石造りの女神からの無茶ぶり 4
美術館の入口で寝そべっていたミニュイの耳元に、コンフェッティの囁きが聞こえた。
「ミニュイ、俺の負けだ」
ピクンと耳を立てたミニュイは、態度ばかりは固いが、尻尾が左右に振れている。まんざらでもなさそうだ。
「なんです藪から棒に」
「俺だけじゃなんともならない」ミニュイは鼻をヒクヒクと動かした。
「……お前の力が必要だ。俺に名案がある。力を貸してくれ」
ミニュイはいつになく素直なコンフェッティの言葉に顔をあげた。互いを見つめる眼差しにはその時、たしかに、相棒としての信頼がこもっていた、はずだった。
ミニュイはその決断をすぐに後悔した。
コンフェッティは麻のシャツの中にミニュイをぎゅうぎゅう押し込める。
「こうすれば犬だってバレずに中に入れるだろ」
「その前に、酸欠で、気を失います! なんなんです、この妙なにおいは?」
「薄荷煙草のことか? 紳士のたしなみだぞ」
ミニュイは恨み言を、息も絶え絶えにうめいていた。
「最果てに、戻ったら、即刻、薬草商で、芳香袋を、買ってください!」
コンフェッティは、袖口のにおいを嗅ぎ、ミニュイをいっそう押し付けると、展示室へ向かった。
「いいか、なにか感づいたら、合図しろよ」
答えのかわりに、シャツがもぞもぞと上下左右にうごめいた。
あらゆる方向に気を向けているようだ。だがそれが、ミニュイの思惑とは別のところで、違う効果を生んでいた。
たいして筋肉もなく無防備なコンフェッティのわき腹や胸元を、ミニュイのやわらかな毛が、さまざまな角度からなでまわすのだ。
コンフェッティは腹に手をやって我慢を試みたが、手足は耐えかねて小刻みに震え、やがて息が荒くなる。
ぐねぐねと腰を折り曲げる怪しげなうごめきに、美術館の客たちは遠巻きにおののいていた。
コンフェッティの我慢が限界に達する頃、とうとう、受付の若い女性が、警備員を伴って彼を呼び止め、次の瞬間には正面玄関から放り出されていた。
階段の角にしたたか打ちつけた尾てい骨をさすり、ジョージ・ワシントン像を見つめる。
じんじんと響く痛みが、「ごきげんジョージのチェリーパイ」の無駄に陽気なテーマ曲と重なって、頭の中をぐるぐる回った。
ミニュイの低い声には、非難の色がにじんでいた。
「どうするんです? この『名案』の次は?」
コンフェッティは、コートの胸ポケットから銀のシガレットケースを取り出した。細い指先で薄荷煙草をつまみあげると、ミニュイが鼻筋に大きくシワを寄せた。
「……お前ならどうすんだよ」
「まずは、宿に戻りましょう。足元から基盤を整えるべきです。それから、図書館へ、そうだ、観光局で聞いてみるのもいいかもしれません」
コンフェッティは、くゆらせた薄荷煙草を、ため息とともに吐き出す。
「面倒じゃないか」
ミニュイは目を吊り上げて、鼻を思い切りフンと鳴らした。
「いいですか、仕事というのは、そのとき一時のことじゃないんですよ? そこに向けた準備も大事な仕事です。考えてもみてください、試験を受けるとなれば、試験だけじゃないでしょう? そこに向けて試験勉強するでしょう? 仕事だって同じで」
「いや、しないな」
「……なにを?」
「試験を受けるなら、そのまま受けるまでだ。実力をはかるのが試験の本質だ、勉強するのはかえって趣旨に反するだろう。だいいち、試験のために勉強なぞしていたら、時間がいくらあっても足りるわけないじゃないか」
ミニュイは大きく開けたままの口を慌てて閉めた。
「それよりなにかうまいもんでも、買っていこうぜ」
コンフェッティは薄荷煙草の火を靴の底でもみ消した。青みがかった煙がジョージ・ワシントン像に向かってゆっくりとたなびいた。
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