第33話 少女と魔法

 三ヶ月ほど時間がたってしまった。

 そう、時が立つのは早いものである。

 早くとりかからなければいけない課題があるときは、なおさら。

 少女だって、今現在、リビングのソファの上でブランケットにくるまって、ぬくぬくしていようとも、さすがにこんなにいつまでも家に居座る気はなかったのだ。

 だからといって魔王城に向かう気にならないのだから、しょうがない。それに、いっこうに勇者の国に魔王が連れて行かれたという話も聞こえてこなかった。

 少女は怖じ気づいていた。

 なんとなくあのままではいけないと分かっていても、相手が嫌がる事はしたくない。たとえ、相手が魔王であっても。

 というのは、建前で、ほんとうは拒否されるのが怖かっただけだ。

 もう一度城に戻ったら、今度は命が無事ですむとも限らない。でも実は、心の奥底では、なんとなく魔王はそんなことはしないだろうと思っている。そして、そのことに少女は気がついている。

 それなのに、なにもしないでいる。

 少女は魔王に壁を作られるのが、怖かった。


「…どうしようなあ」


 こまったなあ、と少女は呟いて、ホットココアをずずず、と啜る。


「アンタ、またぼけっとして」


 台所から顔を出した母親が呆れて首を振った。朝っぱらから、掃除をしているのだ。手にすすきを持っている。母親は指を使う繊細な仕事をしているのに、そういうことに無頓着だ。


「だって…」


 つんと唇を尖らせてみるが、かわいくないわよ、と言われて、つつつ、と元に戻す。


「帰ってきたきり、旅の話もしないで。悩みがあるなら話してみな」


 母親がソファのへりに座ってそっと少女の髪を撫でる。

 少女がまだ、ずっと幼いときから落ち込むと、母親はそうやって少女の髪を撫でてきた。それがたまらなく鬱陶しく感じた時期もあったわけだれども、いまの少女にはそれがここちいい。


「あのね…」


 話出してみたはいいものの、続きがでてこない。


「なんで、なやんでいるのか、わからないや」

「どうしようもないね、まったく」

「ううん…」


 少女はよくよく考えてみる。


「あのね…、助けたい人がいるの」


 魔王はどんな人だっただろうか、少女は思考を巡らす。

 脳裏に輪郭のぼやけた魔王の姿が浮かんだ。

 その顔はいつかのように、口元だけでほほ笑んでいる。


「それはやっぱり手紙に書いていた男かい?」


 少女は家族に向けて、白い靴下の柄のテガミネコに、手紙を運んでもらった事を思い出した。

 同居人が魔王だということだけはぼかしたものの、色んな事をかいたはずだ。その中で魔王とのことについて意見も求めた。


「そうなんだね?」


 ほほお、と母親の瞳は好奇心に輝いている。しかし、それに気がつかないで、少女は首肯した。


「そう…。でもね、その人は別に助けてほしくないみたいなの」

「なら、ほっときゃあいい」


 きっぱりと母親が言う。


「…それはやだ」


 少女はむくれた。

 母親には昔からこういうところがあるのだ。即断即決。それは美徳かもしれないが、いまの少女にはすこし辛い。


「じゃあ、どうすんだい」

「…どうって」


 母親がぽんと少女の頭に手をのせた。


「アンタはその男を助けたいけど、相手のほうはそれを望んでいないんだろう」


 望んでいないというか、なんというか。

 そもそも意に介していないような。


「そういう話は大抵、決着がつかずに平行線になってしまうもんだ」

「…そうかも」


 なら、どうすればいいんだろう。

 母さんならどうするかしら。

 きっと、さっき言ったようにきっぱり諦めるか、持ち前の押しの強さで押し切ってしまうのだろう。でも、少女には、そう割り切れるだけの根気が自分にあるだろうか。少女には、そこまでの自信がない。

 ますます悩む少女に母親が言う。


「なら、アンタは自分のしたいことを優先させな」


 少女は目を瞬いた。


「わたしの、したいこと?」

「そうだよ。得意じゃないの。自分のしたいようにするんだ。それが、間違っているかどうかなんて、誰にも分からないんだから」


 やってみるしかない、そう母親は言う。


「おかあさんの、ように?」

「それは、余計だよ」


 ぐりぐりと少女の頭を撫でる手。

 いたいいたい、と少女は避ける。

 しかし、その痛みで、ようやく目が覚めたような気がした。

 わたしのしたいこと。それは、魔王に城を追い出される前から変わっていないじゃない。


「…母さん」

「なんだい」

「わたし、また旅に出なくちゃいけないかもしれない」

「そうかい。わたしはいつだってアンタの味方だからね。…あんまり変な男を捕まえないでほしいもんだけど」

「…変かもしれない」


 魔王だし。

 母親は、肩をすくめた。


「まあ、好きにするがいいさ。ただ、せいぜい危ない事はするんじゃないよ」

「分かってる」


 ほんとかねえ、母親はわざとらしくため息をついた。


 やってみよう。少女は頭を働かせる。

 なにもできない、なにも持たない自分が、どうしたら魔王を助けられるだろうか。

 考えなくちゃ。ちゃんと考えなくちゃ。


 ところが、考える事を始めた少女に、母親は奇想天外な事を言った。


「まあ、アンタも大人だ。いい機会だよ。とっておきの魔法を教えといて上げよう」

「なにそれ。そんなものあるの?」


 初耳だ。

 少女は魔法なんて使ったことがない。せいぜい、まじないのような簡単なものをちょこっと触った限りだ。いろは、のいの字ほどもしらない。


「あるともさ。一人前のヤツしか知らないけどね。…いいかい、ほんとうに必要な時だけ使うんだよ」


 怪訝な顔をした少女に、母親がにやりと笑った。


「魔法に縁のないわたし達一族だけが使える、特別な魔法だからね」


 その日の午後いっぱい、少女は物置に篭りきって、母親から、その方法を教わった。自分のものになったと確信した時、ようやく、少女は魔王がどうして自分のことを城から追い出したのかを理解した。

 

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