第1部 パリ編

石造りの女神からの無茶ぶり

 チケット売り場から混雑するルーヴル美術館。コンフェッティはいろいろな国の言葉であふれる人の波を縫うようにしてドノン翼の一角に向かった。


 荘厳な大理石の階段の先、勝利の女神の像サモトラケのニケが鎮座している。

 胴体と翼だけの姿だが、天窓から差し込む柔らかな光に包まれたその姿は、独特の威厳に包まれ、特有の優美さがある。


 シャツの襟元をただし、あたりを見回して人気のないことを確認すると、コンフェッティは台座の足元に片膝をついてうやうやしく一礼した。


「ごきげんよう、マダム」

「2分遅刻です、コンフェッティ。それに、わたくしは未婚です」

「失礼、マドモアゼル」

「わざと間違えたことは指摘しないでおきましょう。パリへようこそ。仕事には慣れたかしら?」

「ええ、まあ、ほどほどに」

「それはなにより。失敗も『思ったほど多くはない』ようですね。今回は、消えた扉を探してほしいのです。最果て側からつながるはずの、人間界側の扉が消えてしまいました。扉を開いても闇だけが渦巻いているのです」

「その扉の場所と、特徴などは?」

「東洋の画家が描いたものでパリにあるようですが、それ以上の情報はありません。では、精進するように」


 ニケは唐突に話を打ち切った。

 コンフェッティが慌てて質問しようとした矢先、階段の下にカップルが現れた。これではニケと会話するわけにはいかない。


 鑑賞するふりをして、カップルに迷惑そうな視線を何度も送るものの、彼らの目には、この世に人類は二人きりしか映っていないらしい。同じ時空間にうらぶれた男が存在していることになどまるで気づかぬ彼らが女神像を論評しはじめたあたりで、コンフェッティは諦めて美術館を後にした。


 「仕事」のはじまりは、いつも唐突だ。かかわる扉の場所のみが通達される。


 パリジェンヌに囲まれて鼻の下を伸ばしているミニュイをぐいぐい引っ張って、人通りの少ないセーヌ川沿いの小道に下りる頃には、太陽が真上にきていた。


 昨日の真夜中、サント・シャペルにある古い扉を通り抜けてきて以来、半日が過ぎたことになる。扉はしばらく使われていないようで蜘蛛の巣がべったり顔に張り付いたが、あてがわれた14区の宿にたどり着く頃には、この古い街に、長いこと住んでいるような錯覚さえ覚える。


 バゲット、色とりどりの菓子、流れる音楽、気ままな人々。故郷・最果てとどこか似ている。だが、目が違う。 


 元人間だったものたちと、神々や魔族が入り乱れて住むからか、最果ては賑やかな街だ。けれども、ここではないどこかを思っている人々がまた多い街でもある。

 元人間だったものたちは転生の順番がめぐってくる未来を、神々や魔族は失った力が隆盛していた遠い過去を思う街だ。


 それに引き比べ、このパリの街の人々は、生に溢れている。今、この時をこんなにまで謳歌しているのが、コンフェッティの目には新鮮に映った。

 セーヌの川面を走る遊覧船バトームーシュから、カメラを構えた観光客がのんきに手を振ってくる。


 コンフェッティは舌打ちして踵を盛大に振り下ろし、石畳に乾いた音を響かせる。短い脚をちょこまかと動かしながら、ミニュイが並んで歩く。


「あんな細かくて嫌味だから、嫁の貰い手がないんだぜ、きっと」

「シッ。ニケさんの地獄耳は有名ですよ」

「耳どころか、頭部もないじゃないか」

「それ以上侮辱するときっと懲戒免職になりますよ」

「ふん。さぼってなにかうまいものでも食べに行こうぜ」

「仕事が遅いと税金の無駄遣いだってどやされます」

「公務員って思ったより面倒くさいな」

「ふつうは仕事内容くらい理解した上で応募しますからね」

「俺だってそれくらい調べたさ。『出張多数、待遇良、魔力不問』」

「魔力の弱い一般魔族が就ける仕事としては、破格の待遇ですよ。そこに何の疑問も感じなかったんですか?」

「出張が多いからだと思ってた」

「リサーチが甘いですね。おおかた、最果て通貨と人間界通貨の両方で支給される給与に目がくらみ、旅をしながら贅沢三昧できるとでも思ったのではないですか」


 コンフェッティの無言に、反論の余地がないことを知ると、ミニュイは得意げにしっぽをつんと立てて続けた。


「『扉番』は、めったに募集のない稀少職ですよ。選ばれてしまったからには、誇りを持ち、きちんと職務を全うしていただきたいものです」


 コンフェッティは、大きく舌打ちをした。振り返って、バトームーシュがポン=ヌフ橋をゆっくりくぐり抜けていくのを見送る。観光客たちはもう誰もこちらを見ていない。新しいパリの人々に向かって笑顔とカメラが向けられている。


「そりゃ、仕事だからな。給料分はキッチリ働くさ」

「雇用期間は『命の灯消ゆるまで』ですからね。でも、簡単に辞めさせられはします。くれぐれも注意してくださいよ、道連れは困ります」


 ミニュイはフン、と鼻息を荒らげた。

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