第22話 仄かなたき火
急な夕立が終わったと思ったら、涼やかな風がやさしく吹きはじめ、それを合図に夜の帳が降りた。
少女はたき火を見つめながら、ぼんやりとその身を暖める。炎のやさしい暖かさに微睡みを感じる。
そういえば魔王はどこに行ったのかしら。
寝ぼけた頭で、ふと、イヤな予感に身をふるわせた。
きい、と木扉のきしむ音、すぐにそちらに顔を向けて少女はぎょっとした。
まるで濡れぞうきんのようになった男が中庭に続く扉から入ってきたのだ。
「ねえ、どうして僕を雨の中に晒したんだい?」
魔王はいっぽいっぽ踏みしめるように石段を下ると、じりじりと少女につめよった。
「ご、ごめんなさい。まさか雨が降り始めるなんて」
すっかり忘れていたわ。
どう取り繕えばいいのか。
いや、取り繕えるのか。
少女が後ずさる。
魔王は髪からも、その衣服からも雨水をしたたらせている。さらには服がぴっとりと肌にはりついて、黒い布地がほっそりとそのフォルムを浮かばせていた。
濡れた黒髪。
すべるような白い肌。
雨に濡れたというのに紅い唇。
目はあいかわらず泥沼のようだけれど。
美しい。
しかし、見惚れている場合ではない、と少女は口をひきつらせる。
「…わざとじゃ、ないのよ」
「まったく」
きみはそういうのばかりだ、と魔王がほほ笑む。その笑みに押されて、少女はますます萎縮した。魔王の笑みが心からの微笑みであることは少ないのを、少女は熟知している。
「ありがとう」
少女が顔をあげる。
突如、少女の目の前に大きな黒陰が現れた。
地面に落としてしまわないように、慌てて両手で受け取る。風圧でたきびのひのこがふっと舞う。
濡れていてもおかしくはないはずなのに、なぜか乾燥している。
それは、少女が魔王に被せた上掛けだった。
魔王はすでに興味の対象が他に移ったのか、少女のことを見ていない。
「その服、かわかそうか?」
少女がおずおずと聞くが、魔王は首を横にふった。
「すぐにかわくよ」
少女がなにかするより前に、魔王を中心に光の輪が広がった。一瞬、強くひかると、服はもう、かわいていたのだった。
「魔法って便利ね…」
しみじみと少女がつぶやくと、魔王が答えた。
「魔王だからね」
そういえば、ふだん忘れがちになるが、魔王は魔物の王なのだ。さきほど、勇者が冷酷無慈悲と言っていたのは、まさに彼のことなのだ。
わたしの横にいるのは、ありていに言えば殺人者なのだ。
そう思うと、げんなりした。
それは、少女自身が殺されるかもしれないという恐怖と、殺人犯といっしょにいることで他人からどんな風に見られるかもしれないという怯えと、そしてそんな風に思ってしまう自分の浅ましさの、すべてが入り交じった結果のげんなり、だ。
「勇者と話をしたんだろう?」
「ええ」
「なにか、たのしい話でもきけた?」
彼は人間達の間で人気だろう、と魔王がほほ笑む。その視線はじっと少女を見つめている。
少女は、結局、一部分だけ答えた。
「まあ…。魔界がどうやってできたか、教えてもらったわ」
ああ、あの話か、と魔王は頷く。
「皮肉な話だ」
魔王は、魔国を作り上げた最初の青年が望んでいたことは「自由」なのだという。ならば国を出た時点で青年は自由を獲得したといえる。それだけならば、きっと他国に攻められることはなかっただろうに。
青年は他のことも望んだのだ。
孤独を埋めるための、仲間。
しかし、今度は、仲間を得た途端、青年は自由ではいられなくなった。人が集団で暮らすには、秩序が必要だったからだ。
さらに、いつ、魔力を持たない人間に狩られるか分からないという恐怖の中で、力のある者、すなわち偉大な者が、人々を率いることが求められた。その結果、厳戒なヒエラルキーも生まれてしまった。
「自由なはずのこの国は、極端なまでに実力主義だ。それは、そうなるしかなかったという歴史の結果なのさ」
それを、皮肉というなら皮肉なのだろう。
少女には当然の帰結のように思えても。
「きみは、勇者をどう思った?」
突然、魔王は話題を変えた。
その問いかけは突然で。だから、少女は、たまらなく、魔王がなにを考えているのかを知りたいと思った。
「がむしゃらな人だと思ったわ。優しいひとなのかもしれないけど、とっさに手段を選べるだけの器用さがないのね。でも、きっと、強いの。なにかを守れるから」
「やさしい?」
少女が苦笑する。
「あなたとは違ってね。…じゃなきゃ、食料なんてもってこないわ。それも、律儀に、毎回」
少女は思う。
勇者はきっと知っているのだ、と。魔王が食料をほんとうの意味で必要としていないことを。監視のためか、ほかの理由か。
よくよく考えれば、魔王の待遇はふしぜんな事だらけだ。
処刑にされず、ただ自身の城に閉じ込められる王。
ただの幽閉とは違い、外からの出入りは自由だなんて。
もし、魔王がふたたび諍いを起こそうとすれば、それは用容易になされてしまう。なんて甘い処置。
もし、少女が敵を閉じ込めるなら、それこそどうやっても出られないように、何重にも封をしてしまうに違いない。そうすれば、すこしは安心できるから。
「変なことだらけ…」
魔王の問いかけは、また、きまぐれに矛先を変えた。
「それなら、きみは、優しくない僕が怖いかい?」
その視線は壁の大穴からのぞく、おおきな新月に向けられている。
だから、少女も問い返した。
「あなたは、わたしを傷つける?」
「さあ」
「…そうしなければ、怖くないわ。他の人が死のうがわたしには関係ないもの。わたしにとってモラルや倫理は、人を人たらしめる囲いでしかないわ」
でも、きっとわたしだったら耐えられない。殺す側になっても、殺される側に感情移入をしちゃうもの。そうなったら、殺すという役割は殺される以上に辛いことになるかもしれない。
「それは、よかった」
魔王はがれきの山に腰掛け、にっこり笑った。
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