異世界のサウナ ――サウナセンター大泉
JR鶯谷駅南口。
改札を出ると、上野公園から続く木々の深緑が残暑にうつむく。それを背にして橋を渡れば、がさつに列んだ鶯谷の街並みがある。
まるでおもちゃ箱をひっくり返したような雑然とした街だ。未だ中天には届かない太陽に、街全体が二日酔いをしているような気だるさに包まれている。おもちゃと言うには随分と汚れ荒んだビル群をかいくぐり、言問通りを渡った先にそれはあった。
――サウナセンター大泉。
友人K氏が「東京に住んでいながら、大泉に行ったことがないなんて、おれは恥ずかしいよ」と言い切ったそれは、鶯谷の汚れた街並みに息を潜めるように溶け込んでいた。
「ガンダム……」
入り口に堂々とした立ち姿を見せるのは、連邦軍の白い悪魔。その、おそらく1/10スケールの模型だ。私と同じくらいの身長がある場違いなそれは、年期の入った建物と、そして、くたびれたような観葉植物とともに異質な世界を形作っていた。
まるで異世界への入り口が、人知れずぽっかりと現れたような奇妙さ。
映画やアニメでよく見かける裏路地、そこに人知れず現れる秘密の扉。異世界への入り口。サウナセンター大泉の玄関先は、現実の日常にそれが現れたかのように、異様に、そしてひっそりとあった。
この異世界の扉の存在を誰も気づいていないのだろうか?
決して人通りのない道に面してるわけでもない。大泉の玄関先を子供連れの親子や近所のおばあちゃん、休日だというのに働くサラリーマン、そうした当たり前の日常を過ごす人々が通り過ぎていく。道往く人々は大泉に目もくれず去って行く。まるで彼らの目には、その異様な入り口が見えていないかのように。
人々の日常の中に非日常がさも当たり前のような顔をして存在している。そうした佇まいのこの大泉の玄関が、現実のものとして存在しているのは奇妙としか言えない。
この異様な入り口。異世界の扉。――正直に言って、入りづらい。
大泉の異様な存在感は足を踏み入れるのをためらわせるに充分だった。だが、それでも私はまず一歩、勇気を出して、この奇妙な建物へと足を踏み入れた。
そうして私は異世界へと入り込んだのだ。
サウナセンター大泉は東京でも歴史のあるサウナだ。
創業は古く、四十年以上前。すでに引用した通り、私の友人K氏を以て「行かなければ恥ずかしい」とまで言わしめるサウナだ。また、実に様々なサウナーが首都圏のサウナを語るとき、必ず一度は名前が挙がるサウナでもある。その実力は折り紙付きだ。サ界では知らぬ者のいないサウナの一つと言って良い。
しかし、それにも係わらず私はサウナセンター大泉に全く期待をしていなかった。
それというのも、私はサウナの聖地であるサウナしきじを知ったことで、ある種の絶望に陥っていたからだった。
これ以前に私は日本最高のサウナとも名高いサウナしきじに訪れていた。父のように厳格なサウナと母のように優しい水風呂。そして、それを内包する空間、匂い。私はすっかりしきじに魅了されていた。少なくとも初めて行ってから二ヶ月後に、もう一度行く程度には。(ちなみに私の家から静岡まで往復約2万6千円の交通費がかかる。そしてしきじ以外にはどこにも寄らずに帰る)
サウナしきじは、確かに“聖地”と呼ぶに相応しいサウナだった。しきじで過ごした時間は最高だった。
けれど、それは同時に私に絶望をもたらした。
しきじが日本最高のサウナだということは、つまり、それを越えるサウナは日本に存在しないということだ。
私は今後、どんなに良いサウナに行ったところで、新しい喜びを得られないのではないか。どんな素晴らしいサウナに行っても、「良いサウナだよね。しきじほどではないけど」と言って終わってしまうのではないか。もうサウナで新しい喜びを得るには本場フィンランドに行くしかないのではないか。
サウナしきじという無上の喜びを知ったことで、私はサウナしきじ以上の喜びを得られないのかもしれないと考えていた。
それはまさに日本のサウナに対する絶望に他ならなかった。
カウンターで料金を支払って、ロッカーの鍵を受け取ると、すぐにロッカールームに向かって館内着に着替えた。ロッカーの鍵は今風とは言えない。ずいぶん古いタイプのもので、ゴム製の素材でキーのカバーとリストバンドが一体となっている。使い古して薄汚れたそれは、子どものころに行った市民プールを思い出させた。
館内着に着替えているあいだ、ロッカーがところどころ錆び付いているのが目についた。それを見るたび、頭には「しきじならこんなことはなかった」という思いが浮かんだ。一つの汚れに気が付くと、他の汚れにも目が向いてしまう。そうして、だんだんとロッカールームや廊下のあちこちが汚らしく感じるようになった。気持ちが後退するのがわかった。
――どんなに良いサウナだと言ったって、やはりしきじは越えられないか。
そう思わずにはいられなかった。
着替えを終えると、エレベーターに乗って、サウナへと向かった。
サウナセンター大泉はビル一つが全て大泉の施設で、一階に受付とロッカールーム、二階に仮眠室、三階と四階に休憩室、五階に食堂、そして六階に浴場にあった。
浴場に入ると、ちょうど掃除を終えたようで、バケツを持った従業員とすれ違う。日曜の午前中だからか、客は私の他に誰もいなかった。
浴場はさほど大きくない。日替わり風呂と水風呂、同じ大きさの風呂場が二つあって、五つほど小さな洗い場がある。それだけの空間だ。浴場の中はどこかの窓が開いているようで、外から秋風が入り込み、薄ら寒い。
私は寒さに耐えながら、そそくさと体を流し、サウナへと向かった。
鶯谷の片隅でひっそりとたたずむこのビルと同じく、さほど大きくない浴場の中でさえ目立たないようにひっそりと、その扉はあった。
木製のずっしりとした重みのある扉。
扉と同様に木製の取っ手はぼろぼろに古びていた。その今にも朽ち果てそうな、けれども重い扉を開いた。白樺の香りが漂った。そこは十人ほどが座れる狭いサウナ室だった。
私の鼻孔を爽やかにくすぐったのは、あたりにざっくばらんに置かれた白樺の木。その香りだった。掃除したばかりだからか、白いマットは清潔に見えた。
それは決して広くはないが、けれど窮屈さを感じさせない空間だった。
三段あるひな壇の、二段目の真ん中。
客はどうせ私一人なのだ。今はこのサウナを独占させてもらおう。そうして、図々しくもど真ん中に居座ると、真正面にあるサウナストーンから、すぐにじっと熱さがこみ上げた。
――ずいぶん熱い。
壁に掛けられた温度計を見ると、針は100℃を指していた。どおりで熱いわけだ。かなり高温のサウナだ。いつもこんなに熱いのだろうか。
熱さに堪えながらもしばらく一人じっと座る。居心地は決して悪いわけではなかった。
さっきまで施設のあちらこちらに見えていた汚らしさというかボロさというか、そういった要素がこのサウナ室の中にないわけではない。
扉と同じ木製の壁はところどころはげているし、あちらこちらに置かれた白樺の丸太はなんだか野暮ったい。小さなテレビが一つあって、それを隔てるガラスは曇っている。テレビは再放送の安っぽい二時間ドラマを垂れ流し、その音さえもくぐもってしまっているようだった。
けれど、不思議と心は落ち着いた。
サウナの熱気と野暮ったさで、それは量産型のつまらない空間であるはずだった。古くなった壁や床、ごろりと置かれた白樺の丸太、そして、たわいもない二時間ドラマの放送。どれをとってもつまらなく、野暮ったい。けれども、どこかささくれた私の心を包み込むような安心感が確かにあった。
私はそれに首をかしげた。
どうして、こんなにもくだらない空間なのに、こんな安心感があるのだろう。心地良く感じてしまうのだろう。その理由がわからないままだったが、しかし、今はただサウナに身を委ねることにした。
十二分時計が一周するころ、私は熱さに耐えきれなくなって、このサウナの正体を掴みきれなぬままに、重い扉を開けてサウナ室を出た。
扉の向こうには、また先ほどと変わらぬ、薄ら寒く、ボロい浴場があるだけのはずだったが、じっくりと高温で熱せられたせいか、その冷えた浴場の気温は心地良く感じられた。
きっと体が火照ったせいだ。水風呂に浸かって体を冷やせば、そうした錯覚は消えていくだろう。そう思って、水風呂から手桶に水を汲み、頭から流した。
「!?」
瞬間、凍えるような水温が体表を流れた。その温度に驚いて、水風呂の水温計に目をやると、なんと温度は13℃。かなり攻めた温度の水風呂だ。
それに少し心を弾ませて、足先を付ける。
――つめたい!
氷のような冷たさに一度付けた足を思わず戻す。
おおよそ、どこのサウナでも水風呂の温度は17℃から18℃程度であることが多い。水温13℃という今までに体験したことのない温度に少し身じろぎをした。
けれど、そうしてたじろいだのも一瞬で、次の瞬間には体を縮込めながらも思いっきり水風呂に浸かった。
――キレキッレじゃないか!
未体験の喜びがそこにはあった。
足先から徐々に芯まで染みてくる冷たさは、雪の日に体が凍えるまで遊んだ子供のころを思い出させた。体のあちこちから、刺すように、染みこむように入り込む冷たさは、100℃の水風呂で茹だった体を覚ますのに充分以上だ。
熱でぼんやりとした脳が一気に冷えて、新鮮な酸素を血液が運び込んだ。過剰な酸素供給が脳をオーバードーズさせ、その機能は稼働可能なクロック数を飛び越えて、ゆっくりとフリーズした。
過剰に光を取り込む網膜からの視界情報は、供給過多な情報量に飽和して、ぼんやりとした視界だけを与える。
――完全にキマった。
充分に体を冷やし、火照った体が心地よさに浸ると、私は名残惜しげに水風呂を出て、その目の前のベンチに座り込んだ。
――想像以上にいいじゃないか。
確かに良いサウナだとは聞いていた。けれど、私の予想を上回るサウナだった。
すっかり気を良くした私は、ベンチにのんびりと座りながら、その心地よさにただ身を任せた。何を考えるわけでもなく、特に視線を定めずにぼんやりと目の前の水風呂を見ていた。
それは随分古い浴槽だった。
浴槽のタイルは今ではあまり見ない古いタイプで、オセロのような白い丸石が、碁盤ように規則正しく並んでいる。無色に澄んだ水面はゆらゆらとただ流れに身を任せて揺れる。規則的に並べられた碁盤の丸石もまた水面に任せるがままに揺れた。
水面が揺れて、碁盤の規則性がときおり崩れてゆらりと歪む。私はそれが妙に面白く思えて、ただそれを見つめていた。
それはまるで童心に帰ったような喜びだった。
子供のころ、自分の記憶すらも曖昧なころに、ただの水の揺れが妙に不思議で面白かったと思ったことがあった気がした。それは今と同じように風呂場で思ったのかもしれないし、あるいは路傍の水たまりをを見ていたときかもしれない。はたまた私は子供のころにそう思ったことはなかったのかもしれない。
けれど、誰しもそうした、なんでもない自然の動きを不思議に思ったことはあるはずだ。少なくとも小さな子供が――それも赤ん坊から少し毛が生えた程度の子供が、なんてことない風景に魅入っているのを見たことはあるはずだ。
その子供の感情が、今の私にはあった。
また、あるいはそれはいつかの夏休みだったかもしれない。揺れる水面にときおり光が反射する風景は、ある夏に入ったプールで友達とだれて過ごしていたとき、見たことがあったような気がする。空いた窓から入った秋風が、火照った体には夏に感じる心地の良いそよ風に似て、その時を思い起こさせた。どこかで風鈴の音が鳴った。
他にもなにか、遙か昔に感じた何かがあった。それはどんな記憶かさえも思い出せないが、けれど確かにその感覚はいつかどこかで感じたものだ。
それは言葉にすると、ひどくつまらないが、あえて言うならばノスタルジィという感覚なのだろうが、しかし、その一言では言い表せない古い何かがあった。
この不可思議なノスタルジィは、確かにサウナセンター大泉にあった。最初に玄関先の佇まいに感じた奇妙さ、異世界の入り口とも思えた異質さは、あるいはこの摩訶不思議なノスタルジィを孕んでいたとも思える。
窓から入る日の光が、水に反射して、ときに白くはためかせた。秋風に水面に揺れて、水の泡がふっと弾けた。
――おれはバカだ。
私は自分の狭量を恥じた。
なんと私は浅はかであっただろうか。しきじを神聖視するあまり、しきじを越えるものはないと思い込み、しきじと常に比べて見下そうとしていた。
確かにサウナセンター大泉には、しきじ独特の香りを漂わすサウナのインパクトはないし、しきじのような優しい水風呂もない。
けれど、だからどうだと言うのだろうか。
サウナにはしきじには無い“力強さ”があるし、水風呂にはしきじには無い“鋭さ”がある。何よりこの水面と揺れる浴槽のタイルのノスタルジィ。あぁ、それは大泉だけのものだ。
人それぞれに違った長所があるように、サウナそれぞれに美しさが、力が、優しさが違う形であるだけなのだ。どちらが優れているとか、どちらが劣っているとか、そういうことではないのだ。
このサウナセンター大泉もまた、しきじと同じように最高のサウナの一つだったのだ。
何よりもだ。この澄んだ水風呂の水面は、毎日欠かさずに掃除をしている証に違いないし、サウナの白いマットの肌触りは小まめに取り替えている証拠だ。改めて浴場をよく見てみれば、確かにむき出しのパイプやゆっくりと回る換気扇はずいぶんと古びている。けれど、それは建物が使い込んで古いだけであって、決して汚いわけではない。床は綺麗に掃除されているし、ロッカールームや脱衣所で変な匂いがするなんてこともない。
水風呂の澄んだ水に洗われた視線であたりを見れば、それは一目瞭然に分かった。
汚れていたのは私の瞳だったのだ。
そして、サウナセンター大泉に私自身の汚れも落とされて、ようやく私は己の狭量を恥じ入ることができたのだ。
私が自己嫌悪に陥ったのは確かであった。けれど、大泉のサウナは、水風呂は、それでもなお愚かな私を優しく包み込んでいた。
何度かサウナと水風呂の往復を繰り返した。
流した汗で、のどが渇く。端に置かれた銀色の古いウォーターサーバー。一緒に置かれた氷と食塩。紙コップにそれらを入れて、飲み干した。唇に染みた塩水の味は、中学校のときに部活で流した汗の味。たなびく風がその思い出を運んでくる。
風の出所に興味が湧いた。
水風呂のすぐ脇、そこにある非常扉が開け放たれていた。すだれで隠されて気が付かなかった。向こう側はもう外だ。
汚れた非常階段に大きな観葉植物が一つ。
思い切って私は外に出てみることにした。
すだれの向こう側には、東京の街並みが並んでいた。高いビルが並ぶ駅前とは反対側を向いた非常階段からは、背の低い昔ながらの下町の家々とかつては新しかったマンションが見渡せた。サウナセンター大泉の目と鼻の先にある古いマンションからは、住む人々の生活音が聞こえてくる。その音さえも私にはノスタルジックに届いた。
きっとあのマンションからは丸裸で非常階段に佇む男の姿がよく見えただろうが、私は全く気にならなかった。
私は今、この世の住人ではないからだ。
思い出という過去の世界に私は存在していた。サウナセンター大泉という別次元の空間が、私を過去の世界へ追いやったのだ。あの異世界の扉に飛び込んでから、私は現実から切り離された別の空間――サウナセンター大泉という奇妙でノスタルジックな世界に取り込まれている。
また、風鈴の音が鳴った。
さっきから聞こえる風鈴の音は、この非常階段のドアに掛けられたものだった。その音は私を現実に返そうとするどころか、より深く異界へと誘う。
サウナセンター大泉という異世界に私は呑まれていった。
しばらくすると浴場にちらほらと人の姿が増えてきた。
私ははたと思い出したように、壁に掛けられた時計を見た。時間は11時になろうとしている。今日最初のロウリュの時間だ。人が増えたのもそのせいだろう。
もちろん私はロウリュに参加した。
私にとってロウリュとは一種のお祭りだった。
ロウリュを行う熱波師が、場を盛り上げるために大きな声を張り上げる。ロウリュを受ける客も、それを拍手や声援で迎える。サウナストーンに掛けられた水の蒸気と熱波師の送る熱風と人々の熱狂でサウナは熱くなり、不思議と心地良い一体感がこみ上げる。
それが私にとってのロウリュだった。
けれど、大泉のロウリュは違った。
スタッフは聞こえるか聞こえないか、わからないような小声と早口で、ただ「ロウリュを始めます」と言って、漫然とロウリュの説明だけをする。スタッフがそうだから客もそれに拍手を送ることもない。
ただ淡々と事が進む。
ばさり。か弱い熱風が頬を撫で、私はそれにがっかりとした。
――施設は良くてもロウリュはダメか。
そう思った。
私がそれまで体験したロウリュでは、熱波師は最初から勢いのある熱風を、汗をダラダラとかきながら必死に送るものだ。全体に風を行き渡らせて、強い熱のある風を一人10回。それを2セットか3セット、ときにおかわりもある。
大泉のロウリュはか弱い風が2、3回。それでどれだけの熱を得られるというのだろうか。私はそれにがっかりとしたのだ。ロウリュというのは、もっとこう強い熱が……。
そう思っているうちに、奇妙な異変が遅れてやってきた。
なんだか熱い気がする。いや、熱いか? うん、熱い。あっ熱い! 熱い!熱い! というか痛い! なんだっ!? 何が起こった!?
熱波師がタオルで送るそよ風のような、力のない風量。たった2、3回のそれ。そのそよ風が1セット、2セット……と繰り返されるたびに異変は大きくなる。
1セット目はそよ風を鼻で笑った。2セット目は熱を感じてうなずいた。3セット目、そよ風は大きな熱のうねりとなって私を襲った。4セット目には痛いほどの熱風が嵐のように渦巻いた! おまけに最後には立たされて、背中側まで入念に扇がれて、全身に熱の大蛇が絡みつく。
繰り返されるそよ風は灼熱の暴風となって、私の体を暴力的に加熱する。
――そよ風? とんでもない! それは暴風だ! 熱のタイフーンだ!
未だかつて体験したことのないような異常なほどの熱量に、全身は悲鳴を上げて、声の代わりに汗を流す。意識が朦朧とするほどの熱。異次元の熱。
私はまたしても侮ったのだ。表面だけを見て、その真の姿を見ようとしていなかったのだ。
ここは100℃のサウナ室。そこに尋常ならざる湿度を加えればどうなるか。よく考えずともわかるはずだ。高温のサウナはさらに唸りを上げて熱を高め、人体に耐えきれないほどの熱を生む。
熱波師の風は力のない風を送っていたのではない。火傷をさせないように細心の注意を払った絶妙な力加減、それを知っていたのだ。
この風量で充分だ。それ以上は本当に火傷する。そういう温度、そういう力を持つサウナだった。
ここはサウナセンター大泉。外界から隔絶された異次元のサウナ空間。それを決して忘れてはならなかったのだ。つい先ほども水風呂にド肝を抜かれたばかりではないか。自らの眼が曇っていたと気づいたばかりではないか。
私という人間はなんと愚かなのだろう。
最強のロウリュ。まさしく最強のロウリュがここにある。努々忘れてはならない。獣は獲物を狩るその瞬間まで牙を隠しているということを。
私はロウリュの時間中、ただこの熱風を耐えることしかできないのだ。熱の獣の暴力に抗う術はない。
ロウリュを終えると、ひいひいと言いながら、私はやっとの思いで水風呂に辿り着いた。そうしてまた待っているのは13℃の水風呂。かつてないほどに加熱した体にその水温はやはり暴力的に襲いかかる。
――瞬間、私は整った。
食堂の椅子に座ると、ぐったりと体重をそれに預けた。
ノスタルジィに包まれてサウナと水風呂を往復しすぎたせいもあったし、最後に暴力的なロウリュに出会ったせいもあった。
整い過ぎた体は休息を求めていた。
三つの座敷席といくつかのテーブル席。そのテーブルの一角、これまたクラシックな椅子に私は重力に身を任せて座った。純喫茶、といった懐かしい装いのテーブルセット。ふかふかのクッションは体を預けるに相応しかった。
注文したコーラで体を冷やしながら、私は食事のメニューを開いた。
中天を越えた太陽は気だるげに西へと歩みを進めようとしているようだった。
ずいぶんと腹が減った。何か定食でも頼もうか。忙しなく動く昼過ぎのカウンターを見ると、到底ご飯がうまいとも思えなかった。けれど、この大泉に来てからというもの、私の目は狂ってばかりで当てにならない。適当にソーセージエッグ定食を頼んでみた。ビールも悪くないのだが、今日はそういう気分でもなかった。
しばらくして届いたソーセージエッグ定食は、松屋の朝食メニューを豪華にしたようなものだった。気だるげに箸をすすめて食べてみる。やはり今日の私の目は曇っている。定食はうまかった。あとからそれがこの食堂の看板メニューだと知った。
食事を終えても、私は食堂でぼんやりとコーラを飲んでいた。立ち上がる気は全く起きなかった。
テレビは『噂の東京マガジン』を映している。久しぶりに見る。まだやってたんだ。別に興味もないテレビを見ながら、ただ椅子に体重を預けていた。
――やっぱり夏休みだ。
特に見るわけでもなくテレビを垂れ流して、ぼうっと何をするわけでもなく、ごろごろとしている。あの日、やりたくなかった宿題は、今日これから帰りたくないという気持ちとリンクする。
ノスタルジィ。水風呂で感じたノスタルジィはより強くここにあった。まるで現実から切り離されたかのように、ぽっかりと子どものころの夏休みへと私は迷い込んでいた。それはこの建物の古びた造りのせいか、あの水風呂の揺らぎのせいか、はたまた風鈴の音のせいか。
今の自分が存在するはずのない時代にタイムスリップしたような。外界から切り離されて、私はただ大泉という空間にだけ流れる時間に身を委ねた。
どれほどの時間をそうして過ごしたか、全く判然とするはずもないが、ただテレビ番組の移り変わりだけが時間を教えた。
私の――僕の夏休みは今もまだここにあった。それは誰かの忘れ物のように、大泉に置かれたままだった。
帰りたくない。ずっとここでこうしていたい。
その想いだけが募った。
日も傾きはじめてから、私はようやく、そして嫌々ながら家へと帰ることにした。
大泉の玄関を出ると、また時は流れ出して、私は現実に戻った。相変わらず道行く人々は、そこに大泉なんてないように、目もくれずに通り過ぎていく。
私は夢だったのだろうかと思って振り向いたが、ちゃんと大泉の入り口はそこにあった。来たときと同じように、異世界の扉がぽっかりと開いたかのように、ひっそりと、そして異様な雰囲気がある。
また来よう。
そうして、このおもちゃ箱をひっくり返したかのような街の中、私は人波に流れた。
道往く人たちの、その中の誰かが置き忘れた夏休みは、今もまだ大泉に残されたままだった。
【SAUNA DATA】
サウナセンター大泉
サウナ:100~110℃、テレビ有(電源が入ってない日もある)
水風呂:13~15℃
ロウリュ:一日5回程度
宿泊:リクライニング(分煙)、仮眠室有
営業時間:24時間年中無休
料金:入浴1,800円~、宿泊3,000円(15:00~10:00)
HP:http://www.ooizumi.co.jp/uguisudani
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