第34話 勇者の条件
なけなしのお金を使い果たして汽車に乗り込んで、魔国の一歩手前までやってきた。そこから先は馬を借りる。どちらもいいお値段で、ためこんできた少女のお財布はすっからかんだ。元々浅かったそれは、あっという間に底をついてしまった。
それでも急がなければならないと感じていた。
なにかをするべきだと決心した少女は、心にあせりを感じていた。
馬の背に乗り、どこまでも続きそうな一本道をひたすら駆ける。冷たい空気が、凍えるような風が少女の体を苛もうとするが、そんなことにかまってはいられなかった。
少女が家に引きこもっている間にも、世間は変化しつづけているのだ。いつ、魔王が城から連れ去られてもおかしくない。
魔王が勇者の国に連れて行かれそうになった理由。
それはきっと、少女にあった。
少女ですら知らなかった一族に伝わる魔法。それは、魔王と人間の国との力関係を変えてしまいかねないものだった。魔王の城に少女がいる事を知った人間達は、そのことを危惧したのだろう。
それは、少女の一族にとっても、特殊なもので。だからこそ様々な国が彼女達を積極的に保護してきたのだと、いまなら分かる。一捻りすれば消えてしまいそうな才能の持ち主を惜しんだからではなく、途轍もない力に恐れをなしていたのだと。
やっぱり、凱旋なんてただの口実だったのだ。その力を少女が知っていようが、いなかろうが関係なかったのだろう。少女は、そこにいるだけで、人間達にとって脅威だったのだ。
その力が魔王に渡ってしまう事を恐れた人間達は、そうなる前に魔王を消そうと考えたに違いない。城を出る事なく静かにそこで時を過ごしていた魔王を始末させる口実を与えた原因は少女にあったのだ。少女自身にその力量も自覚もなかったというのに。
人間達の矛先が少女に向かわなかったのは。
魔王が少女を城から追い出したのは。
きっと、魔王が少女を守ろうとしたからだ。
いく夜を越えて馬は走った。
馬の体に泥が跳ねる。
少女の体も限界を感じていたけれど、それでも休むワケにはいかなかった。
しかし、幾つか目の魔人の村にたどり着いた時、ついに馬の方が限界を迎えてしまった。もんどりうって、地面に倒れる。
「お嬢ちゃん、これ以上馬を走らせるのは無理さね」
黒い、長い尾を持つ、おばちゃんが彼女の厩で、手当をするのを手伝いながら、口にする。
たしかに、買った時に比べて馬は弱っていた。これ以上走らせたら死んじゃうわ、少女は判断した。
「そうね。業者がこの子を引き取りにくるまでここに置いてやってもらえないかしら? 体調を直したら、きっと、畑仕事の役に立つと思うわ」
少女が提案すると、おばちゃんは嬉しそうに頷いた。
ありがとう、という感謝を込めて、馬の首筋をなでてやると、ぶるると鼻を震わせた。
少女は今度は一人、歩く。
きっと、あと三日ほどもすれば魔王城につくだろう。必要な荷物は揃っている。節々が痛む体にむち打って、少女は歩き続けた。
陽が暮れかけたその時。
大地を震わせる咆哮がだれもいないはずの山道に響く。少女が太陽を見上げると、太陽を背に背負いながら、まるっこい巨体が少女に向かって急降下してくる。
少女は両手で顔をかばった直後、その巨体は少女の目の前にどすんと着地した。
おそるおそる目を開ける。
「あら、会いにきてくれたの?」
そこにいたのは黒いドラゴンだ。
ドラゴンは、翼を折りたたみ、くるりとしたアーモンド型の目をしばたかせると、少女に甘えるように体をこすりつけた。少女もドラゴンを抱きしめ返す。
「わたしの事、城まで連れて行ってもらってもいい?」
少女のお願いに、ドラゴンは乗りな、とその背を向ける。
少女がその背によじ上ると、途端に風をまきあげて空に舞い上がった。
風圧を受けるが、必死に振り落とされないように首元にしがみつく。うろこの隙間に手をさしこんだ。
やがて、ドラゴンの体が横向けになり、安定する。しかし、時折、ぐん、と加速するので気は抜けない。
鳥でははるかにおよばないほどの高度。そこからだと、遥か先に魔王城がぽつんと見えるのだった。
すっかり陽が落ち、少女の吐く息が白くなる。
ようやく、魔王城に到着した。
この城、こんなに寒々しかったかしら?
ドラゴンから滑り落ちるようにして、ようやく落ちる。ありがとう、と礼を告げると、咆哮をまたひとつ飛ばして、飛び去っていった。
門がある方に城を回り込む。
城門は以前とは違い、固く閉ざされている。
もしかして、遅かった?
とてつもない胸騒ぎがした。
「また、戻ってきたのか」
聞き覚えのある声だった。しかし、魔王のものではない。
城からでてきたのは、勇者だ。マントを風にたなびかせて、近づいてくる。門の格子に隔てられて勇者と少女は対峙した。
少女はまっすぐに勇者を見つめた。
「ええ、帰ってきたわ」
ここを開けてちょうだい、そう要求する少女に、勇者はその茶色の瞳で睨む。勇者はいつも睨んでばかりだ。
「罪悪感でも感じているのか」
「どうして?」
「…気に病む必要はない。最初からそのために誰でも城に入れるようになっていたんだ」
勇者は言う。
最初から魔王を始末する口実を作るためにと、盗賊も魔王の部下も城に入って来れたのだ、と。少女がやってこなければ、ふたたび戦争を企んだ、という罪を着せるなり、善良な人間達を虐殺したという罪なりで処刑されていたのだ、と。
少女は思う。
魔王のことだ。そのことに気がついていなかったはずはいない。それなのに、なぜ彼は何者も拒む事をしなかったのだろう。人間達がなにもしなかったからといって、彼がしない理由にはならない。それなのに、少女をふくめ、すべての人間が城に入る事を許された。
それは、どうして?
どうして魔王はわたしを城の中に入れたのかしら?
それは、それこそがわたしがここに戻ってきた理由じゃないかしら?
それは―。
「罪悪感じゃないわ。わたしがそうしたいから、そうしたのよ」
勇者は眉間にシワを刻む。
「帰れ。会わせる訳にはいかない」
「どうして? ここにはあなたしかいないんでしょう?」
「それでもだ。アンタを魔王に会わせたら、推進派の抑えがきかなくなるだろう。それでも、いいのか」
三ヶ月間もの時間があったのに、魔王がまだ城にいるらしい理由。
それは、勇者にあったらしい。
少女は声を張り上げ、宣言した。
「いいの! その為に来たんだから!」
勢い込んで、門を押すと、がしゃんと揺れる。しかし、門は開かない。
勇者は目を見開いて少女を見つめると、信じられない、と首をふった。
「本気か? …あの、魔王相手に」
「そうよ」
「やめろ。それはアンタの人生を犠牲にすることになる。それだけじゃない。魔王を野放しにすることになるんだぞ」
「ならないわ」
勇者は悲痛な面持ちでなにかを考え込んでいたが、やがて言った。
「わかった」
「ただし、条件がある」
勇者は格子越しに少女に告げた。
それを達成しなければ、魔王に会わせる事はできない、と。
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