第23話 ネコと風邪

 少女がその部屋を使い始めた理由と言えば、その部屋からのぞける外の景色に惹かれたからであるのと、塵と風からしっかりと身を守ってくれるだけの分厚い壁があるからだ。

 しかし、部屋の作りと反対に少女の使っているベットはそれは、それは粗末なものだ。壁が分厚くて、ちゃんとした造りなのは城自体がきちんと作られたからだし、少女の使うベットが粗末なのは、それを使っていたのが、おそらくは使用人だったからだ。

 その粗末な寝床で、うすい上掛けの毛布を使っていたのが運の突きだった。そもそも魔王城はどんな季節でも、夜はえらく冷え込むのだ。だというのに、わたしは体が丈夫なのよ、と己の体を過信しすぎたのだ。

 いまや、少女は、そこかしこからかき集めてきた上掛けにうまって、寝床の上で寝込んでいた。あまりにも積み重ねられたせいでまるで巨大な芋虫だ。

 鼻がつまって息ができないため、ぜえぜえと口呼吸で喘いでいる。

 立派に、風邪をひいていた。


 も、もしや、呪いかもしれないわ…。


 少女は思う。

 雨に晒されたことをうらんで呪いをかけたのよ。でなきゃ、濡れた魔王じゃなくて、わたしが風邪をひくわけないじゃない。

 魔王の性格上そういうことはしないだろうと少女だって知っているのだが、そう思ってしまうのは、八つ当たりをしているせいだ。

 意識も朦朧としている。

 早く眠りたい。

 寝床にいて、あとは眠るだけなのだから、好きなように眠ればいいはずなのだが、眠れないわけが、少女にはあった。


「なんでうなされてるの」


 魔王が枕元で少女の顔を覗き込んでいるのだ。

 少女の顔は、熱のせいで真っ赤に染まり、目はうるんでいる。鼻水だって垂れているかもしれない。

 いくら魔王にだって、誰かにそばにいてほしくないのだ。

 ああ、おかあさん…たすけて。

 しかし、おかあさんがいないのは分かりきったことである。不承不承、少女は口をひらいた。


「風邪引いたのよ」

「…きみに死なれたら困るんだけど」

「死なないわよ」


 わざとらしく言う魔王に、死んでたまるか、と少女が斬り捨てる。語調を強めたせいで、また咳をする。

 なるほど、と魔王が頷く。

 なにがなるほどよ、少女が心の中で毒づく。


「わかったら、でていってちょうだい」

「…なにか、たべるんじゃないの、こういうとき」

「いいの。さっき果物をたべて、クスリも飲んだから


 ほら、さっさとでていけ。

 しかし、少女のかすれた言葉が聞こえているだろうに、魔王は少女をじっと見つめた。


「なによ」


 熱のせいで普段以上に気が短くなっている少女がいう。


「いいや、べつに」


 なにがしたかったのかは分からないが、魔王はそれ以上なにをするでもなく素直に部屋をでていった。





 魔王は少女の部屋をでて、扉を閉めた。

 そして、そのまま二階へ続く階段をく下っていくかと思いきや、なにを思ったのか、扉の前にとどまる。


「こういう時、魔法は不便だな」


 ぼそりと独り言をもらす。

 ケガをした場合と違い、魔法で風邪を完璧に直すのは簡単ではない。免疫系から変化させなければならないのだ。

 魔王の魔法は町を破壊することはできても、風邪の直し方はしらない。その魔法が必要になったことがないから。あいにく、新しく魔法を構築するだけの情報も足りていなかった。

 少女は自分自身で治すしかないのだ。

 魔王は、ためらったものの、結局階下におりていった。




✳︎

 いつもしているようにぼんやりすることも、本をよむこともせず、魔王は太陽がさんさんと降り注ぐ中庭にでていった。普段は少女がせっせと働いているため、魔王はめったに庭にでない。

 外にでるのは大抵、月がでている、夜だった。

 宙に浮いて、ひざを抱えて座り込む。

 改めて日の元で見ると、庭は少女が来る前と、来た後では全然違う。

 なにも知らない人が二つの庭を見比べてをみたならば、ちがう場所に存在する二つの庭だと思うことだろう。以前は、骨が散らばり、ひび割れていた大地は、いまや、外から持ち運ばれた栄養で潤い、野菜やハーブが実り、ひまわりが咲いている。

 魔王は眉間にむっつりとシワをよせた。


「……」


 くるくると上下に回転していると、その視界に小さな生き物が入った。

 その二つのきょろりとした瞳が魔王に向いている。

 しかし、見つかったことを敏感に察したその動物は、勢い込んで逃げ出してしまう。魔王は手出しをしなかった。

 魔王にはその動物に見覚えがあった。

 最近、庭によく来る白いネコだ。のど元に銅筒をぶらさげていたから、以前魔王が殺したのと同じようにテガミネコなのだろう。

 少女は警戒してそのネコの存在を隠していたが、魔王はすでにその存在を知っていた。ただ、黙っていただけだ。

 以前の茶色いものとは違い、黒い毛皮に、靴下でもはいているかのように足だけ白く染まっている。

 魔王は緩慢にまばたきをすると、口を小さく動かして魔法を発動させた。

 青白いひかりが一瞬輝き、つぎの瞬間、魔王がいた空中から降り立ったのは、さきほどとそっくりなネコだった。

 黒い毛皮に、靴下のような白い足先。

 ネコに変身した魔王は、その足で城内に入り、階段を軽快に駆け上っていく。体の軽いネコのからだは、またたくまに最上階付近の使用人の部屋についた。


 そっと扉を押し開けて、少女が寝そべっている寝台に飛び上がる。

 少女は朦朧とはしていたものの、寝ていたわけではなく、扉がたてたかすかな音に首をうごかした。

 その視線の先にいるのは、彼女も知っているネコだ。


「あなた…、どうやってはいってきたの」


 ネコはみゃあ、と小さく鳴いた。あくまでネコらしく、ぐりぐりと少女に頭を押し付ける。

 少女は魔王に見せたいら立ちまじりの笑みとは全くちがう微笑みをうかべる。


「久しぶりね。でも、ここにいちゃだめよ。ネコに風邪はうつらないかもしれないけど。悪いヤツがいるんだからね。殺されちゃうわ」


 そっと、頭を撫でてやる。

 そして寝台から押し出そうとするが、ネコは力を込めてそれを拒む。そして、そのまま寄り添うようにして、折り重なる布に沿って、寝転んだ。少女はそれ以上、力を込めるのが億劫で、そのままにする。

 そして、ネコに語りかけた。


「……でも、心強いな。死ぬのは、怖いもの」


 ネコはしっぽをぱたぱたとふる。


「もしかしたら、このまま死んじゃうんじゃないかって怖くなっちゃったの。さっき魔王があんなことをいったせいね」


 しっぽが音をたてるのをぴたりととめた。

 少女はネコに話しても仕方がないわね、と苦笑した。

 それでも、一人きりで考え込んでいるよりは言葉にしてしまった方がよほどいい。だって、死ぬことなんて考えても仕方がない。どうやったって解決する問題ではないのだから。


「ねえ、ねこちゃん。わるいんだけど、もう少しだけ、そばにいてくれる?」


 問いかけるようにネコが少女を見遣る。


「あなたがいいわ。あったかいもの」


 ネコはみゃあ、と鳴くと、瞳を閉じた。

 少女はぬくもりに安心して、今度こそ睡眠に身を投じた。

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