第25話 12歳

 私は1人ぼっちの12才の誕生日を迎えた。

 パパは病院に来なかった。プレゼントとカードが届いただけだ。

 プレゼントは4人対戦のボードゲーム。

 カードには「病室のお友達と遊びなさい」と書かれていた。

 私はそのカードとボードゲームを窓から投げ捨てた。


 皆が寝静まった真夜中に私は病室から抜け出した。 11才の誕生日の時のように。

 病院から抜け出して刑務所へ行こうと思っていたわけじゃない。ただ、そこにいたくなかったからだ。どこか別の場所に行けるのならどこでもよかった。もしピーター・パンが現れてネバーランドへ行こうと誘ったなら、私は窓から飛び立ちさえしただろう。

 暗い廊下に響くのは私の足音だけ。他には誰もいない。ダニーも、サードも、カーチャも、ジャックもいない。

 私は鼻を啜って天井を見上げた。上を向いていないと、ダラダラと情けなく泣いてしまいそうだったからだ。足の向くままに、私は廊下を歩き続けた。

 看護婦さんには見つからなかった。意識していたわけじゃないけど、体がどこをどう通れば見つからないで進めるのかを覚えていたんだろう。

 気が付くと私は東棟1階の廊下にいた。私の足は自然とお庭の方へと進んで行った。どうしてかはわからない。霊感と呼ばれるものが私を導いていたのかもしれない。

 お庭に通じる扉には立ち入り禁止の貼り紙がくっついていた。軽く扉ノブを捻ってみたけれど、やはり鍵が掛かっている。私は窓からお庭を覗いてみた。

 月明かりに照らされたお庭は太陽の下で見るよりずっと神秘的だった。普段の不気味さ、陰鬱さが影を潜めてる。あの趣味の悪いガーゴイルの石像すら美しく見える。以前にも一度、夜のお庭に来たけれどその時は大雨だったし、私は外に出る事ばかり考えていて、お庭をちゃんと観察していなかった。こんなに綺麗だったなんて。

 私はベンチを見つめてからもう一度扉の前に行き、コンコンコンと強めにノックした。

「ベンチに座ってんの見えたんだから、居留守したってダメよ」

 私がそう言うと、ノブが振動し、外側から扉が開かれた。扉の向こうには電気が発明される以前の時代に流行していただろう古めかしい真っ赤な燕尾服を着てシルクハットを冠ったブギーマンが立っていた。相変わらず無表情だったけど、よーく見ると唇の端が下がっている。彼なりに困惑していたんだろう。

「こんばんわ。素敵な服ね。それも誰かから盗んだ服なの?」

「失敬な。これは間違いなく僕の服だ」

 私は彼の横をすり抜けてお庭へと足を踏み入れた。裸足だったけど構うもんか。湿り気のある土の感触が少しくすぐったかった。ベンチの所まで歩いていくと、そこに腰掛ける。

 ベンチには彼の物らしい本が数冊、広げられたハンカチの上に綺麗に積み重ねられていた。どうして気が付かなかったんだろう。彼の本は全部図書室からなくなった本ばかりだったのに。

 ブギーマンは私と積み重なった本を挟んでベンチに座った。彼は無駄に長い足を組み、頬杖を付いて私を見る。

「何しに来たんだい? 病室に帰りたまえよ。外は寒い、風邪をひく」

 私はじっと彼の瞳を見つめた。

「なんだい?」

「あんたも1人ぼっちで寂しかったのかな、って思っただけよ」

「僕が? 寂しい?」

 彼は私の額をコンコンとノックでもするみたいに叩く。

「……何すんのよ、痛いじゃない」

「叩いた音で、中身が詰まってるかどうかわかるんだ」

 そう言ってもう一度、コンと叩く。

「中々残念な量の脳味噌だ。この僕が寂しいだって? 馬鹿をお言いでないよ」

「あらそうなの? じゃぁなんで掃除夫さんの格好で病院を迂路ついたりしたの? 私、てっきり誰か話し相手が欲しかったからだと思ったわ」

 彼はジィーッと私の顔を見つめてから、手早くハンカチで本を包み始める。図星か?

「馬鹿らしいね。話し相手なんかいらないよ」

「本当に?」

「当たり前だ」

「嘘ばっかり。本当に誰も話し相手がいらないなら、どうして掃除夫さんの振りをしたり、真っ昼間にお庭にいたりしたの? 誰かに話しかけて欲しかったんじゃない?」

 彼は本を小脇に抱え、ベンチから立ち上がった。

「どこいくの?」

「君がいない所」

 私もベンチから立ち上がり、彼の後を付いて歩く。

 彼は振り返り、私を無言で見下ろした。私は彼に向かってニッコリと微笑んだ。

「なんて邪悪な笑顔なんだ……おぞましい」

「真顔で言わないでよ、傷付くじゃない」

「真顔?」

 彼は首を傾げる。

「僕は冗談を言っただけだ」

「それならそういう顔をしてよ」

「してるさ。わからないのは君の目が悪いからだ。――で、なんで後を付いてくるんだ? 僕のお尻の匂いが嗅ぐのが趣味かい?」

 このスケベめ、と言って彼はお尻を押さえる。

「今のも冗談で言ったの?」

「まさか」

 私は全力で彼のお尻に蹴りをいれた。彼は「痛いなぁ」と全然痛くなさそうな顔をする。

「私決めたの。今」

「何を?」

「あんたのお友達になる。ジャックだってきっとそれを望んでるはずだもん」

 彼は一瞬ピタッと動きを止めた。顔は変わらないけど、目が泳いでいた。

「……僕にも選ぶ権利があるぞ」

「あんたみたいな根性悪に権利なんてあるわけないじゃない。どこまでだって付いていくわ」

「嫌だって言ったら?」

「この病院に不審者がいるって言うわ。もしかしたらマスコミがまた掃除夫さんに化けているかもって! そしたらどうなると思う? きっとお医者様達は病院中、徹底的にあなたを探しまわるわよ。あなた、ここにいられなくなっちゃうからね」

「卑怯だぞ。脅すのか」

 彼は小さく喉の奥で呻き、首を傾け、円を描いて歩き回る。

「あんたにとっても悪い条件じゃないわよ。もし、毎日ここで会ってくれるのなら、私、あなたのために図書室から本を取って来てあげる」

 ピタッと彼は回るのを止めて私を見た。

「本好きなんでしょ? でも棚には鍵が掛けられてるから、最近は新しい本を1冊も読めてないはずよ。私ならなんでも借りてこられる。あんたと違って信用があるもの」

 彼は自分が手に持っている本と私を交互に見つめた。彼が持っている本はもう何度も読み返しているみたいで、表紙がぼろぼろだった。

 やがて彼は何度も「新刊じゃなきゃ嫌だからな」と念を押してから「仮の友達だからな。それから僕の事は絶対に誰にも話すんじゃないぞ。絶対だからな」と更に強く言っ た。

「……しょうがない。お嬢さん、こっちにおいで」

 彼はガーゴイルの石像に向かって歩き出した。私も彼に付いていく。

 彼は石像の前に立つとガーゴイルの頭を掴み、それを蛇口でも捻るみたいに右に回した。ズリッズリッと石像から石が擦れる音と振動が響き、急にガーゴイルが後ろ向きに倒れた。

「……うっそ……凄い、何これ……」

 ガーゴイルの下から現れたのは地下へと続く長い階段だった。どこまで続いているのか、階段の先は全く見えない。

「ほら、いくぞ」彼はスタスタと階段を降りていく。私は慌てて彼の後を追い掛けた。


 数歩階段を降りると彼が壁に付けられた大きなレバーを引き倒すのが見えた。先程降りて来た階段の入り口が閉じていく。視界がどんどん暗くなったかと思うと、急に明るくなった。片側の壁についた蛍光灯が光っている。彼はスタスタと歩いていってしまう。私は早歩きで彼の後を追った。長い石造りの地下道を真っ直ぐ進み続けると、前方に上へ続く階段が現れた。

 階段を上ったその先には病室よりも一回り大きな部屋が広がっていた。

 天井は高く、三方の壁は背の高い本棚に囲まれている。本棚には隙間無く本が詰め込まれていたけれど、入り切らなかった本が棚から溢れて床に幾つもの高い柱を築いている。足の踏み場もない。本棚が置かれていない壁一面に、写真や古いアルファベットが書かれた羊皮紙がベタベタと貼り付けられている。写真の中には例の『医師と当時の患者』が何枚もあった。今まで病院に飾られてはなくなっていた物だろう。

 壁の前には大きなロッキングチェアが置かれていた。古い木製のロッキングチェアで、肘掛けと背もたれが柔らかい曲線を描いている。木には飴色の光沢があり、その色と椅子全体の曲線的な形が深い暖かみを持たせていた。

 彼は私が階段から出るとその入り口に木の板を被せ、本を乗せた。

「こんな所に部屋があったなんて……信じられない。いつもこの階段を通ってお庭に来ているのね。……この間はどうやって北棟に入ったの?」

 彼はロッキングチェアの置いてある壁に歩いてゆき、壁に貼られていた羊皮紙を1枚ペラリと捲った。そこには私の身長と同じくらいの高さの扉があった。

「これが北棟に繋がってる。地下2階の防火栓の扉だ」

 道理で変な場所に防火栓の扉があると思った。ここから病院内に入ってたのか。

「うろちょろするなよ。あと、絶対に僕の本を傷つけるな。物音も立てるな」

「注文が多いわね。そんなんだと友達出来ないわよ」

「そんなのいらないね。友達なんてろくなもんじゃない。すぐ死んじゃうんだから」

 彼はそう言うとロッキングチェアに座り、椅子を揺らしながら本を読み始めた。


 私はこの日から毎日のように彼の元を尋ねた。

 夜に病室を抜け出し、お庭のガーゴイルの下の地下道を通り抜け、この秘密部屋へやってくる。

 彼は「よく来たね」とか「会えて嬉しいよ」とかそんな気の利いた事を喋ったり、愛想良く挨拶したりはしなかったけれど、私を追い返そうとしたり、無下に扱ったりはしなかった。

 彼と私の間に会話らしい会話なんてなかったけれど、それでも私は病室にいる時よりずっと孤独じゃなかった。  

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