詩と乙女

 ニケの元を訪れる頃、街は朝を迎えていた。早朝、白んだ空の下を歩く人はまだ誰もいない。ここでは時間もバカンス仕様らしい。時計に合わせて動くなんて、人々の腹時計を握っているパン屋くらいのものだ。

 夜通しいろいろなことがあったのに、少しも眠くならないのは、緊張を体が覆っているからかもしれないとコンフェッティは思った。大きく伸びをすると、体のあちこちが軋んだ。


 ニケは上り始めたばかりの朝日を浴びて、まぶしく佇んでいる。

 コンフェッティとミニュイは、ニケの前に進み出ると、片膝をついた。小鳥が高らかに歌いながら、頭上を通りすぎていく。その清々しさと裏腹に、コンフェッティの身体は、焦げたシチューでも詰まっているかのように、重苦しかった。

「……おはようございます、マドモアゼル」

「無事、扉は直せたようですね。ご苦労でした、コンフェッティ、ド・ノール。詩人の街は堪能しましたか」

「飯はなかなか旨かったですね」

 ニケの眉にぴくりと緊張が走る。

「コンフェッティ。わたくしは、仕事について質問しています」

 ミニュイが早口に横から合いの手をいれる。

「ニケ様、扉は、詩人ジャン・コクトーの要塞美術館の壁画でしたよ。あの壁画は牧神パン様によく似ていました。ニケ様も一度お散歩に――」

「わたくしは、ご覧の通り、ここから動くことができません」

 そして、石造りの台座を嫌味に軋ませてみせる。ミニュイも二の句を継げなくなり、尻尾を丸めて縮こまった。


「……ですが、昨晩は旧友が、あなたがたの仕事ぶりを報告しに来てくれました。なんでも、狭い路地を全力疾走して追いかけっこにいそしんだとか?」

「ああ、それは白…っ」

 コンフェッティは、突然足に生じた激痛に言葉を飲み込んだ。

「どうしました、コンフェッティ。いつも以上に挙動不審ですよ」

「いえ」

 コンフェッティは、足元のミニュイを睨みつけた。視線の先で相棒は、脛に思い切り爪を立ててすばやく首を左右に振っている。コンフェッティは白猫の話をすれば、どうしたってサンジェルマンの話に行きついてしまうことに気づいた。

「しろ……城跡らしき墓地に、亡霊が出ると、人間たちが騒いでいて。扉が閉まって帰れなくなった最果ての人たちでしたよ」

「それはさぞ困っていたでしょう」

「いや、楽しそうでしたよ」

 コンフェッティは、ピンクの洪水を笑顔で過ごしていた人々を思い出す。


「そうですか。偉大なる詩人コクトーの愛した街ですから、それぞれ感じ入るものもあったのでしょう。詩人についてあなたも学びましたか」

「えー……と」

 コンフェッティは、アヘン中毒のゲイ、と答えようとしたが、さすがにニケの不興を買うだろうことは予測がつき、とっさに思いついたことを述べた。

「いろんなことをやってても、根底が詩だって言い張ってるのが、いいですね。ブレない感じっていうか」

「ほう。あなたであっても、わかりますか」

「そりゃもう」いささか悪意を感じたが、コンフェッティはしたり顔で頷く。


「では、その詩を、もう少し堪能していらっしゃい」

「は?」

「あなたは運が良いようですね、コンフェッティ。詩人にゆかりのある土地の扉が壊れたと、さきほど報告が入りました。すぐに向かうように」

 コンフェティは腰からしおれた。

 朝日が、パステル色の街並みに、明るく降り注いでいた。

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