災難は白い猫の姿をして

 コンフェッティが美大生と楽しく食事をしているだろう頃、宿の部屋でミニュイは椅子に腰かけ、『パリ☆魅惑の美術館ガイド』を読み込んでいた。


 猫足の椅子と、小さな丸テーブルが備えてある部屋は、古いが清潔感があって、時間を重ねてきたものだけが持つ優しく柔らかな雰囲気に包まれている。

 おばあちゃんの部屋、といったら、こんな部屋を思い浮かべるのではないだろうか。


 素材も形も違ったが、ミニュイも、祖母といるときのような安心感を感じていた。両親亡き後ミニュイを育て上げてくれた祖母は、ミニュイの唯一の家族なのだ。


 コンフェッティが選んだ冊子は薄いだけでなく、若者向けのだいぶ砕けた表現で書かれている。ミニュイは顔をしかめたが、なるほどポイントは押さえてあり、見るべき順に金のメダルまでデザインされている親切さもある。


 ミニュイは調査すべき美術館のリストを作成することにした。


 肉球が邪魔をしてペンを持つのに苦労する。だが、インクを直接爪につける方法を思いついてからは早かった。いくつかの美術館を書き込み、少し考えてから、また別の館を書き加える。また、あるページを熱心に読んでから、作家の記念館も書き添えると、テーブルに置かれたチキンサンドを口一杯に頬張った。


 コンフェッティがこの冊子のコラムに紹介されていたレシピを、面白がって作ってくれたのだ。


 ぎこちない手つきできゅうりを細切りにし、レタスとオリーブと一緒に、混ぜこんでおく。

 マスタードとマヨネーズをあえたソースを、ゆでたチキンにたっぷりからめて、ゆで卵のスライスとともに、スライスしたパン・ド・カンパーニュにのせる。

 そして、上にかぶせたもう一枚のパン・ド・カンパーニュでぎゅうぎゅうに押さえ込む。


 形こそ不格好ではあったが、仕事中には見たことがないほどの集中力と丁寧さで、できあがったチキンサンドだった。


 満足げに薄荷煙草をくゆらしていた相棒の姿を思い出すと、ミニュイの眼差しが自然と柔らかくなる。


 不真面目なのには閉口するが、心根としては悪いやつではないのだろう。

 パン・ド・カンパーニュに挟まれたレタスはさくさくと音をたてる。かぶりついた勢いに押され、マスタードソースがからんだチキンがひとつ、ぽとりと床に落ちた。


 拾おうとした矢先、部屋の呼び鈴が突然鳴り響いた。


 コンフェッティが帰ってきたのだろうと思った。

 時計を見ると、予定よりもまだだいぶ早い。さてはアンジェリーナの迫力に負け早々に退散してきたかとミニュイは思った。

 遅くなるかもとニヤついていた間抜けな相棒にかける憐憫の言葉をいくつか試しに呟きながらドアに向かったが、途中で足をとめる。


 コンフェッティはたしかに鍵を持って行った。出掛けに取り落とし、ミニュイが拾ってやったのだ。鍵を持っている人間は、当然、呼び鈴は鳴らさないと考えたとき、呼び鈴はもう一度鳴った。


 四つ足をふんばって緊張しながらドアを見つめる。やがてガチャガチャと鍵を回す音がして、ミニュイは警戒を解いた。間抜けな相棒が鍵を持っているのを忘れただけかと、安心したのだ。


 しかし、ドアから入ってきたのは、見たこともない白い猫だった。

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