美術史と強面女子 3

 アンジェリーナは続けた。


「浮世絵なら、他に北斎、広重。人物なら写楽、晴信、歌川派とか。日本の江戸って時代に、みやげものとして広がった版画だ。万博の陶磁器の包み紙としてヨーロッパに運ばれたんだ。大胆な構図と独特の美意識に夢中になった画家たちがこぞって真似して、いっきに美術品として価値が認められ、ジャポニスムとか、アールヌーヴォーとか、芸術運動にもつながっていった。印象派のモネの家なんかにも、広重の富嶽三十六景ってシリーズが飾られてる」


「君、なんて――素晴らしい!」

 見かけによらず、という言葉を飲み込んで、コンフェッティは感嘆のまなざしでアンジェリーナを見つめる。


 アンジェリーナはまんざらでもないらしく、口元を歪め、あのすごみのある笑みを浮かべる。子どもなら泣き出すか、粗相をするだろう。


「東洋ってことなら、シノワズリも関係するかもね。一時期、金持ち連中は中国の壷だの皿だの工芸品を買いまくったんだ。あんた、本は読む? 文豪ヴィクトル・ユゴーって知ってる? ユゴーの家じゃシノワズリで埋め尽くされて、皿だの人形だの板絵だので飾り立てられてる部屋がある」


 アンジェリーナは、話しながら、あっという間にグラスを吸い尽くす。

 そのたびにコンフェッティは相槌をうちながら、おかわりを注文し続けた。ふと、荒廃した砂漠に、延々と水を注ぎ込む植木職人の気持ちがわかるような気がした。


 やがてブイヤベースが運ばれてくる。魚屋レストランだけあって、たっぷりの魚介類の香りが混然一体となって、胃袋を刺激してくる。


 上品なオレンジ色に染まったスープを口に運ぶと、凝縮したうまみが口の中を転がり、喉を伝う頃には海のもつ生命力そのものを味わっているかのような、滋味へと変わっていく。コンフェッティはしばし沈黙して、ブイヤベースに魂をささげた。


 素晴らしい食事は、細胞の隅々にまでいきわたり、頭の中をクリアにしてくれる。

 コンフェッティは顔をあげ、いままでの話を彼なりにまとめてみた。

「つまり、日本の浮世絵、中国の工芸品は、重要ということだな」


 目の前では、アンジェリーナがはやくも2皿目のブイヤベースにとりかかっていた。

「あと考えられるのは近現代、いろんな国から集まってきた画家たちが互いに切磋琢磨しあってたエコール・ド・パリの時代にも東洋人は来ていたろうね。ここモンパルナスも芸術家に愛された街で、パリの芸術の中心だったんだ」


 おかわりを繰り返すうち、ギャルソンはカラフェを例の赤い液体でまんまんと満たして運んできた。いっそボトルでどうぞ、ということらしい。


「中国・韓国は現代アートの作家も勢いがある。だいたいそんな感じ。時代をさかのぼればもっと他にも、水墨画、経典、仏像、掛け軸、屏風絵、陶磁器、刺繍、工芸品、見るべきものはいろいろあるけど、アタシが知ってんのはそのくらい」


「じゃあ、パリで東洋美術を探すなら、どこに行けばいい?」

「ギメ東洋美術館にもう行ったんなら、小さなとこかな、中国美術を専門に扱っている館もあるし」


 コンフェッティは感心しながら、ホタテのカルパッチョをつついた。上に載っている黒い薄切りの何かからは、えもいわれぬ香りが漂っている。見た目は黒いポテトチップだ。

 コンフェッティがフォークでその薄い黒いものを持ち上げ、ひっくり返したりしていると、アンジェリーナが首をひねって聞いてきた。


「トリュフ、知らないの?」

「えっ。これトリュフなのか?」

 コンフェッティの知っているトリュフは、黒い岩のような塊を鍋いっぱいに煮込むクリーム煮だ。最果ての手抜き家庭料理と人間界の洗練された高級料理だから、同じ土俵に乗せるものでもないだろうが、それでもトリュフはこのくらい薄切りの方が、香りを楽しめてずっといい。

 なんでも、大きかったり、過剰だったりする方が良いわけでもないのだ。


「人間の創造力って本当にすごいな」

「ふうん。あんた、アタシと気が合うかもしれないな」

 不敵な笑みをうかべるアンジェリーナに、コンフェッティも「それは光栄」と笑顔を作ろうとした。頬の筋肉がぴくぴくと拒否反応を起こしている。


「なんなら、付き合ってやろうか?」

 アンジェリーナが生き血(に似た液体)をすすりながら、くわっと目を見開いた。

 その姿は、美術館で見た鬼瓦によく似ていた。魔も裸足で逃げだすような、震え上がらんばかりの形相。


「い、いや、君も忙しいだろう」

「構わないよ。アタシ、恋人とちょっと距離置いてるとこだし」

 コンフェッティは開いた顎を閉じるのをしばし忘れた。


 まったく想像だにしなかった単語は理解に時間がかかった。この猛獣を手なづけようという命知らずがこの世界にいるのかと、コンフェッティは、恋の街とも呼ばれる、パリの懐の深さを思った。

 人間界と頻繁に行き来するようになってもまだわからぬことばかりだと、頭をプルプルと振った。


 デザートワゴンが運ばれてくる頃には、アンジェリーナの飲んでいた生き血(に似た液体)のボトルもついに空になった。

「ところで、それは、何だ? 赤ワインじゃないようだが」

「ジュースだよ、生ザクロの。美容にいいんだ」

「び……」


 コンフェッティは絶句した。そして、人間についてまたひとつ、学んだ。どんなに強面であろうと、女子の中身は女子なのだ――。

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