レモンの街 3

 終点ホテルは、薄暮に光をまき散らす華やかな電飾看板とは裏腹に、ひっそりと静まり返っていた。緑色の光をたたえるランプシェードだけが、静かな店内の中で唯一存在を主張している。


「おーい」

 コンフェッティが大きく声を張り上げると、ランプシェードの後ろで何かが動いた。緑色に照らされ振り向いたのはオカッパ頭のしわくちゃの老人だった。緑色に染まるその陰影に、コンフェッティは思わず息を止めた。

「まだ、開店してないよ」と、低いしわがれ声が告げる。

「部屋はあるか、泊まりたいんだ」

「おや、あんた、見る目があるね。うちの宿は80年続く老舗だよ」

 老人は手元のノートのようなものをめくりながら、壁に手を伸ばす。急に明るくなった室内に、コンフェッティは数度瞬きをした。


 見渡せば、カウンターの奥には飾りタイルを埋め込んだ階段、右手の方向はレストランが広がっていた。どのテーブルにも赤と白のギンガムチェックのテーブルクロスと、ピンクのナフキンが飾られている。

 壁には、フランスの国旗やレモンの写真が貼られ、客たちの足跡らしいポラロイド写真が埋め尽くしている一角もある。


「食事はもうできるのか?」

 コンフェッティがたまらず聞くと、老人が思案顔で白髪をかき上げた。

 耳たぶの赤い輪のピアスに、コンフェッティは「彼女」の、歳を重ねてもおしゃれ心を忘れないフランス女性の、矜持を見た気がした。

「息子が帰ってきてからだね。今、一番遅い時間に焼き上がるパン屋まで、バゲットを仕入れに行ってる。だいたい30分から1時間後には支度できるはずだよ」

「なら、それまで部屋で休ませてもらおう」

「二階の、階段を上って一番右。山が一番きれいに見えるとっておきの部屋だよ。……ああ、ちょっと待っとくれ!」

 マダムがピンクのクッションを放り投げてきた。「犬のベッドに使うといい」そう言って彼女は、ウインクした。


 白とピンクを基調にした室内はほどよく開放的で、ホテルと名はついているが、どちらかといえば民宿といった風情の、アットホームな宿だ。手作りらしきピンクのクッションに、ミニュイは飛び乗り、丸まった。

 コンフェッティは鎧戸を開けた。

 2階の角部屋は、眼下に駅のホームが見渡せた。

 そこから目線をあげれば、マダムの言う通り、山も見える。ぽつぽつと明かりが灯っているのは、別荘かなにかだろうか。住居にしては大きめの建物が、山の中腹や頂上にかけて、点在している。

 

 コンフェッティはベッドに倒れこむ。

 ぎしぎしと音を立てるベッドからは、ラベンダーの良い香りがした。

「いい香りですね、これ」

 ミニュイはクッションに鼻先をうずめている。

「こっちの方の特産品らしいぞ。電車で聞いた」

「ああ、あのご婦人。ずいぶんとお話好きな方でしたね」

「おかげでいろいろ詳しくなった。こっちの料理はオリーブをずいぶんと使うらしいな。鶏のオリーブ煮は、ぜひとも食いたい」

「……他にも話していたんではないですか、街の情報とか」

 また食べ物の情報ばかりか、と、ミニュイは溜息をつく。

「僕は嫌ですよ、もうニケさんにどやされるのは」

「心配するな、そんなことはない」

 ようやく仕事にも意識が向いたかと安心したミニュイに、コンフェッティは笑い声とともに言い放った。

「犬は美術館には入れない。万が一何かあっても、お前はどやされないさ」

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