石造りの女神からの無茶ぶり 3

 昼下がりのメトロは混んでいた。人の間を練り歩いてアコーディオン弾きが、物悲しいメロディーを歌いあげている。

 短調の美しい旋律は、どこか故郷・最果ての子守歌にも似ていた。


 最果てに暮らす元人間たちは、それぞれ、人間界でやり残した夢を、最果ての職業にする。そのやり残した思いが胸をつく旋律に変わると言われるのだが、人間たちは、生をこんなにも謳歌しているのに、憂いを帯びた音を奏でる。

 その限りある生を慈しむように、あるいはその生の儚さを、歌い上げているのだろうかとコンフェッティは懐かしさのある響きに耳を傾けた。


 メトロには人間たちと並んで犬も普通に乗り降りしている。行儀よく飼い主の足元に佇み、飼い主をキラキラと見つめアイコンタクトひとつで乗り降りしていく彼らは、誇らしげだ。

 忠誠心の塊のような彼らは、無言のまま著しく不協和音を奏でる黒いトイプードルとその飼い主を、不思議そうに見つめていた。


 地下鉄がイエナ駅に滑り込むと、ミニュイはコンフェッティを差し置いて、地上めがけて飛び出した。息をきらして階段をのぼったコンフェッティは、ミニュイが驚いた声で呟くのを耳にした。

「あれは、ジョージさん……?」


 その視線の先、円形のイエナ広場の真ん中には、馬にまたがった銅像が空に向かってサーベルを突き立てている。コンフェッティもその顔には見覚えがあった。


「『ごきげんジョージのチェリーパイ』じゃないか」

 コンフェッティの知る限り、彼は最果てに本社を置くチェリーパイ・チェーンのオーナーだ。聖界・魔界の物流の要である最果ての直売所では、常に甘いもの好きたちが列をなしている。「ごきげんジョージのチェリーパイ」は、手土産ランキングにも必ずランクインする人気スイーツなのだ。


「あのおっさん、こっちにいたときは、菓子屋じゃなくて偉いさんだったんだろ?」

「近代人間界史もその程度の理解なんですか? それでよく名門・国立魔法学院を卒業できましたね。ジョージ・ワシントン氏はアメリカ合衆国の初代大統領として立派な方だったんですよ」

 ミニュイは、信じられない、とでも言うように、頭を左右に振った。


「あのチェリーパイ、うまいけど、甘すぎるんだよな」

「僕は好きですよ、祖母の好物ですし」

「あの、紫色のばあさんか」

 着任式典の控室までミニュイを送ってきた、紫色の動くモップのような姿を思い出す。控室の面々に、水筒にいれてきたシナモン茶を振る舞って、孫をよろしくとひとしきり挨拶してまわっていた。砂糖を加えたシナモン茶はシロップみたいに甘かった。


 コンフェッティは、気取った銅像を見上げ、背を向けた。

「俺は今みたいに、サクランボマークの赤いエプロンでにこやかに笑っている方が、あんなむっつりした顔で馬にまたがっている姿よりも、ずっといいと思うぜ」


 『パリ☆魅惑の美術館ガイド』によれば、ギメ東洋美術館では、実業家ギメ氏がコレクションしたものに加えルーヴル所蔵の東洋美術も統合された、充実したコレクションをみることができるという。実際、ルーヴルほどではないが、展示室は鑑賞する人々で賑わっている。


 見る人が見れば感涙を流すだろう芸術を前に、コンフェッティは仏像の頭部に首をかしげ、水墨画の幽玄なモノトーン画面にあくびをかみ殺した。


 離れたところから手をかざしてみたり、藪にらみしてみたり、扉に見えるものがないか吟味したが、見渡す限り、それらしき作品はない。

 半ば諦めてベンチに腰かけ、やがて、額に手をあてると、コンフェッティはふらふらと出口を目指した。

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