第27話 そして愛の振りまきを

 魔物が去った屋敷は、異様な空気に包まれていた。誰もが安堵と呆然を抱え、ただただ夜空を眺めていた。

 一体何が起こったのか? ギャロッドにも整理がつかない。ひしめくように空に浮かんでいた魔物たちの数が減っていったと思ったら、残りの者たちも一斉に退却していった。

 助かったのか? そんな疑問を抱えながらも、まずギャロッドにはやらなければならないことがある。テキアたちの安否の確認だ。この混戦で誰がどこにいるのか把握できなくなってしまった。テキアはいまだに気を隠したままなのだろうか?

「ギャロッドさん! テキア様がいました!」

 重い足を引きずって歩こうとしたところで、背後から呼び止められた。この声はシェルダだ。振り返ると、砂利を踏みつけながらこちらへ近づいてくるシェルダ、バン、テキアの姿がある。

 屋敷にあいた穴から漏れる明かりのおかげで、その顔もはっきり見えた。三人とも無事なようだ。

「テキア殿!」

 今すぐ駆け寄りたかったが、足を負傷したギャロッドには不可能だった。仕方なくゆっくり近づいていくと、慌てて走り寄ってきたシェルダが肩を貸してくれる。

「無事で何よりです。戦闘は……終わったのでしょうか?」

「はい。どうも救世主の仕業のようですね」

 首を傾げるギャロッドに、立ち止まったテキアが微苦笑を浮かべながらそう告げた。救世主。はっとしたギャロッドはもう一度空を見遣る。

 言われてみれば、ある時から空に異様な気が現れていた。ただそちらを凝視する暇も、詳しく気を探る余裕もなかったので、確かだとは断言できない。あれが救世主だったのか?

「救世主が現れたんですね。それで魔物を倒してしまったと?」

 ギャロッドは首を捻った。自分たちは一体何を恐れていたのか。何を懸念していたのか。全てが曖昧になってくる。正体もわからぬ救世主が全てを解決してしまったとなれば、どう受け取ってよいのか。

「すごかったですよね。上空に何かが現れた途端、魔物も皆そちらへ行ってしまって」

 ギャロッドを支えながらシェルダが苦笑した。シェルダたちの方もそういう状況だったようだ。正直、誰がどこで一体何をしていたのかも定かではない。

 もちろん、ギャロッドも危ういところだった。負傷してしまったためいつ命を取られてもおかしくない状態だった。それでも無事でいられたのは、魔物の注意が空へと向けられたからだ。

「白い残像しか見えませんでしたが、すさまじい気でした」

 シェルダの言葉に、バンも深々と相槌を打つ。救世主が何者だったのか、結局わからずじまいだ。それでも命を助けられたことには変わりはなさそうだった。

「ほほう、残像だけですか。わたくしには、薄紫の光も見えましたぞ」

「ああ、さすがはバンさんですね。こちらにはそんな余裕はなく」

 バンとシェルダの会話が、ギャロッドの耳をすり抜けていく。朗らかな空気が流れ始めているが、本当にそれでよいのか。また魔物は撤退した振りをしているだけではないのか?

「……本当に、これで終わりでしょうか?」

 気づけばギャロッドはそう呟いていた。隣のシェルダが固まり、バンはあからさまに眉根を寄せる。テキアは先ほどから黙したまま、表情一つ変えなかった。空気が重くなったことに気づき、ギャロッドは笑顔を取り繕う。

「あ、すみません、ちょっとした懸念です」

「いえ、ギャロッド殿の指摘が正しいですね。撤退したということは、魔物は生き残っているのですから」

 慌てたギャロッドに助け船を出したのはテキアだった。切れ長の瞳を細めて片手を振り、彼はおもむろに空へと一瞥をくれる。

「絶対というのはあり得ません。ただ、しばらくは平気でしょう」

「……と、言いますと?」

「あれだけ慎重に動いていたのにこんな風に敗北してしまえば、彼らの打撃も大きいのは間違いありません。それにいつ救世主が現れるのかもわかりません。その状況で、あなたが魔物なら動きますか?」

 テキアにそう指摘され、ギャロッドは閉口した。確かに、攻める立場になってみれば、この隙を突こうなどとは思えないだろう。また救世主に葬られるような事態は避けたいに違いない。

「なるほど」

「もちろん、警戒するに超したことはありませんがね」

 テキアはふっと笑った。以前とは違い、どこか晴れやかさをうかがわせる穏やかな微笑だった。その事実がギャロッドの心を和ませる。

 テキアがそう感じられるというのは重要だ。ファミィール家が狙われて一番困るのは、この星に暗雲が立ちこめることだ。それは瞬く間に周囲へと伝染していく。

 そこまで考えたところでギャロッドははっとした。テキアがこれだけ安堵しているということは、ゼジッテリカの無事は確認できたのか?

 慌てて周囲を探るべき精神を集中させようとした時、不意に甲高い声が聞こえた。それは屋敷の内側、崩れた壁の向こう側だった。つられるよう顔を向ければ、シェルダも体勢を変えてくれる。

「ああ、ゼジッテリカ様たちもいらっしゃったようですな」

 バンの嬉々とした声が砂っぽい空気を振るわせた。まずひょっこりと、壁の穴から顔を出したのはマラーヤだった。癖のある赤髪の一部は焦げ付き、左腕にはいつの間にか包帯が巻かれていたが、元気そうな顔をしていた。

 彼女はこちらを見てにんまりすると、屋敷内の方を振り返る。

「ゼジッテリカ様! シィラ! こっちこっち!」

 ギャロッドたちがここにいるのは気でわかるはずだが。今のはゼジッテリカのための言葉だったのか? 右手をひらひらと振ったマラーヤは、ついで穴からこちらへと飛び出してくる。

「マラーヤさん、無事……といってよいのかわかりませんが、元気そうでよかったです」

 まず声をかけたのはシェルダだ。マラーヤがにっと笑うと、その背後からシィラが顔を出す。少しだけ灰で汚れている以外は、怪我をした様子もなかった。彼女はゼジッテリカの手を引いて、ゆっくりと穴を超えてくる。

「ゼジッテリカ様も無事で何よりです」

 ギャロッドは破顔した。ゼジッテリカは頬にすすをつけているくらいで、怪我をしている様子もない。動きにもぎこちなさはなかった。黄色いドレスの裾が汚れてしまった程度か?

「テキア叔父様!」

 穴を飛び越えたゼジッテリカは、すぐさまテキアに向かって駆けだした。ぱたぱたと近づいていくゼジッテリカを、片膝をついたテキアが両腕で抱き留める。

 本当によかったと、ギャロッドは胸を撫で下ろした。あれだけの魔物の襲撃の後だというのに、ゼジッテリカの瞳に恐怖の色はなかった。きっとシィラが守ってくれたのだろう。疑って悪かったと、今ならはっきりそう言える。

 息を吐いたギャロッドは、返り血のついた額当てをゆっくり外した。すすで汚れた髪から砂がこぼれ落ちてくる。いや、これは崩れた塀の破片だろうか?

 これだけの屋敷を直すのもさぞ大変だろう。しかし今はそんな懸念よりも無事にこの戦いを乗り越えたことを喜ぶべきか。ギャロッドは抱擁する二人へと視線を送った。

「ゼジッテリカ、よく耐えたな」

「うん。シィラがいたから大丈夫」

 テキアに抱きしめられたまま、ゼジッテリカは声を弾ませた。そこへゆっくりマラーヤとシィラが近づいていく。この微笑ましい光景には、あのマラーヤも相好を崩していた。

「シィラ殿、ありがとうございます」

 腕の力を緩めたテキアが、ふいと顔を上げた。彼が目を向けた先にはシィラがいる。普段と変わりなく穏やかで余裕のある微笑をたたえて、彼女は小首を傾げた。

「そのための直接護衛ですから」

 シィラはそう言い切ったが、子どもを怖がらせることなく守るのがいかに難しいのか、ギャロッドもよく知っている。しかも相手は魔物だ。あれだけの数だから、全く遭遇せずにはいられなかっただろうに。

 テキアが腕を離すと、くるりと振り向いたゼジッテリカはまたシィラのもとへと向かった。黄色いドレスが、夜の薄明かりの中でふわりと揺れる。

 駆け寄ったゼジッテリカはシィラの手をぎゅっと握った。本当に仲の良い二人だと、ギャロッドは笑い出したくなるのを堪える。

 まるで、あんな争いなどなかったかのようだ。今までの疑心暗鬼も全てが夢の中の出来事。たった今目覚めたような心地になった。

「テキア様、これからどうします? 屋敷がこの状況ですが」

 そこでシィラが現実的な問いかけをした。確かに、これからどんどん冷え込んでいく時間帯だ。このまま外に出ているわけにはいかない。しかし所々屋敷は崩れていて、どこが安全なのかもはっきりとしなかった。

「そうですね。では動ける人で安全な部屋の確保をしてもらいましょう。怪我人はまずは大広間で。そこで治癒の技が得意な方にみてもらってください」

 立ち上がったテキアは、すぐさま的確な指示を出した。切り替えが早い。この状況でも緩みきらないとは、さすが当主代理だ。

 すると少しだけ困惑したようにシィラが顔をしかめた。彼女としては珍しいことだった。どうしたのかと思えば、側にいたマラーヤが何か言いづらそうに口を開く。

「それってシィラもですか? 治癒の技が得意そうだけど……」

「ああ、ゼジッテリカがいますね。どうしましょうか」

 なるほど、怪我人をゼジッテリカに見せたくないのか。すぐにギャロッドも飲み込んだ。ギャロッドやマラーヤ程度の怪我であればいいが、中にはひどい有様の護衛がいるかもしれない。

 まだ幼い少女に、生々しい傷を見せるのは憚られる。しかし治療の手が多い方がよいことは明白だった。

「ゼジッテリカ様を他の人に任せます?」

 そう尋ねながらもマラーヤが躊躇しているのは、ゼジッテリカがずっとシィラの手を握ったままだからだろう。あの戦闘の後だ。ずっと守ってくれた人と離れたくないと思うのも当然のことだった。

「ではシィラ殿には料理を任せては?」

 そこで思わぬ提案が飛び出した。バンだ。長い袖を揺らしながら楽しげに笑ったバンは、本領発揮とばかりに瞳を輝かせる。

「先日のクッキーも大変美味しくいただきました。料理も得意とうかがいます。この状況では料理人にも怪我人が出ていることでしょうし、恐怖でまともに動けるかどうかもわかりません。ならばそちらをお任せしては? 我々とて、何も口にせず動き続けることは不可能です」

 鷹揚と相槌を打ったバンは、珍しくもまともなことを口にした。なるほど、人手不足という観点からも無駄にはならないし、ゼジッテリカを怪我人からも引き離せる。確かに良案だった。

 するとぱっと顔を上げたゼジッテリカは大きく瞬きをする。

「それって、私も参加していいの!?」

「もちろんですぞ、ゼジッテリカ様。あなたが心をこめたとなれば、きっと皆元気になるでしょう」

 バンはゆったりと首を縦に振る。何か企んでいるような気がするのは、ギャロッドの気のせいだろうか。いや、単に女性の手料理が食べたいという純粋な下心かもしれない。

 美しいものが好きなのだと、バンが以前に主張していたのを今になって思い出した。もっとも、その「美しい」には幾つかの条件があるようだが。

「どうですかな? テキア殿」

「……そうですね、そうしてもらいましょうか。ではマラーヤ殿、念のため一緒に行って、厨房の様子も確認してきてください。使えそうならいいのですが、駄目なら別の案を考えます」

「了解しました!」

 苦笑するテキアに、マラーヤは即座に返事した。やはりテキアは冷静だ。確かに、厨房が無事とも限らない。一体どの部屋がどのくらい破壊されているのか、まず確認するところが先決であろう。

「じゃあ行こう、ゼジッテリカ様、シィラ」

 無事な右手で汚れた髪を払ったマラーヤは、もう一度シィラたちの方を振り返る。ゼジッテリカは頷いたが、シィラは何か言いたげにテキアの方へと目を向けた。その深い双眸に宿った感情が何であるのか、ギャロッドには読み取れない。

 気は薙いでいる。いつも通り澄み切った、芯の通った、温かい気だ。それでも普段にはない気配を纏っているように思えるのは、何故なのか。

「テキア様」

「……なんですか?」

「私たちはいつまでここにいることになりますか?」

 口を開いたシィラは、単刀直入な問いを放った。ゼジッテリカの体が強ばったのがわかった。マラーヤは不思議そうに首を捻ったが、先ほどの話を思い出したギャロッドは固唾を呑む。

 魔物は一旦去った。おそらく、しばらくは出てこない。しかしいつまた動き出すのかは定かではなかった。

 ならば護衛たちはいつまでいればいいのか? テキアはいつまでギャロッドたちを雇うつもりなのか?

 夜の空気がしんとさらに冷え切っていくように思える。シェルダの息を呑む気配が、すぐ近くで感じられた。

「もうしばらく様子は見ようと思います。それで魔物の動きがなければ、今回の依頼は一旦終了ですね」

「そうですか」

「ただもちろん、場合によっては依頼の続行もあり得ます。その場合は人数を厳選することになるかと」

 テキアは明言を避けた。現時点では、何がどうなるのか決定的なことは言えないだろう。魔物が動かないというのもあくまで推測だ。絶対ということはない。

「わかりました。ではテキア様がいいと判断されるまで、私はリカ様の傍にいますね」

 ふわりとシィラは花が咲くように笑った。それが何を意図しての発言なのか、ギャロッドには掴みかねた。半分は愛の告白のようにも聞こえるが、シィラのどこか悪戯っぽい口調がそれ以外の何かを匂わせている。

「本当!? やった! じゃあシィラともう少し一緒にいられるねっ」

 素直に喜んだのはゼジッテリカだ。その場でぴょんと飛び跳ねる姿は、幼い少女の無事を象徴していた。シェルダが噴き出したのにつられて、ギャロッドも口角を上げる。

「はい。厨房が無事でしたらまたお菓子でも作りましょうね。美味しいものは精神の源ですから」

「うん!」

 こんなにも簡単に空気を変えてしまうとは。また護衛の者たちに作った物を配り歩いてしまうのではないかと危惧したが、それでもよいかと思ってしまうからギャロッドも甘いのだろう。あのアースまで口にしていたくらいだから、その効果は覿面だ。

「あーあ、また愛のばら売り? 振りまきだっけ? よくやるわねぇ」

 ぼやくマラーヤの声には、呆れよりもすがすがしさの方が強く滲んでいる。

 ギャロッドはシェルダと目と目を見交わせた。先の見えなかった依頼の終わりも、確実に近づいてきている。この長い夜も、不思議と心地よいものになりそうだった。

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