第26話 ピント

 彼の部屋には色々な本があった。

 コメディからホラー、恋愛小説、歴史の本、お医者さん用の本や、世界中の宝石を解説している本、漫画、大昔に作られたような革表紙の本も。

 ジャンルはバラバラでまとまりもこだわりも感じられなかった。目隠ししたまま本屋さんに入って、手に触れた本を全部持って来たって感じ。図書室から消えた本も全て本棚に並んでいた。

 彼の部屋にいる間、私はその部屋にある本の中から子供向けの小説を選んで読んだ。

 最近読んでいるのは『ニンジン』って本。

 主人公は赤毛の男の子で、家族に意地悪をされている。サードにそっくりだ。私はこの主人公がいつか意地悪な家族をぶん殴って家から出て行き、立派な青年に成長する事を期待して読み進めていた。

「ねぇ」私は『ニンジン』を読みながらブギーマンに声をかける。

 彼はシッシッと犬でも追い払うみたいに手を振った。彼の視線は『ザ・ボディ』――彼のために私が図書室から借りて来た本――のページから離れない。

「ねぇったら」

 私はロッキングチェアの脚を手で押す。彼はやっと視線を私に向けた。

「今、面白い所だ。話なら後にしてくれ」言って彼はまた視線を本に戻そうとした。

 私はもう一度ロッキングチェアの脚を押した。彼は唇をキュッと結んで私を見つめる。

 こうして彼と一緒に過ごす時間を増やしてから、私は彼のお面顔の中に感情を見つける事が出来るようになっていた。今の顔は『おいおい、まだ何かあるのかい? 面倒だなぁ』って顔。

「あの人はどうなったの? あんたがモップで引っ叩いた人」

「……あぁ。あいつは裸にして病院のロビーに置いて来た。カメラは壊したし、メモリーカードは燃やした。心配いらないよ。もういいだろ?」

 彼はまた本を読み始めた。

 本を読んでいる彼の横顔は相変わらずの無表情ではあったけれど、産まれたての赤ん坊を抱いているお母さんや、プレゼントのリボンを解こうとしている子供、それからブギーマンの話を聞いている時のジャックの顔を思わせる輝きがあった。

 彼の横顔を見ているうちに私は初めて彼の顔を見た時に感じた「あともうちょっとで美形なのに残念でした」の「あともうちょっと」の部分が何なのかわかった。

 感情だ。

 初めて会った時の彼の顔には感情がなかった。お人形さんみたいで、本当にマネキンみたいだった。それがどうだ。本を読んでいる時の彼の 顔は――無表情ではあるんだけど――感情に溢れている。

 ソフトフォーカスがかかったみたいにぼんやりしていた顔に、ピントが合っていた。無茶苦茶悔しかっ たし、癪に障ったし、面白くなかったけど、私は認めるしかなかった。

 本を読むブギーマンの横顔はとても美しい。なんて生意気な。


 どうしてそんなに本が好きなのかと聞くと、彼はまた例の首をカクンと横に倒す仕草をしてから――これは彼が考え事をしている時の癖なのだ――一言だけ「不死だから」と言った。

 その時の彼の目はどんよりと曇っていて、声も強張っていた。

 本を読んでいる時の彼はとても幸せそうだったけれど、なぜ本が好きなのかと聞かれた時の彼は、自分では絶対に気が付来たくなかった、気が付いていても気が付かないようにしていた事実を突きつけられたような怯えた様子だった。

 私はいつかジャックが言っていた事を思い出す。

『人よりずっとずっと長生きするって事は、きっとあまり幸せじゃないんだ』

 小さなジャックは本当に正しかったのだ。

 私は増々このブギーマンと友達になりたいと思うようになった。それが死んでしまったジャックに出来る唯一の事だと思ったし、なにより、私自身ブギーマンの寂しそうな顔を、なんとかしたいなって思うようになっていたから。

 私は何か会話のきっかけがないかと彼に色々と話をした。 読んだ本の感想とか、テレビでみた面白いアニメや映画のあらすじとか。

 彼は私の話に全然興味を示さなかった。

 少なくともこの病院が建った当時から生きていた彼は、古今東西ありとあらゆる本を読んでいたし、ありとあらゆる物語のパターンを熟知していた。

 だから私が最後に大どんでん返しがある映画やアニメの話を熱弁しても、彼は「あぁ、主人公が犯人なんだろ」とさらりとオチを言い当ててしまうのだ。そして言葉を詰まらせている私を鼻で笑うのだ。腹立たしいったらない。

 私は色々と考えて、ならば私しか知らない話をしてやろうと思いついた。

 ノンフィクション。

 つまり、私自身の話だ。  

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