第42話 魔王と少女

 久しぶりに入る城の中は、季節がすっかり変わったせいで、建物の中だというのに寒い。少女の吐く息は、白い蒸気となる。冷たい石のタイルでは、熱を留めておくのに充分じゃないからだろう。

 きっと、庭の野菜もひまわりもすっかり枯れているわね。

 久しぶりに訪れる城は、たまらなく寂しく、そしてひたすら寒い。

 少女は王の間の前で立ち止まる。そして、大きく息を吸い込むと、力一杯扉を押し開けた。


「はいるわよ」


 果たして、魔王はいた。

 宝の山の間に埋もれるようにして椅子に座っていた。眠っているのか、頭が前に傾いていて、少女からは表情が見えない。

 なんで、あんなに傾いでいるのに床に崩れないのかな。

 そこまで、考えて気がついた。

 魔王は椅子に縛り付けられていたのだ。不思議な文様の縄は魔王の四肢をしっかりと拘束して、動けないようになっている。

 魔王がくくりつけられている椅子のふちには色とりどりの綺麗な宝石がちりばめられている。それは、記憶の欠片で見た女性が座っていたのと同じものであり、玉座だった。

 居間においてあったはずのその椅子は、王の間に運ばれてきたらしい。

 部屋の内装すべても含めて、まるで退廃的な芸術品のようだ。

 少女としては、気分が悪いばかりだが。


「……あなたは、もう王様じゃないんでしょうに」


 魔王の前に跪いて、そっと語りかける。

 魔王の瞳は閉じられていて、まるでできすぎた仮面のようだ。

 少女は、魔王の頬に手を添える。

 あまりにも冷えきっているものだから、死んでしまっているんじゃないかと心配になった。

 ところが、魔王の瞳がすう、と開いた。

 焦点の定まらない瞳で、困ったように呟く。


「変な、夢をみたんだ…」

「…どんな夢?」

「クラウスが、…弟と僕の母親がいた。僕は、どこにもいなかった」


 少女は問いかけた。


「ねえ、家族が憎い?」


 魔王は笑った。

 それは、屈託のない柔らかな笑みだった。


「まさか」


 そこまで話してやっと自分の目の前にいるのが少女だと気がついたらしい。目を瞬いて、不思議そうな顔をする。


「やあ。きみか」

「今更気がついたの?」


 少女はくすくすと笑う。

 魔王もまた、柔らかく目元を和らげる。


「きみは、本当に存在するのかい?」

「…どうして?」

「ずっと、思っていたんだ。もしかしたら、僕の作り出した都合のいい幻想じゃないかって。それにほら、こんな風に寒い日、僕の母親もそんなふうに青白い顔をしていた。きみは、そんな僕の記憶がつくりだしたのかも」


 もしかして、魔王は寝ぼけているのだろうか。


「そんなことない。わたしは、ちゃんと、ここに存在するわ」


 その言葉に、魔王ははっと驚いたような表情をした。周囲を見回す。そして、まじまじと少女を見つめた。

 怪訝と、驚愕と、そして恐怖。

 魔王でもこんな表情するのね。

 こんな時に安堵してしまうのは見当違いかしら、少女は自問する。


「おい。なんで、君がここにいるんだ」


 どこかぞんざいな口調。

 それでも、うれしかった。

 魔王の中にも、感情があるとわかったから。


「せっかく来て上げたのに。他に言いようはないのかしら」


 少女はちょこんと唇をつきだす。

 魔王は困惑して言う。


「ほんとに、なんで、ここにいるんだ?」

「あのねえ」


 少女は大きくため息をついた。


「あなたを助けに来てあげたの!」

「助ける? 僕を?」


 少女はまっすぐ、魔王の瞳を見つめた。


「そうよ」


 沈黙が二人の間に落ちる。

 その間、少女は魔王から視線を外さなかった。

 困惑していたようだった魔王は、やがて、口の端を皮肉げに歪める。

 冷たい視線で、わかりやすく少女を嘲笑した。


「おもしろいね。こんなにも僕は、きみが憎いというのに」

「……」

「僕はきみと過ごしながら、いつだって、君のことをめちゃくちゃに壊してやりたいと、そう思っていたんだよ。誰に抱いたどんな感情よりも強くて、そのことに自分で驚いたくらいだ」


 魔王は声をたてて笑った。


「それなのに、助けるだって」


 少女は喉をごくりと鳴らした。

 それは、きっと、ウソ偽りのない言葉だ。

 だって、魔王は少女から視線をそらしていない。

 でも、そう思っていたから、どうだというのか。魔王が壊してやりたいと思った少女は、破滅することなく、今、魔王の前に立っている。

 魔王の言葉は、たしかに少女を傷つける。

 でも、それよりも喋った魔王の方が、よっぽど傷ついたような表情をしているじゃない、少女はそう思った。


「それに、僕はきみに助けを求めていないじゃないか」

「…そうね」

「…それでも、僕を救うというの?」


 その質問の答えはもう、決まっている。

 少女は魔王を睨みつけた。


「そうよ」


 少女は両手で魔王の頬をばちんと挟み込むと、ぐいと顔を近づけて力一杯宣言した。魔王の瞳の中に、少女の鬼気迫った顔が映り込んでいる。その両目からは、知らぬ間に湧いた涙がとめどなくこぼれ落ちていた。


「いい? 聞いて。わたしはあなたのことを、勝手に大切に思っているの。あなたが誰かにないがしろにされると、わたしが悲しいの。あなたが幸せだと、わたしも幸せな気分になるの。わたしは、わたしが幸せになるために、あなたに生きてほしいの。それが何か悪い?」

「…意味がわからない」

「わたしが、あなたを好きってこと!」


 手に力を込める。


「だから、あんたはわたしに救われなさい」


 魔王は、困ったように、そして今にも泣き出しそうにして、笑った。

 少女は、魔王に自分の顔を近づけた。

 魔王は委ねるように、その漆黒の瞳を閉じる。

 二人の顔の間の距離はやがて無くなり、唇と唇とが重なった。ただ、触れるだけの優しい口づけだ。少女は、自分の体温がすこしでもこの冷えた唇にうつればいい、そう思った。

 二人の唇が離れた瞬間、やさしい光が溢れ出して、魔王のことをつつみこんだ。

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