第21話 戯れな夢
見張り小屋に入るなりマラーヤは顔をしかめた。やけに静かだなと思えば、中にいるのはアースのみだった。定期的な会議の後、先に戻っていたのは知っていたが。それはともかくとして、他の護衛は一体どこにいるのか。まだ昼間とはいえ油断はならないのに。
「ちょっと、他の護衛は?」
扉を後ろ手に閉め、マラーヤは片足に体重を預けた。今朝は数人の若者がここに待機していたのを目にしている。
「休憩に出した。半分眠っているような状態では役に立たん。配置についてないなら不要だ」
「はぁ? あんた正気?」
声を荒げてずんずん近づいていけば、大儀そうに座り込んだ彼が何か口に放り込んでいるのが目に飛び込んできた。どうも、それはお菓子のように見えた。
「あんた、何食べてるの」
「見ればわかるだろう」
腰に手を当てて立ち止まったマラーヤは、信じがたい思いを抱えながらアースを見下ろす。生成色の袋にはマラーヤも見覚えがあった。勘違いではなかったようだ。
「クッキーとか食べる柄には見えないわね」
「もらい物を粗末にしても意味がないだろ。依頼人を尊重しないとギャロッドがうるさいしな」
それは先日、ゼジッテリカとシィラが配り歩いていたクッキーだ。見張り小屋には大きな袋も届けられた。――届けたのはマラーヤだが。
まさかお菓子作りまで始めるとは。シィラが本気で何を考えているのか、マラーヤにはわからなかった。人の少ない早朝に厨房に行くなど危険でしかない。
「ところでその資料は見たか?」
と、アースはこの話は終わったとばかりに机の方を指さした。仕方なく肩越しに振り返ったマラーヤは、簡素な机の上に乱雑に置かれた紙の束を見遣る。昨日渡された、切り裂かれた魔物についての報告書だ。
「今朝見たわよ」
「どう思う?」
「どうって……?」
「使われている技のことだ」
マラーヤは首を捻った。アースが何を言いたいのか、読み取りきれなかった。この男が案外喋ることは行動を共にするようになって実感したが、いつも言葉が足りない。相手の知識量をはからずに話しかけるから、馬鹿にしていると捉えられるのだろう。
「技?」
マラーヤは机へと寄り、資料を手に取った。リリディアムがまとめ上げた、魔物を見た者の証言だ。最初の襲撃では二人、次の襲撃では三人が現場を目撃している。昨夜の証言は、現在集められている最中だろう。
「わかってるの、切り裂かれたってだけじゃない」
困惑したマラーヤは呻いた。二回とも、護衛を襲おうとした魔物は前触れもなく切り裂かれている。それが一体誰の仕業なのかはわかっていなかった。魔物同士の争いにしては三回もというのが腑に落ちない。
「これで使用された技がわかるっていうの? 大体、人に聞くなら――」
「しっかり読め」
マラーヤの文句を、アースが冷たく遮った時だった。がたんと大きな音がして、扉が開かれた。そちらへと視線をやれば、見慣れたリリディアムの顔がある。汗を額に浮かべて息を整えているところを見ると、走ってきたのだろうか。
「あ、リリー」
「追加の資料を持ってきましたわ」
甲高い足音をさせて室内に入ってきたリリディアムは、やはりマラーヤのことは無視した。ずいぶんと根に持っている。
――いや、もしかすると、シィラの入浴中に護衛の代わりをしていた話をうっかりアースに喋ったのを怒っているのかもしれない。色々と喋りすぎたと反省はしているのだが。
「はい、アース様」
本来はまずギャロッドに渡されるべき資料だが、それすらもリリディアムは気にしていないようだった。実際、ギャロッドは忙しすぎるという問題もある。各所を走り回っているのでなかなか捕まえられない。
アースは黙ってリリディアムから資料を受け取った。しかし受け取る際の仕草は丁寧だった。こういう男なのだ。不必要な会話は好まないが、しかし無意味に乱暴なわけでもない。そういった癖がわかれば付き合いやすい人間とも言える。
「また同じだな」
資料にざっと目を通したアースは、ぽつりとそうこぼした。一体何が同じなのかわからず、マラーヤは眉根を寄せる。自分一人で納得してもらっても困る。
「アース様、何が同じなんですか?」
そこですぐさま問いかけられるのがリリディアムだ。どれだけすげなくされてもめげない精神は、見習いたくなることもある。もちろん、時々だが。
「お前が集めた情報だろう」
「そ、そうですが……」
「魔物が切られたときの証言だ。白い光が見えたと」
呆れたように言い放ったアースは、立てた左膝に肘を乗せた。そしてひらひらと資料を振る。そう言われて、マラーヤも手にしている資料へと目を移した。確かに、よく読むと白い光のことが書かれている。
最初の魔物は白かったのではっきりと断言はできないようだが、次の襲撃では三人が揃って、赤い魔物を白い光が切り裂いたと言っている。そしてアースが持っている、昨夜の証言。おそらくそこにも同様のことが書かれているのだろう。
「白い光」
そう呟いたところで、先ほどアースが尋ねてきた「使われている技」について思考が及んだ。白い光を伴う技。一体何があるというのか?
炎系の技であれば赤い光になる。雷系なら黄色。白に一番近いのは氷系の技になるだろうか? しかし、決定的な問題がある。普通の技では魔物は殺せない。
「おそらく精神系だ」
マラーヤたちが黙り込んだところで、アースはそう言い切った。マラーヤは弾かれたように顔を上げる。その手のひらから一枚、資料がこぼれ落ちた。ふわふわと左右に揺れながら落下していくそれを拾う気にもなれず、マラーヤは口を何度か開閉させる。
「う、嘘でしょ?」
「それしか考えられないだろ。魔物には通常の技は効果がない。特殊な武器か、さもなくば精神系の技だ」
「精神系って実在したの!?」
つい叫ぶ声が大きくなった。リリディアムが咎めてこないところをみると、彼女も驚いて声が出ないのだろう。それも当然だ。
魔物に唯一効果があると言われるのが精神系だ。しかしその使い手にマラーヤは会ったことがない。会ったという人間と顔を合わせたこともなかった。あれは伝説の中の話だと思っていた。
「なんだお前ら見たことないのか」
「見るわけないでしょ!」
「たまにいる。そして残念なことに、魔物の中にも使う奴がいる」
抑揚の乏しい声で付言するアースを、マラーヤは凝視した。こともなげに言ってくれるが、それはとんでもない事実だ。
精神系がどういった技なのかはよくわかっていない。だが人の動きを鈍らせたり、場合によってはその場で死に至らしめることもあるという。得体の知れない技なのだ。
「巨大な白い魔物が切り裂かれているところからも、何らかの武器を使ったというのは考えにくい。そんな重量感のある武器を振り回されたら目撃証言が出るはずだ。そうなると魔物を殺したのは精神系の使い手になる」
淡々とアースは述べた。頭がくらくらとしてきて、マラーヤはあいている方の手で額を押さえる。それではやはり魔物の中で内乱でも起きているのか? 信じがたいことだ。
「じゃああんたは魔物の仲違いだって思ってるの?」
「そんなことは言っていない。人間にだって精神系の使い手はいるだろ」
「だからあたしは見たことないんだって」
アースの方へ一歩詰め寄ったところで、恨めしげな視線が注がれていることに気がついた。リリディアムだ。鳶色の双眸が鋭い光をたたえたままマラーヤを見据えている。
なるほど、こういうところがリリディアムの機嫌を損ねているらしいと、ようやくマラーヤも自覚した。同時に面倒くささに苛立ちが湧き起こった。
ここがどこなのか、一体何のために集まった者たちなのか、皆もう一度考え直して欲しい気分だ。
「わかった。その話、あたしはギャロッドさんやシェルダさんに伝えてくる。配置についていない護衛ならどこにいたっていいんでしょ?」
右の口の端を上げたマラーヤは、そのままアースに背を向けた。この場に長居をするのは避けたかった。少なくともリリディアムがいる状況は駄目だ。いらぬ諍いの原因となる。
「勝手にしろ」
背中に突き刺さるアースの言葉を、マラーヤは無視した。リリディアムがどんな表情を浮かべているのか、確かめる気にもなれなかった。
ぼんやり誰かの話す声が聞こえた気がして、ゼジッテリカは目をこすった。いや、こすろうとしたが、体が重くて思うように動かなかった。頭の中もぼんやりとして、うまく考えることができない。
今は一体何時頃なのだろう。いつもあるはずの柔らかい毛布の感触がない。代わりに何か薄っぺらいものが体を包み込んでいる。
そう考えたところで、今朝はまた早起きしたことを思い出した。早起きして、そう、チーズケーキを作っていたはずだ。
「――はい、待ち疲れて寝てしまったみたいです」
ふわりと、頭上で声がした。それがシィラのものであると認識して、ゼジッテリカは耳を澄ませる。目を開けようと努力したが、なかなか思うようにはいかなかった。自分で思っていたよりも寝不足のようだ。
「そうでしたか」
「テキア様こそお早いんですね」
「昔からの癖なんです」
ふわふわとした思考に染み入ってくる優しい声。どうやらシィラとテキアがいるらしい。ここは厨房のはずなのに、どうしてテキアまでいるのか?
「バンさんは?」
「厨房の外にいますよ。すぐ戻るつもりでしたので」
いつもよりテキアの声まで穏やかに聞こえるのは気のせいだろうか。それはゼジッテリカを気づかってのことなのか。自分がどうやらいつの間にか眠ってしまっていたことはわかった。たぶん、焼き上がりを待っている間にだ。
「シィラ殿、あまり無理なさらないでください。ゼジッテリカの我が侭に付き合ってもらってばかりでは……」
「無理なんてしてませんよ。私が好きでやっていることです。大切な人に喜んでもらいたいと思うのは当然のことでしょう?」
ごく当たり前と言わんばかりのシィラの断言に、ゼジッテリカの心は震えた。今すぐ起きて伝えたい。ありがとうと、嬉しいと叫びたい。しかしこの穏やかな時間を邪魔したくないという気持ちもあった。
このところ、魔物が現れては殺されるという事件が続いているのは耳にした。何が起こっているのかゼジッテリカにはさっぱりわからないが、護衛たちの士気が上がったのは感じ取れる。
何かが変わろうとしている。屋敷の中の空気が違う。活気が満ちてきている。もうすぐ終わりが来るという予感が、ゼジッテリカの中に生まれ始めていた。
覚めない夢はない。終わらない夜はない。この騒動も、いずれ終わりを迎える。それまでの時間を引き延ばしたいという気持ちも本当だし、誰も死に怯えずにすむ日が来て欲しいと思う気持ちも本物だった。
二人の会話を聞いている時間も、いつまでも続くわけではない。ゼジッテリカは重いまぶたを震わせた。ふわりと誰かの手が、頬を撫でる感触がする。シィラだろうか?
「リカ様が笑顔でいられることが何よりなんです。それが私の願いです」
まるで天使のようなことを言うと、ゼジッテリカは笑いたくなった。やはりシィラは天の使いに違いない。寂しがり屋で意地っ張りなゼジッテリカを立ち直らせようとする、天の使いだ。
「そうですか。あなたをゼジッテリカの直接護衛にしてよかった」
ふっと、テキアが笑う気配がした。このところ厳しい顔をしていることが多かったように記憶していたから、ゼジッテリカは密かに安堵する。テキアの負担が日に日に増しているのはわかっていた。自分がまだ幼いからだ。
「それは買いかぶりかと思いますが。ですが任されたからには全力で応えますよ。テキア様こそどうか無理なさらず。あなたの無事を誰もが願っているのですから」
頬に触れていた手がそっと離れていった。それが少しだけ寂しかった。誰かと触れ合っているというのはこんなにも安心するものなのか。このぬくもりがいつか失われるのかと思うと、胸の内がじわりと痛んだ。
「そうですね、当主代理は必要です」
「信頼できる当主代理ですよ」
わずかに、テキアの声に苦いものが滲んだ。それが一体何なのかゼジッテリカにはぴんとこなかった。
考えてみると、一体いつからテキアは当主の代わりを務めるようになったのだろう。父は亡くなる前より伏せがちになっており、徐々に仕事をするのもままならなくなっていた。母を失ってからは如実だった。
「シィラ殿は面白いことを仰いますね。あなたは私を信頼しているんですか?」
いつかバンが戯れに尋ねたような口調で、テキアが笑った。何故だかゼジッテリカはどきりとした。急に息苦しくなり、鼓動が速くなる。まるでいけない会話を盗み聞きしているような心地だ。
「あなたの力も、心も、ファミィール家には必要です。リカ様にも必要です。私はそう確信しています」
シィラの芯のある声が、ゼジッテリカの鼓膜を震わせた。それは確かに一つの告白だった。ゼジッテリカにはそう思える。嘘偽りないシィラの言葉だ。
今テキアがどんな顔をしているのか、確かめられないことが悔しかった。どうにかしてまぶたを持ち上げたくてもうまくいかない。とにかく力が入らない。
「なるほど、あなたらしい答えだ」
テキアがくすりと笑った。肩の力が抜けたかのようだった。ゼジッテリカはどうにか身じろぎをしようと奮闘する。すると肩からずり落ちそうになった何かを、掛け直す感触がした。そしてそのままゆっくり頭を撫でられる。
「わかっていただけたのなら嬉しいです。それに、私はテキア様のその姿勢もお覚悟も好ましいと思っていますよ」
続いてくつくつとシィラも笑う。どこか悪戯っぽい響きのある声音だった。ますますドキドキしてきたゼジッテリカは、これは夢ではないかと思い始める。自分の願望が見せる夢だから、こんなに優しいのだ。
「――なるほど、確かにバン殿の言う通りの方だ」
苦笑が、再び遠ざかっていった。髪を梳く指先の温かさに、ふわふわとした思考がゆっくりとまどろみに溶けていく。
この夢が覚めた時、どうなるのだろう。まぶたの裏で瞬く何かを感じながら、ゼジッテリカは未来を思った。
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