旧市街の亡霊 2

 街の地図を手に、コンフェッティとミニュイは、電車で出会った老夫婦の助言を思い返していた。

 彼らによれば、マントンは「フランスの真珠」とも称される街で、地中海と南アルプスに囲まれた温暖な気候が魅力らしい。地中海の魚介類の他、その気候のために冬でも育つレモンやオレンジなどの柑橘類で有名な街なのだという。毎年2から3月にかけて行われるレモン祭りには、145トンもの柑橘類を使った巨大な像が作られ、観光客たちを楽しませてくれるのだそうだ。

 南仏には、マルセイユやニース、モナコなど、有名な観光地がたくさんある。だが、そういった大きな都市とはまた違った魅力が、この小さな町にはぎゅっと詰まっているのだと、老婦人は穏やかに微笑んだ。


「旧市街というのは、この、海沿いに延びた一角のことらしいですね」

「道が狭そうだな」

「あ、ご婦人のおすすめは、ここじゃないでしょうか?」

 ミニュイが海との境目を指す。

 地図には、ジャン・コクトー美術館と記されている。

「……そうらしいな」


 老婦人はたいそう熱心に、詩人ジャン・コクトーとその美術館について語った。必ず観るように、と念まで押していたほどだ。よほどコクトーが好きなのか、よほど他に観るべきものがないかのどちらかだろうとコンフェッティは推し量った。


 ホテルからまっすぐ南に向かう道を、二人は歩いている。地図によれば間もなく大きな通りにぶつかるはずだ。目の前には太陽の入江と名付けられた海が広がるだろう。そのまま東に向かうと、旧市街だ。


 潮の香りがする。

 コンフェッティとミニュイは、海岸沿いの路地を夜風に吹かれながら歩いた。

 海岸通り沿いのレストランやカフェも、バカンスにはまだ早いせいだろうか、あるいは亡霊騒動のためか、人影は少ない。


 コンフェッティは天を仰いだ。

 パリとは違って空が大きい。そのせいで、闇もまた、広い。

 星々の光が淡く照らす空と、海に挟まれ、宝石をちりばめた帯のように海岸通りの明かりが連なる。光は波に反射してゆらめく。

 夜の海は、どこか不気味だ。光を反射して、銀色のうろこを持つ巨大な生き物が、うねっているようにも見えた。


「詩人がここを愛したって、わかるような気がしますね。僕たちが見ているこの風景とは違ったのでしょうが、この土地には詩情が漂っているように思います」

「思い込みだろ。観光地なんてどこも同じだ。ホテルがあって、食い物屋があって、土産物屋がある。風光明媚かもしれんが、やっぱり、旅の醍醐味は食い物だ。その土地その土地でしか食えないものがある」

「本当に食い気ばかりですね! あなたに詩情を解してもらおうなんて百年はや――」


 言葉をなくしたミニュイの見つめる先、遠く海沿いに、奇妙な建物が目に入った。むき出した牙のような、白い壁のようなものがいくつも連なる建物に、黒い人影が見え隠れしている。

 足元まであるローブ、フードをすっぽりと被った姿。オレンジ色の照明に照らされて、ふらふらと揺れ動いたかと思うと。

「――消えた」

 二人は、顔を見合わせた。

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