第30話 おじさんと魔女
少女は呆然と丘の上をたたずんだ。
足下を風が通り過ぎていく。足下の草がそよがれ、そのあおりを受けて、赤い髪の毛がはためく。体をぶるりと震わせると、ぎゅっと腰にくくりつけている革袋を片手で握りしめた。
中には、少女の仕事道具とわずかばかりの路銀が入っている。少女の転移した先に、まるでおまけのように落ちていたのだ。
どうして、こんなことになっちゃたんだろう。魔王はわたしのことがキライになっちゃったのかなあ。
そんな詮無いことを考える。
眉毛がハの字に垂れ下がるが、このままここにいるわけにもいかない、と自分に言い聞かせる。ざんと立って、ふもとの村を見下ろした。
とりあえず、あそこにいこう。
気合いを入れる。
転ばないように、ふんばって下り始めた。
ようやっとたどり着いた。
そう思った時には、もう陽が傾き始めていた。
「お嬢ちゃん、見ねえカオだな。上で何してたんだ?」
村の外れで干し草を手押し車にのせていたおじさんが、少女に気がつくと、そう話しかけてきた。おじさんの隣で牛がうもぉと鳴く。
「なんかね、迷子になったみたいなの」
「なんだいそりゃあ」
額の汗を首回りにかけた手ぬぐいで拭いながらおじさんが呆れた。ところが、はっと何かに気がついたように少女から距離をとると、
「お嬢ちゃん、もしや魔女かい?」
と疑わしげに問うた。
少女は首を横にふる。
どうやら、ここは人間の国のようだ。
「わたしは魔法の一つも使えないわ。物語士なの」
なおもうたがわしげな顔をするおじさんに仕事道具を見せると、ようやく納得したらしい。途端に顔をほころばせて、わるいわるい、とあやまった。
「おう、物語士かい。この辺には人の集まるような場所なんかとんとないがな。せいぜい酒場くらいだ。そうだ、どうだい、今夜いっしょにどうだい? 物語のひとつでもみせておくれよ」
「ふふ、いいわよ! っていいたいところだけど、ちょっと道を急いでいるの」
「そうかい」
「ところで、ねえ、おじさんは人間よね」
「なにいってるんでえ! おらが魔人どもみたいに薄気味悪い姿をしてるように見えるってか」
おじさんはじろりと少女を睨みつける。
「あら、さっきおじさんはわたしの事を魔女かって聞いたじゃない」
わざとらしく首を傾げて見せると、おじさんはがははと笑った。途端にツバが飛び散る。
「でも、わたしは魔国にいくところなの」
たぶんね。
「そうかい、そうかい。物好きなこっちゃなあ」
「結構とおいの?」
おじさんは笑いをこらえるような顔をした。
「なにいってるんでぇ。どこから来たか知らんが、遠いぞお。国二つは越えなきゃならんで」
少女はくらりと目眩を感じた。
なんてまた遠いところまで送られちゃったのかしら。
「…この村に宿はあるかしら?」
「ねえな。五年前の戦争で魔王軍はこの辺まできたからな。やけちまった。この辺は閑散としてるんだ」
「ううん」
「お嬢ちゃん、よかったらウチ来るかい?」
少女はおじさんをまじまじと見る。
いい人、なのかしら。
「おじさん、わるい人じゃない?」
「わるいヤツには違いないが、悪さはしないさ。怖いかみさんがいるんだ」
「じゃあ、…お願いしようかしら」
おじさんは少女に日焼けしてしわしわになった小さな目でウインクした。
「その代わり物語を見せておくれよ」
少女も笑みを浮かべた。
「ええ、任せておいて」
手押し車を押すおじさんとのんびり歩く牛と。その横に少女が並んで、村に向かって歩き始めた。
その夜。おじさんと、おばさんと、その息子と。いくら気分が憂鬱だからといって、黙りこくっている訳にもいかず。いつのまにか村人達も集まった食卓は、宴のようになり、たいそう賑やかに過ごしたのである。
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