第24話 チームは解散


 「いやだぁー! いやだぁ! いきたくない! いきたくないよぉ!」

 サードの悲鳴が病室に響く。

 ベッドの脚にしがみついた彼を、緑色のナース服を着た屈強な看護士さん達が掴み、引き剥がそうとしている。緑色のナース服は北棟の制服だ。

「ここにいるんだ! 絶対戻らない! 絶対に嫌だっ!」

「いい加減にして! お父様とお母様に恥をかかせないで!」

 サードのママが大声で怒鳴る。

「嫌だぁ! 嫌だぁ! 嫌――」

 サードはついにベッドから剥がされ、そのままズルズルと引き摺られて移動用ベッドの上に無理矢理寝かされた。看護士さん達は素早く両手足をベルトで固定していく。

「大人しくしなさい!」

 看護士さんはサードに向かって怒鳴り、彼の口にプラスチックで出来たマスクみたいなものを無理矢理取り付けた。吠える犬に噛ませるようなやつだ。

「ゔー! ゔゔー!」

 声が出せなくなったらしくサードはマスクの下でうなり声を上げた。

「ちょっと! 何してるの!」

 私はベッドから飛び降りて、看護士さん達の方へ歩いて行こうとした。

 でも途中でダニーに腕を掴まれる。

「……止せよ、マージ」

「どいてよ、ダニー! ルールブックさんを……」

 私はルールブックさんを呼ぼうとして、彼女がもうこの病院にいない現実を思い出した。

 サードがベッドの上に体を固定され、ガラガラと部屋の外に運び出されていく。サードの後をサードのパパとママが付いて行った。

「あの人達、サードをどこに連れてくつもりなの!」

 病室の奥、カーチャのベッドの側に彼女のおじさんが段ボールを手に持って立っているのが見えた。カーチャが私物を段ボールに投げ込んでいる。

「カーチャのおじさん! あの人達なんとかしてよ! サードが誘拐されたわ!」

 おじさんは私の方に顔を向けると首を横に振った。同情と諦めが混ざった複雑な顔。

「あんな事があったんじゃ仕方ないだろう、お嬢さん」

 おじさんはそれっきり私に背中を向けてしまった。

 『あんな事』の意味を思い出し、私はもう黙るしかないのだと悟った。悔しかった。


 ブギーマンは私に嘘を吐いていた。

 彼は私にジャックは眠るように苦しまずに逝ったと伝えたけれど、それは全て嘘だった。

 死んでいるジャックを発見したのは見回り中の看護婦さんだった。

 ジャックの死体を見た看護婦さんはその場に凍り付き、動く事が出来なかったそうだ。

 ジャックの体はベッドから落ちて床に転がっていた。

 体中引っ掻き傷だらけで、胸の肉は巨大なヤスリで削られたような状態だった。脇腹にあった手 術痕――20センチくらいの直線の縫い目――は開き、そこから腸が引っ張り出されていた。ジャックの右手はその腸を強く握りしめていた。彼が自分で開いた傷口に手を突っ込み、内臓を引きずり出したのだ。背骨は逆方向に折れる程曲がって、左手はナースコールに向って伸ばされた形で硬直していた。

 もし私達が1人でも病室に残っていたなら、ジャックの代わりにナースコールを押し、彼が自分の体を傷つけないように押さえつけておく事だって出来た。

 でも私達は誰も彼の側にいなかった。

 ジャックは独りぼっちで苦しみ続け、そして独りぼっちで死んでしまったのだ。 

 病室の管理を任されていたルールブックさんは病院を解雇され、私達は二度とこんな事が起きないように、全員別々の場所に移されると決まったのだ。


 私だけはここに残るけど、皆はそれぞれ別の場所へ移動する。

 サードは彼が心から恐れている北棟へ戻され、ダニーはこのまま退院、カーチャはおじさんの『上司』が経営する病院へ移動になる。もう皆、バラバラになるのだ。

 カーチャは荷物の整理を終えて、おじさんを連れて病室から出て行った。扉から出ていく時に彼女はこちらに振り返り「さようなら」と手を振った。私も手を振りかえした。

「ダニー、そろそろいくよ。ほら、枕くらい自分で持って」

 紙袋を両手に持ったダニーのお姉さんがやって来てそう言った。ダニーは頷き、お姉さんから枕を受け取る。彼は何度かこちらを名残惜しげに振り返りながら去っていった。 彼は何も言わなかった。

 彼らの足音や話し声がどんどんと遠のいてゆき、やがて完全に消えてなくなる。

 私は病室を見渡した。全てのベッドが空になっている。誰もいない。信じられないような静けさの中で、私は膝を抱えて泣いた。



 1人きりの時間はそう長く続かなかった。

 西棟から子供達が一斉に移動して来たからだ。

 病室に入って来た子供達は全部で4人。男の子3人に、女の子1人。

 全員知っている顔だった。女の子はカーチャのベッドの裏に張り付いていたストーカー少女。そして男の子達は以前図書室で私を取り囲んだ子達だっ た。彼等も私に気が付いたみたいで、顔を突き合わせながらヒソヒソと何か喋っていた。観察されているみたいでとても居心地が悪かった。

 私は出来るだけ彼等と顔を合わせないように生活した。常にベッドの周りをカーテンで囲んで、そこに閉じこもった。彼等のキラキラした顔を見たくなかったし、彼等に私の幽霊のような姿を見られるのも嫌だった。

 しかし私がこれだけあからさまに「あんた達とは関わりたくないのよ」って態度を示していたというのに、彼等はわざわざカーテンを開けて、私に声を掛けた。

「トランプやるんだけど一緒にやらない?」

 私はいつも首を横に振って断り、彼等の鼻先でカーテンを閉めてやった。

 私は彼等と口をきくのも嫌だった。健康な子供なんて皆一緒だ。図々しくて、鈍感で、平気で人を傷つける。

「なぁ、遊ぼうよ。楽しいよ? 誰も意地悪しないよ?」

 彼らの誘いに私は頑に首を横に振り続けた。

 やがて彼等は私に声を掛けて来なくなった。時々チラチラと私の方を見るけど、側には近寄ってこない。遠巻きに私を見つめながら「あの子、変わってるね」と囁きあうだけだ。

 新しくやって来た子供達の所には彼らが通っている学校やスポーツクラブの友達が毎日のように訊ねて来た。1人か2人の時もあれば、10人以上の集団で騒ぎながらくる時もあった。

 新しくやって来た子供達は怪我さえ治れば病院からさっさと立ち去れる。

 そして当分の間、自分が病院に入院していたという話を「こんな事があってさー」とただの思い出話の1つに出来るのだ。それがこの世界で大多数の普通の子供なのだ。

 彼らと一緒にいるだけで私は自分が普通ではないのだと思い知らされた。

 私のパパと本当のママは二度と一緒にならない。

 パパと魔女は妹の世話で忙しく、最近はお見舞いにこない。私は入院生活を思い出になんか出来ない。

 このままここで死んでいくのだから。きっと、ジャックのように1人きりで。  

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