第8話 ブギーマンを探せ

 ホリィヒル病院はとても古い病院だ。

 パンフレットによると「パンがないならお菓子を食べればいいじゃなぁい」の決め台詞でお馴染み、オーストリア産元祖馬鹿セレブの細っこい首と胴体がまだ繋がっていた頃から、この病院はこの場所に腰を降ろしていたのだそうだ。

 もっとも、その頃は今みたいに巨大な病院じゃなくて、民家に毛が生えた程度の建物だったらしいけど。

 今こうして建っているホリィヒル病院は3度の建て直しを経て出来た建物だ。

 円柱型の中央棟から東棟、西棟、南棟、北棟と呼ばれている4つの長方形がそれぞれの方角に向かって真っ直ぐに伸びている。上空から見下ろすと丁度巨大な白い十字架が森の中に落ちているように見えるだろう。地上6階、地下2階建ての大病院だ。


 処刑された女王様の幽霊が夜な夜な歩き回るエジンバラ城しかり、獄中死した囚人の呻き声が聞こえるフリーマントル刑務所しかり、サムライの生首が彷徨うという神社しかり。古い建物には色々な噂話や伝説や怪談話がつきものだ。

 ホリィヒル病院も例外じゃない。この病院にも幾つかの奇妙な噂話があった。

 『友達の友達が見たんだけど』という枕詞で始まるこれらの噂話は、お医者様から看護婦さんに、看護婦さんから患者に、患者からまた別の患者にって具合で、誰も真偽を確かめないまま、大昔から言い伝えられてきた。

 それは誰もいないはずの死体安置所から足音が聞こえるという噂だったり、見覚えのない掃除夫さんが夜中に廊下を歩いているという噂だったり、東棟3階のエレベーターホールには昔呪われた写真が飾られていたんだって噂だったり、真夜中に誰もいない図書室から笑い声が聞こえるという噂だったり、色々だ。共通しているのは、全部胡散臭い話だって事だけ。

 これらの胡散臭い噂話の中で一際有名なのがブギーマンにまつわる話だ。

 この病院の入院患者で彼の事を知らない人はきっと1人だっていないだろう。

 というのも、看護婦さんやお医者様達が事あるごとにブギーマンの名前を口にして、入院患者――特に私みたいな子供――を脅かしたからだ。こんな具合に。


 『薬をちゃんと飲まないとブギーマンがやって来て、連れ去られちゃうよ!』

 『いい子にしてないとブギーマンに生きたまま食べられちゃうからね!』


 今でこそ「はいはい、そうですか。そりゃー恐いですね」って鼻でせせら笑う事が出来るけど、入院したばかりの小さかった私はブギーマンの話を本気で恐れていた。何度か彼に袋に詰められてどこかへ連れ去られる夢を見たくらいだ。


 けれど成長するに従って私はブギーマンが架空の存在である事に気が付き、彼の事をサンタクロースかUFO程度にしか信じなくなった。

 つまり全然信じなくなったのだ。

 いるわけねーだろ。そんな奴。大体今時こんな話真に受ける馬鹿いないわよ。幾ら私が子供だからってそんな嘘くさい話をいつまでも怖がってると思ったら大間違いだ! あまり子供を舐めないで頂きたい! 今時こんな話を真に受ける子供なんて一人もいるもんか! って思ったわけだ。


 しかしこの考えは、個室から今の大部屋に移されたその日にあっさりと覆された。

 ここの子供達は全員ブギーマンが実在するのだと信じていたのだ。

 太陽が東から西に沈むのが当然なように、彼らにとってブギーマンが実在するっていう事は当然の事実だった。しかもただ信じているだけに留まらず、彼らは夜な夜な病室を抜け出し、ブギーマンを探して病院内を探検して歩いて いるのだという。


 何という行動的な馬鹿共なんだろうと私は思い、ブギーマンの話を力説する彼らを前にしてお腹を抱えて大爆笑してしまった。床を転がりながらゲラゲラと。


「おめー本当に馬鹿だな! その年になってもまだブギーマンがいないって思い込んでるなんて! お前の脳味噌ってもしかして胡桃よりも小さいんじゃねーの?」

 ダニーにそう嘲笑われ、カッとなった私は「馬鹿なのはそっちでしょ! ブギーマンなんているわけないじゃない!」と言い返した。

 するとダニーや他の子供達は目を見合わせ、ニヤニヤと私を見て笑うのだ。まるっきり馬鹿を見る目で。これには私も腹が立った。

「常識的に考えてみなさいよ! 悪戯する子供を攫ったり食べたりする? そんな都合のいい化け物が本当にいるわけないわ! 都市伝説……じゃなくて、病院伝説の1種だわ!」

「本当だよ! この病院には本当にブギーマンがいるんだ!」

 病室の中で1番熱心なブギーマン信奉者だったジャックが私の前に立ち、熱の籠った声で私に向かって喋り始めた。

「マージの言った通り、お医者様やルールブックさんが話してる、あの『悪い子は食べられちゃう』とかそういう話はインチキさ! 僕らが言ってるのはその話とは別の、『本当のブギーマン』の事なんだ!」

「……本当の? 何それ?」

「ずっとずっと昔から言い伝えられて来た、本当のブギーマンの話さ」

 ダニーがじらすような口調で言う。

「俺とサードはカーチャから、カーチャはジャックから、ジャックは前にこの病室に入院してた奴から、そいつはその前に入院してた奴から……って具 合にさ、こうやって何十年も、もしかしたら何百年も前からこの病室にだけ言い伝えられて来た秘密の話なんだぜ! だからこの話を知っているのは俺達だけ さ!」

 どこか誇らしげにダニーは胸を張り、ホイッスルを軽く吹いた。

「ブギーマンはね、この病院のどこかに隠れ潜んでいる不老不死の怪人なんだ。不老不死って言うのは――」

「はーい! はーい! ボク知ってるよ! ずっと若くて、ずっと死なない人の事だもんね」

 サードがフフンと鼻を上に向けて自慢げに言った。

「そう。そうなんだ。ブギーマンはとっても長生きしていたんだ。あんまり長生きし過ぎたから、どうして自分がここにいるのかも、自分の名前も、自分が『善い者』だったのか『悪い者』だったのかも忘れちゃったんだ」

「馬鹿な野郎デす」カーチャが頷きながら言うと、サードが同意して頷いた。

「彼は夜中の病院を歩き回るんだ。そして就寝時間を過ぎているのにまだ起きている子供や、病室を抜け出している子供を見つけると、その子を捕まえてこう聞くんだよ。『僕の名前を知らないか?』って! 答えられなかったらどうなると思う?」

「……知らないわよ。どーなんの?」

 ジャックや他の子供達の盛り上がりに白け始めていた私は、投げやりにそう尋ねた。

「な、ん、と! 真っ黒い死体用の袋に詰められて、地下の死体冷蔵庫に運ばれちゃうのさ! こーわいでしょ!」

「あぁ、そうね、恐い恐い」

「でもね、でもね! もしその子がブギーマンの本当の名前を教えてあげられたらね! ブギーマンは名前を教えたお礼にどんな願いも叶えてくれるんだ! すごいだろ!」

 ジャックは私の白けた状態などお構いなしって感じで増々興奮し、殆ど叫ぶようにして話を続けた。

「50年前にこの病室に入院していた男の子、確かアダムとかいう男の子はね! ブギーマンの名前を言い当てたんだよ! 彼は願い事を叶えてもらって、ここから退院したのさ! 彼はブギーマンに魔法の力を貰ったんだって! 今では偉大な魔法使いになって、世界中を飛び回ってるらしいよ! だから僕らね、夜中に病院を探検しているんだ! ブギーマンの名前を探し出すんだ! 誰が最初にブギーマンの名前を見つけるか、競争してるんだよ! アダムに出来たなら、僕らにだってきっと――」

「……あのさぁ」

「あ! 勿論マージも参加していいよ! 人数が多い方が見つけられる可能性高いもんね!」

「いや、そうじゃなくてね」私は顔の前で手の平を『違う違う』と振る。

「万が一、億が一、兆が一、本当にブギーマンが実在するとしてね? で、あんたの話が全部何から何まで全部本当だったとしてさ。50年前にアダムって子がブギーマンに名前を教えちゃったんでしょ?」

「……うん?」

「って事はさ、ブギーマンはもう自分の名前がわかったんだから、もうこの病院にはいないんじゃないの? だってもう名前がわかったんだから、こんな所にいる理由ないじゃない。別にブギーマンだって入院してるわけじゃないんだからさ」

 ジャックは凍り付いたように動かなくなった。他の子供達も同じように凍り付いていた。

「……でしょ?」  


 それから2週間。

 私が「悪かったわよ! 私が間違ってました! 参加するから! ブギーマン探しだろうと、魔女狩りだろうと、何でも 参加するから! だからもう止めて頂戴!」と悲鳴をあげるまで、ジャックは私の耳元で「君はなんて思い遣りのない女の子なんだ。普通ああいう事言う? 僕みたいに幼気で純粋で繊細な子供相手にさ。これはもうどっちが正しいとか間違っているとかじゃなくて単純に人間性の問題だよね。君の心の中にほんの少しで も良心と呼べる物が残っているのなら、僕みたいな可愛い男の子の心を土足で踏みにじって唾を吐きかけるような真似出来ないはずだもの。別に君を責めているわけじゃないんだ。ただ君の言葉が僕の雪原のように純白の心を深く傷つけたって事実を知っておいて欲しいだけだよ。あぁ、でもまさか、この世の中に君みたいな女の子がいるなんて思ってもみなかったなぁ。なんだか生きているのが辛くなっちゃったよ。あーぁ。別に君のせいじゃないけどね。……あーぁ。辛いなぁ。別に君のせいじゃないけど」とほぼ24時間呟き続けたのだった。

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