第29話 少女と放逐
少女が居間に戻ると、魔王はあいかわらずの姿勢で、今度は本を読んでいた。ぱらぱらと頁をめくっている。どうやら知恵の輪は諦めたようで、たき火跡の横に置いてあった玉座にまとめて置かれている。しかし、少女が手にとると、つながっているように見えた二つのパーツはするするとほどけていって、少女の手に残ったのは片方のみだった。
「きみのその一手で、パズルは完成だ」
魔王が本から目を離さずに言う。少女は欠片を握りしめる。
「…勇者は帰ったわ」
「らしいね。気配が消えた」
床に腰をおろした少女をちらりと見遣る魔王。
「どうしたの。そんなにしょげかえって」
「なんでもないわ」
それきり黙り込む少女。おしゃべりが好きな少女はよくたわいもない事を話す。その分賑やかだが、その少女がめずらしく黙り込んでしまったことで、沈黙がおとずれた。
魔王は、ためらいがちに口を開く。
「…それにしても、勇者はかわいそうだな。僕を殺せなかったせいで、苦しんでいるんだ。…でもまあ、まさかその程度だったのは残念だけど」
もっと気骨のあるヤツかと思った、と話す魔王。
「あのね、だれもがみんな、あなたみたいになれるワケじゃないのよ」
「そうかな。でも、たしかに勇者は僕を殺したがっていて、僕はそれを受け入れてた瞬間があったはずなんだ。正直、期待はずれだよ」
少女はさらに落ち込んだ。
この魔王は、そんなに勇者に期待していた癖に、少女が彼になにかをしてやれるとは微塵も考えていないのだろう。
そりゃ、たしかに、できることは少ないけどもさ。
「…ねえ、本当にパレードに参加するの?」
「そんなに、気になるかい?」
魔王は知恵の輪を魔法で地面に落とすと、ふわりと少女を持ち上げて玉座に座らせる。少女は膝を抱えたままの姿で椅子の上に座る形となった。
そして、自身は少女の向かいに舞い降りると、膝を折って、少女の顔をのぞきこむ。
「べつに、殺されるわけじゃない」
べつにそうなってもかまわない、そんな心の声が聞こえてきそうだ。少女は顔を持ち上げて、魔王と目を合わせた。
「どうして、そう言い切れるの。きっと、王は、人は、必要になればあなたを殺してしまえるのに」
涙が唐突にこぼれそうになるのをこらえながら、きっぱりと告げた。
「…パレードに出るべきじゃないわ」
「それは、僕の決める事じゃないんだよ」
どうして分からないの、といいたげだ。その表情はいら立ちを含んだものというよりは、あくまでも不思議そうだ。
「きみは、なんでそんなに辛そうなの」
「…なんでって。気に食わないからよ」
そう、少女は気に食わないのだ。
王に命令されたからと言って、魔王を拘束して、自分たちの国で見世物にしようという魂胆に従う勇者も。それにまったく反抗しない魔王も。
「でも、きみにはどうすることもできない」
少女は気がついた。
だから、いやだいやだと言っているのは、ただだだをこねているだけで、まるで自分勝手な子供のようだと。
魔王、すべて分かっているのだ。分かっていて、あえて試すような事を言う。
きみは、力がない。
それに、きみが動いてもなんらきみ自身の利益にはならない。
きみのすることは、まるで無意味だ。
魔王は、その混沌とした瞳で、そう語っている。
「決めつけないで!」
少女はイヤイヤとするように、首を横にふった。その拍子に涙が一粒、こぼれ落ちる。
魔王はふう、と呆れたようにため息をつくと、立ち上がった。
「分からないな。きみは鎖につながれる僕がいやなの?」
「ちがう!」
「……」
魔王は、ふと、顎に手をあてると、ああ、と思い至ったように言った。その様子は困ったようでも、どこか傷ついたようでもある。
「なるほど、僕としたことが。君は自由民だった」
「…どういうこと?」
「どういうことも、なにも、そういうことだろう?」
なんだかイヤな予感がして少女は魔王の顔を見上げる。
魔王は背筋がすうっとするような笑みを浮かべていた。なぜか、片手を少女に向けてかざしている。
「なにをするつもり?」
「そんなにイヤなら、ここから出て行けばいい。そろそろ、きみにも飽きた頃だったんだ」
まるで芝居の台本でも読んでいるかのような口調。
「ちょっと!」
そんなこと言ってないわよ!
少女がそう叫ぼうとしたのと、同時に魔王の魔法が発動した。少女の体全体が青い炎に包まれる。恐怖から悲鳴をあげようとした少女だが、すぐにその炎が熱をもたないことに気がついた。
目を見開いたまま、慌てて魔王を見る。
「特別にころさないであげる」
その言葉を最後に、魔王は少女の前から姿を消した。
ちがう。
少女の方が、移動したのだ。
周囲が歪んだと思った、一瞬の後。気がついたら少女は見知らぬ土地で座り込んでいた。
周辺には森が広がり、下の方には小さな村が見える。しかし、どこを見渡しても魔王城は見えない。
「どこ、ここ…」
それは、久しぶりに手にした自由だった。だというのに、少女はたまらなく心細くなった。
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