第21話 狂騒
「あーぁ、まだあんなにいるぜ」窓の外を覗きながらダニーが言う。
私もダニーの隣に並び外を覗いてみる。もうすぐ12時になろうって言うのに、アンテナを乗せたワゴンカーがズラーッと駐車場に並んでいる。時折キラッと光るのは彼らがこちらに向けているカメラのレンズだろう。
「あいつら病院の中にまで入って来てたわよ。ロビーの所で声かけられたもん」
私は声をかけて来た記者の真似をして喋る。
「お嬢ちゃんジャック・サーマンって男の子知らないかな? 知ってる? ほら、お外にテレビカメラがあるんだよ! テレビに出たいでしょ? 有名人になれるよ! 皆が羨ましがる! こんな病院に入院してるの退屈でしょ? テレビに出れば退屈なんておさらばだよ!」
「ゴミだなそいつ。で、どうした?」
「股間を思い切り蹴り飛ばして、大声で看護婦さん呼んでやったわ」
ダニーが親指を立て「グッジョブ」と笑った。
ジャックは今や時の人だ。いい意味ではないけど。
少し前にとある大スキャンダルがテレビニュースで流れた。それが原因だ。
あの『この手の中の命』が、とんでもないインチキ本だってわかったのだ。
作者の元夫ジェラルドが「これは創作だ。俺達の息子はまだ生きてる。生まれた後で離婚しちまったから、今どこにいるかは知らないが、でも俺の息子、ジャック・サーマンはまだ生きてるんだ。ジョンってのは本用に付けた偽名だよ」とテレビ局に暴露したのだ。
つまりあの本に出てくる、病気のために死んでしまう男の子とは、ジャックだったのだ。道理で作者の顔に見覚えがあると思った。あの人はジャックによく似てた。
連日放送されたマスコミの報道によると、ジャックのママは元々女性向けのエッチな小説を書いていた売れない作家だったそうだ。作家としては鳴かず飛ばずだった彼女は、ジャックの闘病生活をネタにして本を書いた。
最初は実話を元にしたフィクションとして出版する予定だったが、途中でノンフィクショ ンとして出版する事に決めた。そっちの方がより『感動的』になるし、売れると考えたからだ。彼女が本の中で息子を『殺した』のは、やはりそっちの方が『感 動的』という理由からだった。
……とある心理学者は「病気の息子に美しいまま死んで欲しいという親のエゴが反映された」とも言っていた。
そして本は大ヒット。ベストセラー作家になった彼女は息子が生きている事実を世間に隠す事に決めた。もはやジャックの存在は彼女にとって『癌』だったのだ。だから彼女はジャックを自分の人生から『適切』に『切除』した。
入院費用を振り込む以外、彼女はジャックと一切の関わりを持とうとしなかった。彼女はジャックを『切除』した見返りに、本で稼いだ莫大なお金と、新しい夫を手に入れたのだ。
スキャンダル発覚後、彼女は警察が彼女を児童虐待容疑で告訴しようとしている気配を察知し、新しい夫と離婚してオーストラリアに高飛びした。
でもマスコミはこんな事じゃ諦めない。マスコミ達は彼女のオーストラリアの豪邸にまで押し掛けてゆき、新聞を取りに庭に出て来たジャックのママを取り囲んだ。
彼女はマスコミに向かってこう怒鳴り散らした。
「あんた達に何がわかるの? 正義漢ぶりやがって! あんた達が育てればいい! 育てられるものならやってみればいい! 毎日、毎日、毎日失う事ばっかり考える! そんな生活を私は何年も続けて来たんだ! どれだけ辛いと思う! どれだけ苦しいと思う! こんなに苦しいなら、さっさと死んで欲しいって、そう考えて何が悪いの! 愛していたから苦しかったんじゃないか! 愛していたから! 愛していたから! ど うして私を責めるの! 本当に殺したわけじゃない! 殺したわけじゃない! ただ死んで欲しいと思っただけじゃない! それの何がいけないっていうのよ!」
マスコミが一斉にフラッシュを光らせ、壊れた女性の顔を写真に収めた。
「あんたは母親じゃない! フリークスだ!」
我こそは世間一般の良識的な人々の代弁者でございますって顔をした記者が怒鳴る。
ジャックのママはその記者に向かって新聞を投げつけ、豪邸の中に戻っていった。
彼女が「ジャックへ、本当にごめんなさい。ママはあなたを愛していました。でもあなたがいつかママより先に死んでしまうのかと思うと、恐くて、 ただ恐くて。いずれ消えてしまうあなたを愛するのが恐かったのです。愛しています。今まで言えなくてごめんなさい」というメモを残し、ドライヤーを抱きし めたままバスタブに沈んだのは、その日の夜だった。
ジャックのママの死後、マスコミ達は今度はジャックを死に物狂いで探し始めた。
そして一体どこから情報が漏れたのかわからないけど――図書館の看護婦さんは誰かがマスコミに情報を売ったんだと怒っていた――マスコミはこの病院にジャックが入院している事を嗅ぎ付け、可哀想な男の子の姿をなんとかカメラに収めようと、あの手この手で病院に入ろうとしていたのだ。
最低の連中だ。残さず死滅すればいいのに。
「……あ、そうだ。あのさぁ。ちょっと話変わるんだけどな」
ダニーはうーんと少し口ごもった。言おうかどうか悩んでるみたいだ。
「俺、退院するかも」
「や」私は驚き、一瞬言葉を失った。
「やったじゃない! おめでとう!」私は思い切りダニーに抱きついた。
「放せ! 放せって! 息出来ないだろ!」
ダニーが私の腕の中でじたばたと暴れる。
「あぁ、ごめん、つい興奮しちゃってさ!」
「ったく」ダニーは唇を尖らせてそう言ってから、言葉を続けた。
「シャロン姉ちゃん知ってるだろ?」
シャロンさんはダニーの一番上のお姉さんだ。ダニーのママと喧嘩して家を出た後アメリカ人の弁護士と結婚して、今はニューヨークで暮らしている。
「俺、姉ちゃんの家にいくんだ。姉ちゃんがさ、俺はいつまでも入院してちゃダメだって。俺が望むなら俺の親権を姉ちゃんに移して、そんで退院の許可を取ってくれるって。……お袋は俺が退院するのには反対なんだけど」
「関係ないわよ! 退院おめでとう!」
肩を叩くと、ダニーはぎこちなく「おう」と答えた。
「あんまり嬉しくなさそうね? あ、私と離れるのが寂しいとか? なーんてね!」
「なんで俺が! ふざけんな! うぬぼれんな! ブサイク! 死ね!」
ダニーは顔を真っ赤にして怒ってベッドに戻っていってしまった。変な奴だ。
変化っていうのは起きる時にはドミノ倒しみたいに連鎖していくみたいで、ダニーの退院の知らせに続いて他の子にも様々な変化が訪れた。
カーチャはおじさんからお兄さんの残した手紙を受け取った。何が書いてあったのかはわからないけど、それを読んだカーチャは徐々に元気を取り戻した。きっと彼女を立ち直らせるような言葉を、お兄さんは残して逝ったんだろう。
彼女は移植した臓器が思ったよりも上手く体に馴染んだみたいで、最初の予定より早く退院出来るかもしれない。退院したら18才になるまではおじさんの所で一緒に暮らすそうだ。
サードは1人でパジャマを着られるようになった。サードのパパやママは「薬を増やしたおかげだ!」と大はしゃぎだったけど、彼が北棟のお医者様から処方された『まとも』になるお薬をトイレに流しているのは皆が知ってる。サードがちゃんとパジャマを着るようになったのは、ダニーが根気づよくパジャ マの着方をレクチャーしたからに過ぎない。
ダニーは「教えればちゃんと出来るんだ! こいつの家族は今まで何にも教えようとしなかったんだぜ! 本当はきっと、病院に入れる必要もないんだ!」とプリプリ怒っていた。
それからジャックだ。
ジャックは昏睡状態から意識を取り戻し、病室に戻って来た。お医者様は個室の方がいいと思ったみたいだけど、ジャックと私達の意思を尊重しようって結論になったみたい。
彼が病室に戻ってくると聞いた時、私達は大喜びだった。最悪の場合、もう帰ってこないんじゃないかと心配していた分、喜びは大きかった。
でも、それもジャックが実際に病室に帰ってくるまでだった。私達はすっかり元通り元気になったジャックが帰ってくるのだとばかり思っていたけれど、それは違っていたのだ。
ジャックは以前よりもっと弱々しくなり、ベッドから起き上がる事すら困難になっていた。点滴の数は日々増え続けている。その内自分で食べ物を飲 み込むのも難しくなるという話だ。最終的には全身の内臓を機械に繋げて、意識がなくなっても心臓が動くようにするらしい。ジャックは『生きているジャック』から『死んでないジャック』になるのだ。
彼を訪ねて大勢の礼儀のなっていないマスコミ達が病院にやって来た。彼らは患者や、掃除夫さん、それにお医者様に変装して病室に入って来ようとする。
ジャックは一日中ボーッとしている事が多くなった。話しかけても殆ど反応がない。
痛み止めの麻酔のせいだとルールブックさんは教えてくれた。ジャックには私達の声がぼんやりとしか聞こえないし、姿も見えないんだそうだ。
麻酔が切れて意識がはっきりしてくると、彼は弱々しい声でブギーマンの事を尋ねた。
「ブギーマンは寂しい思いをしてないのかな」
「だって独りぼっちで……」
「ずっと……独りぼっちで……皆に……怖がられて嫌われて……邪魔だって思われて」
「僕もずっと……1人で……この体が……この傷が……気持ち悪いって……」
「この病院にくるまで1人ぼっちで……ママは僕を愛してくれていたのかなぁ……」
「大丈夫だよ……大丈夫だよ……1人じゃないんだ……1人は、嫌だな……恐い」
ジャックが眠りに落ちた後、サードが小さな声で「ブギーマンってきっとジャックの事なんだ。僕らと友達になる前の、1人ぼっちだった頃のジャックの事なんだよ」と呟いた。
ジャックが車椅子に乗せられてどこかに連れて行かれた後、自然と私達はジャックのベッドの側に集まっていた。
「来週、ジャックは手術なんだ。手術に耐えられないってわかったら、別の病室に移動になるんだって。わかるだろ? 俺達の前で死んじまったりしないようにするんだ」
「1人ぼっちになるの、あんなに嫌がってるのに……」
「何か、出来る事があればイイですガ……」
「……たまんねぇよ、こんなの」
長い沈黙が続く。ジャックのために出来る事が何もない。ただ結果が訪れるのを待つ事しか出来ない。何もせず、何も出来ずに、私達は家族が弱っていくのを見続ける。これ以上の恐怖があるだろうか。この恐怖はジャックのママをドライヤーごとバスタブに突き落とした恐怖、それから私のママを牢獄に閉じ込めた恐怖だ。
私はジャックのベッドの周囲を見回した。枕元には彼と同じ名前の骸骨キャラクターのぬいぐるみと、カエルのパペットが仲良く並んでいる。天上からぶら下がっているのは『星の王子様』のモビール。ベッドテーブルには『楽しい3人組』と『バーバーパパ』の絵本が積み重なっていた。壁には彼がクレヨンで描いた絵が何枚も貼り付けられている。ジャックのお気に入りばかりが集められた彼のベッドに、彼だけがいない。何て寂しいベッドだろう。
ベッドを見回していた私の目は、ある1点に惹き付けられた。そしてそこに釘付けになる。
壁に貼られていた1枚の絵だ。赤い服を着た男が色のない男の子と手を繋いでいる。男の子の上にはクレヨンで『僕』と、男の上にはブギーマンと書かれていた。
私の頭から腰骨の辺りまで、電撃のようなしびれが襲った。それが体を振るわせる程のひらめきだと気が付くまでに時間はかからなかった。
私はこの素晴らしいひらめきを皆に話そうと、視線をジャックの書いた絵からベッドを囲んでいた皆に戻した。
そしてすぐにそんな必要はないのだと悟る。皆が私と同じひらめきを感じたのだと、彼らの顔を見ただけでわかったからだ。
まだブギーマンがいる。私達に出来る事がまだ残っているのだ。
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