第6話 テガミネコと食事

「あら、…なにもないわ」


 少女はお腹がすいていた。

 旅の基本はしっかりと栄養補給をすることだ。だから、旅人たる少女もしっかりとその荷物に食料をつめこんで、旅に出た。

 それでも、魔王城に滞在して日数が過ぎ、持ってきていた食料が底をつき始めたのだ。

 魔王に遠慮することもないだろう、と地下の倉庫にやってきたのだが、干し肉や魚の缶詰しかない。野菜などが皆無だ。野菜も肉も等しく好きな少女にとっては物足りない。

 ついでに、パンを作るのに必要な麦も、卵も、ない。

 こりゃあ、そうそうに食料問題について考える必要があるわね。

 少ない兵糧を前に、うなり声をあげる。少女はすっかり、城に居着く方向に思考が定着しているのだった。

 まったく、どうしたものかしら。

 横に走る柱に頭をうちつけて悩んでみるものの、アイデアはさっぱり浮かばない。


「ま、いっか。なんとかなるわよ。お腹を満たしてからどうすればいいか、考えればいいわ」


 困ったことに、少女は楽観的だった。

 地頭は悪くないはずだが、先の見通しを立てずに行動する娘だと、少女の父親には思われている。

 そうだよ、と同意するようにテガミネコも鳴く。

 テガミネコもお腹をすかせているのだ。傷をなおすためにもごはんをくれ、とでもいう風に、少女の革靴をつついた。

 とりあえず、と見つけた魚の缶詰を手にとり、後ろにテガミネコを従えて、今にも壊れそうな音をたてる階段をつたって、居間を目指してのぼっていった。




「食料? 勇者がそのうち持ってくるよ」


 …勇者。

 たき火を囲いながら、残りのパンに魚をはさんで食べる少女を前に、宙に寝転びながら魔王が言う。

 先日煙をすいこみそうになった魔王が、煙たいのはたくさんだ、とばかりに壁に空洞をあけたため、風通しがよくなり、光も差し込んでいる。余計に廃墟のようになった感は否めないが。

 座ればいいのに、と少女は思うが、居間には玉座しか残っていない。床にすわれば、血の残骸や砂で汚れてしまうだろう。玉座は固いから座りたくない、というのが魔王の言い分だ。

 魔王は一日のうちの数時間、少女と過ごすと、「観察」するのにも飽きるのか、それ以外は干渉してこない。どうやら「観察」の熱は、前よりヒートダウンしたようだった。

 少女は魔王がどこで寝ているのか、そもそも家事はどうしているのか、よく理解していない。

 少女にだって、魔王が家事なんてしそうにないことくらいは分かるのだが、それにしては魔王の服はいつだって清潔だった。黒い服には塵ひとつ、ついていない。

 それに、食事だってしないのだ。

 それでも少女は一人で食べるよりは、と魔王を探してふたりで食事を摂る。正確にはふたりと、いっぴきで。

 テガミネコも、少女のそばで、パンと魚にかじりついている。

 それにしても、魔王の口から「勇者」と聞くのは、なんとも言えない気分になる。

 それは、たとえて言うなら、天敵同士だと思っていたハブとマングースが、狩った獲物を仲良く分け合っているのを意図せず目撃してしまったかのような。

 それはなんとも言えない気持ちになる。


「ああ、あの男のことは嫌いじゃないんだ」


 少女のもの言いたげな顔を見て、魔王が言う。

 どことなく艶めいた言い方に、少女は頬が自然とほてるのを感じた。


「でも、その人って、あなたを倒した人なんじゃないの?」


 あわててパンをつめこむ。

 魔王がごろりと寝返りをうつ。


「そうだよ。だから、それ以来、僕は力をうばわれて、ここにいる。ご丁寧に結界まで張ってあるから、城から一歩出ようものなら、すさまじい苦痛が僕をおそうだろうね」


 淡々と事実だけを述べているようだった。


「だから、僕が飢え死にをすることはないように食料が調達される。でも、どうやら僕が特に食べ物を必要としないってことを知らないらしいね」


 魔王がちらりと、少女をみやる。


「きみが食べているそれも、人間によってもたらされたものだ」


 少女はなるほど、とひとり納得して頷いた。


「それで、地下にあった食料だけは血がついていないのね。新しいから。わざわざ食べ物をもってきてくれるなんて、ありがたいわ」


 すっかりと食べ終えて満腹になったお腹をさする。

 満足したところで、ふと、疑問がわいた。


「ところでなんだけど、魔人ってみんな食事を必要としないの? それとも、あなただけ?」

「僕だけ魔力の量が桁違いなんだ。だから、食事をしなくても魔力でそれを補える。大体、多くの魔人はそう普通の人と変わらないんだ。自慢じゃないけど、僕はわりと特別なんだよ。」


 充分自慢みたいだわ。

 それに、自給自足って、まるで植物ね。

 少女が思わず、笑みをこぼした。

 魔王もほほ笑む。


「あなたが相手じゃ、勇者も苦戦したでしょうね」

「さあ、どうだろう」


 魔王が高度を下げてたき火に近づいた。

 今度は空中であぐらをかいた形になると、手を伸ばして、自身の手のひらに焔を移す。熱くないのか、まったく気にした様子もなく、手の中で塊みたくなったそれをいじりまわした。


「きみはどうなんだい?」

「え?」


 魔王が火の玉を飛ばしてくるが、とれそうにないので慌ててよける。火の玉は石の床にぶつかると、じゅっと音をたてて消えた。


「それの名前は?」


 魔王が指差したのは、テガミネコだ。ああ、それが知りたかったのか、と少女は合点した。


「ないわ」

「ない?」

「そう、もともとわたし達の一族にはなにかに特定の名前をつける習慣がないのよ。木は木、花は花、ミツバチはミツバチだわ」


 魔王は意外そうに、その大きな目をさらに見開いた。


「驚いたな。じゃあ、きみにも名前がないのかい?」


 少女はにっこり笑った。


「ないわ。と言っても、人間って呼ぶのはさすがに変でしょう? だから、人がそれぞれなにか意味を込めて呼ぶのよ」


 たとえば、と続ける。


「わたしの弟たちは、おおきなねえちゃんって言っていたし、母さんは、愛しい天使なんて呼んでいたわ」

「…」

「イタズラがバレた時には小さな悪魔なんて呼ばれたりもしたけど。それから、そうそう、わたしの事を知っている人の中には、小枝ちゃん、なんて言い方をする人もいたのよ」


 失礼しちゃうわね、と怒ってみせると、魔王は少女の全身を見てなるほど、と納得したのかクスクス笑った。


「きみと僕が、おんなじ言語を話しているのがふしぎなくらいだな。僕の知識と、きみの知っていることでは、ぜんぜん違うみたいだ」


 あら、と少女が眉をあげる。


「たしかにそうね。きっと、あなたの人生と比べると、わたしのはいかにも普通かもしれない…」


 ただ少し、少女の一族が変わっているだけ…。

 少女自体はいたって平均的な人間なのだ。

 ふと少女はひらめいた。


「そうだ! あなたにも見せてあげる」

「みせる?」

「そう、わたし、物語士なのよ。人に物語を魅せるの。もっとも、わたしが紡ぐのは風景の方がおおいんだけどね。今は道具がないのだけれど、わたしが見てきたもの、いつかあなたにも見せてあげる!」


 ふわりと魔王がほほえむ。


「その日が来ることを期待するよ」


 少女も嬉しくなって、にっこり笑った。

 なんだか、妙にふわふわした気分だった。

 少女の気分はきまぐれだ。きっと、魔王がいつもよりもわざとらしくなくほほ笑んだから、少女もきまぐれに楽しくなったのだろう。

 どちらかというと突然閉じ込められたことの不満の方が多かった少女の心は、いつの間にかうきうきしたものに変化していた。

 よく考えれば、魔王と一緒の空間で過ごすことなんてそうそうない。この生活もいつか物語になるかもしれないわね。

 奇妙だけども新鮮な体験に、少女の中から、自然と笑みがこぼれでた。

 もう少しなら、いてもいいかもしれないわ。

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