レモンの街 4
ノックの音に、コンフェッティは目を醒ました。
ベッドに倒れこむなり、ラベンダーの芳香に誘われて、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
「お客さん、食事、支度ができたからよお」
野太い声が告げた。
階段を一歩降りるたびに、肉の焼ける香ばしい香りや、ハーブの入り混じった、なんともおいしそうな香りがふくらむ。コンフェッティの胃は準備万端、その空っぽぶりをアピールしてくる。
レストランは客で賑わっていた。
席の大半は、家族連れやカップルで埋まり、空席を見つけるのがひと苦労するほどだ。
「あそこの、窓際の席がいいよお」
野太い声の主は、大柄なわりに猫背で、毛皮を着せたらヒグマに間違われそうだ。動きがいちいちゆったりとしているのも、彼がヒグマ的に見える一因だろう。そして、歩くたびにひらめく、テーブルクロスと揃いの赤と白のギンガムチェックのエプロンがまた、彼をどこか温厚そうに見せている。
「おすすめはなんだ」
席につくなり、コンフェッティは、メニューを手に尋ねた。
まあるい顔の輪郭はぐるりとヒゲに包まれ、いっそうヒグマらしい。中年にさしかかった頃だろうか、下がり眉も親しみやすく、クマはクマでも、ぬいぐるみのようなおやじだとコンフェッティは思った。
「うちのママンの料理は、何喰っても、うまいよお」
コンフェッティは、達筆な手描きのメニューから、目当ての品を見つけ出して注文した。
ヒグマのおやじが巨体をゆすりながら運んできた白い深皿の上には、こんがりと焼き色のついた鶏肉が乗せられている。小さいとは言え、丸ごと一羽という豪快さだ。鶏肉のまわりには、緑と黒のオリーヴがちりばめられ、数種類のハーブが枝ごと束ねられて添えられている。
鶏のオリーヴ煮だ。
深皿には鶏のスープが満ち、ふつふつと小さな音を立てながらコンフェッティを誘う。その香気を胸いっぱいに吸い込んで、コンフェッティはカトラリーを構える。
一度動かしたら、フォークもナイフも、止まらない。
一口食べた瞬間に、コンフェッティは2皿目を注文したほどだ。
滋味あふれるおいしさが、勝手に手を操っているようで、咀嚼している間にも手はせわしく肉を切り、オリーヴを突き刺す。フォークで触れるとほろほろと骨から外れる肉は、口に含めば肉汁があふれんばかりに広がる。秘訣は、長時間煮込んだ鶏肉を、オーブンで仕上げるのだと、ヒグマのおやじが自慢げに言っていた。
オリーヴの塩気と風味と鶏のうまみが凝縮したスープもまた素晴らしい。
コンフェッティは、バゲットに浸み込ませて、最後の一滴までを堪能した。
一緒に注文したラタトゥイユもまた、素敵な一品だった。
赤パプリカは肉厚で、甘味がある。とろとろになったナスや、しゃきしゃきと歯ごたえを残したズッキーニとの、食感の調和が楽しい。パプリカの赤、ズッキーニの緑、ナスの紫と、彩りも目に楽しい。全体をまとめあげるトマトの包容力も頼もしい。隠れた風味はオリーブにアンチョビだろうか。地中海の太陽をその身にたっぷりと受けた食材たちはどれも、その恵みそのままに皿に収まっている。
ヒグマのおやじが言ったように、何を食べてもうまい。
――幸せとは、きっとこういう瞬間のことを言うのだろう。
コンフェッティは、手帳を取り出して、新しい料理の名を書き加えた。
人間界に赴任してから、コンフェッティには気づいたことがあった。
例えば同じ材料、同じ手順を踏んで作られたものであっても、必ずしも同じ味になるとは限らないこと。同じ名のメニューであっても、全く同じ味になどならない。それは人々が、己の創造性を発揮して、料理に取り組んでいるということでもあり、生み出した一皿に飽き足らず、よりよい変化をもたらそうとする彼らの気概にも、コンフェッティは驚かされた。
良くも悪くも、変化を恐れないのだ。
最果ての住人達の多くは、洗練され、完成された品を好む。
同じ名の料理ならば、どこで食べても、誰がつくっても、同じ味がする。
母がよく作っていたトリュフのクリーム煮も、学食の味とまるで変わらなかった。姉の好物であるそれは、姉がいなくなってからもコンフェッティ家の食卓にしばしばのぼり、そのたびに両親は、言葉少なくトリュフを口に運んだ。まるでそれが、姉が存在した事実をつなぎとめる唯一の枷であるかのように。痛みをわざわざ確認するような両親の姿に、コンフェッティは、食事が楽しいものだということをしばらく忘れていた。
人間界の食事は、コンフェッティに食事の楽しさを思い出させ、「生きている」ということを実感させてくれていた。
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