第28話 時間切れ
「小説を書いているのかい? マージ」
私がベッドテーブルの上に広げたノートに『カーチャとファンの追いかけっこ』の話を書いていると、カーテンが開いてパパが入って来た。
私はペンを止めパパを見上げる。
パパはベッドの側にパイプ椅子を置き、そこに腰をかけた。
「……もう私の事なんか忘れたのかと思ってたわ」
「馬鹿な事を言うな、マージ。お前を忘れるわけないじゃないか」
パパは笑ったけれど私は笑わなかった。
パパは笑うのを止め、私の頭に手を伸ばした。
「中々会いにこられなくて悪かった。色々、大変な事もあったのは聞いているよ」
パパは私の頭を撫でる。
「ジャックの事は不幸な事故だったんだ。残念だよ。お前はあの子と仲良しだったからな」
私は返事をしなかった。
パパに向けていた顔をノートに向け直し、再びペンを走らせる。
「……本当にすまない。来る予定だったんだ」
「今日はあの人は一緒じゃないの」
「今日はパパだけだ。2人で話すのもいいだろう? 今日は大事な話があるんだよ。マージ」
「そう。どんな話? 言う事を聞かない可愛げのない欠陥品の娘を捨てて、新しい家族と楽しく暮らすんだって話かしら」
「こっちを向いて話を聞きなさい。大事な話なんだ」
私は渋々パパに顔を向けた。
「長い間ここにこられなかったのは準備をしていたからなんだ。家を工事していてね」
「あぁ、そういう事ね」
私は眉間に皺を寄せた。要するにパパはダニーのママと同じ事をしたわけだ。
「私の部屋をなくしたのね。別にいいけど。どうせ私はここから出られないんだし」
パパは吃驚した顔をして私を見つめると、体を振るわせ、膝を叩いて笑い出す。
「その逆だよ、マージ! お家に帰ろう!」
今度は吃驚するのは私の番だった。
「お前の部屋は昔のままだよ。毎日掃除してたから埃一つない。家に帰ったらきっと驚くぞ。家にエレベーターを付けたんだ。1階からお前の部屋に繋がってる。それに病院にあるものは全部あるんだ。呼吸器や心電図モニターや他にも色々ね。近所の病院に話も付けて、これからは家にお医者様が来てくれるようにした。緊急の場合はすぐに駆けつけてくれるよ」
つまり、とパパは手を叩いた。
「今週末には退院出来るぞ」
パパはその後も色々な事を喋っていた。
退院したら私の大好物ばかりを食べさせるとか、遊園地や動物園に行こうとか。
私が望む場所に、私が望んだ時に、好きなだけ連れて行ってくれるってパパは笑った。
笑えば隠せると思っていたんだろう。
自分の本心を。
パパの笑顔の奥に深い悲しみが隠されているのに私は気が付いていた。
今にも泣き出しそうなのを笑顔で誤摩化そうとしている。
私に何も悟らせないようにするのに必死だ。
私は強くシーツを固く握りしめた。
来るべき時が来たのだと、私は理解した。
「凄く嬉しいわ、パパ。お家に帰れるのを楽しみにしてるから」
私はそう言って精一杯笑った。パパは私を抱きしめ、頬にキスをくれた。
「愛してるよ、マージ。これからはずっと一緒だ」
パパの声は涙で湿っていた。それは私に自分の寿命が尽きるのが近いのだと、思い知らせるのに十分な響きを持っていた。
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