサードの事――ですら、私は決して忘れたくはなかったのだ。
私は長い旅を続ける中で、何度かブギーマンに会いに行こうかと悩んだ。
ホリィヒル病院の側まで歩いて行った事もある。その門をくぐった事も。
けれどいずれの場合も私は病院の中には入らずに、踵を返してそこから立ち去った。彼は私に世界が終わったら会おうと言ったのだ。そう約束したのだ。私は彼に会う前にまずちゃんと生きなければいけないのだ。彼が言ったように色々な人と触れ合って、毎日新しい事をして過ごすのだ。美味しい物を沢山食べて、 行った事のない場所に旅をして、沢山誰かを好きにならなくちゃいけない。
彼との再会は私が自分の人生を生きて、生きて、生き抜いてからでも遅くはないのだ。
私は更に旅を続けた。何十年も、何百年も、何千年も。四季のように時代は巡った。巡る時代の中で何度か大きな戦争もあった。新型核兵器がうっかり地上を滅ぼしかけた事もある。聞いた事もない新しい伝染病が大流行したり、大陸の形を変える程の大地震が起きたり、津波が人々を海へ攫っていったりもした。
私は崩れ落ちてきたビルのコンクリート片に潰されたり、マシンガンに撃ち抜かれたり、悪い人達に刺し殺されて身ぐるみを剥がされたりもしたけれど、朝陽が上る頃には何事もなかったように目を醒した。こんな時は、あぁ、私は本当に病気なんだと自覚させられる。
人々は徐々に数を減らしていた。
人類は太陽の下を歩けない体になっていた。太陽の光りが彼らの皮膚を爛れさせるからだ。私が太陽の下を歩いていると、崩れ落ちた建物の影に隠れていた人々が私に向かって石を投げて来た。
彼らの目には私は化け物に見えたのだろう。
やがてそんな人々の姿も見なくなった。消えてしまったのだ。恐らくは絶滅してしまったのだろう。私と彼だけを残して。
私は悟った。彼に会いにいく時が来たんだと。
私は今まで自分が書き溜めたノートをリュックサックに詰め込めるだけ詰め込んで、方位磁石を手に古い地図を広げ、彼が待っている場所――ホリィヒル病院に向かって歩き始めた。
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