旧市街の亡霊
デザートに、メレンゲたっぷりのレモンパイをほとんど1ホール食べ尽くし、コンフェッティはすっかり満足していた。
店では先ほどから、常連客らしい男が、ギターを片手に演奏を始め、寛ぎの時間に心地よいBGMを添えている。陽気な客たちは手拍子を加えたり、一緒に声を張り上げたり、思い思いに夜を楽しんでいる。
「ミニュイ。お前もこっちに来てみろよ」
ミニュイはフンと鼻をならして大きく抗議する。人前を意識してか、犬らしく振る舞うミニュイは、からかうようなコンフェッティから顔を背けた。
「なんだ、お前、怒ってんのか? 俺ばっかりうまいもの食べたからって」
コンフェッティは席を立ち、入口に向かった。
「散歩にでも連れてってやるよ。犬ってのは、歩いてストレス発散するんだろ?」
入り口を出ようとする二人の姿に目を止めたのか、カウンターからマダムが声を張り上げた。
「あんたたち、どこに行くんだね」
「食事代は宿代とまとめてって聞いたぞ」
「そうじゃない。今から出歩こうってんじゃないだろうね、悪いこたぁ言わない、やめときな」
マダムは首を横に振って止める。
「そのへんをちょっと散歩してくるだけさ、迷わない。万が一迷ったとしても、駅の目の前だろ、すぐ見つけられるさ」
あっけらかんと答えるコンフェッティに、マダムが声を潜める。
「大きな声じゃ言わないがね、ここらじゃ最近、亡霊が出るって、もっぱらの噂なんだ」
「亡霊?」
「旧市街の方には行かないことだね」
マダムはマントンの地図を手渡し、その海側の一角に指で大きく×を書いて見せた。
夜風に吹かれ、コンフェッティは大きく伸びをする。
足元ではミニュイが、後ろ足を器用に使って耳を掻いていた。
「亡霊、だってよ」コンフェッティは、ぷっと吹きだす。
「ええ。そうらしいですね。早いこと扉を直さないといけませんね」
「実体がないんなら、俺たちとは違ってただの旅行者だろ? フラフラしてるうちに扉が壊れて、最果てに帰り損ねたのかもな。間抜け面をひやかしに行こうぜ」
「いいえ! 僕たちの仕事は、扉の修復です。余計なことに首を突っ込まないでくださいよ。だいたい、その『亡霊』だって、扉が直りさえすれば、ちゃんと最果てに帰ることができるんですから。何よりも優先すべきは、任務です」
コンフェッティは小さく舌打ちして、先導する相棒に続いた。ぴんと立つ尻尾は、丸いふわふわの球体で、歩くたびに弾んで揺れる。
今でこそ
着任式典の控室で、大きな毛むくじゃらの塊が目をひいた。ひとつは紫で、ひとつは黒く、毛束が連なる様子がモップに似ていた。椅子に腰かけたコンフェッティの肩ほどまであるそのモップたちは、赤い水筒を手に、控室の面々と語らっていた。順繰りに回っているらしく、紫のモップはコンフェッティにも紙コップに琥珀色の液体を注ぎ、甲高い声で、孫をよろしくと頭を下げた。渡された液体からはシナモンの香りが立ちのぼり、口に含むと馬鹿みたいに甘かった。
神々から名を呼ばれ、直接『祝福』を与えられる着任式典では、感極まって泣き出すものも少なくない。神々から与えられるこの『祝福』によって、公務員たちは人間界でも実体を伴い、活動することができる。最果て広しといえど、わずかなものにだけ許されるこの特権に、万感胸に迫るものもいる。そして、黒モップも、その一人だった。
運命の女神たちに任命されたこの「相棒」との最初の共同作業は、境界と旅人の神にして扉番をも束ねる交流省の長・ヘルメスから祝福を与えられ、己から出る水分でびしゃびしゃに重苦しくなった毛束を、洗面所で絞ることだった。
――あの感激体質が、仕事への過剰な忠誠を誓わせているのかもしれない。
コンフェッティは、揺れるポンポンのような尻尾に、そっと溜息を吐いた。
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