第5話 テガミネコと手当

 まあ、いいわ。

 本当は魔王じゃないかもしれないし。見極めてやろうじゃない。

 そう思ったのが、甘かった。

 魔王と少女の生活ははや三日目にして、少女の方が悲鳴をあげることになる。


「ついてこないでちょうだい!」


 それは、まさに少女の心からの叫びだった。

 少女は広い石の広間を行ったり来たりしていた。広間の端まで行っては、また引き返す。

 ぷりぷりと頬を引きつらせている様子からして、明らかに機嫌がわるい。

 それもこれも、魔王がずっと彼女の後ろについてくるからだった。どうやら、魔王はほんとうにすることがないようだ。

 本でも読めばいい、と提案すると、すでに読んだと返答され、しまいには暗唱をはじめるのだから始末に終えない。一度読んだ本を忘れることが無いくらい、記憶力がいいらしい。


「いやだよ。だって、君は僕の暇つぶしの為にここにいるんじゃないか」


 自分の足で歩くことで体力を消耗している少女と違い、魔王は魔法でふわふわと宙に浮いている。それが、なおさら少女の機嫌を損ねた。


「そんなこと言われたって、知らないわ。他にすること見つけなさいよ。うう…ストレスで死にそう」


 このままじゃいられない、と少女は外の空気を吸いにでることにした。

 居間から長い石廊を抜け、階段をつたってふらふらと中庭に降りる。

 あいかわらず、全ての生き物が死に絶えたかのような陰気くさい庭だが、空が見えるだけマシなような気がした。高木は完全に枯れ木になってしまっているのか、枯れ葉すらついていない。かろうじて、低木の茂みがのこっているのだった。

 少女が空をあおいで、大きく息を吐く。

 空だけはどこまでも高く、そして青い。

 一瞬解放されたかのような気持ちになるが、背後から、魔王がそれを興味深そうに観察していることに気がつくと、その気持ちはすぐに露散する。

 ああ、ストレスで胃に穴があきそう……。

 少女が引きつった笑みを浮かべた、その時。

 茂みの方からがさごそとなにやら物音がした。

 少女が音の方を見てみると、小さな生き物が茂みを抜けたところだった。

 生き物の方でも少女たちの存在に気付き、どうしよう、と固まっている。

 動物好きな少女が、たちまち満面の笑みを浮かべる。


「テガミネコだわ! あら、…ケガ、してるの?」


 少女が指摘した通り、四肢を持つ茶色い生き物は額の辺りの肉が抉れている。

 大方、ケガをして、ふらふらと天敵がこない方向に逃げているうちに、この城に迷い込んでしまったのだろう、と少女は予想する。


「テガミネコ?」


 するり、と魔王がのぞきこむ。


「知らないの? このネコ達には、匂いを記憶するのに優れているの。手紙を届けたい相手の匂いを覚えさせ、相手の匂いを見つけ出したり、追いかけたりして届けるよう訓練されているのよ。山奥とか、普通の郵便じゃ届けにくい場所に手紙を届けてくれるの」


 子供でさえ知っているというのに、この魔王はその存在を知らないらしかった。もしかしたら、魔界じゃ別のシステムがあるのかもしれない、とまで思いかけて、少女は首を振る。

 いいえ、この城に来るまでにも郵便局はあったじゃない。あの様子を見た限り、あんまり人間界と違った様子はなかったわ。


「ふうん。逃げたりしないわけ?」

「さあ? そんな話は聞いたことがないわね。もちろん、虐待されれば別だけど。…さあ、おいで。キミのケガをなおしましょう」


 少女は猫なで声気味にテガミネコに呼びかける。テガミネコは人間に慣れているのか、少女を確認するように見つめた後、すり寄ってきた。すかさず、少女はテガミネコを抱き上げる。テガミネコは腕の中で、大人しくしていた。


「じゃあ、自らその立場に甘んじているわけだ」

「イヤな言い方ね…とりあえず、この子の手当をしないと。なにか道具をかしてちょうだい」

「道具?」

「まったくもう、いままでどうやって生活してきたのよ。自分で探すわ」


 魔王は首を傾げる。


「道具を使って、どうするの」

「手当をするのよ」

「手当?」

「あなただってケガしたら、手当ぐらいしてもらうでしょう。さあ、どいてちょうだい」


 数分後、少女は古びた布と、酒、古びた銅製のなべを見つけてきた。


「なにするの?」


 城の居間の真ん中でたき火の準備をしている少女に聞く。

少女にとって、この城の中は、野外と大して変わらない。むしろ、雨風がしのげて焚き火が消えないだけラッキーとでも思っている節がある。それほど、城の中の環境はいいとはいえなかった。

 魔王も少女の蛮行を咎めようとはしない。

 自分の城がどうなろうと、大して気にしていないらしい。

 それは、この三日間少女が荒れ果てた城を巡って、分かったことだ。


「ここで、湯をわかすのよ」


 滅菌を試みる。

 マッチを手に取った。

 しかし、火をつけるより前に、魔王がおもむろに水の注がれた鍋に手をかざす。


「なにしてるの?」

「みてて」


 ぱあ、と光が瞬く。

 なにが起きたのか、と少女が見つめていると、やがて水面がぽこぽこ、と湧き立ちはじめた。あっという間に湯気が立つ。魔王がお湯を湧かせたらしい。


「わあ、すごい」


 少女が瞳を輝かせた。顔もほころんでいる。


「ありがとう」


 礼を言うと、手際よく作業を開始する。


「さあ。傷をなおしましょうねえ」


 テガミネコが返事をするように、みゃあ、と鳴いた。


「…どういたしてまして」


  いささか、というには長すぎる間をおいて返答した魔王に気づかず、少女は暴れるネコをいかにして沈めようかと四苦八苦している。

 対して、魔王はまるで奇妙なモノをみるように、

少女の行動を眺めていたのだった。

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