第14話 相応しき者の証明
「一体何でこんなことになってるの!?」
騒ぎを聞きつけて駆けつけたマラーヤの目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。広い庭の中央にたたずんでいるのは、黒ずくめの男ことアースと、ギャロッドの補佐をしているケレナウスだ。対峙する二人を囲むように、幾人かの護衛が遠巻きに眺めている。
「ちょっとケレナウスさん!?」
大声を張り上げてみるが、ケレナウスが振り返る様子はない。のんきにお喋りをしているわけではないことは、二人の気から明らかだった。今にも掴みかからんとする勢いのケレナウスの形相も、それを裏付けている。
「もう、一体何が何だか……」
「ケレナウスという方が喧嘩を売っているようですわ」
と、左隣に誰かが並ぶ気配がした。いや、その声を主を確かめる必要はなかった。今までの依頼で何度も顔を合わせたことがある、リリディアム=バローアだ。マラーヤは面倒なのでリリーと呼んでいる。
「はぁ、ケレナウスさんが?」
ちらと左手に視線を向ければ、見慣れてしまった横顔が目に飛び込んでくる。緩く波打つ鳶色の髪を結ぶこともなく背へ流した、強気な女性だ。今回の任務では情報担当に任命されている。
「屋敷外の護衛を増やす話が出ていたでしょう? その件で口論となっているみたいです」
リリディアムは淡々とそう告げた。こういった諍いを嫌い、小馬鹿にすることの多かった彼女としては珍しいことだ。眉根を寄せたマラーヤは腕組みをする。
「ああ、昨日そんな話が出てたね。また一人逃げ出したんでしょ?」
昨日の会議での出来事が脳裏をよぎった。最初の見張りの男が殺された次の日からも、被害は後を絶たなかった。手口は同様だ。一人になったところを狙われ、ひっそりと殺される。魔物の姿を見た者はいない。
そんなことが続けば逃げ出す者も出てくるのが当然であった。当初はこの依頼を軽く見ていた者たちであろう。魔物の本当の恐ろしさを知らなかったに違いない。
「――もう我慢なりません。あなたは勝手すぎる!」
と、忽然とケレナウスの声が高くなった。庭の木々をも揺さぶるような強い語調に、思わずマラーヤは眼を見開く。緩やかに吹く風などものともせずに、その声は響き渡った。
「強ければ許されるというものではありません!」
「お前たちの考えが甘すぎるだけだ。弱い奴をいくら見張りに据えたところで意味はない。殺されるのを待っていろと、そう言いたいのか?」
一方のアースは、うろんげな眼差しをケレナウスへと向けていた。大儀だというのを隠そうともせず、長剣の柄に手をかけている。
なるほど、増やす護衛についての意見の食い違いか。アースの言動がケレナウスの気分を害しているのはよくわかった。言葉少なだが無礼で辛辣なのだ。だがアースが決して間違ったことを言っているとも思えない。問題なのは、率直すぎることだ。
「あーあー護衛の喧嘩なんて一番最悪なのに。困ったことになったわね……」
「そうですわね。アース様もあんな人など相手にしなければいいのに」
「……は?」
頭を抱えたマラーヤの横で、リリディアムは相槌を打つ。その言葉に頷きかけたところで違和感を覚え、マラーヤは顔を歪めた。今、とてつもなくおかしな発言を聞いた気がする。
「アース……様?」
「とても立派なお方ですよ。それにお優しい」
「え、えぇぇ!?」
よく見れば、リリディアムの目はただひたすら真っ直ぐアースを捉えているようだった。こうした諍いに首を突っ込むのは珍しいと訝しんでいたが、まさかそういうことだったとは。
マラーヤは混乱から髪をかきむしる。リリディアムが仕事中にそのような言動を魅せたことは、今までなかった。むしろそういったものを嫌う仲間の一人であった。一体何が起こっているのか。
「ちょっとリリー、あんた――」
「何があったんですか?」
追及しようとした途端、背後から声がした。これほど近づかれるまで、その気配に全く気がつかなかった。弾かれたようにマラーヤは振り返る。
「あ、シィラ……と、ゼジッテリカ様」
そこにいたのは呑気な顔をしたシィラであった。ゼジッテリカを抱き上げたまま、マラーヤのすぐ後ろにたたずんでいる。廊下を散歩している姿は見かけたが、いつの間に庭に出てきたのか。
シィラの存在に気がつかなかったのは、気を隠していたからだ。あの異様なまでに澄んだ気が感じられなかったからだ。
ある程度力のある技使いであれば可能な行為ではあるが、それにしても足音一つしなかった。一瞬ひやりとした。
騒動に気づき確認しにきたのだろうが、それにしても軽率だった。いくら屋敷内の行動が自由になったとはいえ、首を突っ込むべきところではないだろう。
「あんた、こんなところに来てもいいの? 単なる口論だから気にしないで――」
「ではここで決着をつけましょう!」
こんな醜い争いをゼジッテリカに見せてはいけない。早く帰さなければ。そう決意し追い返そうとしたところで、ケレナウスの力強い声がまた空気を震わせた。思わずマラーヤはそちらを凝視する。
「ほう、どうやって?」
「あなたのその鼻をへし折ってやります。お手合わせ願いたい。――剣のみで」
ついで物騒な会話が耳に飛び込んできた。周囲がざわつくのも感じられる。びくりと体を震わせたゼジッテリカはシィラにしがみついたし、リリディアムも瞠目していた。
まさかここで戦うつもりか? ケレナウスもどうかしている。
「お前は剣を使え。われは使わん」
「……は?」
「技も使わん。それならば殺さずにすむ」
だが続くアースの発言はさらに周囲に動揺を与えた。ケレナウスの顔が見る見る間に赤く染まっていく。これはもう決闘は避けられそうになかった。ケレナウスの矜持が傷つけられたのは明らかだ。
「後悔しますよ」
ケレナウスは腰にぶら下げていた短剣を引き抜いた。いや、ただの短剣にしては大振りか。刀身の輝きも鈍い。対魔物用の特殊な武器なのかもしれない。
「リリー、すぐにギャロッドさん呼んできて! 何かあったらあたしが対処するから。シィラはゼジッテリカ様をっ」
つまりケレナウスは本気だ。そう読み取り、慌ててマラーヤは指示を出した。立場がどうこうと言っていられる状況ではなかった。一刻も早くこの件を解決しなければ、波紋が広がる。
リリディアムも事態の重さに気づいたらしく、文句も言わずに走り出した。シィラはといえば、のほほんとした顔でゼジッテリカを抱きかかえたままだった。緊張感の欠片も見当たらない。
「ちょっと」
だが忠告する暇もない。ケレナウスが動き出す気配に、マラーヤは意識をそちらへ集中させる。地を強く蹴り上げたケレナウスの右腕が、素早く短剣を構えた。
本気だ。あれは誰かを殺そうとする者の気迫だ。ケレナウスの気が、横顔が、動きが、それを如実に表している。
マラーヤは息を呑んだ。しかし当のアースは気負った様子もなく、低く構えてケレナウスを待ち受けた。そしてケレナウスの最初の一振りを、軽く身を捻ることでかわす。
いや、かわしただけではない。そのまま反転した勢いで踏み込み、ケレナウスの脇腹を肘打ちした。
鈍い音がした。それだけで一撃が重いのは明らかだった。しかしケレナウスには武器がある。ふらつきつつも後退したケレナウスの短剣が、アースの首の布を切り裂いた。
誰かが悲鳴を上げた。しかしアースはやはり動じなかった。後ずさるような素振りもなく、体勢を整えようとするケレナウスに向かって跳躍する。
ケレナウスの右手が動いた。鋭い切っ先が、アースへと向けられた。張り詰めた空気の震える音が聞こえたような気がする。
刀身が赤く煌めいた。マラーヤにはそう見えた。次の瞬間、叫声を上げていたのはケレナウスの方だった。アースの拳に強打されたケレナウスの手から、大振りの短剣が消える。
「あっ」
まずいと、反射的にマラーヤは動き出した。この位置、勢い、剣の軌道から導き出された結論に、頭よりも早く体が反応した。あれはここに落ちてくる。
ケレナウスたちの方を注視している場合ではない。腰から短剣を引き抜いたマラーヤは、即座に前方へと飛び出した。ゼジッテリカのことは気がかりだが、シィラがいれば大丈夫だろう。そう楽観視する。
ひらりと赤くきらめくものが落下してくる。その流れに向かって短剣を向けたマラーヤは、剣身が触れ合った瞬間、それを絡め取るように地面へと叩きつけた。
キンと甲高い音がした。経験上、こうした特殊な武器が厄介であることは知っている。普通の武器で受け止めようとして武器ごと突き刺された技使いも見たことがあった。こういう時は、勢いを殺すのが鉄則だ。
「ふーっ、成功」
想像よりも重たげな音と共に、短剣が地に埋まる。ただ地面に落ちるだけなら害はないが、うっかり誰かを怪我させるようなことがあれば大惨事だった。――ケレナウスを解雇しなければならないという意味でも、大問題だ。
息を吐いたマラーヤは顔を上げ、まず背後のゼジッテリカたちを確認した。涼しい顔をしたシィラは、ゼジッテリカを抱きしめたまま先ほどと変わらぬ場所に立っていた。
いや、よく探ればわかる程度の結界を張っている。これほど緻密で精度が高ければ、特殊な武器でも跳ね返すことができるだろうか? 過去には結界ごと切り裂かれた男もいたが。
「これで決着はついたか?」
ついで声のする方へと視線を向ければ、うんざりとした顔のアースが左の拳を軽く振っていた。その指先からぽたりと落ちる赤い滴を、マラーヤは見逃さなかった。
「一対一を挑んできた時点でお前の負けだ。勝負を挑むなら得意分野でやることだな。一人で何も対処できない奴が、外に何人出てこようと同じことだ。これでわかっただろう?」
アースの睥睨に、青ざめたケレナウスも返す言葉はなさそうだった。さすがにこの状況は分が悪い。アースの圧倒的な勝利だ。
しかしこの決闘の噂が広まれば、ますます逃げる護衛は増えるかもしれない。それがマラーヤには気がかりだった。人数がいればいるほどよいとも思わないが、不足するのも困る。
「マラーヤさん、アースさんのあの怪我、治してあげていただけません?」
と、そこで思わぬ依頼があった。ゆっくり背後から近づいてきたシィラの方へと、マラーヤは肩越しに振り返る。
「はぁ? 何であたしが。気になるならあんたがしなさいよ」
「私はリカ様の傍を離れるわけにはいきませんから。でもああいう怪我を放っておくとよいことないですし」
安堵した途端、どっと疲れを覚えてマラーヤは半眼になる。このほわわんとした女はどこまで人が良いのだろうか。勝手に決闘して勝手に怪我をした者を手当てするなど、馬鹿げている。
「治したいなら自分で治すでしょ。治癒の技が苦手だったとしても、あれくらいならどうにかなるって」
そもそも、あの無愛想な男が人の手当を素直に受け入れるとも思えなかった。完全なお節介だ。それぞれの流儀で生きてきた技使いたちが、同じ依頼を受けているからという理由だけで仲良くできるはずもない。
「それに、ああいう性格の奴って、絶対断ってくるって」
マラーヤはちらとアースの方を見遣った。辺りにはいたたまれない空気が満ちていた。立ち上がったケレナウスが背を向けて歩き出そうとするのを、アースはどうでもよさそうな顔で見送っている。本気で勝負には興味がなかったらしい。
彼は護衛殺しの犯人候補に挙げられていることを知っているのか? 知っていてこんな勝負を受けたのだとしたら、剛胆かつ愚かだ。
「じゃあシィラが治してあげて。私が治して欲しいんだって頼んだら、大丈夫でしょう?」
そこで思わぬ可愛らしい声が割って入った。シィラに抱えられたままのゼジッテリカだ。まさかこんな小さな少女に気づかわれるとは思わず、マラーヤは絶句する。
驚いたのはシィラも同じだったようで、虚を突かれたように目を丸くしていた。
「それじゃあ駄目なの?」
「……いえ、駄目じゃあありません。リカ様はお優しいですね。ではリカ様はあまり傷は見ないでくださいね。マラーヤさん、ケレナウスさんの方をよろしくお願いします。私はアースさんに声をかけてきますから」
シィラが戸惑ったのは寸刻の間だけだった。すぐにいつもの調子を取り戻し、ふんわりマラーヤに微笑みかけてくる。表情は穏やかなのに、どこか有無を言わせぬ『お願い』だ。
仕方なくマラーヤが首を縦に振れば、シィラはゼジッテリカを抱き上げたまま歩き出した。さすがにゼジッテリカの言葉があればアースも断らないだろうか。依頼主を傷つけない心くらいは持っていると信じたい。
肩を落としたマラーヤは、ついで周囲の気を探った。どう動いてよいのかわからず立ち尽くしている護衛たちはどうでもよかったが、リリディアムの気が近づいてきているのが感じ取れる。一緒にいるもう一つの気はギャロッドのものだろうか。
「あっ」
そこで先ほどのリリディアムの言葉を思い起こした。アースの怪我をシィラが癒やすという状況は、リリディアムの目にはどう映るだろう。ただでさえ美人相手には辛辣な発言の多いリリディアムだ。これはこれで別の問題を引き起こしかねなかった。
「しまった、あたしがやっておけばよかった」
やはり技使いが集まるとろくなことにならない。うなだれるケレナウスの横顔へ一瞥をくれ、マラーヤはたまらずため息を吐いた。ギャロッドにことの成り行きを説明することを考えると、ますます気が重くなった。
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