第11話 見えぬものを恐れよ

「それで、犯人の目星はついているのですか? やはり魔物でしょうか?」

 沈黙が生まれかけたところで、テキアが首を捻る。感傷を滲ませぬ冷静な物言いに、ギャロッドの肝は冷えた。この現場を見てなお現実的な視点から問いかけてくるとは、テキアもなかなかの剛胆だ。

「……実は、それすらまだわかっていないのです」

 視線を下げたギャロッドは、ぎりと奥歯を噛んだ。これが魔物の仕業であれば、まずその意図を探ることが肝要となる。この中途半端な被害状況をどう捉えたらよいのか。次はどこを狙うつもりなのか。

 犯人が人間なら、その者を早急に捕まえる必要があるだろう。もしも見つけられなければ、次の被害者が出るのは確実だ。護衛の配置についても再検討しなければならない。

「そうですか、それは困りましたね」

 腕組みをしたテキアは低く唸った。おそらく、ことの重さを実感しているのだろう。

 万が一、これが攪乱や仲違いを狙った魔物の策であれば、自分たちは既に踊らされていることになる。魔物の知性がどの程度であるのかも、ギャロッドたちは知らない。

 これが魔物によるものだという確たる証拠があれば話は早いのだが。今まではわざとらしくゆっくりと去る魔物の姿が確認されたり、何らかの魔物の痕跡が見つかっていた。だが今回の場合、残されているのは死体のみだった。これでは判断できない。

「放っておきましょう」

 発言は、思わぬところから飛び出してきた。それまで黙していたバンが、突として口を開いた。ねっとりとしたその声がギャロッドの鼓膜を振るわせる。思わず背筋を正して振り返れば、バンは長い袖を口元に当て微笑んでいた。

「我々を疑心暗鬼に陥らせるのが彼らのやり口なのです。そこに乗ってはいけません。屋敷外にいたのであれば、誰の犯行かなど見分けはつきませんぞ。魔物の仕業なのか人間の犯行なのかはもちろんのこと、人間であっても外部の者の可能性さえあります」

 よどみなく紡がれるバンの言葉が、静かな空気を揺らした。ケレナウスが押し黙っているのは口を挟む隙がないからか、それともこの雰囲気に圧倒されているからなのか。

 相槌を打つテキアを横目に、ギャロッドは思案する。しかし、それで本当によいのか? わからないからといって放置するというのは受け入れがたい提案だ。

「しかし魔物ならば、一人だけ殺して帰るのは妙なのでは? 人間の可能性の方が高いような気がするのですが」

 意を決して、ギャロッドは疑問を口にした。今までの魔物は、自分たちの力を誇示するような振る舞いをしていることが多かった。昨日の襲撃もその一環だろう。

 それが突然、人知れず、ひっそりと一人だけ殺して去って行くなど、奇妙だ。しかもその相手は、狙い定めていたファミィール家の者ではない。

「ほほう、そんなところで引っ掛かってらしたとは」

 と、長い袖を揺らしながらバンが笑った。くつくつと漏れる笑い声が、場違いのように辺りに染み入る。小馬鹿にするような態度にも、ギャロッドはぐっと堪えた。ここで感情的になって口論をしても意味はない。

「派手に暴れれば昨日のようなことになります。が、一人殺すだけならば闇に紛れて帰ることも容易い。ならばそうして我々が動揺するのを待っていた方が頭の良いやり方ではありませんか? 現にあなたは心乱れている」

 率直に指摘され、ギャロッドは小さく呻いた。昨日のアースの力を見て、攻め方を切り替えたと言いたいのか。確かに、こちらが内部犯を疑えば、勝手に護衛同士がつぶし合うことになる。魔物としては手っ取り早い方法だ。

「つまり、我々が動揺した隙を狙っていると?」

「そうかもしれないという話です。可能性を挙げていけばきりがありませんな」

 バンはつと瞳を細めた。そのもっともな指摘に返す言葉がなく、ギャロッドは閉口する。やはり、さすがは光靱のバンだ。ファラールだけでなく近隣の星々にも広まっているくらいだから、相当だろう。

 その不思議な異名の由来は今もはっきりしていない。しかし魔物とのある戦いがその発端であることは、ギャロッドも耳にしたことがあった。おそらく、魔物とも幾度となく戦ってきたに違いない。

「しかし……放っておきましょうでは、納得しない護衛もいるでしょうね」

 そこでテキアが顔を上げた。彼の双眸に宿る苦悩の色を読み取り、ギャロッドは喉を鳴らす。

 テキアの言う通りだ。皆が皆「はいそうですか」で済ませるわけがなかった。ギャロッドのように考える者もいるだろうし、単純に恐怖を覚える者がいてもおかしくはない。

 それぞれが出自も経歴も異なる技使いだ。積んできた経験もまちまちで、魔物と退治したことがある者といっても、ひとくくりにはできない。魔物は全て獣の形を取っていると、そう信じていた若者さえいた。

 そんな護衛に、魔物の巧妙な策の可能性を説くのは至難の業だ。しかも疑心まで取り除こうとなると、ほぼ神業に等しいことは明白だ。

 現に背後で控えているケレナウスも硬い顔をして何かを考え込んでいた。まだアースが犯人だと決めつけているのかもしれない。そういう者が他にもいないとは、ギャロッドも断言できなかった。

「なるほど、文句を言う者が出ると。テキア殿は心配性ですな」

「ここでも意見が割れるくらいですから。魔物の狙いがどうであれ、疑問と不満が噴出するのは避けたいところなんです」

 テキアの苦笑からは深いものが感じ取れた。もしかすると今までにもそういったことがあったのかもしれない。意見の衝突が厄介なことは、ギャロッドにも想像できる。それは戦であれ、商いであれ同じだろう。

「では適当に犯人を仕立て上げればよいのです。――そうですね、実力は中の上くらいの辺りがいいでしょうか」

 だがそこでバンが提案した対処法は、ギャロッドの予想を遙かに超えていた。思わず絶句したギャロッドは、ケレナウスと目と目を見交わせる。

 ケレナウスも信じがたいといった気を纏いつつ、閉口して青ざめていた。当然だろう。怪しい言動の多いバンとはいえ、まさかこんな発言までしてくるとは。

 誰もが何も言えずにいると、妖艶に微笑したバンは小さな眼鏡の位置を正した。その動きにあわせて、結わえられた墨色の髪がふわりと揺れる。

「そうすれば、少なくとも鬱陶しい疑念は晴れます。しばらくは、仕事に支障は出ません」

「しかし、それは……」

「優秀な人材を失うのは痛手でしょう。しかし弱すぎては嘘だと感づかれてしまいますから、人選は重要ですね。でもやり方は単純です。報酬だけ先に与えておいて外に出てもらい、後であいつが犯人だったと噂を流せばいいんですよ。処罰したとでも言っておけば、ね」

 つらつらと述べるバンの様子は楽しげでさえあった。悪戯を思いついた時の、子どものような顔をしていた。対してギャロッドは何と返答したらいいのかわからず、口を開閉させるのみだ。

「簡単でしょう?」

「バン殿、しかし――」

「これが賢いやり方というものですよ? ギャロッド殿」

 どうにか異を唱えようと上げた声は、あっさりバンの言葉に遮られた。最も敵に回したくない男が目の前にいるのだと、ギャロッドは心底実感する。

 バンの方が賢いのかもしれないし、結果的には正しいやり方なのかもしれない。だが本当にそれでいいのか。ギャロッドの良心が小さく軋むようだった。

 そういった口先のごまかしは元々苦手だ。しかもその者にとっては後々の名誉や仕事にも関わってくるだろうと考えると、さらに気が重くなる。後に尊敬するバンの策だったと知れば、その者はどう思うだろうか。

 もちろん、そんなことまで気にするのはギャロッドの仕事ではない。テキアとゼジッテリカを守ることが最優先だ。それはわかっているが、気は進まなかった。

「わかりました。この件についてはギャロッド殿とバン殿に任せます」

 すると嘆息したテキアが、そう言って頭を振った。まさかここで重大な決定権を与えられるとは思わず、ギャロッドは目を見張る。テキアにも判断しかねることなのか。

 しかし相手がバンでは、ギャロッドの意見は通らないだろう。もうバンの言う通りにするしかないようなものだ。できれば選ばれてしまった者にこの意図を伝えられたらと思うが、バンは反対するだろうか。

「……はい」

「お任せください」

 渋々と頷いたギャロッドに対して、バンは嬉しそうに首を縦に振った。その長衣が触れ合い、かすかな衣擦れの音を立てる。彼だけがやはり、場違いに明るく華やかだ。

「それではよろしくお願いします。私はこのままゼジッテリカのところへ向かいますので。この騒ぎが耳に入っていなければよいと思うのですが」

 テキアは切れ長の瞳を細め、肩をすくめた。どうやらまた単独行動をしようとしているらしい。その点についてどう忠告したものかとギャロッドが思案していると、袖を揺らしたバンがくつりと笑った。

「では後で一緒にまいりますよ、テキア殿。お一人にしては私が叱られてしまいます」

「ああ、そうですか。では先に部屋で別の仕事を片づけていますので、終わったら来てください。その間は……そうですね、ケレナウス殿にでもついてきてもらいましょう」

 そこでわざとらしく、バンはギャロッドへと一瞥をくれた。まるでこちらの心配などお見通しだと言わんばかりだ。ギャロッドは眉をひそめつつも、側にいるケレナウスへと目配せをする。

 流れの技使いとしての矜持など、今はどうでもいい。とにかくテキアを一人にするわけにはいかなかった。

「はい、わかりました」

 テキアが踵を返すのと同時に、ケレナウスが動き出す。バンが合流するまではケレナウスに任せるしかなかった。バンと二人きりになるのは避けたいところだったが、致し方ない。

「ギャロッド殿は苦労性ですねえ」

 去って行く二人の背中を見送りつつ、バンは肩を震わせて楽しげに笑った。まるで他人事だった。だが反論の言葉が浮かばずに、ギャロッドは苦笑を飲み込む。

 この抜けるような青空が恨めしく感じられてならなかった。ギャロッドはもう一度血に濡れた砂利を一瞥し、額当てに指先で触れた。




 灰色の空が続く下に、一人の男がたたずんでいた。白にも見間違えそうな銀の髪は肩よりも長く、それが時折生温い風に揺れている。

 彼の足下に広がるのは、荒野と呼ぶのに相応しいすすけた大地だった。そんな中だからこそなお、彼の空色の衣は艶やかに浮き立って見える。

 誰だろうとその場にいれば、目を向けずにはいられなかっただろう。しかし男以外に生きる者の姿はなく、ただ生温い空気の動きだけが彼を取り巻いていた。

 ひゅんとまた、風が鳴いた。それでも彼の瞳はただ真っ直ぐ、遠くを見据えていた。遙か彼方の見えない先をただじっと、そこに何かがあるがごとく見つめ続けている。

 その眼差しに迷いはなかった。衣服と同じ空色の双眸は、揺れることなく彼方を捉え続けている。

 そのようにして一体どれくらいの時間が流れただろうか。そこへ足音を立てずに近づく、別の男が現れた。黒い髪を腰まで伸ばした、背の高い男だ。銀髪の男と同じ空色の衣を身につけ、焦ることなく歩みを進めている。

 彼は銀髪の男に近寄ると、そこで声を発することなく跪いた。目にも鮮やかな空色の衣が、すすけた地に色を与える。銀髪の男は視線はそのままに、その薄い唇をやおら動かした。

「準備はできたのだな」

「はい」

「で、気づかれた様子は?」

「どちらに、ですか?」

「どちらにも、だ」

「それは五分五分といったところですね」

 二人は短く言葉を交わした。それでも意思疎通は図れているようで、うなずく銀髪の男に黒髪の男は苦笑してみせた。

 生温い風が、二人の間を通り抜ける。それにあわせて揃いの衣は舞うように揺れ、はたはたと心地よい音だけを耳に届けた。

 まるで二人の周りだけが別世界のようだった。色あせた世界の中でも、そこだけが生を持って鮮やかに色づいている。

 その主の一人である銀髪の男は、しばし思案してからようやく振り返った。

「ではあちらの方はどうだ?」

「あちら? ああ、『あれ』のことですか」

「そうだ。あいつがどこにいるのか足取りは掴めているのか?」

「いえ、残念ながらそれは。現在も調べている最中です」

 簡潔な返答に、銀髪の男は顔を歪めて小さく舌打ちした。しかし黒髪の男は縮こまることなく、ただ頭だけを垂れて言葉を続ける。

 苛立つのは仕方ないが、わかりきっていることでもあったからだ。『あれ』が姿をくらまそうと思えば、それを追いかけるのは容易いことではない。

 今まで足取りが掴めていたのは『あれ』が意図してやっていたからだ。諦めるのなら今の内だと、そう宣告して回っているつもりなのだろう。

「そうか。では引き続き頼む」

「わかりました」

 尖った声で告げる銀髪の男に、黒髪の男はすぐさま答えた。この計画のために最も警戒しなければならない存在、それが何なのかを二人はよくわかっていた。

 今焦ってはならない。それではすぐに水の泡となってしまう。

 再び風が吹き、彼らの髪を、衣服を揺らした。銀の髪の男はもう一度、遙か彼方へと双眸を向けた。

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