第40話 女性とリュカ


 これで、終わりかしら?  

 少女は欠片がすべての記憶を紡ぎ終わった事を確認した。

 勇者の元に戻らなくちゃ。

 喋りもせずに、長いこと記憶と同化していたせいで、少女は少し疲れていた。そうでなくとも長旅の疲れが溜まっている。記憶の再生をやめようとする。

 ところが、道具を停止させるはずが、最後なはずの記憶から、また、別の空間に少女の体は移動してしまった。おびただしい量の文字に囲まれ、存在しないはずの記憶に少女は降り立つ。

 すでに紡いだ記憶のうちのどれかを、また、再生しちゃったのかしら。

 少女は周囲を見回す。

 まだ見たことがない景色だった。

 そこは、白を基調とした部屋だった。どこか遠くから、教会の鐘の音が聞こえてくる。

 …ここって、もしかして王の部屋?

 少女はそこがどこか気がつくのが少し遅れたのは、彼女が知っている部屋とは少し違ったからだ。家具やオブジェはそのままだが、あんなに沢山ついていたはずの血の跡はどこにもない。

 どうして、ここに。

 道具の不具合だろうか。たまにあるのだ。魔力を持っている人間が近くにいると、それと混ざり合ってしまうことが。

 少女は呆然と目の前に広がる光景を見渡した。


「まあ、リュカ。いい子ね」


 やさしい、声がした。

 あれは、だれだろうか。ふちに宝石のちりばめられた綺麗な椅子に、金髪の美しい女性が座っている。少々やせすぎてはいるようだが、確かに彼女は美しい。

 そんな彼女の前にいるのは、ちいさな男の子だ。子供特有の黒い柔らかそうな髪の毛に、漆黒のまあるい瞳。幼い頃の魔王だろうか。顔の輪郭がそっくりだ。

 魔王は、リュカという名前なの?

 彼は野花を摘んで、彼女に差し出している。女性は、それを嬉しそうにうけとった。そして、小さな魔王らしい子供を抱き上げると、ほおずりをする。子供もそれをはずかしそうに、けれどほほ笑んで受けている。


「ありがとう」


 女性の礼。


「うん!」


 少年はうれしそうに頷いた。

 女性が少年を膝の上に座らせる。


(うん、ママのために取ってきたんだ)


 どこからか、そんな声が聞こえた。

 それは、まだ幼い魔王の声だ。けれど、少年の口はまったく動いていない。


「うれしいわ。いいにおいね」

(でしょう。一際大きいのなんだ)

「ボクも嗅ぎたい」


 また。

 どうしてだろう。

 小さな魔王はあんなに嬉しそうにしているのに、声のほうはちっとも感情が感じられない。まるで、他のだれかが遠くから声をあてているかのようだ。

 少女ははっと気がついた。

 二人から離れた所で、カーテンに覆われた壁の隙間からそっと伺うようにもう一人の小さな魔王が覗いている。彼の顔からは感情が伺えない。

 …こっちが本物の魔王?

 少女には、女性の膝の上で幸せそうに笑っている少年よりも、こちらの魔王の方が、少女の知っている魔王に近いように感じた。だとしたら、このどこからともなく聞こえる声も彼のものに違いない。きっと、あの可愛がられている男の子の方は、いつか話していた弟なのだろう。

 魔王にそっくりの男の子と、女性は、小さな魔王に気がつかない様子で楽しそうにお喋りしている。少女よりずっと、背丈の低い、子供の魔王はそれをじっと眺めていた。


「ねえ、リュカ。大好きよ」


ふふ、と女性が可愛らしく笑う。


(…ママ、ちがうよ。こっちを向いて)


 魔王がそう呼びかけた。

 でも、それに二人が気がつく事はない。

 当然だ。魔王は言葉を発していないのだから。それは、ほんの少し背丈が伸びても変わらない。


(…ねえ、お母さん)


 少女はいたたまれなくなった。


(お母さん)



(お母さん)





(お母さん)


 その後も魔王は言葉を重ねるが、けして女性はふりむかない。抱いていた子供を、いつのまに現れたベットに寝かしつけると、やさしく子守唄を歌い始めた。


(…おかあさん)


 子供は、静かにそれを眺めて続けていた。自分が、声を出せるということを忘れてしまったのだろうか。

 周囲が闇につつまれても、その子供は立ち尽くしたままだった。いつのまにか、一寸先はまっくらやみになっている。それなのに、少年の姿だけはふしぎとはっきりと見えた。


(そっか。…ボクじゃムリなのかな)


 次に聞こえたのは、その言葉だった。

 少女はちがうよ、そんなことないよ、と言って抱きしめてやりたい衝動に駆られた。しかし、てのひらをぐっと握る。

 そこにあるのは、ただの記憶の塊でしかない。

 少女が手を伸ばしても、それはすでに過去のことで、けして手が届く事はないのだ。

 悲しい気持ちに包まれていた少女の横を、人が一人通り越した。

 それは、大人になった魔王だ。少女の知っている魔王と寸分も違わない。


「そうだ。ムリだよ」


 彼が言う。

 すっと小さな魔王の正面に立つ。

 ひゅっと息を飲んだのは、少女か、それとも子供か。

 魔王の大人の大きな手が伸びる。

 そして、小さな魔王の細い首をぎゅうと絞めた。

 小さな魔王はぱたぱたと、まるで蜘蛛に絡めとられた虫のようにもがく。必死にその小さな体で抵抗するが、大人の魔王には傷一つつかない。抵抗するには、あまりにも力が弱いのだ。

 やがて、口の端から泡立ったよだれを零しながら、ついに子供の動きがとまる。大人の魔王が手を離すと、その体は地面に倒れた。

 子供の首は本来曲がってはいけない方向に、折れ曲がっている。

 少女が駆け寄ると、こと切れたはずの魔王がその目蓋をもちあげた。

 そして、何もありはしない空を見つめると、一言、


「おかあさん」


 と言って、今度こそこと切れた。


「なんで、この子を殺したの?」


 少女が、残った魔王に問いかける。

 返事がないと分かってはいても、聞かずにはいられなかった。少女のよく見知った魔王は、目を見開いたまま、やがてぽつりとつぶやいた。


「これは、存在してはいけないものだ」

「……」


 もういいだろう。

 これ以上は、見たくなかった。

 少女はそっと目を閉じると、機械の動作を完全に終わらせた。

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