第3話 死神のエラー

 体重僅か600グラム。肌の色は青紫。首に3重に巻き付いたへその緒。

 産声の代わりに血反吐を吐きながら、私ことマーガレット・アイリス・ブルームは誕生した。死体のまま産まれ落ちたと言っても大袈裟ではないだろう。

「もうダメだと思ったのよ。あなたの心臓は何度も止まりかけたし、ピクリとも動かなかったんだから。今あなたが生きているのは、きっとあなたが特別な存在だからだわ」

 幼かった私にママはそう言い聞かせ、最後に必ずこう付け加えた。

「一番危ない時期は過ぎたのよ。後はもう大丈夫。あなたはどんどん元気になるわ。絶対よ」

 しかしママは世の中を甘く見過ぎていた。

 月日を重ねれば重ねる程、私は不健康になり、すくすくと立派な虚弱児へと成長していったのだ。

 4才になる頃には晴れた日には激しく咳き込み、曇りの日には気絶するまで嘔吐し続け、雨の日には貧血を起こすまで吐血し、雪の日には白目を剥いて泡を吹くのが私の日課となっていた。

 毎日が命を駆けたサバイバル。 死神との追いかけっこだ。明日の朝は無事に目を醒せるだろうか? と不安になり、恐くて眠れない夜が続いた。そのせいで私の目の周りにはパンダみたいなクマが今も張り付いて剥がれないままだ。アダムスファミリーに紛れ込んでいたとしても不自然じゃないだろう。私はこの世界で一番太陽が似合わない女の子だった。


 私と死神の追いかけっこはずっと続いていたけれど、とうとう5才の誕生日に私は死神にタッチされてしまった。

 誕生日パーティの最中に私は大量の血を吐いて倒れ、救急車で病院へと搬送された。

 パパもママも、誕生日パーティに来ていたお客様も、私を救急車に運び込んだ救急隊員さんも、病院で私を目にしたお医者様や看護婦さん達も、そして何より私自身ですら「あぁ、これは助からないね」と確信していた。「これで生きてたら詐欺」って。

 だが私は今も生きている。この通り。ピンピン……はしてないけど何とか生きてる。

 それは何故か? そんなの私にだってわからない。理由もわからないままただ結果だけが与えられた。よくあることだ。

 パパとママは「奇跡だ!」と顔を輝かせていたけど、私はこの生還は奇跡じゃなくてエラーだと思っている。死神が自分の仕事をちゃんとこなさなかったのだ。

 最新のコンピューターで完璧に管理された切手印刷工場でも、極稀に絵柄が逆さまに印刷された『エラー切手』という物が出てきちゃうらしい。理屈で言えばそんな物は絶対に出てくるはずかないにも関わらず、『エラー切手』は不意にひょっこり印刷機から顔を出す。私も同じだ。理屈で言えば絶対に生きているわけないのに、こうして生き続けている。つまり私は死神の『エラー』なのだ。

 私が運び込まれたホリィヒル病院は国内で一番大きくて、古くて、そんでもって最先端の医療技術と腕のいいお医者様が一斉に集っている大病院だった。

 私の手術はなんと25時間にも及び、その手術中に私の心臓は13回も停止した。きっと『エラー』に気が付いた死神が慌てて私の魂を回収しに来ていたんだろう。

 危うかったけれど、私はかなりギリギリのラインで生き延びる事が出来たのだ。

 ただし、死神が『エラー』の回収を諦めたという訳ではない。術後お腹に残された大きなバツ印の縫い目は、死神が残していった『予約済み』のサインだ。

 このサインは麻酔が切れる度に強い痛みの信号を脳に送り続けた。まるで『忘れるなよ、お前を必ず回収しに行くからな! 必ずだ!』と傷口が叫んでい るようだった。今では縫い目は完全に塞がったけれど、それでも時折傷痕は痺れるように痛んだ。お陰で未だに鎮痛剤が手放せないでいる。


 術後1週間程経って体調が安定し始めた頃。私の担当医だというお医者様が私の病室にやって来た。

 そのインド系の若いお医者様はゆっくりと噛み含ませるような口調で私にこう言った。

「君はとてもとても珍しい風邪にかかったんだよ、マーガレット。普通の風邪と違って治るのに少しだけ時間がかかるんだ。ほんの少しの間だけ、君は病院で暮らす事になったんだよ。心配しなくていいよ。すぐに君と同じくらいの年の子供達がいる病室に移してあげるからね。皆、君と同じように珍しい風邪にかかった子供達さ。とてもいい子達だよ。すぐ友達になれる。きっといい入院生活が送れるよ。わかったね? 今日から一緒に頑張ろうね!」

 言うだけ言うとお医者様はさっさと病室から出て行ってしまった。

 私はお医者様が妙に早口だったのと、話をしている間、後ろめたそうに視線を反らしまくっていた事に若干の不安を覚えたけれど、『ほんの少しの間』という言葉を信じ、『まぁ、ちょっとの間だけなら』と自分の中に渦巻いている不安な気持ちに蓋をした。

 この時。お医者様達の言う『ほんの少しの間』が『ほぼ永遠に』という意味で、『珍しい風邪』が『治療不可能な病気』という意味だと知っていたら、這ってでも家に帰っただろう。

 私は入院してから毎日数えきれない程の薬を飲み、様々な検査を受け、ありとあらゆる実験的治療を受けた。まさに患者の中の患者、クイーン・オブ・点滴。 ベスト・オブ・レントゲニストだ。この病院で私が飲んだ事がない薬は1種類だって存在しないだろうし、私が射った事がない注射や点滴も存在しないだろう。 どれもこれもさっぱり効果はなかったけど。

 私の『珍しい風邪』は回復に向かう事も急激に悪化する事もなかった。ただ日めくりカレンダーみたいに毎日僅かずつ、ジワジワと私の命を削っていった。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、四方に扉も窓もない部屋の天井が下がってきてるって感じ。今すぐに死ぬわけじゃないけど、逃げる事も出来ない恐怖が私を常に監視していた。

 入院して最初の1年は恐くて恐くて泣いてばかりいたけれど、2年目を迎える頃にはもう怖がるのにも飽きてしまっていた。人は『達観した』とか『運命を受け入れた』とか言うけど、どうしょうもならない事に喚いたり叫んだり泣いたしりするのが馬鹿らしくなっただけだ。

 『死にかけ』とも『生きかけ』とも言える中途半端な状態のまま、私は何年も、何年も、何年も、ずーっと病院で過ごし、とうとう11回めの誕生日も病院で向かえる事となったのだ。

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