第4話 ハッピーバースデー

 「誕生日は病室の友達とパパだけでお祝いしてね。あの人は連れてこないでね」

 そう何度も何度も念を押したにも関わらず、パパはあの魔女と、いつの間にかパパと魔女の間に出来ていたリトル魔女を連れて病院にやってきた。

 最低。最低。最低。さいってい。

「誕生日は家族や友達と祝うものでしょ。どうして家族でも友達でもないあんな人達がここにいるのよ」

「どうしてそう我が侭を言うんだい? 新しいママや妹と仲良くなるいい機会じゃないか。妹のヘレンとはまだ一度も会ってないだろう? 家族なんだし、仲良くしてくれよ」

 パパは魔女に洗脳されているんだ。そうに決まってる。そうじゃなきゃ、こんなひどいこと言えるわけない。誕生日なのに。

 私が黙っているとパパは「よし、じゃぁマージの機嫌が良くなる素敵なプレゼントを持ってくるからね! 看護婦さんに預けてあるんだ」と言って自分だけ病室から出て行ってしまった。

 病室にのこされたのは私と、同じ病室の子供達、それから魔女とリトル魔女。

 気まずい沈黙が病室に充満している。魔女とリトル魔女は居心地悪そうにしていたけど、生憎「こんにちわ! よく来てくれたわね!」なんて愛想良く話しかけてやる気は全然ない。ずっとそこでぼーっと突っ立っていればいいんだ。

 リトル魔女は魔女の陰に隠れていたけれど、魔女に「さぁ、お姉ちゃんに挨拶しなさい」と促されてベッドに座っている私の前に歩いてきた。

 緩くウェーブのかかった黒髪に水色の瞳、始終キスを強請っているみたいなアヒル口。妹は魔女にそっくりだ。それをよかったって思うわ。少しでもパパに似てたらこんなに全力で嫌えなかっただろうから。

「初めまして、ヘレンです」

 彼女は「前からずっと会ってみたかった」とかなんとか言ってたけど──本心じゃないわね。魔女が言わせてるのよ──そんなのどうでもよかった。彼女の言葉なんて、彼女が着ている真っ赤なワンピースと、その髪を飾る真っ赤なリボンに比べたら本当にどうでもいい。

 妹が魔女の後ろから歩み出てきた瞬間、私は脳味噌の奥深い所にある電線がブチブチと音を立てて千切れるのを感じた。感情と理性の間を繋いでいる電線だ。千切れた電線は火花を散らしながら右へ左へ蛇のように身をくねらせて動き回り、数万ボルトの電流を脳内に放つ。

「……? だからこれからはもっとお見舞いにくるね!」

 妹は自分の言葉が私に聞こえてないと思ったのか、大きな声で叫んだ。

 私はベッドから身を乗り出すと、素早くリボンを掴んで思い切り引っ張ってやった。妹の口が大きく開き、喉の奥から気が触れたみたいな悲鳴が飛び出す。いい気味!

「キャァァァァーッ! 痛っ! 痛いっ! 放して!」

「これは私のリボンよ! その服も! 脱ぎなさい! 脱げよこの馬鹿! お前なんかが着ていい服じゃないんだから!」

 私はリボンを更に強く引っ張った。髪の毛が指に絡み付いてブチッブチッと切れていく。妹の悲鳴が泣き声に変わった。甲高く耳障りな泣き声が病室中に響き渡る。

「ちょっと、やめてちょうだい!」

 唖然とした表情のまま硬直していた魔女が私の手をリボンから剥がそうとした。

「触らないで! この泥棒! ママからパパを盗んで、次は私からリボンと服を盗むの! あんたなんか大嫌い! これはママが私にくれたんだ! 家に帰ったら着ようねって、私がママと一緒に選んだんだ! よくもっ! よくも!」

 私は魔女の手に思い切り噛みついた。魔女は悲鳴を上げ、手を左右へ振って私の歯から逃れようとする。私は決して顎の力を緩めなかった。歯が魔女の皮膚を突き破り、口の中に血が流れ込んだ。おぇっ。気持ち悪いっ! 顎から力が抜けかけた時、魔女の真っ青になった顔が視界の端に微かに見えた。コカ・コーラのコマーシャルが頭の中で再生された。まさにスカッと爽やか! 私はますます顎に力を込めた。

 だがスカッと爽やか! なままでいられたのは、叫び声を聞きつけたパパが病室に飛び込んでくるまでだった。

「一体何をしているんだ、マーガレット!」

 パパは駆け足でベッドに近づいてくる。私は渋々魔女の手から口を、妹のリボンから手を放した。パパは綺麗にラッピングされた紙箱をベッドの柵に取り付けられた スライド式簡易テーブルの上に置き、心配そうな顔をして魔女の手を取る。魔女の手には私の歯形がくっきりと残っていて、歯形からは血が滲んでい た。

「何て事を……!」

「大丈夫、大した事ないわ。気にしないでね、マーガレ……マージ」

 魔女は引きつった笑顔を私に向けた。私は心の中で『誰が気にするかよ』と舌を出す。

「ママー! マァマ! 痛かったよ! ママァ!」

 妹が泣きながら魔女に抱きつく。絡み合った髪の先端で解けかけたリボンがぶら下がっている。私はそのリボンに向かってもう一度手を伸ばそうとした。

「もう止めなよ、マージ。その子が可哀想じゃないか」

 ため息混じりの声が私を制止した。その声のせいで妹は私がリボンに向かって手を伸ばしていたのに気が付き、悲鳴を上げて魔女の後ろに隠れた。

「邪魔しないでよ、ジャック!」

 私はベッドの右側に顔を向け、顔を顰めて非難がましい視線を送ってくるジャックを睨んだ。彼の右隣には太っちょダニーが、左隣にはノッポのサードが、 その隣にはミニチュアロシアンマフィアのカーチャが一列に並んでパイプ椅子に座っている。皆、この病室に入院している珍しい風邪の仲間達だ。ジャック以外の3人は我関せずを決めたらしく、視線を私から反らす。『お願いだからこっちに火の粉を飛ばさないでよね』って顔。

「折角の誕生日なんだから楽しくやろうよ」

 男の子にしては曲線的過ぎる唇を滑らかに開閉させ、ジャックは控えめに私を諌めた。大きな瞳が真っ直ぐに私を見つめている。その目付きと言ったら! まるで捨てられて、雨に濡れて、食事が出来ずにやせ衰えて、ノラ猫に散々引っ掻かれた挙げ句保健所に送られて、殺されるのを待っているチワワの目だ! なんて卑怯な!

「その縋り付くような目は止めてよ」

「マージィ……お願いだからさ」

 本当にタチが悪い。この子は自分がどれだけ愛くるしいかわかっていてこういう顔をするんだ。

「あー! もう! わかったわよ! 止めるわよ! 止めればいいんでしょ!」

 ジャックはその特異な白い瞳を安堵で輝かせた。

 白いのは瞳だけじゃない。髪も、皮膚も、歯茎や口の中まで、彼はマシュマロみたいに白いのだ。それが生まれつきなのか、病気のためなのか、彼が毎日飲んでいる不味そうな薬の副作用なのかはわからない。まるで雪の妖精だ。

「……それにしても」

 ジャックは視線を私から魔女に移した。

「聞いてた話と随分違うね。ほら、マージは新しいママは肌が緑色の冷血動物で、おっぱいが7つあって、口の中にゴキブリを飼ってて、髪の毛がミミズで出来てる魔女だって言ってたけど……」ジャックは不思議そうに首を傾げてから「あ! わかった! 3段階くらいにわけてパワーアップ変身するんでしょ! 今は仮の姿なんだ!」と手の平を叩いた。

 ……多分この間夢中で見ていたアニメの影響だろう。すぐ影響されるんだから。

「マーガレット! お前そんな事を言いふらしてたのか!」

「あぁ、いいの! いいのよ! 気にしてないから。怒らないであげて、あなた」

 魔女は私とパパの間に割って入る。

「そんな事よりケーキを食べましょう! ケーキ! 楽しみねぇ! ね? ね?」

 わざとらしく笑いながら魔女はパパが持ってきた箱を開け始める。パパの前でいい人ぶりたいんだ。ぶりっ子。大っ嫌い。あんたが刑務所に入れば良かったのに。

 魔女が箱を開けた途端、甘い香りが鼻先をくすぐった。

 ……チョコレートだ。

「ほら。チョコレートケーキよ。皆で食べましょう! 美味しいものを食べればイライラした気持ちなんてすぐに消えてしまうから! そうでしょう? ね? マージ。お友達もきっとケーキを楽しみにしてたんじゃないかしら? もちろん、あなたも」

 私は口の中に涎が染み出るのを感じ、誰にも悟られないように慎重にそれを飲み込んだ。私はダイヤモンド・ライク・カーボンコーティング加工を施した強固な意思でチョコレートケーキから目を反らす。

 今時子供がチョコレートケーキごときで釣られると思ったら大間違いだ。確かに私達は普段、お菓子なんて食べられない。味のついてないオートミールと、健康のことしか考えてない野菜スープと、歯ごたえの全然ない煮込んだ魚か、あるいは肉ばかり食べてる。例外はクリスマスとそれぞれの誕生日のケーキだけだ。でも……あまり舐めないで欲しいわね! こんなあからさまなその場しのぎのごまかしと買収に釣られてあんたの味方をするような子なんてここには1人だっていな。

「おばさんの言う通りだぞ、マージ」

「ソウですよ、マージ。ケーキを食べマスでしょう」

「喧嘩は食べてからにしてね、マージ」

「君が食べないなら僕らが食べるからさ、マージ」

 ――こんチクショウ!

 皆の目は見事に11本の蝋燭付きのチョコレートケーキに釘付けになっていた。

 4人は揃ってペロリと舌なめずりをする。『シンクロ舌なめずり』って競技があるとしたら金メダルも狙えただろう。唾を飲み込むタイミングまでぴったりだ。これは高い芸術点が期待出来ますよ、完璧な表現力、大会新記録も出るのではないでしょうか! でましたー! ワールドレコードです! 素晴らしい!  ワンダホォー! フーッ! ……って感じ。まんまと魔女の術中に落ちてる。4人は魔女が蝋燭に火を点けていくのを涎を飲み込みながら凝視していた。呆れた! 目を醒させてやらなくちゃ。

「絶対に毒入りよ。食べたら体中にカビが生えて死ぬんだわ」

「お前はどうしてそういう――」

「本気にしないで、ただの冗談じゃない」魔女はそう言ってパパの肩に触れる。

 パパはまだ何か言いたげだったが「……わかったよ」と眉間の皺を揉んだ。

 魔女は魔女がケーキを用意している間、パイプ椅子に座って所在無さげに足をプラプラさせていた妹を抱き上げ、彼女を抱えてから椅子に腰掛けた。妹はもう泣き止んでいて、充血した赤い目で私を睨んでいる。

「……まっずそーなケーキ! チョコレートケーキなんて最低のチョイスだわ」

 私は「うぇー」と舌を出してケーキを睨んだ。

「ママはいつも手作りケーキを持って来てくれたわ。私の大好きな桃とメロンと生クリームのケーキ。こんな風にお店で買っただけのケーキじゃなかったわ!」

 私は『ママ』という言葉に力を込めた。

「いいから早く火を消せよ! 食えねぇだろ!」

 太っちょダニーからブーイングが飛んだ。

 彼のブーイングの後に続くのは子供達のケーキ! チョコレートケーキ! の大コールだ。

「あんた達みたいなのを『卑しい』って言うのよ! 精々体中カビだらけになって精々苦しむがいいわ! バーカ! ……ヴァーカッ!」

 私は改めてケーキに顔を向けた。蝋燭の火に照らされたチョコレートケーキは私の食欲を刺激した。けれど私はこの世の中で1番不味い物を前にしている風に顔を歪める。 私はいかにも嫌々やらされているんだという顔で、蝋燭を吹き消そうと息を吸い込んだ。

 魔女のケーキは気に入らないし、魔女も気に入らないし、私の服を着ている妹も気に入らなかったけど、蝋燭の火を消すこの瞬間は心臓が高鳴る。どんな誕生日でも誕生日は誕生日。誕生日の中で1番興奮して、1番幸せな瞬間は、蝋燭の火を吹き消すこの瞬間なのだ。

 私は肺が一杯になるまで空気を吸い、息を止め、そして11本の蝋燭の上で揺らめく火に向かって一気に息を吹きかけ――られなかった。


 私が吹き消すそのコンマ1秒前。

 妹が横から顔を出し、蝋燭を吹き消してしまったのだ。1本も残さずに。

 唖然としている私に向かって彼女は勝ち誇った笑みを浮かべる。

 その顔。その目。その態度。

 これっぽっちも我慢ならなかった。脳の中で切れずに残っていた電線が1本残らずブチ切れた。体中を怒りの電撃が駆け巡る。

 私は全身の力を込めて平手を振り、妹の勝ち誇った笑顔を思い切り引っ叩いた。限界まで膨らませた紙袋を叩き割ったような音が響き、騒がしかった病室が静まり返る。妹は水色の瞳が顔から溢れ落ちる程に大きく目を開き、何が起きたのかさっぱりわからないという顔をして私を見つめた。私はもう1度手を振り上げる。今度は平手じゃない。握り拳だ。

 魔女が椅子から立ち上がって妹を抱きかかえたまま後ろに下がった。パイプ椅子が大袈裟な音を立てて床に倒れる。私の拳は僅かに妹のスカートを擦っただけで、勢い良く宙を切った。バランスを崩した私は簡易テーブルに思い切り肘をぶつけ、よろめいてベッドの上に倒れる。テーブルが大きく揺れ、チョコレート ケーキが床に落ちて潰れた。子供達の「ギャアアアアアアアアアアア」という叫び声が病室にこだまする。

「大馬鹿マージ! 誕生日でもなきゃ、お菓子なんか食べられないんだぞ!」

「食べたくなイナラ、アナタだけ食べなきゃイイでショ!」

「ウワアアアア! おねぇじゃんがぁ、おねぇじゃんがぶっだぁ!」

 妹が思い出したように泣き出した。私は体を起こし、彼女に向かって怒鳴る。

「よくも私の誕生日を! 私の誕生日を滅茶苦茶にしてくれたわね!」

 私と妹の間にパパが立ち塞がった。赤い顔で私を睨んでいる。

「パパ! あの子が私の蝋燭を――」

 パパは無言のまま握りしめた拳を私の顔に叩き付けた。殴られた頬から反対側の頬へと痛みが貫通し、私はまたしてもバランスを崩してベッドに倒れ込む。痛い。……痛いよ。

 病室に泣き声が増えた。私の泣き声だ。私は頬を抑え、泣きながらベッドに突っ伏した。


 パパ達がいつ病室からいなくなったのかわからない。

 声をかけられた気もするけど記憶がはっきりしなかった。私は布団に包まってひたすらに泣き喚き続けていたから。

 泣くだけ泣いてようやく気持ちが落ち着いて来た頃には既に時計の針は真夜中の2時を指していて、当然だけどパパの姿はどこにもなかった。

 11才の誕生日は、頬に痛みだけを残して終わったのだ。


 私は涙を拭くとベッドから下り、ベッド周りを囲んでいたカーテンから外に出る。他の子供達は皆眠っているみたいで、4つのベッドのカーテンは閉じていた。風と雨の音が聞こえる。窓に目を向けるとガラスの表面を雨の筋が流れていくのが見えた。外はもう暗かったが、7階の窓からは病院を囲む森の木々が激しく体を揺らしている姿がぼんやりと確認出来た。

 私はしばらくの間、窓際に立ってじっと外を見つめていた。目は窓の外を見つめていたけれど、本当に見つめていたのは自分の心だった。私の心には大きくこう書いてあった。

 『入院生活なんてもううんざり!』


 私は自分のベッドに戻り、ベッドの柵に掛けてある薄いカーディガンをパジャマの上から羽織ると、病室から飛び出した。

 もうこんな場所、本当にうんざりだ。1秒だっていたくない。やってられるか! パパも魔女も妹も大嫌い! 私にはもっと相応しい場所があるんだから! それに私を必要としてくれる人だっているんだから! 

 ママ!

 ママ!

 今すぐ会いに行くからね!

 私は両手足を振り、病院の廊下を出口に向かって駆けた。行き先は決まってる。私の本当のママがいる場所。

 ジェンド刑務所だ。

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